サイコキネシス文芸部   作:氷の泥

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終 デュラハン

 三月。学生にとっては、卒業の季節。小中学校と何ら変わらない、およそ効率や合理性からは遠く思える卒業式練習を、今年もまた何度繰り返してきたかわからない。

 聞くところによると、高校にもなると在校生が卒業式に参加しない学校もあるらしい。去年の春、部活勧誘の嵐に「入る学校を間違えたか」と思ったぼくだけれど、我が校の卒業式には在校生も参加するということで、今となっては「この学校でよかった」と思っている。

 壇上に浮かぶ先輩を目に焼き付けるつもりだ。「はい!」と大きく返事をする先輩が、未だに全然想像できないけれど。なんというか、キャラじゃない。

 そんなことを考えているのだと、先輩に言ってしまっていいのだろうか。キャラじゃないことなんて本人が一番わかっているだろうに、今このタイミングで茶化していいのだろうか。そんな思考を彼女が聞いたら、相変わらず変なところで変なことを気にするやつだと言われそうだけれど。

 ドンガラガラドンと相変わらずうるさい部室の扉が開くたび、逃げ道を潰されるような気持ちになる。そうしていよいよ、ぼくがその音を聞く日は最後になった。

 この部室で先輩と過ごす、最後の日。それはあまりにも当然のようにやってきて、現実を突きつけてくる。

「いや、あのさ」

 先輩は絵に描いたような困り顔をしている。

 椅子に座った彼女のスカートは、先の方がぺたんと平べったくなっている。彼女に太ももより先がないからだ。長い袖は薄くだらりと垂れている。彼女に肩より先がないからだ。

「そんな顔されると、こっちも卒業しづらいよ」

「そう言っても、最悪式を休んだとして、留年するわけじゃないですよ」

 ぼくはこれまで何度も、表情について先輩からツッコまれてきた。そのたび鏡があるわけでもなく、ぼくは自分がどんな顔をしているのかなんて知らないけれど、今日は一段とひどいらしい。

「この話も何度目かわからないけれど、何もお別れってわけじゃないでしょう? いっそ、おはようからおやすみまでLINEをくれても構わないよ」

「しませんってそんなこと」

 おはようやおやすみが、「面白い話」だとは思えないから。それともそれを言っていれば、先輩は今と同じままの先輩でいてくれるのか? あるいはそれを言っていないと、先輩はどこか遠くへ行ってしまうのか……?

 先のことは考えない、意味がないから。そう何度も自分に言い聞かせているうちに、その「先」とやらは、すぐそこまで来てしまっていた。

「じゃあわかった、時々遊びに来よう。卒業生なんだから、立ち入り禁止ってこともない」

「いや、いいですよ。忙しいのに。しかもそんな、一回や二回でしょう、来れても」

「どうして卒業した途端忙しくなるのさ。今こうしていられるってことは、この先も同じってことだよ」

「わかんないじゃないですかそんなの!」

 大して声を張ったつもりはなかったのに、部屋が震えるような感覚があった。ハッとして先輩を見ると、彼女は今までに何度か見たことのある表情……目を丸くして少し驚いたような顔をしていた。

「正直、驚いてる」

 先輩が椅子を引き寄せる。少しの音も立たなかった。

「君がそこまで私に懐いてくれていたなんて」

「それは、ぼくもです」

 少なくとも二月の時点では、あぁ寂しくなる、残念だ、ぼくの学校生活はこれからひどくつまらない物になる……そう思っているくらいだった。それが今となっては、しがみついて「行かないでくれ」と懇願しそうな勢いじゃないか。

 自分はどうしてしまったんだろう。そう考えるようになったのは何日か前からだ。いや何週間か前なのかもしれない。どちらにせよぼくは、先輩から言われるまでもなく自分がおかしいことを自覚していた。

 高校受験をした時を除けば、ぼくが何かに苦悩したことなんてこれが初めてかもしれない。

「だからずっと考えてたんですよ。だって中学の頃には当然、ぼくにとった先輩はいなかったんですから。その時代に戻ると考えれば、何もそこまでつらい話ではないわけで」

「うん」

 ここ数日、何度も考えた。かつてアニメの内容に怒っていた時の先輩がそうしたように、夜の布団の中で考えてもみた。先輩と違ってちょっと目にクマが出来たけれど、その代わり答えも導き出せたのだ。

