十一月。三年D組の教室を見てみると、聞いていた通りメイドがわんさかといた。けれど先輩の姿はなかった。まぁ、クレイジーなモビルスーツのコスプレをされるよりはマシだ。
絶賛開催中である我が校の文化祭は、そこそこ気合が入っている方だと思う。たぶん今頃体育館のステージでは、オリジナルの漫才が繰り広げられているはずだ。面白いかどうかはさておき、各々気合いは入っている。
メイド店員として働く先輩という、にわかには想像し難い光景を見てみたかったのだけれど、無いものは無く仕方ないので、諦めて部室に戻る。こんな校舎の隅の隅にある辺境誰も来るまいと、部誌の販売については無人の野菜売り場みたいに放置してきてしまった。なぜそんなことするハメになったのかといえば、幽霊部員たちは今日もことごとく幽霊だからなのだけれど。
ガラガラとクソうるさいドアを引いて戻って来てみると、誰かが真正面に座っていた。正体は一目でわかる。はたして、腕のない売り子から部誌を買う者はいるのだろうか。
部室のセッティングが終わってからというもの、姿を見せなかった先輩が帰還していた。
「ただいまです」
「職務放棄だぞ後輩」
「先輩こそ今まで何やってたんですか」
「職務放棄だよ後輩」
バイト代も出ない労働環境なんてこんなものだった。先輩は数時間前に「ちょっと用事」と言って部室を出ていったのだけれど、この調子だとそれさえ嘘だったのかもしれない。単なるサボりが用事と呼べるのか。
先輩の隣に座って、慎ましい量が積まれた部誌を一冊手に取り、ペラペラとめくってみる。表紙は誰に頼んだのか、インターネットでよく見かけるような今時のアニメ絵が描かれていた。ちなみにタイトルは「文芸アラカルト部」。……最後の「部」は必要なのだろうか?
「あー、ちょっと、商品だぞ」
中身のデザインはどんなものかと確認していたら部長に咎められた。立ち読み禁止らしい。
「じゃあ買います」
見るからに原価の知れた見栄えの貯金箱に、百円玉を数枚入れる。振ってみると、今ぼくが入れた分しか入っていないような感じがした。
「おお、本当に載ってる」
目次の初っ端に、根室麗と確かに書かれている。彼女が書いた作品のタイトルは「エッセイ」。しかし内容を読んでみると、それはおそらく詩集だった。それもいきなり会話形式で始まる。
「本心から「愛してる」と言われたいなんて、くだらない。夢を見すぎたロマンチストみたい。結局のところ心なんて確認のしようがないんだから、内心何を思っていたって、「愛してる」と言ってくれたならそれでいいのよ」
「愛されてもいないのに「愛してる」と言ってもらえるつもりなの? そっちの方がよっぽど夢見がちじゃない……?」
……根室麗名義で載せられた文章を、本人の隣で読んでいる。それは明らかなのに、先輩は何も言ってこない。だからぼくも黙って読む。会話形式の文章はそれきりだった。
以降、詩が続く。
ー 遠くに見える、あの綺麗な光の正体が、ネオンライトだろうと、火事の炎だろうと、ぼくはどちらでも構わない。ぼくは美しさに白状だった。 ー
ー 人の見た目を貶すことが「悪」とされるのは、人の見た目が、容易には変えられない物だからだ。だから皆、内面の方は平気で貶す。馬鹿みたいだけれど、みんな人の内面は容易に変えられると思っているのだ。 ー
ー 指から滑り落ちた飴玉が、からころと癪に障る音をたててフローリングの床に落ちる。それで、転んで泣き出す子どもを連想した。自分は本当に子どもが嫌いらしい。 ー
その他にも詩は多数載っていたけれど、読み進めていくとやがて、余白の多いページにたどり着いた。先輩の作品はそこで終わりなのだ。最後の一文はこうだった。
ー 「自分に嘘をつかない」という言葉の価値を、奈落に落とす人生です。 ー
最後の句読点までしっかりと目に入れて、ぼくは部誌を閉じた。そしてもう一度目次を開くと、やはり詩集「エッセイ」の書き手は、根室麗だと記してあった。
自分の膝の上にそっと部誌を閉じて置く。そしてぼくは、「詩」の定義は知らないけれど。
「先輩って詩人だったんですね」
「茶化したければ、君も何か載せるべきだったね」
そう言って自嘲っぽい笑みを見せた彼女は、どうやら部誌を購入する意思がないようだった。なるほど確かに、ぼくが書かなかったせいで売上は落ちるらしい。
「……いや、よく考えると優しいな。詩人か」
「え、何がです」
「いいかい後輩、こういうのはね、ポエマーって言うんだよ。ひどい話だ、部室が欲しけりゃ恥をかけってね」
「恥をかくと文章の「書く」がかかってるんですか?」
「え? あー、あぁ、うん。ありがとう、君も一緒に恥をかいてくれるんだ」
「誰が」
