YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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少女時代
vol.1 虎滋郎の過去


 カナダのオンタリオ州ハミルトンは8月に柔と耕作がトロントからナイアガラフォールズに行くときに通り過ぎた街だ。ただ海沿いの高速道路を通っただけなので街には入っていない。

 今回、世界選手権の会場となるコップス・コロシアムはハミルトンの中心地にあり、建物も大きい。バルセロナ五輪での女子柔道への関心から、多くの取材とファンで辺りは騒然としている。

 そんな中、耕作は人目を忍ぶように会場から少し離れたホテルへと入って行った。選手は各々調整に入っているので先発でカナダ入りした取材陣はそちらに集まっている。その隙に、玉緒が宿泊する部屋へ訪問した。部屋番号は聞いている。静かな廊下を歩きながら、久しぶりに会う柔の両親に思いの外緊張していた。深呼吸して、ドアをノックすると暫くしてドアがゆっくり開く。

 

「お久しぶりですね。松田さん」

 

 相変わらず優しい玉緒の笑顔が出迎えてくれる。そして部屋の中に入ると、これまた5年ぶりぐらいに会う虎滋郎が椅子にどっしり腰かけていた。

 

「松田くん。久しぶりだな」

「虎滋郎さん、ソウル以来ですね。お久しぶりです」

 

 挨拶はこのくらいで耕作も用意されていた椅子に座る。広くはない部屋だが、三人がいて窮屈と言うほどではない。ここは虎滋郎も宿泊しているフランスチームがとっている部屋なのだ。

 玉緒はお茶の用意をしてから腰かけた。出されたのはコーヒーだったが、耕作はその方がリラックスできると感謝した。

 

「柔から話は聞いてます。柔の本を出したいそうですね」

「はい。内容としては柔さんがどんな人生を歩んで、何を思ってきたかと言うことを書いていきたいと思ってます。その中で家族、友人との繋がりを書かないわけにもいかずこうやってお二人にもお話をと思いまして」

「うちはちょっと変わった家族ですからね」

「書いて欲しくないこともあるでしょうし、俺が知っていることが真実とも限らないので確認させていただきたいと」

 

 玉緒は虎滋郎を見る。微動だにしない虎滋郎は耕作を見ている。

 

「俺は何を書かれても構わん。松田くんは柔道をよく理解し、柔を導いてくれた。そこらへんの記者とは違うということは分かっている」

「ありがとうございます……では、さっそくですが73年に山下選手と試合をして勝利し、その後、全日本選手権で優勝した。この試合がデビュー戦で間違いないでしょうか?」

「ああ、山下くんと試合をして勝ったこともあり、全日本に出場した。そこでの優勝は間違いなしと確信したからな」

「それは滋悟郎さんの思惑ですか?」

 

 虎滋郎の顔が少々歪み沈黙する。何か考えを巡らせているのか、声を出すのに時間が掛かった。

 

「俺は柔と同じで学校でも柔道をやっていることを話すことはなかった。それはすでに看板を下ろした道場の息子が、未だに柔道をやっていることを世間に知られるのが恥ずかしいと親父に言われてそうしただけだった。だが山下くんに勝ったのなら一度実力を試したらどうだと親父に言われて全日本に出場した」

「滋悟郎さんは優勝したことで随分喜んだんじゃないですか?」

「もちろん喜んでいた。自分が築いた五連覇の記録を塗り替えるくらいの気合で来年も挑めと言われた。だが俺はああいうものにはあまり興味がなかったんだ」

「順位を付けたりする試合にですか?」

「ああ。俺は柔道を極めたいと思っていた。生れてから親父としか柔道をしたことがなく、親父以上の相手を見たことがなかった。親父は体も小さく柔道の極意とも言える柔よく剛を制すを体現している人物と言えた。俺もそうなりたいと思っていた。山下くんをはじめ、全日本の代表と戦ってその極意を掴めそうなところまで来ていたが、柔の存在であっさりと認識をひっくり返したよ」

「天性の素質ですか……」

「以前にも話したな。その通りだ。親父と柔にある天性の素質に俺は敵わない。俺が二人を越えるのは努力と運に恵まれた時だけ。しかし、そうしたところで俺に何が残ると思った」

「修行の最中にですか?」

「ああ。ふと思ったんだ。俺が強くなって家に帰ってそして何があると。ただ自分の為だけに家を空け、そして成したことが誰のためにもならない強さだけ。家族に迷惑を掛けてまですることだろうかと」

「その時、家に帰ろうと思わなかったのですか?」

 

 虎滋郎は玉緒を再び見る。静かに話しを聞いていた玉緒は突然向けられた視線に、少しだけ笑顔を見せる。

 

「帰ったんだ。柔が小学校五年生くらいの時か。その時には既に柔道に対して違和感を持っていたようだった。柔は女の子だ。俺と違って強さのために柔道をするわけじゃないだろう。むしろ強くなることを嫌うのではないか。柔道の仲間でもいたら違っただろうが、柔は普通の子供として育って普通の友達しかいない。友達がしないことをしている自分をおかしいと感じて柔道を遠ざけようとしているのではないかと感じたよ」

「そうですね。俺が知り合った頃には普通の女子高生でした。柔道を嫌っていました。でも、柔道をすることをやめなかったのは……」

「俺との繋がりのためだろう。俺は柔の優しさを利用したんだ。家に帰れば柔は柔道をやめるかもしれない。続けていてもここまで育ったかはわからない。天才ではあるが本人のやる気がなければ勝てるものも勝てない。天才は神ではないのだから」

「虎滋郎さんが家を出ている間、滋悟郎さんがマンツーマンで柔さんに稽古をした。柔さんに才能を見出したから、虎滋郎さんがいなくなったことで柔さんが寂しがる穴を埋めるためか……」

「その両方じゃないでしょうか?」

 

 黙っていた玉緒が口を開いた。

 

 

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