 けれどその答えは、たどり着かなかったことにしておいた方がいいのかもしれない。……というのは気のせいで、むしろその答えは積極的に披露していった方がいいのかもしれない。いや、でも、やっぱり……と、そんな無限ループの思考を何重にも重ねているうちに、今日という日になってしまった。

「……おかしいんですよ。放課後に話すことが、ぼくの中でそんなに重い扱いなのかといえば、夏頃は昼休みに喋っていたんだからそれはない。同じくこの部室にこだわっているわけでもない。先輩の言う通り、今生の別れじゃないし、LINEも交換した。文章のやり取りが出来ればそれでいいはずなんです。何も問題はないはず」

「ほうほう。……もし私の声がお気に入りだというなら、ボイスメッセージでも通話でも何でもいいよ。それか前に話した通り、この顔がお望みなら、写真でも動画でも、いくらでもあげる」

 そう言ってまた彼女は超能力を使い、自分の頬をマッサージする。自分のことさえ指させないというのはちょっと不便そうだ。

「……なんでそんなに優しいんですか」

「私はいつでも優しい」

 今までのことを、この一年を振り返って、確かにそうだと思う。先輩は優しい。だからそれを肯定してぼくは頷く。すると彼女は、「ふっ」とそれを笑った。これもまた振り返ってみるとわかったけれど、先輩は優しい反面、時々ちょっと意地が悪い。

「じゃあまぁ、全部ぼくの思い通りになったと考えましょう。声が聞けて、顔が見れて、動いている姿も見れる。話したいだけ話せて、先輩はぼくの話をなんでも聞いてくれる」

「うん」

「仮にそこまで揃えば、ぼくが先輩の卒業を悲しむ理由なんかないと思いませんか」

「思うよ、理屈だけで言えばね。君が、私と同じ学校に通っていることに何か特別を感じるような、ロマンチストでもない限りは」

 今度はぼくがそれを鼻で笑った。すると先輩もつられたように笑う。そりゃそうだ、ぼくがロマンチストだったら面白い。ぼくが夜景を前に「君の方が綺麗だよ」とか言っていたら、それは間違いなくギャグだ。

「どうするんです、ぼくがロマンチストだったら」

「苦笑いするしかないよ」

「でしょうね」

 自分で自分を茶化して、目を逸らす。窓の外は晴天だった。憎たらしいくらい空が青い。たぶんぼく以外の全ては、先輩の卒業をめでたいことだと思っている。腐っているのはぼくだけだ。

 鞄の中に、いつもより多く本を詰めてきた。基本的に本は一冊しか持ち運ばない性格だけれど、今回はそれがまた良かった。持ってきた本たちはお守りなのだ。お守りというのは、特別感があった方がいい。

 本のラインナップはこうだ。「アルミ缶の中にあるミカン」「魔女の星」「享年29歳」「文芸アラカルト部」……その計四冊。なんとなく、これだと思った物を持ってきた。

「でも先輩」

 意識して、まっすぐ彼女を見据えて言う。

「ぼくは先輩が卒業してしまうのが、やっぱり嫌です。理屈で何を言っても、どうしても「お別れ」という感じがするんです。いくらぼくが理屈を並べても、いくら先輩が優しくしてくれても、世界が、神が、それはお別れだと決めているんですよ」

「……驚いた。君のことは無神論者だと思っていたよ」

「もちろんそうです」

「なら私と同じだね」

 先輩が微笑んだ。彼女いわく「ちょろすぎる」ぼくでも、それはわざとらしいと思った。愛想笑いだ。今までどんな話を彼女にしても、そんな反応が返ってきたことはなかったのに。

「じゃあ、先輩だって神に祈った試しが無いわけじゃないでしょう?」

「まぁ、それは人並みに」

「それなんですよ。先輩の卒業は、人並みにお別れなんです」

「……よくわからないな」

「先輩、ぼくは……!」

 膝の上で拳を握りしめる。今にも先輩から目をそらして、机に視線を落としてしまいたくなる。

 今ならまだ引き返せる。ぼくはただ寂しいだけなんだと、そう言えば今の先輩なら、きっとそれらしく慰めてくれるだろう。ぼくと違ってきっと彼女にはそれが出来るように思う。