たぶん先輩と会話する中で初めて駄洒落を言った瞬間だったけれど、反応はそこそこ辛辣だった。パソコン画面とにらめっこしながら、お笑いの方面に向かおうと考えたことはなかったけれど、部誌に何も載せなかったのは案外正解だったのかもしれない。茶化されてはたまらない。
「先輩って今まで何してたんですか? 用事って言ってましたけど」
「何って、まずクレープを食べたでしょ、たこ焼きを食べて、タピオカ飲んで、お化け屋敷は並んでたから」
「がッッッッつり遊んでますね。しかも食ってばっかじゃないですか」
「それが文化祭だろう?」
「用事っていうのは?」
「そりゃ遊ぶことだよ。……一緒に回りたかったのかい?」
イエスかノーかで言えばイエスだった。ぼくは屋台で物を買うことの何が楽しいのかを理解できない性分ではあるけれども、結果論ながら先輩のいない三年D組コスプレ喫茶を覗くよりは、誰も来ない部室に飽きるまで座っているよりは、先輩について行った方がずっと楽しそうだった。
「なんで誘ってくれなかったんですか」
「……プライド? 建前? 仮にも部長の身で、一緒に部活ほっぽりだそうよ、とは言えなかった。ごめん」
「あー、それは納得です」
「けれど今言われてハッとしたよ。結局ここはさっきまで無人になっていたんだから」
言われてこっちもハッとする。ぼくが先輩の建前を無にしてしまったわけだ。申し訳ない。……いや、言ってくれれば交代制にも出来たし、部員が他に一人でも来てくれればなおさらだった。座ってくれているだけでいいのに。
「……今から行く?」
「え?」
「文化祭はまだまだ続いているけど、客は一向に来ないんだ」
「もうお腹いっぱいなんじゃないですか?」
「食べるだけが文化祭じゃないよ」
そのわりには話を聞く限りかなり食べていたけれども。お化け屋敷は行列のあまり諦めたらしいけど、食べ物は全てそれより空いていたのだろうか。ぼくは怪しく思う。
「何か面白い物ありましたっけ。混んでるお化け屋敷とか?」
「適材適所ということで、私がお化け役として働くから裏口入場させてもらえないかな」
そう言って先輩は怪しげに、ゆらゆら揺れながら浮かび上がっていった。自虐も持ちネタになってきたのか。
「無理でしょう」
「そりゃそうだよ。並ぶのは得意?」
「全然」
「私も」
「……漫才見に行きます? 体育館の」
一瞬、先輩は鼻で笑った。高校に入ってから初めての文化祭、その真っ只中にいるぼくと、卒業も迫ってきた先輩では、何か知っていることが違うのかもしれない。
「漫才はそろそろ終わってしまうんじゃなかったかな。次はダンス部の催しが始まるよ」
「へぇー」
「去年見た限り、ダンスは良かったよ」
「ダンス「は」っていう言い回しに意味はありますか?」
「ものすごくある」
やっぱり、と思った。素人学生の漫才は危険だ。立派に売れた芸人が持つ若かりし頃の録画映像でさえ、学生の漫才というのは共感性羞恥を起こすスイッチだとぼくは考えている。
「見に行きますか、ダンス」
重いのだか軽いのだか分からない腰を上げる。買った部誌は大切に鞄の中に仕舞っておいた。凪先輩の作品や、顔も知らない部員の作品も載っているはずだし、あとでゆっくり読ませてもらおう。
「ん、行こうか」
これといって処置もせず二人で部室を出る。料金を記した紙の筒は初めから立ててあるし、貯金箱も置いてあるし、いちいちこんな場所まで来て、わざわざ部誌を万引いていく輩もいるまい。貯金箱の方だって、持った瞬間盗む気持ちも萎えるはずだ。
体育館までの渡り廊下に出ると、さすがに寒く感じる季節だった。最近の日本の季節は極端に切り替わる。夏から冬へ、冬から夏へ。六段階あるギアを一気に三つ回すような急激な変化で移り変わる。
「さむ」
思わず言ったのはぼくだった。しかし夏場はあんなに参っていた先輩は、
「そう?」
と何でもなさそうに言ってくる。まずいな、部室にストーブを運んでくるためには、彼女の超能力に頼りたいところなのに。
渡り廊下を抜けて体育館に入ってみると、待ち構えられたかのように音楽がかかり始めた。ドゥンドゥンと内臓に響くようなそのBGMが、音とは振動なのだと言うことを思い出させてくる。
二つ並んで空いている席を適当に見つけて座る。いっそいかがわしいほどの光量で、赤青黄と次々色の変わるライトがステージに降り注いでいた。誰の趣味なんだろう。
踊りの表現に言葉は不要ということなのだろうか、MCの類は現れず、流れるBGMにも歌詞はない。ただ唐突に舞台袖から登場してくるダンサーたちが、初めは思い思いに舞っていた。
