YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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vol.2 試合と仕事

 世界選手権最終日。

 無差別級の試合が始まり、会場は満員御礼となった。柔がでるのはこの試合のみ。チケットの確保も難しくツアーを組める人数も今回はとても少なくなった。その少ない席を見事勝ち取ったツアー客は幸運ともいえる。

 柔は相変わらず圧巻の強さを見せ、ジョディとテレシコワがいない世界選手権は今までの世界大会の中で最も容易く勝利できると思っていたが、決勝で対戦したカナダのクリスティンは強敵で残り30秒のところで隙をついて一本背負いを仕掛け勝利できた。滋悟郎からは「鍛えなおしじゃ」と言われたが、金メダルは柔の首にかけられた。

 試合後、応援に来ていたジョディと再会する場面が会場で見られ、バルセロナの感動再びと言わんばかりに歓声が上がった。それを照れくさそうにしている柔は相変わらずだった。

 メダルの授与式が終わり、暫くすると柔はスポーツ選手らしくジャージでとあるホテルにいた。そこは鶴亀トラベルのツアー客が宿泊するホテルで、試合後に応援のお礼を言うために各部屋を回る。大きな会議室のようなところでいっぺんに出来れば早いのだが、海外のホテルではなかなかそう言った場所もなく、部屋数もそんなに無いので柔が回ることとなった。もちろん羽衣も一緒について行くが、優勝の興奮が冷めやらぬ客たちはなかなか柔を解放してくれず、随分時間が掛かった。

 

「次が最後だぞ。もう少しだ。頑張れ」

「は、はい」

 

 正直、試合よりも疲れるなと柔は思っていた。カナダまで応援に来てくれる客は会社的にはお得意様だし、柔としてもありがたいので無下には出来ないが限度はある。プライベートな質問や日本に帰ったら一緒に食事でもと言われても困るだけだ。もちろんそんな客ばかりではない。

 

「最後の人は西野さまと言ってバルセロナも応援に来て下さったお客様だ。柔道のことも詳しくて、紳士的な方だから緊張することないと思うよ」

「それなら助かります」

 

 最後の部屋をノックすると、出てきたのは長身の男性で優しげに微笑むと羽衣を先頭にして中に入る。

 

「西野さまお待たせしました」

「いえいえ、大変だったでしょう。試合後でお疲れなのに、申し訳ないです」

 

 優しい言葉に柔は心からホッとする。

 

「こちらこそ、お待たせして申し訳ありません。西野さまの応援があって優勝できました。本当にありがとうございます」

「そう言ってもらえると、嬉しいよ。でも応援よりも日頃の鍛錬の成果だと僕は思うよ。猪熊さんは負けなしの選手だけど、それは厳しい稽古の賜物。僕たちの応援なんて何の役にも立たないよ。むしろプレッシャーじゃないかい?」

「とんでもないです。海外では日本語の応援はとても耳に届きます。応援があるから頑張れるんです」

「そうか。それなら本当にうれしいね。ところで、アトランタ五輪はもう目指しているのかい?」

「そうですね。このまま何もなければアトランタも視野に入れたトレーニングになると思います」

「怪我がないことを願うよ。猪熊さんは日本の宝なのだから」

「そんなことは……でも、頂いた賞や応援に恥じない試合はしたいと心掛けています」

「あの……そろそろ写真撮影に映ろうか思うのですか」

 

 羽衣が気弱な様子で口を挟むと、西野は感じよく返事をした。

 

「今回はそんな企画があったんですね。カメラは僕のを使うのですか?」

「いえ、こちらで用意したカメラで撮影させていただきます。写真は日本に帰ってから現像してご自宅にお送りしますので」

「そうですか。じゃあ、お願いします」

 

 羽衣はカメラを構えツーショットで撮影する。西野は優しげに笑っている。

 

「それではこれで終了となります」

 

 西野は手のひらを出した。

 

「握手、いいですか?」

「はい、もちろん」

 

 西野は柔と握手をしてその手の小ささに驚く。そして鍛錬を積んだ手の厚さに強さを感じる。

 

「ありがとう。これからも応援してるよ」

 

 柔はお礼を言って部屋をでた。これで仕事は終了だ。

 

「感じのいい人でしょ」

「そうですね。みんな西野さまみたいな方だといいですね」

「それだと楽だな。ところでこの後は選手のホテルに戻るんだよね」

「はい。明日の飛行機で帰国なんで準備をしないといけないし……」

「ああ、そう言えば松田記者いたよな」

「え!?」

 

 思わず出た耕作の名前に柔は大きな声を出してしまう。

 

「そんなに驚かなくてもいいだろう。松田記者は最近はアメリカのスポーツ記事ばかりで柔道の話題がなくて寂しかったが、世界選手権は取材に来てたのは嬉しいな。日本で新聞を読まないとな。楽しみだな。きっとまた熱のこもったいい記事を書くぞ」

「久しぶりに松田さんが柔道の記事を書くんですよね。あたしも楽しみです」

 

 世界選手権の間、耕作とは最初の約束通り、記者と選手という立場を崩さない程度に接近していた。日本から来ている記者たちは何かと怪しんでいるのが見てとれたが、耕作のそばには常に邦子がいて彼女のようにしていたので記者たちは「やっぱり思い過ごしか」と納得しつつ取材をしているようだった。記者たちの間ではどちらかと言えば、耕作と邦子が恋人同士であるというのが長年の認識なのだから当たり前と言えば当たり前だ。

 しかし、耕作が柔のスクープをいつも取っていたことも事実で、それに理由があるのかもしれないと思うこともある。だが自分が発掘した選手に張り付いて、信用を得てスクープを取るというのもある手段なので一概に恋愛関係ともいえないところだ。今回の取材では二人の関係を決定づける出来事は何もなかったと、帰国の準備を始めていた。

 

 

 

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