サイコキネシス文芸部   作:氷の泥

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13 合格

 二月。いつも通り部室で本を読んでいると、ある日先輩は、いつもと違った様子で現れた。

「あーはっはっはっ!」

 その高笑いは非常に……非っ常にうるさく、建付けの悪いドアの騒音さえ霞ませた。

「ど、どうしたんですか」

「受かった!」

「えっ、あ、大学……?」

「そうとも!」

「おめでとうございます」

 興奮しっぱなしの先輩は無意味に、なおかつリズミカルに、クルクルと回転しながら部屋に入ってくる。腕があれば大きく広げ、足があれば喜びのステップでも踏んでいたのかもしれない。

「いやはや、これで肩の荷が下りたというものだよ。今考えてみれば馬鹿みたいだなぁ、受験ネタを使ったアニメにキレちゃったりしてさ」

 ぼくは、凪先輩の小説を読んだ時よりもさらに唖然とさせられた。自分はこれまで一度たりとも、一瞬たりとも、先輩が今の状態に至るほど重い「肩の荷」のことを、一切認識できていなかったらしい。先輩ほどの人でも受験はやはりつらいのだなとは思っていたけれど、そういうレベルじゃ無いじゃないか。

 もしかして出会った時からずっと、肩の荷は乗りっぱなしだったんじゃないか。そう考えてしまうくらい、先輩は見たことのない満面の笑みをしていた。正直かわいい。美人を自覚しているだけのことはある。

「あれ、なんだなんだ、来栖君は元気がないな? ……そうか、寂しがりやの後輩にとって、私の合格は嬉しくないのか」

「いや、それは素直におめでたいですけど。受かろうと受からなかろうと、先輩がここに残れるわけじゃないですし」

「ならもっと喜べ! 祝え! 奉るんだ!」

 そのうち宙返りでもするんじゃないかってくらい先輩がはしゃいでいる。あんまりはしゃぎすぎて、浮遊する彼女の垂れ幕のような制服スカートが揺れ、激しくはためき……。だんだん不安になってきたので、ぼくはそこから目を逸らした。

「先輩、酒でも飲んだんじゃないですか」

 思わずそう口にした瞬間、禁句を口にしてしまったかと思うほど、スッと場の空気ごと彼女の表情が冷めた。上がっていた口角も下がっていた目尻も元に戻り、不気味なほど無感情な真顔になる。

「誰が飲むか。素行には気を付けている」

「す、すいません」

「いや怒ってるわけじゃない。けれどそうだな、浮かれすぎたな」

 言って、ようやっと彼女はいつもの席に座った。

「ともかく、これで私は卒業を待つばかりになった」

「よかったです」

「……何も今生の別れというわけじゃないでしょうに」

 卒業という言葉を受けて、ぼくの顔に何か浮かんで見て取れたのか、先輩はこちらを見るなり苦笑いしていた。

「ぼくの顔に「先輩がいなくなったら寂しいよ〜」って書いてましたか?」

 寂しいよ〜のあたりを裏声で言ってみると、先輩は「うわ……」と言葉にはしなくても、そのように表情を歪める。

「書いてあったよ。びっくりだ」

「別にびっくりすることでもないでしょ」

「へぇ、どうして?」

「ぼくの唯一の友人が先輩だからです」

「……唯一?」

 聞き間違いか? とでも言うように復唱される。抉るような復唱だ。

「唯一です。先輩がいなくなったら、ぼくは孤独ですよ」

 とは言いつつ、本当に孤独な人が聞けば怒り狂うだろうなとも思う。友達がいないということと、天涯孤独だということの差は、天文学的な距離があるから。

「君、友達いないの……?」

「逆にぼくが人望の厚い人間に見えますか」

「それは見えないけど。……そうか、一人も」

 友達も満足に作れないような人間が、部長を除いて唯一皆勤の部員になっていることがよほど由々しき問題だったのか、先輩は手があれば頭を抱えていそうな顔をする。

 そして彼女が頭を捻りに捻って、ようやく絞り出したらしき答えが、

「まぁ、そのうちいいことあるよ」

 だった。見捨てられた気分だ。

「こうして部室でお喋りしてるわけですし、ぼくに幸運なんかあるわけないとは確かに言えませんけど……。投げやりじゃないですか?」

「投げやりになるしかない」

「それもそうなんですけどね」

 こうすればきっと友達が作れるよ、なんてアドバイスをされて素直に聞く人間は、そもそもアドバイスなんかなくたって友達を作れるのだ。

 その類の話をぼっちのパラドックスとでも呼ぼうかと思ったけれど、別に何も矛盾していないただの人付き合い下手な人間の話でしかなかったので、脳内から出すこともなく却下した。

