約束は日曜日の午後7時。場所は都内のホテルを指定された。これだけでも不可解なのだが更にラウンジではなく部屋を取っているから、そこに来て欲しいと言われた。
さすがに柔も理由を尋ねた。
その日はホテルで和美が仕事をしていて、部屋を借りているから都合がいいという。それに柔は有名人で誰が聞き耳を立てているかわからない。デリケートな話題だからできれば聞かれたくはないという。話の内容を知らない柔はそこまでのことなのかと深刻に受け止め、承諾した。
家を出る時には玉緒に行先を告げて出て行った。夜も遅くなりそうだから、先に寝てていいからと言うと玉緒は「わかったわ」とほほ笑む。
そして電車を乗り継いでやって来たホテルを柔は見上げる。てっきりビジネスホテルだと思っていたが全くそんな雰囲気はなく、高級感漂う綺麗なホテルだった。
柔は指定された部屋に向かい、扉の前で立ち止まる。ここはどう考えてもシングルルームではないし、普通のツインというわけでもない。旅行代理店に勤めている柔はホテルの部屋にも詳しい。都内のホテル事情には疎いが、造りはどこもそう変わらないので階が上がれば高級になることは分かっている。和美が仕事をしていたというが、こんなところで何の仕事をしているのだろうか。この時柔は3人の今を何も知らないということを、不安に思った。
ホテルの廊下は静まり返っているがいつ誰が来るかわからない。立ち尽くしていても怪しいだけだと思い、チャイムを押した。少しして扉がゆっくり開いた。想像していた顔と全く違うが、見知った人が目の前にいた。
「柔さん!?」
長身で色素の薄い髪、細身だがしっかり筋肉はある体つきの男性。
「風祭さん!?」
二人とも立ち尽くす。言葉が続かないほど、驚いて固まる。その時、エレベーターの音がして歩いてくる足音がした。風祭はとっさに柔の腕を取り、部屋の中に入った。
「すみません。誰かに見られたら困ると思って」
「いえ、風祭さんの方こそ困りますよね」
風祭は名残惜しそうに手を離し、中に入る。上着は脱いでいて寛いでいたのか、少しアルコールの匂いもする。
「柔さん、そんなところにいないでこちらへどうぞ」
いつも通り紳士的な振る舞いの風祭。でも、柔は風祭と言う人の一部分だけを信じて憧れていた。だが別の顔があることを知った柔は、風祭を無条件で信用できる人とは認識していない。
「どうして風祭さんがここにいるんですか?」
扉の前で俯く柔は、どうしても聞いておかないといけなかった。ここに来たのは清水達と話をするため。それなのにその二人の姿はなく、風祭がいた。理由が知りたい。
「僕は知人に呼び出されまして、それで来たんですよ。まさか柔さんが来るとは思いませんでしたが」
「知人って、誰ですか?」
「数年前に知り合った人です。最近は連絡を取ってなかったんですが、先週相談があると言ってここに呼びだされました」
「あたしと同じです。あの、その知人ってあたしの……」
柔は顔を上げると、風祭がティーポットとカップをお盆に乗せ、柔の方を見て優しく微笑んでいた。
「そんなところにいないで、お茶でもしましょう。お互い外で会うには人目が気になりますから、こんなチャンスは滅多にないですよ」
相変わらずの笑顔。憧れの人はいつも柔の力になってくれた。欲しい言葉をくれて、いつも紳士で優しかった。でも、さやかのことははっきりしなくて、そのことで柔も自分の気持ちがはっきりしなかった。
バルセロナでプロポーズされたが、その時には耕作が好きではっきり返事が出来なかったことで罪悪感もあった。さやかと結婚したと聞いたときには、やはり冗談だったのかと肩の荷が下りたような気がしたが、彼がいつも言っていた「親同士が決めた結婚」だと言うことが引っかかっていた。もしかして、望まない結婚をしたのではないかと。
柔は廊下を進んで部屋に入る。大きなベッドが部屋の中央にあり、奥の窓側にソファとテーブルがあった。窓の向こう側には東京の美しい夜景が輝いていた。シックな内装は清潔に保たれており、ベッドも誰かが腰を掛けた形跡すらない。ただテーブルの上にはウイスキーのボトルとグラスが置いてあった。
「どうぞ、ここにあったものですけど」
「ありがとうございます」
柔はまだ警戒しているが、窓を眺める風祭がいつもと何か違う気がした。でも、一年ぶりに会う人の雰囲気が変わっていても、それは不思議なことじゃない。聞きたいことだけ訊いたら帰ろうと思っていた。しかし、先に口を開いたのは風祭だった。
「この前、NYで松田さんに会いましたよ」