ハミルトンへ出発する前日、柔と耕作は電話で話していた。選手は試合の数日前には現地入りし、調整して試合に臨む。日本からの取材陣はその翌日にはおおよそ現地入りするので、NYから向かう耕作は柔と同じ日にハミルトンへ行き、虎滋郎と玉緒に本のことについての許可と取材に行く予定になった。そのためいつもは家で観戦している玉緒も現地で応援することにした。
「試合前に無茶言ってごめん」
「何言ってるんですか。あたしは松田さんが会場にいてくれるだけで百人力です。それに試合前にってお願いしたのはあたしなんですから」
試合が始まれば日本の取材陣が殺到してホテルの前も警戒される。特に耕作の姿を見つけたらいつも以上に記者が貼り付き、柔と耕作の決定的瞬間を撮ろうと躍起になるだろう。公式否定した二人の関係だが、記者たちはあまり信じていないのだ。ただ、耕作がNYにいて二人が接触しないので記事にならないだけ。もし少しでも怪しい動きをしたら即座に記事にする用意はできている。
試合を取材に来たのか熱愛をスクープしに来たのかわからなくなっている。だからハミルトンでは二人きりでは会わないようにしようと約束をした。でも、耕作が柔の両親に会いに行くということだけでもスクープになる。結婚のあいさつかと書かれても不思議じゃない。だからこそ、取材陣が現地入りする前に用事は済ませておきたいのだ。
「そう言ってもらえると助かるよ。俺のわがままでごめん」
「わがままじゃないです。あたしは協力してるんですから。本が出来るの楽しみにしてるんですよ」
「ああ、絶対にいい本になる。そしてみんなが読んで君を知るんだ」
「あたしのことはいいんです」
「そんなわけにいくかよ。君の本だ」
「松田さんの本ですよ。あ、そろそろおじいちゃんお風呂から出そうなので切りますね」
「ああ、じゃあハミルトンで」
「はい、お仕事頑張ってください」
「頑張るのは君の方さ」
柔は電話を切る。そしてタイミングよく風呂から出てきた滋悟郎が縁側の方へ歩いて来て、火照った体を冷やしている。
「明日はカナダへ出発ぢゃ。夜更かしせんとさっさと寝んか」
「はーい」
子供扱いは変わらない。でも柔は素直に返事をして、台所にいる玉緒のところに行った。
「無理言ってごめんね」
柔が申し訳なさそうにいうと、玉緒はいつもと同じ明るい表情を見せた。
「何言ってるの。柔の試合いつもはテレビで見てたけど、今回はジョディさんにも会いたいし虎滋郎さんも行くから楽しみなくらいよ。それに松田さんの頼みですもの。よろこんでお話をさせていただくわ」
玉緒の中での松田の評価は高い。デビュー戦で最初に接触し、短大の合格を玉緒に教えたのも松田だ。いつも柔のために走り回り、心のこもった記事を書いていることを玉緒は知っていたのだ。
「それに柔の大切な人なのだから、ちゃんとご挨拶もしたいと思っていたし」
「お母さん……」
赤面する柔。耕作との仲を知っているのは家族で玉緒だけ。滋悟郎に言うタイミングはまだ計りかねているところで、今回は虎滋郎には打ち明けようと考えていた。