「……ん、あれ、ちょっと待って」

 家の鍵でも閉め忘れたのか、何かを思い出しては慌てた様子の先輩が、超能力を使って鞄からスマホを取り出す。そしてしばらく画面を眺めていくと、彼女の慌てっぷりは増していった。

「大変だ」

「なんですか」

「私たち、連絡先を知らないのか」

「そりゃ知りませんよ」

 同じクラスなら連絡網があるけれど、学年から違う先輩の連絡先なんか知る由もない。

「いや、言ってよ」

「え?」

「LINEとか、そろそろ交換しましょうよって」

「……え?」

 学校の外で連絡を取らなければいけない状況が皆無だったこの一年を思い返しながら、

「言ってもいいんですか、そういうのって……?」

 唖然と、いや、絶句された。

「それは、だってそうしないと、どうするつもりなのこれから」

「これからとは」

「私が卒業してから!」

 先輩は卒業を今生の別れではないと言った。確かにぼくたちの住んでいる場所はせいぜい一駅離れた距離で、何なら先輩はぼくの家の在処を知っている。ずっと前に、雨の日に送ってもらったきりのことだから、もう忘れてしまっているのかもしれないけれど。

 大学の名前だって聞けば教えてもらえるだろうし、会おうと思えばいくらでもやりようはある。別れじゃないというのは、そういう意味だと思っていたのだけれど。

「危ない、危うく連絡もつかなくなるところだった。なんで言わないんだ君は」

「いや、なんかこう、嫌かなと思って」

「嫌?」

「いきなり連絡先聞くとか、何か機会があったわけでもないのに」

 部誌を作る時に連絡が取れないとまずいとか、そういうことがあればとっくにLINEくらい聞いていたと思う。けれどそんな機会はなかった。部誌は全て先輩に任せ切りだった。ぼくたちに連絡先は不要だったのだ。

「いきなりって、もうすぐ知り合って一年になる」

「そうですけど、じゃあ具体的にいつからなんですか?」

「は……?」

「知り合ってからどれくらい経てば、連絡先って聞いてもいいんですか」

「……え、いや、そんなものは決まってないけど」

 なんだか、今までどんな話題を投げつけてきた時よりも、先輩がぼくのことを、化け物を見るような目で見ている気がした。もうそれが誰だったか覚えていないけれど、きっとぼくに「人の心がない」と言った誰かも、そんな目をしていたような気がする。

「いや、逆に君は、例えば半年経てば連絡先を聞いても良いと私が言えば、その頃に「LINE交換しましょうよ」と言ってきたっていうの……?」

「言ったでしょうね」

「だとすると、なぜそうじゃなければ、聞こうと思わないんだ……?」

「それは先輩だってそうじゃないですか」

 コミュニケーション強者のいわゆる陽キャたちは、何の脈絡もなく連絡先の交換を申し出るのかもしれないけれど、ぼくはそういうのとは違う。そしてそれは、先輩も同じだと思っていた。しかしこの話の流れはどうやら……。

「私は忘れてた、完全に。もうとっくに交換したと思っていた」

「えっ」

「それで不便がなかった、ということか……」

 天を仰ぐ先輩。見えるのは若干高い天井だけだろう。

「いや、いいや、何でも。とにかく今交換しよう」

「え」

「え、じゃないよ。さすがに卒業後は必要になる」

「……おはようとおやすみを言うために?」

「……あぁ、そういうイメージだから聞いてこなかったのか」

「いやいやいや冗談ですけど」

 それはさすがに冗談だけれども、しかしそうでなければ逆に、なんでLINEなんか聞くんだって話じゃないか。先輩に出先の写真でも送りつけるためか?