 ……けれどぼくは、慰めてほしいわけじゃない。ぼくらの関係は自然消滅してしまう。それを直感しているから、ぼくは彼女の卒業を喜ぶ気になれない。直感を信じて間違ったなら、自分を責めればいい、悔めばいい。けれど理屈に従って、それでダメだったら、ぼくは一体何を恨めばいいんだろう。そういう話だ。

「……ぼくは?」

 その時の先輩の声は、初めて聞く声だった。子どもをなだめるような声だった。

 それでぼくは、ようやく思い出した。理屈でも、直感でもない。ぼくはどうしたって、自分の話したいことを話すしかない。それしか出来ない、そういう人間なのだ。そういう人間だから、ぼくは……。

 深呼吸なんかしたら、言葉を飲み込んでしまいそうで、二度とそれを吐き出せそうもなくて、勢いに任せて口にする。

「ぼくは、先輩のことが好きです」

 頑張ろうとしていたはずなのに、言い終えた時、視界は長机の焦げ茶色で埋め尽くされていた。胸が詰まるような感じがして、吐きそうになる。自分以外の世界の全ての、時が止まってしまったような感覚に襲われる。

 その時を、どうにか動かしたくて続ける。我ながら必死に。

「好きっていうのが、友達としてなのか、それ以上の意味なのか、自分でもわかりません。でも好きです。理屈じゃなくて、先輩が卒業してしまうのが嫌です。どうしても嫌です。ずっとこうやって、放課後お喋りする日に続いてほしいんです。ぼくは、ずっと今のままがいい……」

「…………」

 そんなことは不可能だとわかっていたけれど。何がどうなっても先輩は卒業してしまうのだと知っているけれど、嫌なものは嫌だった。

 思い切って顔を上げると、見たことのない顔をした先輩がそこにいた。ぼくは彼女が心底楽しそうに笑うところも、嫌そうに苦い笑みを浮かべるところも、ついさっきの愛想笑いも見たことがあるけれど、その時の笑みはそれらのどれとも違った。

 それは、さっきのなだめるような声は、確実に彼女の物だったんだな……と、そう確信させてくれるような微笑みだった。

「ごめんね」

 胸が詰まる。

「嬉しいよ、ありがとう。本当に嬉しい。出来れば何もかも、君の望むようにしてあげたいと思うくらい。……けれど私は卒業しなければならないんだ」

「……そうでしょうね」

 そんなことは分かりきっている。仮にもしも何らかの方法で、先輩にもう一度三年生を繰り返してもらえるとして、ぼくがどうやってその責任を取るというのか。

 どうしようもないことは知っている。それでも嫌だと言うことに、意味がないことも知っている。……けれど先輩の次の言葉だけは、まったく予想だにしていない物だった。

「人生で初めての友達に、そこまで好いてもらえるなんて。生きていてよかった」

「……え?」

「私は一つ、君に嘘をついてしまった。今のうちに白状しておくよ。アニメの話をした時だ」

 いつものお喋りをするように、彼女は何でもなさそうに淡々と語る。

「私のことを出汁にしている点でアニメと君は同じだけれど、面と向かって言ってくる君のことは嫌じゃないと言ったね。けれどあれは嘘だ。私はたぶん、君に何を言われても怒る気にはならないけど、それは、君が面と向かって来るからじゃない。……君が友達だからだ。アニメは友達じゃない」

「う、うそだ」

 思わず否定してしまう。信じ難さに声が震えた。なんなら先輩に好意を伝えた時より、動揺していたかもしれない。

「明らかに人慣れしてるのに」

「私から見れば君も、物怖じしない百戦錬磨に見える」

「そんな馬鹿な」

「でも事実だ。全部事実。私には君以外の友達がいない」

 そんな台詞でさえ、人との会話に、人の扱いに慣れた風に聞こえる。

「だったら、全部……?」

 先輩はぼくに友達がいないことを聞くなり、「そのうちいいことあるよ」と投げやりなことを言ってきた。あれは自分への言い聞かせでもあったのか?

 先輩が体育祭の日に言った「口が滑って親に君のことを話してしまった」というのは、初めて友達が出来たことを親に報告したって意味だったのか?

