「その話は保留にして、玉緒さんにも聞きたいことがあります。いつごろから虎滋郎さんを探すようになったんですか?」
「虎滋郎さんが家を出た時には柔は五歳でしたから、もちろん家を出ることはできませんでした。でも柔が小学校一年生の時に長良川で水害が起こったとテレビで見て、万が一にもそこに虎滋郎さんがいたらと思ったらいてもたってもいられず短期間でしたが家を空けました。それが最初です」
結果的に長良川には虎滋郎はいなかった。玉緒はほっとしつつもいつも不安に襲われるようになった。事故は日常どこでも起こっている。その中に虎滋郎が巻き込まれていないとは限らないのだ。
「柔が中学に上がる頃には、あの子は自主的に料理なども覚え始めて私は長期的に家をあけることも多くなりました。柔は分かっていたのでしょう。家事が出来るようになれば私が虎滋郎さんを探しに行くことが出来る。だからその手助けをしてくれていたのです」
「どういったところを探されたんですか?」
「柔道場があるような場所や山ですね。関係者の方と仲良くなっていると、手がかりがあった時に教えてくれるんで本当に助かりました。全て後手には回りましたが案外外れていなかったんじゃないでしょうか?」
虎滋郎は誤魔化すようにそっぽを向く。玉緒が自分を探していることは知っていた。わざと痕跡を残し、生きているということを伝えていたのだ。
「お二人はとても仲が良く、深い信頼で結ばれているように思いますが差支えなければなれ初めなんかを聞いても……」
さすがにこの話題は虎滋郎には耐えがたく、お菓子を持ってバルコニーの方へ出て行ってしまった。
「ごめんなさいね。あの人、こういう話苦手ですから」
「わかりますよ。俺も本の為じゃなきゃ聞いたりしませんから。男なら誰だってこういう話は照れます」
耕作は頭を掻きながら照れたように笑う。本来なら聞き出すようなことじゃない。
「長い話になります」
そう言いながら玉緒は遠い空を見るように話す。
「私の実家は今ある猪熊の家の川向こうにあったんですが、実は猪熊の家も以前はそちらにあったんです。あの頃は『求道館』の看板がありお弟子さんなのか沢山の人が出入りしていたと聞いています。昭和16年に太平洋戦争が始まって、猪熊の家は戦火に焼かれ焼失し戦後今の家を建てて移り住んだと言うことです。幸いにも私の実家周辺は戦火は広がらずそのまま残りました」
「『求道館』のことはどのくらい知っていますか? 滋悟郎さんは今では殆ど弟子をとりません。その頃は弟子がいたと言うことでしょうか?」
「すみません。わからないんです。『求道館』は元々は牛尾馬之助というカネコさんのお父様が開いていた道場で、お義父さんはその弟子として山形から上京されたと聞いています。でも、お義父さんが上京された時には馬之助さんは亡くなっていて直接指導されたわけではないようなんです。でも一人娘のカネコさんが道場再建に奔走されお義父さんもそれをお手伝いしていたそうなんです。だからその時その道場にいたのが、お義父さんのお弟子さんなのか馬之助さんのお弟子さんなのか分からないんです。よく目立っていたとは聞いていましたが」
「弟子ではなく同士の可能性もあるということですね。しかし、今の家に越してきて『求道館』の名も上げず『牛尾』の姓も名乗ってないですね」
「その辺りも私はよく存じません。お義父さんはそう言うことはお話なさらないですから」
主に自慢話しかしない人だ。それも嘘か本当かわからない。
「実家と言いましたが私は生まれは横浜なのですよ。両親はそちらに住んでいました。しかし流行り病で相次いで両親が亡くなると私は東京の祖父母の家に引き取られました。私はまだその時13歳でした。両親がいない寂しさを私は知っていましたが、同じ思いを柔にもさせてしまったことは今でも申し訳なく思っています」
玉緒は沈痛な面持ちでそう言った。しかしわかっていながらも虎滋郎を探すことをやめられなかったのには理由があるのだろう。
「私が14の時に祖父が亡くなりました。家計は火の車です。私は早朝に知り合いの仕出し屋さんでお仕事をさせて貰うようになりました。そこは仕出し弁当の他にも昼からは定食屋さんもやっていてお店の従業員もいい人ばかりでとても楽しい職場でしたわ。今は問題になるかもしれませんが昔は早朝でも夜でも14歳の少女が働いても何も言われませんでした」
「辛くは無かったですか?」
「もちろん朝早いのもお仕事も辛いことは沢山あります。でも、それはどこにいても何をしてても同じです。私は恵まれていました。それに楽しみもあったんです」
チラッと外にいる虎滋郎を見る玉緒。
「お店に行くときには必ず川沿いの土手を通るんですが、そこで毎朝ランニングをしている人を見かけていました。同じ年くらいの男の子です。彼が何のために走っているかは知りませんでしたが、一生懸命走っている姿に勇気を貰っていました」
その人が誰なのかは察しがついていたが耕作は黙って話を聞いていた。
「祖父が亡くなった翌年、祖母も他界しました。私はいよいよ窮地に立たされました。親戚はいましたが、彼らも生活が苦しく私を引き取る余裕はなさそうでした。それに私はもう中学を卒業していましたから一人で生きて行けるだろうと思われていました。実際に働いてもいましたし。でも家だけは手放したくはなかった。思い出の詰まったあの家にいさせてくれれば私は一人でもよかったのですが、遺産相続の問題で家も土地も売り払うことになりました。そんな時に声を掛けてくれたのがカネコさんでした」