「夕食にしようか? さっき買ってきた」
ゴミを捨てに行ったにしては帰りが遅いなと思っていたら、食事の調達に行ったみたいだ。その間に細かい片づけと洗い物をして、窓を開けて空気を入れ替え、見違えるほど部屋は綺麗になった。
「もう遅かったからあんまり種類もなくて、好みに合うか分からないけど」
耕作が買ってきたのは紙のBOXに入ったお弁当のような物。中には鶏肉を焼いたものと小さな容器に豆のサラダやマッシュドポテトが入っていた。別の容器にはクラムチャウダーが湯気を立ていい香りが柔の鼻をくすぐる。そして最後に日本ではあまりなじみのない輪っか状のパンが出てきた。
「ドーナッツ?」
「これはベーグルって言うパンだよ」
「パンですか。まさか松田さんから食品について教えられるとは思いませんでした」
「どういうことだよ」
「だってラビオリもカンネッローニも知らなかったじゃないですか」
「ははっ、そうだった」
すっかり綺麗に片付いたテーブルの上に柔が盛り付けし直した、チキンやサラダを並べ耕作はワインを持ってきた。
「それは?」
「いつか一緒に飲もうと思って買っておいたんだ。NY産のワインだよ」
柔はさっきまで感じていた歓迎されてないんじゃないか、恋人と思われていないんじゃないかと言う不安な気持ちが一気に消し飛んだ。ビール好きの耕作がワインを買っているなんて、しかも一緒に飲もうと思って何て言ってくれるとは思ってもいなかった。
「うれしい。ありがとうございます」
「いや、これくらいしかできないから」
クリスマスだけどクリスマスらしい雰囲気の一切ない部屋で、二人は向かい合い赤ワインが入ったグラスを胸の位置まであげて「乾杯」と言った。慣れない二人はお互いに照れて耕作はワインを一気飲みしてしまった。
「ぷはー」
「甘くておいしい」
「ああ、ただ俺はやっぱりビールの方が……」
「ふふっ、そうでしょうね」
微笑む柔の目はうっすら潤んでいた。アルコールで酔ったのだろうかと耕作は思っていたが、本当は違う。柔は嬉しくて感動したのだ。ちっともロマンチックじゃないし、高校生の時に思い描いてきたクリスマスとは全然違うけど、好きな人と一緒にいるだけでこんなに幸せで涙が出そうなのだ。でも今は耕作を困らせたくないから堪えている。
二人は離れていた間に何があったのか、他愛ないことも全て報告し合った。もちろん会話の中には柔道のことも多く含まれたが、柔は今はちっとも柔道の話をするのが嫌じゃない。むしろ二人を繋ぐ大切なものだ。それに柔道の話をしている耕作はいきいきしている。それだけで十分なのだ。
「まだ、お腹はあいてる?」
「ええ、大丈夫ですけど」
「じゃあ……」
耕作は立ち上がり冷蔵庫から何か取り出した。
「柔さん、目閉じてて」
何が起こるのかわくわくしながら目を閉じる。耕作が部屋を歩く気配がする。椅子に座りテーブルに何かを置いた。
「目、開けていいよ」
柔はそっと目を開ける。揺らめくキャンドルが2本とあまり馴染みのない形のケーキが白い皿に乗っていた。
「あの、これって、クリスマスケーキですか?」
「それと、柔さんの誕生日ケーキ。一緒に祝えなかっただろう? ついでみたいで申し訳ないけど」
柔は首を横にふる。
「そんなことないです。とて……も……うれ……しい」
涙が溢れて声にならない。こういったことに無神経だと思っていた耕作が、こんなことをしてくれているなんて柔は不意打ちのプレゼントに涙しかでない。
「ど、どうした? やっぱり腹いっぱいだったか?」
首を横に振る。そして涙を拭いて耕作を見つめる。
「うれしくて、こんなにうれしいことって初めてで……だから涙が出るんです。ありがとうございます」
「そんなに喜んでもらえるとは思ってなかったよ。こちらこそありがとう」
こんなやり取りの間もキャンドルは短くなり続ける。
「吹き消す前に願いをかけるらしい」
「じゃあ、二本あるんで一つずつにしましょう」
「いいのかい?」
「もちろんですよ」
二人は少し沈黙した後、視線を合わせた。そして二人で一緒に火を吹き消した。耕作が部屋の電気をつけると柔は興味深そうに問う。
「何願ったんです?」
「それは、言えない。柔さんは?」
「あたしも言えません」
「何だよ、それ」