やがて一人ずつのパフォーマンスに移ると、男女混合のダンス部は、前菜扱いでいとも簡単にムーンウォークを披露する。そしてフードを被った男がセンターに来たかと思えば、彼は激しいブレイクダンスで回転し始めた。そしてその回転は、何か仕掛けがあるのではと疑いたくなるほど、その気になれば永久に回れそうな勢いで続いていった。
舞台の袖から袖まで連続のバク宙を決める女子もいた。ロボットのように静と動が二極化したパフォーマンスをする者もいた。何かが披露されるたび大きな拍手が起こる。体育祭を超える熱狂がここにあった。
「手があれば拍手くらいするのだけれどね」
歓声まで上がり始める中、先輩の声だけはなぜか綺麗に聞き取れた。
「ぼくが代わりにしておきますよ」
そう言ってぼくが熱狂の一員に混じると、たぶん先輩は笑った気がする。まぁそうだ、拍手に代わりも何もない。
さすがに派手なパフォーマンスは、ネタ的にも体力的にも長く続くきはしなかったらしい。ダンス部は魅せるだけ魅せて、早々に退場していった。そして会場はお喋りの声で埋め尽くされ、どよめくことになる。
ぼくらはアイコンタクトで以心伝心となり、ある程度整った人混みをかき分け体育館を抜け出した。
「凄すぎましたね」
外に出ると途端に静かになり、途端に寒くなる。背後に遠ざかる群衆のざわめきが、何かのエンディングのようだった。
「でしょう」
「ダンスがあのレベルなら、漫才だって」
「そう思うなら来年は見てみるといい」
言った先輩はクスりとも笑わず、口角を上げさえしなかった。逆に気になってくる。来年は見よう。
部室に戻ってくると、部誌が明らかに数冊減っていた。貯金箱を持ち上げてみると、こちらも明らかに重くなっている。
「売れましたね」
「義理なんじゃないか。幽霊たちの」
「ああ」
そう言われればその通りな気がした。普段の活動はせずとも籍だけは起きたがり、義理で部誌作成に協力はするが、当日には姿を見せない。幽霊部員とはそういう人たちなのだから、金だけ落とすというのはいかにもやりそうなことだ。
「ところでこれ、半分以上売れ残ったらどうするんですか」
「怒られるな、予算的に。私が」
「……うーむ」
「仕方ない。為すすべ無しだ」
部誌は計三十部が刷られた。例の本のタイトルから、大体三十冊くらいは売れてくれるだろうと祈りを捧げたのだ。が、現状を見ると、それさえ甘い見積もりだったのかもしれない。……しかし全校生徒は何百という単位だぞ。それが、たったの三十部もダメなのか。
先輩とため息を吐いた。
「仕方ないけれど、立地が悪い。そもそも誰もここを通りかからない」
「あ、じゃあ宣伝したらどうですか。ぼくがここに入部したのも、先輩があの時そうしていたからですし」
たとえ実際には踏み入らない場所でも、そこが目に映る場所であるならば、超常現象を目撃して注目しない人はいない。近寄り難さも全開になるが、誰の目にも入らないより絶対マシだろう。
「それは最後の手段かな」
「なんでですか」
「自分の詩を宣伝して回る詩人を見たことがある?」
「ポエマーは嬉しそうに不特定多数へ見せつけるイメージですけど」
先輩の知名度がそうでもないのなら、根室麗という名前を見たところで「あいつ自分で自分の宣伝を」と気付く者はいないだろう。……まぁ恥じらいというのは、本人の中だけでの問題なのかもしれないけれど。
それによく考えてみれば、先輩が新入部員の募集を行った結果だけれど、今ここに座っている人間はたったの二人だけじゃないか。
「ところで先輩」
「うん?」
「この表紙の絵は誰が描いたんですか」
大きな図書館のような場所で優雅に本を読む、アニメ調の少女を指して聞く。
「…………聞きたい?」
先輩は天を仰いでいた。おぉジーザス……とでもいった具合に。まさか……。
「え、もしかして」
「凪だよ。凪野乃子」
「なんだぁ」
「君は本当に騙されやすいな。大丈夫か」
むっとして睨むと、良心に訴えてはいないだろうと反論された。まぁ、確かに。
最後の手段を実行する気にはならないらしい先輩と一緒に、見つめ続ければ客が現れるのではないかというほどに、ただただ正面の扉だけを見つめボーッとする時間。文化祭を楽しむには、ぼくには何かが足りない気がする。……あるいは「ぼくらには」か。
十一月の部室は、風こそ防いでくれるもののそれ以上のことはしてくれず、人気のない体育館とどっこいどっこいの冷気を内包してしまっている。暇ならいっそストーブを取りに行こうと、先輩に提案してみようか?
そう思って隣を見ると、彼女は目を閉じていた。まさか眠っているわけではないだろうけど、それでぼくはなんとなく、提案を飲み込んだのだった。
今にも彼女が、「何か面白い話をしておくれよ」と言い出しそうな気がしてならない。