 部活勧誘の時に言っていた「私のことを避ける人間は五万といるけれど」って文句は、そういう意味だったのか……? 昼休みは自習しているって、教室も図書室も避けてこの部室で一人になっていたって、そういうことだったのか……?

 それなら、先輩がぼくを怒らない理由が、さっき語られた通りなら。先輩がぼくにくれたものは全部全部、それが理由ってことになる。……それが真実?

「全部とは?」

「先輩は、他に友達がいたら、ぼくに優しくなかったってことですか」

 ははっ、とおかしそうに彼女は笑った。そして、義務教育で習ったことをわざわざ改めて教えるように、諭すようにぼくに向かって言う。

「存在しなかった「もしも」を考えるのは、意味がないことだよ。君だって他に友達がいれば、私にこんなに懐いてくれることはなかったかもしれない」

「そんなことはない!」

 もしも、なんて話をすることに意味がないというのは、すごくわかる。それは宝くじが当たった時のことを考えるのと同じだ。笑い話にはなっても、真剣な話題に持ち込むものじゃない。わけも分からず生きていた幼児の時期ならまだしも、まわりの人間共々ある程度精神が成長した今となっては、蝶の羽ばたき程度では、ぼくに友達なんか出来やしないことは明白だ。

 だから、その「もしも」の話に対して、躍起になって反論することほど無意味なこともないのだけれど。

「それでも、先輩は先輩ですよ。ぼくは先輩が好きです」

 喉元過ぎれば、というやつなのか。「好き」と言葉にすることにもう抵抗はなかった。

「……そんなに言われたら、仕方ないな」

 軽そうに空っぽだった制服の袖が、中身が入ったみたいにごく自然な動作で持ち上げられた。超能力で持ち上げられたその袖は空洞だ。筒のようになった袖が、両手を広げる形で持ち上げられている。

「何がどうあっても私は卒業する。これからも友達でいるだけでは、君が満足できないって言うのなら、一つだけ私からプレゼントをあげるよ」

 腕を模して広げられた袖が、何かを受け入れるような形で静止している。

「持ち上げていいよ」

「え?」

「私の体が軽いのか、知りたいんでしょう?」

「えっ」

 ものすごい速さで記憶が蘇っていく。あの日、その話をした日、先輩はぼくに言った。「好感度が足りない」と。だから自分の体を持ち上げさせて、本当に軽いのかどうかを確かめさせてなんかやらないと。

「い、いいんですか」

「特別にね」

 ゴクリと唾を飲む。それを実践できる日は、一生来ないのだとばかり思っていた。

 椅子を引いて立ち上がり、おそるおそる先輩に近寄る。超能力の射程なんてきっと部屋中に及んでいて、彼女には腕も足もないのに、一定以上距離を詰めると、何か立ち入ってはいけないテリトリーに、足を踏み入れてしまったような感じがする。間合いという物に入ってしまったような感覚だ。

 今まで先輩の隣に座ったことくらい何度もあった。パーソナルスペースもクソもない。なのに今は、ただ緊張するというだけで、何でもなかったことがものすごい意味を持つような気がしてきてしまう。

「……どうしたの? 今だけだよ、こんなこと許すのは」

 風船みたいで硬さの感じられない袖が、ひょいひょいと上下してはこちらを煽ってくる。もちろんこの機会を逃すなんてあり得ない。

 けれどどうも、いざとなると、こう、問題があった。先輩の胴体のあたりを見つめつつ言う。

「あの、普通にセクハラになりませんか、これ」

「……だからそれを一瞬だけ許可するって話なんだけど。……え、今? 今その段階の話をするの?」

「い、いや……」

 あの話をした時には、まさか出来るとは思わなかったから、実際的なことをほとんど意識していなかったのだ。けれどいざ実践となると、女子の手さえ握ったこともない男が、いきなり女子の体を持ち上げるというのは、ものすごくおかしなことのように思える。

「早くしなよ。あ、それから言うまでもないけど、変な箇所は触らないように」

「いや、それはもちろん言われるまでもなく。……本当にいいんですね?」

「どうぞ」

 やはり何度見ても、椅子に置かれた人形みたいな先輩に、慎重に手を伸ばす。そして一思いに持ち上げた。服越しとはいえ触れる感触だとか、そういうものを出来るだけ考えないようにする。連絡先交換の件から学んだように、あまり腫れ物を触るように扱っては逆にまずいと思ったから、一気にやった。

