vol.1 世界選手権出場決定
柔が日本に帰って来た時には空は暗かったが、まだ深夜と言う時間ではなく家に帰れば滋悟郎がテレビを見ているところだった。
「ただいま、おじいちゃん」
「ようやっと帰って来たか。待ちくたびれたわい」
「あたしを待ってたの?」
「そうぢゃ。喜べ柔。世界選手権の出場が決定したぞ」
「え? どうして? あたし体重別出てないのに」
「そんなもの関係ないわ。全日本で優勝したことで無差別級の出場が決まったも同然ぢゃ。他の誰が出られるものか」
「でも、いいのかしら?」
「いいも悪いも、決まったことぢゃ。合宿は今月末からぢゃ。準備は怠るな」
「はい……」
部屋に戻ろうとする柔。すぐに耕作に会えると思えば嬉しいが、何か腑に落ちなくてモヤモヤする。何か引っかかる。
「柔!」
「は、はい!」
「土産はどうした?」
「あ! そうだったわ」
モヤモヤの正体はこれだったのかと、柔は鞄から土産を出した。
「なんぢゃ、アメリカに行っとったんぢゃないのか? カナダのも混じっとるぞ」
「カナダにも行ったの。ナイアガラの滝って知ってる? それを見たの」
「トリガラの滝ぢゃと。随分うまそうな」
「もーいいわ。ところでお母さんは?」
「夕方頃、急いで出て行ったぞ」
「どこに?」
「さあな」
それから30分もしない内に玉緒は帰って来た。
「柔、帰ってたのね。ごはんは?」
「食べて来たわ……」
「そう。それならよかった。今日は何も用意してないから」
滋悟郎は外食をしたようで台所は綺麗なものだった。
「どこ行ってたの?」
「昔お世話になった人が昨日亡くなったの。それでお通夜に行ってきたのよ」
「そうだったの」
「ごめんね、柔。お母さん、疲れちゃったからもう休むわ」
どこの誰が亡くなったのか結局わからなかった。そもそも柔は母の交友関係をあまり知らない。母は時間が出来れば父を捜しに行っていた。友達の話などは出たことがない。
◇…*…★…*…◇
8月30日から9月4日まで世界選手権の強化合宿が行われた。まだまだ暑さが残る中、男子選手も合同で行われる。しかしそこにさやかの姿は無かった。
さやかが世界選手権を辞退したと聞いたのは合宿の一週間前。理由は特に明かされなかったが、体重別で優勝してその強さからメダルも期待されていたので関係者は落胆していた。
「どうせ、お前の方が目立つことに我慢ならなかったんぢゃろ」
「おじいちゃん、何言ってるの?」
「無差別級と48kg以下級は同じ日ぢゃ。どう考えてもお前の方に注目が集まるぢゃろ。それにお前は特例中の特例での出場だ。気に入らないのではないか」
「特例って……」
選考会である体重別に出場してなくて柔は代表に選ばれた。前回のバルセロナ大会には体重別をすっぽかした柔は出場していない。前回と今回とで大きく違うのは正式種目となったバルセロナ五輪で二階級制覇をしたということと、国民栄誉賞を得たこと。実力は十分だがそんな特例があってもいいのか、柔自身が疑問だった。
「お前はそれだけの実績を残してきた。誰からも文句を言われる筋合いはない。むしろ出場してくださいと頭を下げてもいいくらいだ」
「そんなの嫌よ」
「とにかく、選ばれた以上は優勝ぢゃ!」
滋悟郎とさやかは似ている部分がある。目立つことが大好きだからこそ、他の誰かが目立つのが気に入らない。しかも自分のライバルが注目されているところで試合するなんて耐えられない。それにさやかが柔道をやっているのは柔を倒すため。それも出来ない試合に出る理由はどこを探してもない。
結局、体重別で準優勝をした選手を代表にして合宿をしている。彼女も強い選手だが柔とさやかがいるこの階級では影が薄い。今回頑張って優勝したら、新たな注目株となるだろう。