森鴎外ファンの皆様もうしわけありません!!!!
森鴎外ファンの皆様もうしわけありません!!!!
──最近は、天涯孤独な者が多いのだろうか。
黒い水を切る船に乗る此度の客人を見た役人はそう思った。
蜜柑という何とも可愛らしい名前を持つ少女は今日の罪人。濡鴉が揺れて風に溶け込み、世を写す水晶は笑みに隠れ見えない。街を歩けば誰でも1度は振り返る。将来はそんな女に成るであろう美貌を持った十程の
片時も崩さぬ花のような微笑はどこか儚さを持っている。
笑みは崩さぬが、狂気とは言えない。言の葉には敵無しの矛と盾の争いは無い。しかし、役人に対する媚びも無い。
不気味だが狂っていないのならそれでいいと役人は思う。
「なあ、お前は、如何して家族を皆殺しにしたのだ」
それ故に、狂っていないと言うのならこの疑問が役人の思考を占める。一家郎党己以外を皆殺しにした罪を被る少女は、本当に誤って人を殺したのだろうか。流刑で済む事に疑問を持っている。
少女は笑みを更に深くして。
「食ってみたい。そう思ったからで御座います」
訂正、此奴は狂っている。
先の思考より、九つも待たずして前言を撤回する役人。
「
余りの驚きに間を少し開けつつゆっくりとしか口を開くことが出来なかった。
「何故人を食いたいと思うたのか、そうですね。では何故、役人様は人を食おうと思わないのでしょう」
「人だからだ」
「獣には、同族を食らう者もいるはずで御座います。人は獣と違うとは言わせません。同じ生き物ですから。きっと彼らの中には私達より、思考も、心も、体も、何もかもが優れた者がいるでしょう。それらも獣と銘打つなら、それらよりも矮小な私達も獣です。ならば人を喰らおうと問題は無い」
役人は狂人の答えに頭を抱える。我ら人より全てにおいて上の存在は居るのかもしれない。だが、そうでは無い。人の普通に当てはまらないのだ。
「狂っている」
そう微かに漏らした声を聞き取り、狂気の反論が返ってくる。
「狂っている……では、狂うとは一体どのような事なのでしょう」
「普通から……外れている事だ」
「普通とはどのような事なのでしょう。十人十色、三者三様、多種多様、多彩に、無数に、八百万を越えた数程ある人々の生き物の鬼神の神々の妖の天人の龍の大地の宇宙のこの世のあの世の、一人一つ持つ普通を平均した物こそが真の普通でしょうか。又は文字通り、感情併せた全てを知る、全知の存在が、心を無くさず、誰にも偏らず、加担せず、浮世を見るその瞳が普通なのでしょうか。将又、地獄の閻魔の定める事。八百万の神々が相談して定める物。釈迦が定める物。西の大陸の全能を謳う神が決める物。
どれが正解なのでしょう。
生き物の平均、理想ではありますがどのようにしようと不可能です。
全知の瞳、心を持つのに如何にして平等に成れましょうか。
閻魔の八百万の西の大陸の神々の釈迦の、意見など所詮たかが知れています。
それではどんな物なのか、正解は人の主観。それぞれに普通があり異端がある」
「そして」と一拍置いて。
「私を、狂気と論ずる貴方の正気は誰が証明するのでしょう」
此奴は、どうしようも無く狂っている。そう評価を下し、これ以上気にしては己まで狂ってしまいそうだと役人は考える。
話を逸らそう。閑話休題だ、それはさておき。と別の話を始める事にする。
「わかった、お前が狂っているか狂っていないのか、それはもう止めとしよう。
俺は一つお前が狂っていようと気になる事がある」
「なんで御座いましょう」
「お前、お前がこれから行く場所は、幾ら改心した者が居るとしようと、改心してない者もいる罪人集まる場所だ。己の容姿はわかっているだろうな、そういう趣味の奴も居るやもしれん。そこを気にかけている、お前はどうしようとしているのだ」
そこまで言うと狂人の顔が歪む。
絶望したように?恐怖したように?怯えるように?いや、楽しむように。
からからとけらけらところころと江戸の街まで届く程、大きな声で笑う。
怪訝に顔を顰める役人に気付くことは無く。
八つ数える間に笑い、八つ数える間に嗤い、八つ数える間に哂う。
聴く猫は怯え、狂気に神を荒ぶらせるであろう冒涜的な声は唐突に終わり。再び水面に静寂が訪れる。そして狂気の息を整える為の吐息が響く。