 ……そして持ち上げた瞬間に、ぼくは気付いてしまった。

「……どう?」

「先輩……」

 小さな子どもを持ち上げたら、こんな感じになるのかなという距離に、先輩の顔がある。袖はいつもの垂れ下がった状態に戻っていた。

「とても重要なことに気が付きました」

「ほう」

「ぼくは、「軽い」と言うしかなかったんです。持ち上げるまでもなく」

「どうして……?」

「先輩が、女性だから」

 たぶんこの一年の中で、一番大きくウケた。

「あはは! はははっ! なるほど……! やっぱり君は変なところで、変なことを気にするんだね」

 突然、ぐいっと腕を外側に引っ張られる感じがした。唐突なその力に逆らえず、「落ちる」と思った時には、先輩は水に沈むように緩やかな落下で、椅子の上に戻っていた。

「はい、おしまい。……これで悔いはない?」

「悔いは、無いと言ったら嘘になりますけど」

「でも私は卒業するよ」

「そうですね」

 そうやって話しながらなんとなく目が合って、よくわからないけれどお互い困ったように笑った。

 別れを感じさせる一つの節目に涙を流すのでもなく、進路も決まってめでたく卒業する先輩を満面の笑顔で送り出せるわけでもなく、ただなんとも言えず、「終わっちゃったね」というふうに、微妙な笑みを浮かべるだけだった。

 結局それがぼくたちの、部室での最後のやり取りになる。眠って起きてを何度か繰り返せば、先輩がいた高校生活というのは、容赦なく、そしてあっけなく終わってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 それからすぐ、ぼくは二年生になった。先輩が卒業したあと、ぼくのLINEには、おはようとおやすみが飛び交っている。先輩がふざけてぼくを下の名前で読んだ日があったように、冗談で「おはよう」とか「おやすみ」とか言ってきたのが、いつの間にか習慣化していた。

 連絡はずっと続いている。最近あった面白いこととか、今までと同じく先輩に聞きたくなったことだとか、部室で話していた時みたいにいろいろと喋っている。たまに通話もするし、向こうからはいろいろと写真も送ってもらえる。それもまた超能力の使い道ということなのか、先輩は憎たらしいほど自撮りが上手かった。

 ……けれど、何かが足りない。ぼくはあれから、昼休みを部室で過ごすようになった。今やあの場所は完全に、ぼく一人だけのプライベート空間になっている。かといって何か特別なことをするわけでもなく、そこでいつも本を読んでいる。「それ面白い?」「どんな話?」と聞いてくる人は、当然ながら誰もいないけれど。

 通話する時に、最近読んだ本のことを話す日もある。でも何か物足りない。相変わらず先輩はどんなことを聞いても答えてくれるけれど、それでも何かが足りない。あの頃の放課後の部室に比べると、夏の昼休みの三年D組教室に比べると、なんというか、充実感がない。

 文章は文章でしかない。そういうのは、一年に一回先輩の書いた詩を読むくらいでちょうどいい。写真は写真、動画は動画でしかなくて、通話も機械を通した音声でしかない。上手く言えないけれど、何一つ「生の存在」には到底足りない。

 それに何よりまずいのは、先輩と話せるのは夜になってからということだ。向こうも忙しいのだろうし仕方がないというか、むしろ話してもらえるだけ嬉しいのだけれど、でもあの放課後の会合は、もう二度と戻ってこない。予想していた通り、先輩がいない学校はうんざりするほど退屈で、楽しみなんて何一つない場所になってしまった。

 一度得た物を失うのは、何も得ないことよりつらい。中学時代に戻ったのだと思えばいいと自分に言い聞かせても、何の慰めにもならなかった。中学時代のぼくは、先輩とお喋りする時間なんて想像もしていなかった。今から意識だけでもそれに戻ろうなんて、まるで話にならないことだ。

 気付けばぼくは口癖のように、あの頃に戻りたい、あの頃に戻りたい……と愚痴るようになっていた。先輩はそんなぼくにも愛想を尽かさないでいてくれる。それが嬉しい反面、弱みにつけこんでいるような気持ちにもなる。もしもの話は、もうあり得ない仮定なんかじゃない。高校でぼくという友達を作った先輩が、大学で友達を作れない理屈はないのだ。