耕作が買ってきたケーキはブッシュド・ノエルという丸太の形をしたケーキだった。アメリカでは日本のようなホールケーキをクリスマスに食べる習慣はないようで、売っているのはこういう置物のようなケーキということらしい。
「見た目はロールケーキですね」
「チョコ味のな。しかし、強烈な甘さだな」
「そうですね。でも、おいしー」
夕食の買い物で外に出た時、一つだけ残ったこのケーキを見かけた。クリスマスなのに部屋の掃除なんてしてもらった上に、夕食がこんな残り物の惣菜しかなくてきっと柔はガッカリするだろうと思った。レストランで食事も考えていたが、店はやってないところも多く開いていても予約で一杯。急だったとはいえ、柔が喜びそうなことが何も出来ない。こんな時つい考えてしまう。風祭ならもっとスマートに柔を持て成せただろうにと。
こんなことを考える自分が情けなくて、耕作は今出来ることを精一杯やろうと思い、ケーキを買った。でもそれが大成功だった。泣くほど喜んで貰えるとは思ってもいなかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、時刻は午後10時を回った。二人で後片付けをして後は皿を拭いてしまうだけとなった。
「柔さん、先にシャワーつかっていいよ」
不意に言われたその言葉に柔は平静を装いつつも、心臓が飛び跳ねて信じられない速度で鼓動しているのを感じていた。
「は、はい。先に使わせていただきます」
「おう」
リビングの隅に置いていたトランクから着替えを取り出して、シャワールームへ向かう。あまりに普通に耕作が言うから、柔だけがそわそわしているのを感じ取られたくはなかった。しかし、これからのことを考えるととても平常心でいられる自信がない。
シャワーだけというのは落ち着かないが、これがアメリカだ。体を拭いて着替えて出てくると、リビングから賑やかな声が聞こえた。
「お先にいただきました」
そろーっと入ってくる柔に耕作は「冷えちゃうから早く入りな」と言った。柔が耕作の近くに行くと、ソファに座っていた耕作はテレビを見ていた。もちろん英語の放送なので柔はよくわからないが、クリスマスの賑やかな様子を放送しているようだった。
「ここ暖かいから」
ソファの近くにはストーブがあって確かに温かい。髪は一応洗面所で乾かしてきたが、まだ少し冷たい。ここにいれば乾きそうな気がした。
「じゃあ、俺もシャワー使うわ」
「は、はいっ」
変な返事をしてしまった。意識していると思われたら恥ずかしい。でも、耕作の行動の一つ一つに緊張する。それなのに耕作は全く変わった様子がない。
シャワールームに入る耕作は、ふーっと深いため息を吐く。柔のことを思えば自分が平常心でいるしかない。本当は全然落着けない。
なぜなら耕作はまだ決心できていないのだ。このまま成り行きに任せれば本当の意味で柔と恋人関係になるだろう。そうなることが嫌なわけではない。むしろそうなりたいと思っているが、今の自分で柔と釣り合いが取れているとは思えない。思いは誰よりも強い。しかし自分に自信がないのだ。記者としてある程度認められたからアメリカにいる。でも、まだ修行中だ。まだ三流記者だ。それに比べて柔は五輪の金メダリストで国民栄誉賞の受賞者だ。一体どうなればつり合いが取れるのかなんてわかりっこないが、今の自分ではダメだとどこかで声が聞こえるのだ。
あれこれ考えていると結構な時間、シャワーを浴びていた。結論は出ない。出せない。だから成り行きに任せるしかない。柔を傷つけない答えを出すしかない。そう覚悟をしてリビングに戻ると、ソファの上で柔はスヤスヤと寝息を立てていた。ホッとしたのが正直な気持ちだった。
柔は耕作がシャワーに行ってからソファでぼんやりテレビを見ていた。さっきまでは目が冴え冴えとしていたのに、部屋の暖かさとアルコールからか睡魔が何度も襲ってきた。その度にしっかりしなきゃと思うのだが、ついにはクッションを抱えて眠り込んでしまった。人の気配を感じた。誰かは分かっているが目が開かない。しばらくするとふわりと体が浮く感じがして、いよいよ夢の中かと思ったがその温もりと匂いがあまりにリアルに感じられた。柔らかい場所に下ろされて上から布を掛けられる。そしてそっと頭に触れる大きな手。
「お疲れ様。こんな遠くまで来てくれてうれしかった。おやすみ」
耕作の声だった。心が安らぐその声は、柔を深い眠りにいざなった。