「気持ちが違うとは?」
「本阿弥はスポーツをすることはただの暇つぶしにすぎないのだよ。熱くなれる相手がいれば熱くなるがいないならばその競技には見向きもしない。ただその暇つぶしも永遠に続くわけじゃない。彼女は大人になり家を継がなくてはいけないのだから」
「さやかが本阿弥グループの総帥になるということですか? 風祭ではなく?」
「そうだと思っているよ。俺は実際にあの家にいてあの家のことを見ていた。風祭くんは本阿弥の婿だ。決してグループのトップに行くことはない。それに本阿弥の方がビジネス的な素質は持っている」
「ちょっと想像できませんね。あのお嬢さまが経営のトップに立つなんて」
わがままで高飛車で自尊心が強く人の心なんて全く分からない人間だ。耕作の中のさやかの印象はそんなものだ。
「優しいだけでは会社は動かせない。先を見る目、人を見る目、時に冷酷であることも必要になるだろう。それが本阿弥にはある。会社のために何かを切り捨てる力も、それを背負い力に変えることもできるだろう。自分の力を信じてる人だから。だが風祭くんにはそれがない。ビジネスセンスや交渉力はあるが、いかんせん自分を最優先にしたがるくせに強いものに抗えない。優柔不断な男だ。それがあがり症として出ているのではないだろうか」
「人前で上がってしまう原因の一つに自信のなさがありますね。風祭は多くの面で自信家ですが、恐らく一対一で対応できる時のみ。大勢の人の前で大勢の思惑と期待が入り乱れると何を優先していいか分からなくなるんでしょうね」
「よく分析しているじゃないか。俺もそう思っていたよ。あがり症でなければいい柔道家になっていただろうが、とても残念だよ」
「グループのトップになったらさやかはもう柔道はしなくなるのでしょうか? 今までもなんだかんだと理由を付けては柔道をしたりわがまま放題だったのに急にやめるなんて……」
「現・本阿弥総帥はとても娘に甘い。それはいつか来る本阿弥家のトップと言う鎖につながれる前の短い時間を、自由に過ごさせるためのものだろう。経験は買えない。娘のしたいことを助け楽しい少女時代を送らせることが目的なのだろう。でも、本阿弥は自ら茨を歩む人だ。何も心配する必要はないと思う。しかしその性格ゆえに一度決めたことは覆さないだろう」
「虎滋郎さんはさやかの評価が高いですね。教え子は別格ですか?」
「そういうわけじゃない。ただ俺には俺の思惑があって、それに利用したのは間違いない。それを知っていてもなお、本阿弥は稽古を投げ出さずに精進した。そして強さを手に入れたことには感服するところさ」
そういう虎滋郎に玉緒は口を挟む。
「柔が聞いたらどう思うでしょうね」
「松田くん。ここら辺のことは書かないでくれよ」
「ええ、もちろん。でもあと何回、柔さんとさやかの試合が見れるか分かりませんね」
「ああそうだな。本格的にグループの仕事に就く前に恐らく大仕事を終えてから取り掛かるだろうから、そんなに長くはないと予想してるがな」
「大仕事ですか?」
玉緒がくすくすと笑い、耕作は首を傾げる。
「出産ですよ。さやかさんは女性ですし、旦那様もいらっしゃるんですから子供を産んでから仕事をした方が、何かと都合がいいのではないでしょうか」
「そうか。跡取りを生むことも仕事の一つか。富士子さんのケースもあるから、出産後復帰する可能性もなくもないか」
「柔に勝利することへの執着が消えなければ復帰もあるが、守るべきものが増えて本阿弥の中で何かが変わればどうなるか……」
「人は変わります。変わらないといけないときもある。それを誰かが引き留めることは難しいですね」
「だが、悔しいものだな。きっとどこかに才能ある柔道家がいるはずなのに、見つけられない。天才が一人いてもそれは進歩にならない。二人いて高め合い、技を磨き、心を鍛えるものなのだ。天才が同じ時代に二人いるのは難しいかもしれないが、それに匹敵するほどの実力を持った者すらも柔道から離れつつある。寂しくなるな」
耕作は虎滋郎の言葉に触発されるように、口を開く。その声は重い。
「才能があってもそれに気づかない人もいる。気づいても様々な事情から高めることが出来ない人もいる。そして才能の価値を分からずに遠ざける人もいる。いくつもの偶然が重なって、天に導かれた才能を持った人を『天才』と呼ぶのでしょうね。だから柔さんという存在は奇跡に近い」
そう口にする耕作に玉緒は悲しげな顔をした。
「私は柔のことをそんな風に思ったことはないですよ。あの子は産まれてからずっと私の娘。普通の子供よりも辛い思いをさせたかもしれないけど、親想いでおじいちゃんを大切にする、優しい子です。どうか、松田さん。その事だけは決して忘れないでくださいね」
玉緒の言葉に耕作は我に返ったようだった。
「はい。肝に銘じておきます」
「ところで、松田くん。柔とは交際しているのか?」