 いつかその日が来たら、その時こそぼくは飽きられてしまうのだろうか。そんなことばかり考える日々が続いて、ある日ついにそれは起こってしまった。

 

「大学で面白いやつと仲良くなった」

 

 そのメッセージを見た時、今自分は終わりの始まりを目にしたのだと確信させられた。ただ不可解なのは、そのメッセージのすぐあとに、動画が送られてきていたということ。

 新しい友達とお得意の自撮りをしてきた、というのならわかる。しかし、なぜわざわざ動画なんだろう? 漠然とした嫌な予感を覚えつつ、タイトルのないビデオテープを再生機に入れるような緊張感で、ぼくは再生ボタンを押す。

 ……アニメの美少女キャラクターみたいな声が聞こえてきた。明らかに先輩の声ではない。

「こんにちはー! 最近根室さんと仲良くなりました〜宝井です! この動画を見ている来栖亜漣くん! 話は聞かせてもらったぜ! いや〜こんなかわいい子をものにするとは、聞く限りではクレイジーな趣味してるくせにやるもんですなぁ〜?」

 動画に映っていたのは、言っては悪いけど、バカみたいなハイテンションで話す女性だった。……たぶん、女性だ。胸焼けがするほどフェミニンに振り切った趣味の服を着ていて、あと明らかに胸が大きい。

 動画はビデオメッセージだった。宝井と名乗った女性の隣で、四肢のない超能力者はニヤニヤしたまま、カメラと宝井さんへ交互に目線を送っている。

 一方で新人物である宝井さんは、自分の胸に手を当てたり、こちらを指さしたり、手の平をひらひら揺らしたり、実にフィジカル的な感情表現の多い人だった。

「そんな来栖くんに朗報だ! 今後この宝井に聞きたいことがあれば、根室さん経由で何でも、いくらでも聞くがいい! 正直私は年下が好きだ! 何を聞かれても機嫌良く答えることを保証しようじゃないか! そう、根室麗のようにね!」

「というわけだ来栖、よかったね? 私に泣いて感謝するといい。君、こういう人好きでしょ?」

 ……ぼくは、胸の高鳴りが抑えきれなくなる。そして本当に先輩には、涙こそ流れないものの、泣いて感謝といって差し支えないくらい、激しく感謝の念を抱いた。

 相手にいつか別の友達が出来たら……、そう考えるのは、もしかすると向こうも同じだったんじゃないか。そうだとしたら、それでもなお宝井という新たな人材をぼくに紹介してくれたのは、ぼくを慰めるためだったに違いない。暗に先輩が言っている気がする、あの頃に戻りたいなんて、嘆いたりするなと。

 それとも、ぼくから好意を伝えられて、あの人も自信をつけたのだろうか。元々自信はありそうだったというか、どこか得体のしれない人だから、動画を見てもそのあたりはよく分からなかったけれど。

「じゃあねー!」

 過剰に元気な声で、宝井さんが「バイバイ」と手を振っていた。そこで動画は終わる。

 宝井というアニメ声の、いかにも女性らしい格好をした女性が、先輩の新たな友人らしい。彼女は先輩と対照的に、その両足で大地に立ち、腕の振りを存分に使って感情表現する人だった。

 そして彼女には、首から上がなかった。

 

「こんにちはー! 最近根室さんと仲良くなりました〜宝井です! この動画を見ている来栖亜漣くん! 話は聞かせてもらったぜ!」

 

 もう一度動画を再生してみても、やはりどう見たって首がない。彼女の首は途中で途切れていて、本来頭があるべき箇所の断面は、闇より深い黒色で塗りつぶされている。まさかCG技術の賜物ってことはないだろう。先輩が言った「こういう人好きでしょ?」は、完全にそういう意味だ。

 感情表現のためせわしなく動き回る宝井さんは、しかし注意深く観察してみると、どうやら彼女はカメラの位置を把握しているようだった。顔がないのに、目もないのに、どうやって? というか、彼女の声はいったいどこから出ているのだろう。そもそも頭がないということは脳がないように見えるが、どうやって思考している? 聞きたいことは山ほどある。

 どうやらぼくの高校生活は、まだ始まったばかりのようだった。学校そのものに楽しみがないことなんて、今となってはもう、取るに足らないことのように思えてきた!


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