身支度は比較的短い柔だが女性なので着替えただけで出て行けるほどではない。柔の準備が出来るまで耕作は朝食の片づけをしていた。いつも食べたら片づけるという習慣にしたらいいのだが、どうしても後回しにする癖がある。そのせいで、散らかり放題の部屋がいつの間にかできてしまうのだが。
「お待たせしました」
茶色のスカートに黒いタイツ、上はタートルネックのセーターを着た。どうせコートを着てしまうがちょっとでもおしゃれをしたかった。
「じゃあ、行こうか」
何の感想も言わない耕作だが、さっきまでとは何かが違って、可愛くなったことくらいは気づいていた。ただそれを口に出せるような性格じゃないのが残念なところだ。
大きな通りでタクシーを拾い、二人はバッテリー・パークへ向かう。
「松田さんは元々英語は出来たんですか?」
「いや、あんまり。片言英語で話せたくらいだな」
「でも、今は流暢ですよね」
「そんなことはないが、やっぱりこっちにいれば嫌でも身につくって言うか。記者やってると英語がわからなくて記事にできませんでしたじゃすまないしな」
「そうですよね。じゃあ、勉強したんですか?」
「まあ、そうだな。仕事だと思えば何とかなるっていうか。それに俺、山形出身なんだけど訛りないだろう。これも東京出てきたときに馬鹿にされたくなくて必死に練習したんだ。語学は得意なのかも」
わははっと笑う耕作。しかし柔は浮かない顔。
「知りませんでした」
「何が?」
「山形出身だったんですね」
「え? ああ、言ったことなかったけ?」
「松田さんはあたしのこと何でも知ってるのに、あたしは松田さんのこと何にも知りません」
「そりゃ、そうだろう。俺は記者だから取材対象のことは何でも知ってなきゃいけないから、調べたりしたさ。でも柔さんは違うだろう。一介の記者のことなんて知らなくて当然……」
「違います。今は記者と選手だけの間柄じゃないじゃないですか」
柔は言った後、自分で恥ずかしくなって顔を赤くした。耕作も同じだ。
「これから知ってくれればいいよ」
「じゃあ、お誕生日はいつですか?」
「8月26日」
「血液型は?」
「O型」
「山形はいつまでいたんですか?」
「高校まで。大学は東京に出てきてそのままずっと東京。大学は三流大学だよ」
「そこまでは聞いてません。松田さんは意外に自虐的ですね」
「そうかな」
「もっと自信を持てばいいのに。記者として認められてアメリカにいるんですから。大学なんて今更関係ないですよ」
「俺が一流大学出身だったら?」
「そうだったらあたしのこと見つけてないですよね」
「そんなこと……」
「それはあたしが柔道やってなきゃ、松田さんと出会えなかったことと同じですよ」
今があるのは今までがあるから。過去を恥じたり否定したりしたら、今を否定することになる。柔が言うことは正しい。耕作が一流大学を出ていたら、記者になってなかったかもしれないし、記者になっても別の誰かを取材していたかもしれない。あの、運命的な出会いは存在しなかったかもしれない。そう思うと、隣にいる柔の存在は奇跡だ。より愛おしく感じられる。
「あ、あそこにワールドトレードセンタービルが見えるぞ」
「どこですか?」
耕作の方の窓から二本の大きな柱みたいなものが見えていた。柔は身を乗り出して探す。柔との距離が近くて耕作は少々緊張した。
「わー大きいですね」
「東京タワーよりも高いからな。なんと110階建だ」
「そんなに! さすがにおじいちゃんもうさぎ跳びしようなんて思わない階数ですね」
「滋悟郎さん、そんなことしてるの?」
「昔はね。ところ構わずうさぎ跳びしてました。それにしても大きなビル。どんな眺めなんだろう」
「今度行ってみようか」
「いいんですか?」
「そりゃ、展望台くらいはあるだろうし、俺も見てみたいし」
「楽しみにしてますね」
二人が仲良く話しているのを割り込むように、運転手が何か言った。それを耕作が訳す。
「そろそろバッテリー・パークに着くって」
「そこから自由の女神が見られるんですか?」
耕作が運転手に訊くと、頷くが何やら長い会話になった。
「どうやら自由の女神は小さな島にあるらしく、今から行くバッテリー・パークから見えることは見えるが小さいらしい。チケットを買ってフェリーで行った方が断然迫力があっていいってさ」
「そうなんですね」
「行ってみるか?」
「いいんですか?」
「当然だろう。せっかくNYまで来たんだ。俺だって見たいさ」
タクシーを降りてバッテリー・パークに入るとまだ朝早いからか人はまばら。それでもここにいる多くの人は自由の女神観光に来ているので、何となく流れに乗って歩いているとチケット売り場に到着した。
「フェリーの時間までもう少しだって」
フェリー乗り場は当然、海辺にあり柔は朝日に煌めく水面を眩しそうに見つめた。
「わー綺麗―。あ! あれって自由の女神?」
指さす先には海に浮かぶように人の形が見える。
「そうだろうな。近くまで行ったらとんでもなく大きいだろうな」
自由の女神があるリバティ島まで約15分。フェリーも人はまばら。ゆったり座ってクルーズできた。
「『自由の女神』って本当は『世界を照らす自由』って名前なんだ。独立100周年を記念してフランスから贈られたもので元々銅色だったらしい」
「そうなんですね」
「それから右手にはたいまつ、左手にはアメリカ独立記念日である1776年7月4日の銘板を持ってて、足元には引きちぎられた鎖と足かせがある。これは全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴してる。女神がかぶっている冠には七つの突起がある。これは、七つの大陸と七つの海に自由が広がるという意味なんだって」
「物知りですね」
「一応調べて来たんでね」
自慢げに言う耕作だが、柔だってガイド本を読んでいたのである程度は知っていた。でも、知らないフリをした。
リバティ島は小さな島で到着する前から女神像が出迎えてくれる。フェリーは正面には停まらずに女神像の裏手に停まりそこから歩いて向かう。レンガ造りのゲートを抜け女神像の近くまで行くと、柔はあることに気付く。
「右足が見えるわ」
「おおー本当だ」
「来てみないとわからないことですね」
「ああ、しかもサンダル履いてる」
「前に進もうとしてるみたいですね」
「そうだな」
少し歩くと、多くの観光客が写真を撮っている場所があった。柔もカメラを取り出し何枚か写真の収めた。
「カメラ持って来てたの?」
「ええ、昨日は忘れてましたけど、今日はちゃんと写真に残します」
「俺も持って来てるよ。そうだ、写真撮って貰おう」
「え?」
耕作は近くを通ったカップルに話しかけカメラを渡すと、女神像が斜めに見える最高の撮影スポットで柔と二人で写真を撮って貰った。まだよそよそしい二人は少し距離を開けて並んで立つ。耕作と並んで写真を撮るなんて初めてだ。そう思うと、柔は照れたように笑ってその瞬間にフラッシュが光った。
「Thanks」
耕作がそう言ってお返しに写真を撮ってあげると、向こうも「Thanks」と言って手を振った。
正面に来ると二人して思い切り反り返り女神像を見上げた。
「大きいな~」
「大きいですね~」
ひっくり返りそうな柔だがさすがに柔軟性がありなんてことない。
「93メートルあるらしいぞ」
「だから遠くからでも見えるんですね」
「さあ、中に入るぞ」
松田さんの誕生日は勝手に設定しました。