NYに戻って直ぐに猪熊家に電話を掛けた。柔から貰った腕時計を見ると、まだ日本は昼間だとわかる。柔は当然仕事に言っているだろうが、滋悟郎はいるだろうか。期待を込めてコール音を聞いていると、いつもの調子で電話に滋悟郎が出た。
「もしもし、猪熊ぢゃ」
「あ、あの、日刊エヴリーの松田です。滋悟郎さんですよね」
「そうぢゃが、なんの用ぢゃ。昔のことはもう何も話さんと言ったぢゃろ」
「そうなんですが、確認しておきたいことがあって。あの、朝讀日々新聞の松平と言う記者を知っていますか?」
電話の向こうから返事がない。切れたのかと思うくらいの沈黙が流れるが、何も聞こえないことが通じていると言うことだ。
「……知っておる。わしが若い頃にわしに引っ付いて取材しておった記者ぢゃ。そやつがどうした?」
「彼の息子さんに会いました。そしてお話を伺いました」
滋悟郎は再び沈黙する。それは友を案じていたからこその沈黙だ。
「そうか。アメリカで生きておったか。戦争が始まってどうなっておったかと思ったが、生きておったのか」
いつもと様子の違う滋悟郎に耕作は話を続けるべきか一瞬迷ったが、言っておいた方がいいことだと思い続けた。
「松平さんはアメリカでも記者をしていたそうです。日本のスポーツ界のために出来るだけのことをしようとしていて、特に力を入れていたのが女子柔道だったそうです」
「どういうことぢゃ?」
「日本の女子柔道は長いこと今のような試合をする柔道ではなかったと聞きました。しかしアメリカも含め、海外ではすでに女子も男子と同じく試合をして勝ち負けを決める柔道をしていたそうです。現に第一回の女子の世界選手権はアメリカで行われています。松平さんはこの事だけでも日本の遅れを危惧し、そして女子柔道が世界的に普及する、つまりオリンピックの競技種目に加えられるには日本人が目覚めるしかないと思っていました」
「なぜそこまで女子柔道に力をそそいだのぢゃ。あやつはわしを取材しておったのに」
「カネコさんですよ」
「カネコぢゃと」
「相当お強かったと聞いています。ですがあの時代、女性の柔道は違うもの。でもカネコさんは男子柔道を馬之助先生から教わっていたんじゃないですか。それを松平さんは知っていたんです」
「そうぢゃ、カネコはダンスのような柔道ではなく本当の柔道を学んでいた。馬之助先生直伝のキレのある美しい柔道ぢゃ。柔なんぞ足元にも及ばんわい」
「カネコさんは松平さんに言ったことがあるんです。『いつか女性でも試合に出れる時がくるんでしょうか』と。どういう気持ちでそれを言ったのかはわからないそうですが、ただ寂しそうにつぶやいたと言います」
時代が時代ならカネコもオリンピックで金メダルを取れたかもしれない。でも、カネコはメダルが欲しかったわけじゃないだろう。
「アメリカ人女性の柔道家にも女子柔道を広めたいと思う人がいて、彼女と共に行動を起こしていたと言います。主に彼女が先頭に立っていたようですが、松平さんも手を貸して世界選手権の開催にもこぎつけたと言っていました。その後のソウル五輪での公開競技やバルセロナ五輪での正式種目となった時もとても喜んだといいます」
「陰で力になってくれておったのぢゃな」
「そうです。松平さんはソウル五輪での柔さんの活躍を見て、日本の女子柔道界の変化に歓喜しそしてバルセロナ五輪での柔さんの二階級制覇という偉業に震えるほどの興奮したと言います。もちろん柔さんが滋悟郎さんの孫だと言うことも知っていたそうです」
「取材にこれば良かったものの。何をしておったんぢゃ」
「松平さんは数年前から病に倒れて、去年、柔さんの国民栄誉賞受賞のニュースを知って微笑みながら亡くなったそうです」
「そうか……もう松ちゃんはおらんのか……」
「滋悟郎さん?」
「松ちゃんはの、わしを最初に取材した見る目のある男ぢゃった。最初こそわしの強さを疑っておったが、わしのあまりの強さに度肝を抜かれて連日取材しに来ておった。カネコとの仲も取り持ってくれての、家族のようにしておったんぢゃ。ところが突然、アメリカに行くと言いおってな。その度胸の大きさにわしは驚いたほどぢゃ」
昔のことは話さないと言っていたが、滋悟郎の口からはいつもとは違うトーンで昔話が語られる。そこに嘘や演出は聞こえない。
「わしがたまにお前さんを松ちゃんと呼ぶのは、お前さんが松平に似ておったからなんぢゃよ」
「俺が?」
「そうぢゃ。最初の頃はただのゴシップ記者にしか見えんかったがの、柔を追いかけている姿はかつてわしを取材しておった松平によう似ておる。だから時々、松ちゃんと言ってしまっておったのぢゃ。名字も似ておるし、今思えば顔も似ておるような気がするの」
「偉大な先輩に似ていると言われて俺も光栄です」
「じゃが、お前さんはまだまだぢゃ。松ちゃんほどの記者になった時、わしはお前さんを『松ちゃん』と正式に呼んでやろう」
「そう呼んでもらえるよう努力します」
「要件はそれだけか?」
「あと、もう直ぐそちらに荷物が届くと思います。中には松平さんの手記のコピーが入っています。是非、滋悟郎さんに読んでほしいと息子のシゲルさんが言いましたので送りました」
「松平の息子はシゲルと言うのか。そやつも記者をしておるのか?」
「いえ、彼は出版社の社長をしています。今度俺が出す本の出版元になります。ちなみにシゲルさんの漢字名は滋悟郎さんの『滋』でシゲルというそうですよ」
「お前はまたそういうことをサラリというのう……」
「すみません。では要件はこれだけですので……」
「おお。達者でな、日刊エヴリー」
電話は切れた。いつもの滋悟郎とは違った様子であったことは、電話越しでも伝わった。それほどまでに影響力のあった人だということだ。松平という記者は。
滋悟郎が話す昔話はおおよそ自慢話と演出過多で真実が見えにくいことが多いが、悲しみを隠すためにそうしていることもあるのだ。きっと滋悟郎は悲しい話は好きじゃないのだ。明るく楽しく、強さを求めて生きる人生だったから。きっとカネコが亡くなった時も、人前では決して弱気な姿は見せずにいただろう。そうすることで、より精神が鍛えられたのかもしれない。
◇…*…★…*…◇
数週間後、耕作のNYのアパートに小包が届いた。送り主には「猪熊滋悟郎」と筆で書かれた後、横に「Jigoro Inokuma」と恐らく受け取った運送業者の受付辺りが書き加えた可愛い文字が書いてある。耕作は慌てて蓋を開ける。中には厳重に包まれた冊子があり、手に取るとそれが日記であることがわかった。
『カネコの日記ぢゃ。わしのことも書いてあるぢゃろう。わしは読んだことはないが、お前さんになら読まれても構わないとカネコも言うと思って送った。失くしたら羽交い絞めにするから覚悟しておけ』
同封された手紙にそう記されていて、思いがけない過去への道しるべを見つけて耕作はその手が震えた。そして既に目を通していた松平の手記と合わせてカネコの日記を読み、滋悟郎の過去を知ることとなる。