「後輩の将来を思って言うけれど」

「はぁ」

「LINEくらい気軽に聞いていいんだよ」

「そうなんですか」

「そうなんだよ」

 言いながらQRコードを差し出された。慌てて自分のスマホを取り出しそれを読み込む。先輩のLINEアイコンは、白黒ツートンカラーの猫だった。猫の足先の毛が上手いこと白くなっていて、靴下を履いているように見える。

「先輩猫飼ってるんですか?」

「いいや。好きなだけ」

 一方、ぼくのアイコンはキノコだった。舞茸だ。母と業務連絡のようなLINEをするうち、初期アイコンだったぼくに母が「何か設定すれば?」と言ってきたので、その日調理される予定だった舞茸の写真を急遽、なんとなく撮ったのである。

「このキノコは?」

「舞茸です」

「それはわかる。好きなの?」

「普通ですかね。たまたまそこにあったから撮ったんですよ」

「……個性が出るな」

 ちなみに母のアイコンは本人の顔写真なのだけど、そのチョイスばかりはぼくにも理解できない。

 ともかくQRを読み込んだ結果、父と母の他に、二度と連絡を取ることもないだろう中学時代の部活仲間(一ヶ月きりの仲)や、その他スマホゲームなどの公式アカウントだけが並んでいた友達リストに、突然「ねむろ」という名前の猫アイコンが並んだ。ちょっと感慨深い。

「よし、これで安心」

「ありがとうございます」

「……君のために言う、というのは嘘になるかもしれないけど」

 スマホを超能力で鞄に滑り込ませながら、

「連絡先の交換をあんまり大袈裟に捉えているのは、こっちとしてはちょっと引くぞ」

「……それは、世間一般的に?」

「うん、たぶん」

 それが本当だとすれば、友達がいないタイプの人間には知識が足りなさすぎると思った。言われなければ分からない初見殺しだらけの世の中だ。先輩が慈悲深くてよかった。

「気を付けます」

「……何か次は出会い頭に連絡先を聞きそうで怖いんだよね」

「しませんよそんなこと。ぼくをどんなポンコツだと思ってるんですか」

「相当なポンコツだと」

「ひどい」

 先輩とのお喋りで「え……?」みたいな反応をされたことなんて、きっと今日が初めてなのに。話題選びが多少過激だったことは認めるけれど、それに至っては先輩が自分でネタにしてしまうくらいだし、ぼくがそれほどポンコツってこともないと思うのだけれど……。

 が、そんなことは友達リストの中の猫を見ていれば、どうでもよくなってくるのだった。先輩が卒業したって、もうこの部室で話す機会がなくなったって、この靴下を履いたような猫に話しかければいいのだ。これからはスマホ画面の中が部室になる。

「まぁ、これで今度こそ何の心配もいらない。進路は決まり、後輩の連絡先を確保して、順風満帆だ」

「大学生活への不安とかないんですか?」

「……嫌なこと言わないでよ」

 順風満帆とやらは、ひどく刹那的な物らしかった。先輩も人並みに未知の環境へ不安を感じたりするんだな……としみじみ思う。今すぐにでも彼女に手足を付けて、超能力を取り上げれば、その瞬間からよくいる普通の人間になりそうだ。

 いや、整った顔立ちだけはちょっと普通とは違うか……? なんて考えていると凝視してしまっていたようで、こちらの視線に気付いた先輩に怪訝そうな顔をされる。

「そういえば先輩って、美人で得したことあります?」

「ものすごく見てくるなと思ったら、そういうことか……。無いよ」

「美人はそうじゃない人より年間百万円分くらい得をするって何かの番組で見たんですけど、やっぱりそこまでじゃないですよね」

「さぁ、どうだろう。ここでこうしてお喋りしていられるのも、この顔のおかげかもしれないからね。何とも言えない」

 そう言いながら先輩の頬は、見えない手に押されたかのようにプニプニと小刻みにへこんだ。超能力を使えばものすごい変顔とか出来るのかもしれない。

「顔のおかげって、ぼくがそれ目当てにここへ来てると?」

「違う?」

「……メインのモチベーションではないでしょう」

「へぇー?」

 それはぼくも男なので、関わる異性の見た目が良いに越したことはないけれど。

「じゃあメインのモチベーションは何?」

「ぼくを部活から追い出さない先輩とお喋りすることですかね」

「追い出すって、あぁ、中学の話? ははは、低いハードルだ」

 先輩は笑った。けれど、そうなのだろうか? 本当にそれが低いハードルだとすれば、ぼくは中学時代に相当不運な目にあったことになる。そう思い込もうとすれば、それも無理な話じゃないのだろうけど……。

 と、そんなことを考えていると、なぜか急に我に返った。ぼくは自分の話ばかりしているじゃないか……と。

「先輩は」

「うん?」

「先輩は逆に、なんで毎日ここへ来てくれるんですか?」

 先輩がお喋り相手を務めてくれることは、それは素直にとても嬉しいことだ。この放課後の時間がなければ、ぼくの高校生活はかなり退屈な物になっていただろう。

 けれど先輩もさすがに、そんなぼくへ対する慈善事業として毎日ここに来ているわけじゃない。部室への出席に「モチベーション」が必要なら、彼女が幽霊部員にならない理由はどこにあるのだろう。部長という肩書きがそうさせるのか……?