「まさか、人を、狂っている、などと、罵る割には、はぁ……人を、心配するの、です、ね、くくくっ」
未だ息苦しそうに笑い足りないように顔に熱を持ち、心から楽しむ笑みを浮かべる少女の顔は艶かしい、事は決して無く猟奇的にして暴力的。
「……ふふっ、元は役人様を殺して喰らい、船を地に着けてもらい、何処か人に面を向けることがない、山奥に身を隠そうかと思っていましたが止めました。狂っている等と思う人間を心配する、そんな人間は狂っているかお人好しか。
まあ、男を食うのは遠慮したい物でしたので、都合がいいというものです。食うなら柔く美味しそうな私と同じ歳の娘が好ましいので」
続く言葉は大胆な告白。可愛らしい女子からの告白だと言うに、喜びどころか恐怖が沸き起こる。取り敢えず、役人の死の未来は回避されたという事なのだろう。
「では、その御心配にお答え致しましょう。私が島に行き、そのような趣味の方々をどう避けるか……」
微笑み、ぽくぽくと木魚が叩かれるような間が空き。
「……どうしましょうか」
「……は?」
この狂人の事だから、用意周到に考えている物だろうと思っていた役人は思考を止めた。
「無論、そのような方々に私は股を広げる気はありません。私が身を預けるのだとしたら……可愛い娘がいいですね」
「……は?」
狂人の声が耳に入ると再開された思考が再び停止する。狂人以前に手遅れらしい。まあ、置いて置くとしよう。
「向こうに行ったら、そうさな……島の男を皆殺しして海に捨て、女は捕まえて食い物としましょうか。それとも、島から船を作り、抜けて来ましょうか。どれにしろ、楽しい事に代わりはありませんね」
もう驚くことは無い、いい加減慣れてしまった役人は溜息をつく。
「おや、溜息をつくと幸せが逃げてしまいますよ」
「誰の……」
誰の所為だと思っている。言ったところで「私の所為」や「さあ存じ上げません」等と特に気にかけない様な返答が来るとわかりきっている為、そこから先を諦める。
「それにしても、美しい花には刺があると言うが薔薇以外にも刺があるなんて、初めて知ったな」
「おや、その美しい花とやらはなんで御座いましょう」
冗談めかして言う狂人に、役人は続ける。
「決まっているだろう、蜜柑の花だ」
「己が狂人と言う人間を口説いているのですか。
先程も言いましたが私が恋い慕い、恋焦がれるのは……」
「幼い娘、だろう?それに口説いてなどないわ、お前等口説いて俺になんの得がある。それにお前は外見はともかく、心は美しくないだろうに」
「あらら、役人様、そういう時はお世辞でも、心が澄んでいると言うのですよ。私、悲しいですわ」
うっうっ、と袖で顔を覆い、態とらしく、泣く狂人に呆れた顔を向けて「阿呆らしい」と一蹴する。
「でも、もう少し、女子には優しくしないと、一向に奥様はできませんよ」
「心配されずとも、もう既に愛し合い生涯共に歩む者がいる」
「……大丈夫ですか。役人様こそ本当に狂っていて幻を見ているのでは無いですか!?」
本気で慌てた様に叫び、哀れみの瞳を役人へ向ける。
「幻でも幻想ではないわ!船底に沈められたいかこの狂人?」
「ははは、冗談ですよ。役人様」
即座に顔を笑顔に戻す狂人は演技をしていたらしい事実に。将来、狂言でもすれば、儲かったのではなかろうかと、未来に美しくなるだろう狂人を見て、それは無いなとすぐ思考を断つ。
「黙れ、花の棘」
「花ではないのですね」
「お前は棘以外何があると思っているんだ」
「えぇ……曼珠沙華?彼岸花?」
「どちらも同じだ馬鹿。頼むから、島で咲かせないでくれよ……」
「上手い事を言いますね。お上手です」
「お前に褒められても何も嬉しくない」
「あら、冷たい。
ふふふ、楽しい」
丸で少女の力強い声の様にもお淑やかな淑女の声の様にも老婆の歴史ある声の様にも聞こえるそれは、狂人の度々響く鈴のような甲高い笑い声は空に攫われやがて掻き消える。揺れる船に真っ直ぐな声は水面を哭かせた。
……過ぎたるは及ばざるが如し、役人は捻じ曲がり過ぎて直線になった様にしか感じる事は出来なかった。
以上。