vol.1 日系二世
耕作は今、ロサンゼルスにいる。10月といは言え日中気温は25度ほどあり、日差しも強い。半袖から伸びる腕は、また黒く日焼けし始める。ドジャースを取材するためにはるばるNYからやってきたのだが、目的はもう一つあってそれは次の日に時間を取っていた。
日本を離れて1年以上。耕作が歩くこの街はどこか懐かしいが、どこか違う。それも仕方のないことだが一緒に歩くジェシーはワクワクを隠し切れない様子で、あちこち首を動かしては楽しそうに街を見ている。
ここはドジャース・スタジアムから南に数キロほど言ったところにある、リトル・トーキョー。19世紀の終わりから日本人が移住を始め、街を作った。一時期はゴーストタウンと化したこの街は戦後、再び活気を取り戻したが日本の好景気が終焉を迎えると同時に観光客が激減し街の雰囲気は変わってしまったようだ。
「コーサク、ここよ」
路地裏の古い建物をジェシーは指さす。夏のような暑さだから仕方ないが、あまり薄着だと先方にも失礼じゃないかと耕作は不安になる。しかし耕作も人のことは言えない。救いは今回同行してもらっている「リテラリーエージェント」のスミスがきっちりとしたスーツを着ていることだ。
リテラリーエージェントとはアメリカで本を出版するときに、出版社に原稿を売り込んだり、契約や交渉、著作権を管理する代理人のことだ。日本とは違う出版事情を知った耕作は「スパイス・ガーデン」で相談を持ちかけジェシーがスミスを紹介してくれたのだ。
そのスミスの案内でやってきたこの場所こそが耕作の本を出してもいいと言ってくれた出版社「パイン・フラット社」だ。建物自体は大きいが古く、コンクリートで出来ている外壁に、いかにもアメリカらしい造りの外階段が目に入る。その三階部分にオフィスを構えているようで、階段で三人は上がった。
「やあ、いらっしゃい」
出迎えてくれた男性は白髪交じりの髪をオールバックにして、良く焼けた肌に笑い皺が浮かぶ目じりで笑顔であいさつした。歳は50代半ばくらいだろうか。スミスとジェシーにあいさつをして握手をした後、彼は驚くことに日本語であいさつをした。
「初めましてコーサク。私はシゲル・マツダイラ。日系二世でこの会社の社長をしています」
あまりに流暢な日本語に耕作は驚きを隠せない。日系人とはいえ日本語を話せない人は多い。特にアメリカで産まれ育って日本との繋がりもない人は日本と言う国の場所さえもわからないという。だがシゲルは日本人と同じような日本語を話す。
「日本語がお上手ですね」
「父に叩きこまれました。日本人たる者、日本語を忘れてはいかんと。父も言葉を大切にする職業でしたので尚更です。ささ、立ち話もなんですから中にお入りください」
まるで日本のような出迎えと案内だ。だがオフィスは普通にソファとローテーブルがある、いかにもオフィスと言った様子で何人かの社員はデスクで仕事をしているようだった。
「今は日本の映画や文学を紹介する冊子を作っているんです。このリトル・トーキョーでも日本らしさを忘れないために、常に日本の今を見つめては取り入れているんですよ」
「翻訳をされているということでしょうか?」
「少しですが。日本の文学は優れているのに、英語に訳す能力が低くてアメリカ人に伝わりにくい。内容が難解であるのに、書いてあることがわからないんじゃ誰も手に取りませんからね」
「日本の英語力はあまり上がってないですからね。俺もこっちに来るまではカタコトでしたよ。今も上手とは言えないですけど」
「だったらうちの会社が役に立ちますよ。出版予定の原稿は全文英語で書かれるということですが、私とあと二名、日本語と英語がわかるものがおりますので校閲をかねて誤訳があれば訂正していきます」
「それは助かります。まだまだ勉強が足りないので。ところで、どうして俺の本を出してくださるんですか?」
「不思議ですか? 私は日系人ですよ。しかもリトル・トーキョーの住人だ。日本を愛しているし、私に流れる日本の血を誇りに思っています。だからこそ去年のバルセロナ五輪の女子柔道には胸が熱くなりました。あんな小さな女性が自分の倍以上はあるだろう、西洋人を投げ飛ばすんです。日本人の血が騒ぎますよ。そんな彼女の生きてきた道を知りたいと思うのは当然のことです」
「彼女の柔道は魔法ではありませんよ。彼女の長年の鍛錬の成果です。それを俺は多くのアメリカ人に知って欲しいと思いました」
「わかります。私の父も柔道には詳しかったですが自分がやるわけじゃないから、柔道とは何かを伝えることが難しいとよく言っていました。ヤワラを見ていると父がよく言っていた『柔よく剛を制す』を見た気がします。しかしそれも伝えることが難しい。でも、長年ヤワラを取材し続けてきたコーサクならそれが出来ると思ったんです」
「俺自身もそう思います。柔さんのことを書けるのは俺だけだと。ところでお父さんも出版業をなさっていたのでしょうか?」
「ええ。コーサクと同じくスポーツ記者ですよ。日本で記者をしていてとある柔道家に出会い、そしてその圧倒的な強さに度肝を抜かれたと言っていました。そしてその彼に師事したアメリカ人が36年のベルリン五輪のレスリング代表で出場したんですが、あえなく準優勝に終わりその世界の強さを知ったと言っていました。だから父は渡米し、スポーツを取材したと」
戦前の日本人がアメリカに渡るということは今とは比べ物にならないほどの、決意が必要だっただろう。それでも取材したいと思った海外のスポーツ事情はいずれ日本が勝つために必要になるだろうと考えたからだろう。記者は伝えるだけだが、それを受けとる側がその情報をどう利用するかは勝手だ。相手の強さや戦略、稽古の仕方などを知り参考にすることが強豪国に近づける近道だ。
「ですが、その後戦争がはじまり帰国のタイミングを失いました。父はこのままアメリカに残ることを選び、日本人向けのフリーペーパーを作ったりしながら待っていたんです」
「一体何を?」
「オリンピックで柔道が行われるその日を。そしてそれが念願かなって64年の東京オリンピックで追加されると聞いたときには、父は泣いて喜んだと言います」
「そこまで思い入れがあったんですね」
「もちろんです。父は幻に終わった40年の東京オリンピックで柔道が追加されると思っていました。そしてそこで父が圧倒された柔道家がその強さを世界に知らしめる舞台になると思っていたからです」
表情を曇らせるシゲル。1940年の東京オリンピックは支那事変の影響により開催権を返上し、アジア初のオリンピックは実現せず、東京五輪はそれから24年後に開催されることとなった。あの時涙した国民にとっては悲願の五輪だったことだろう。
「でも、64年の東京五輪に彼はもう出場できません。父はとても残念がっていました。もう一度彼の勇姿を見たかったと言っていましたから」
「あの、先ほどから出ている柔道家とは一体誰のことなんでしょうか?」
シゲルは耕作を見て、得意げに微笑む。その目には輝きが宿る。
「ジゴロー・イノクマですよ」