「なんでだと思う?」

「……部長だから?」

「あははっ、ハズレ」

「はぁ。…………いや、で、答えは?」

「答えは、君を部活に勧誘した時に言ったよ」

「え……?」

 必死に思い出してみる。あの日初めて見た、宙を舞う勧誘チラシに囲まれて、自分自身も浮かんだ四肢欠損の女子のことを。確か先輩はあの手この手の誘い文句で、どうにかぼくを引き止めようとしていた。

 籍を置いても出席の義務はないとか、空き教室を好きにする権利が実質手に入るだとか、いろいろ言われた気がする。……あぁそうか。

「先輩はこの教室を使いたかったんでしたっけ」

「え?」

「ほぼプライベート空間ですもんね」

 とは言っても、部室を自分好みにデコレーションしたり、ロッカーでは収まらないほどの物置にしたり、あるいは本来持ち込み禁止の物を持ち込んでいたり、何かの遊び等にここを使っていたりした痕跡なんて、ぼくの知る限り何一つないけれど。

「あー、まぁそれもそうだ。確かにこの部室は貴重だ」

「けど何に使ってるんです?」

「自習とか」

「自習……?」

「昼休みとかね。教室だと落ち着かないし、図書室っていうのはなんだか、アウェーな感じがする。ここが一番いいんだ」

「…………」

「なにその顔は」

 思わず言葉を失ってしまった。休み時間に勉強する人間が実在していた衝撃と、しかもそれと知らずその人とずっとお喋りしていた事実に、空いた口が塞がらない。大学受験を控えると皆そうならざるを得ないのだろうか。ぼくは高校受験の時も、昼休みは休んでたのに。

「勉強熱心なんですね」

「他にすることがないんだ」

「そんなに……?」

「うん」

 どうも謙遜で言っている感じがしないところから、言い表しきれない不気味さを感じる。ぼくはまたそれが顔に出たらしかった。先輩が慌てて訂正に来る。

「って、あのね、違う違う。確かにそれも言ったけど、私が言いたかったことはそれじゃない」

「はぁ」

「初めて会った日に言ったはずだよ。私のことを避ける人間は五万といるけれど、私が避ける人間はいないって」

「あー」

 言われて思い出す。確かにそんなことを言っていた。

「だから私の答えはこう。お喋りしたがっている後輩を、避けたりなんかしない」

「ぼくが毎日来るから、それに付き合ってくれたってことですか?」

「形としてはそうなるけど、付き合ったっていうのは違うかな。現に私は君と喋ることでとても楽しませてもらってる。受け身の姿勢でいた気はないよ」

「それならよかったですけど」

 でもそうすると、仮にぼくが先輩にとって「つまらない話」ばかりしていたら、先輩は部活に来る頻度を落としていたのだろうか。「避けない」の理屈通り考えるなら、それでもぼくに付き合ってくれていた風に聞こえたけれど。

 不意に不安になってきた。ぼくは連絡先を知ったところで、文章上で面白い話が出来るのだろうか。先輩の卒業後、彼女に「受け身の姿勢」をさせることはないと言いきれるのか。いやそれどころか、今でさえぼくは先輩に言わせれば、かつての切れ味を失っているというのに。

 ……と、不安になっていく最中で、また突然我に返る。こんな思考、まるで先輩に対して、自分に興味を持ってほしいと思っているみたいじゃないか。いや、愛想を尽かされて、唯一の友人を失うのが怖いのか……?

「どうしたの、難しい顔して」

「……いや、来年からの部長って誰になるのかなって」

「部長? そんなの、君がやればいい」

「勘弁してくださいよ。それか部誌の概念を消してから卒業してください」

「あはは。無理」

「ですよねー」

 二人で笑う。先輩が大学生活への不安を努めて考えないようにしているのと同じで、ぼくも先のことは考えないようにした。何にしても同じことだからだ。

 先を考えることに意味はない。このぼくに、他人の顔色を伺いながらお喋りをするスキルなんてないから。何であれぼくは自分の話したいことを話すしかないのだ。

 それに、「ぼくを避けない」という言質が取れたのはいいことだ。天涯孤独には程遠くたって、先輩に避けられては、ぼくはとても困ってしまう。

 一度持ってみると、友人という存在は手放し難く感じるものだった。

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