柔と耕作はとあるレストランにいた。ハミルトンの郊外にあるレストランは辺りに観光地もなく人通りも少ない。地元の人が行くような素朴な店だ。そこに滋悟郎、虎滋郎、玉緒、そしてジョディも含めた食事会が行われていた。
「ヤワラ、優勝おめでとう!」
ジョディの合図で乾杯する。とはいえ、お酒を飲んでいるのは滋悟郎と虎滋郎くらいで他はジュースや水で乾杯した。耕作はまだ仕事があるし、玉緒と柔は飲んでいる二人を案じて飲まず、ジョディも帰りのことがあるので飲まなかった。今回、ルネが他の用事で来られないということでジョディは車でトロントまで帰らなくてはいけないのだ。
「決勝ではクリスティンとヤワラのどっちを応援していいか分からなかっただわね。でもどっちが勝っても嬉しい試合だわね」
「そうね。クリスティンさんは前よりも強くなってたわ」
「前に試合した時にヤワラの強さを知ったクリスティンは、トレーニング方法を見直して変わっただわさ。フジコがいない今、ヤワラを目指しているだわね」
食事が始まってまるで掃除機のごとく食べる滋悟郎と虎滋郎に様子は店員も驚かせた。ここは個室と言うことではないが、会話は主に日本語なのであまり気にすることも無い。
「して、何故に日刊エヴリーがここにいるんぢゃ?」
たんまり食べてお腹が落ち着いたのか、今頃そんなことを聞く滋悟郎。その事に柔も呆れてしまう。
「私が呼んだね。マツダとは友達。一緒に食事したいだわね」
「ジョデーが呼んだのか。なら仕方ないの。こんなところまで取材に来たのかと思ったわい」
「半分当りですよ。滋悟郎さんにお話を伺いたくて来たんですから」
「わしにか! 何でも話してやろう」
滋悟郎はとても機嫌よくいつもよりも饒舌だった。耕作は他愛ない話から初めて核心に迫る質問をした。
「滋悟郎さんはなぜ弟子を積極的に取らないんですか?」
「ん? 教え子は多いではないか」
「ですが、道場に看板を置いているわけでもありませんし。滋悟郎さんに教えてもらいたい人は多いと思いますが。それに過去にも弟子をとったと聞いたことはありませんし」
「弟子を取ったら、柔のことが見つかってしまうぢゃろう。それじゃあ、華々しくデビューする計画が丸つぶれじゃ。まあ、どこかの誰かさんがそれを壊してくれはしたがの」
苦笑いをする耕作。そこに虎滋郎からの援護が入る。
「おふくろの実家が元々は柔道の道場だったんだろう? そこの道場を継ごうとは思わなかったのか?」
「なんぢゃ、お前まで。カネコのお父上は牛尾馬之助先生と言う立派な先生で、わしは元々山形から先生の弟子入りを希望して上京したんぢゃ。ところが訊ねてみれば馬之助先生は既に他界しわしは牛尾道場に居候させて貰うことになったんぢゃ。道場再建に奔走するカネコを助けるために力を尽くした」
「ならなぜ道場再建をしなかったんだ?」
「わしは牛尾先生の指導は受けてはおらん。そんなわしが牛尾道場を掲げるわけにはいかんぢゃろう。道場に来ていたものは牛尾先生の門下生。わしとは共に奔走した同士じゃ。しかしな、カネコがわしと結婚を了承してくれた時にはカネコの中には牛尾道場を再建する意志はなくなっていたようだ」
「それは何故だと思いますか?」
「知らん。ただ戦争も始まって生きることに精一杯で、柔道もGHQにより規制が入って思うように出来ない時代があった。わしらはそんな中でも柔道を忘れないように守っておった。人に教えるほどの余裕などないわい」
この後、滋悟郎はもう昔のことは語ろうとはしなかった。戦争の話は暗く重い。滋悟郎なりに気を使ったのかもしれないが耕作にはまだ聞きたいことがあった。しかし、頑固な滋悟郎が一度口を閉ざしたらもうしばらくは話はしないだろう。それを察した耕作は今回は諦めた。
それから1時間ほどして柔は店を出た。会計をしている人だけ残して、ジョディと玉緒はあいさつをしていた。
「ジョディさん。今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます」
「ヤワラのママ、遠慮はいらない。トロントからハミルトンは近いだわね。会える時に会わないと次いつヤワラに会えるかわからない。ジゴロー先生にも」
「そう言っていただけると嬉しいです。私もジョディさんに会いたいと思っていましたので、お会いできてとても嬉しかったです。それにとても美味しいお料理でしたし」
「気に入ってくれてよかったね。今度はタマオの料理食べたいだわね」
「そんなものでよければいつか日本で」
二人の会話を微笑ましく見ていた柔は空を見ながら歩いていると、唐突に日本語で声を掛けられた。
「猪熊さん?」
柔は振り向くとそこには今から4時間ほど前に会った、西野がいた。