サイコキネシス文芸部   作:氷の泥

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03 飾り

 六月。外は大雨だった。ぼく以外誰もいない部室は静まり返って、止む気配のない雨音がよく聞こえる。……傘を忘れたぼくとしては、空なり神なりに嘲笑されるような気分だった。

 突然、そんな雨音をかき消す騒音がガタガタ鳴る。部室のドアが揺れる音だ。本当に「騒音」と呼べるレベルでガタガタいうので、思わず眉をひそめてしまった。建付けはなんとかならないのだろうか。

「今日も早いねー」

 知り合ってから二ヶ月、先輩のその台詞はもはや挨拶のようになっていた。おはよう、こんにちは、こんばんは、全てを表す便利な言葉だ。あるいは定型文か。

「先輩が赤点取るところ、見てみたかったんですけどね」

「三年生だぞ? 私は。勉強くらいちゃんとするさ」

 肩から先がない先輩は当然、ペンを超能力で動かしてテストを受けたのだろう。超能力とは、使う側にとってどういう感覚の物なのだろう。字を書くというのは、結構複雑で繊細な動きのように思えるけれど。

 何はともあれ、ぼくたち文芸部唯一の出席メンバーは、両者とも中間テストの赤点を無事に回避したのであった。テスト返しがあった週、何食わぬ顔で先輩がここへ来た時には、正直ちょっとがっかりしたものだ。なんだ、やっぱりイメージ通りかって。

「来栖には、私がどう見える?」

「え?」

 いつもの席に座った先輩が、何がおかしいのか少しニヤついて言う。

「君、私に赤点を取ってほしかったんだろう」

「はぁ、まぁ、そうですね。補習明けここに来る先輩の顔は、見てみたかったです」

「本当にいい性格しているな。で、実際どうかな。私はこうして無事だったわけだけど、「やっぱり」と思ってないかな」

「思ってますね」

 これで先輩が「なんとなく勉強出来そうオーラ」に無自覚だったら、なかなかの天然だなと思ってしまう。そんなことがあったら、自分のことを天才だと思ってるバカと、ほとんど意味合いは同じじゃないか。

 だから、

「よく言われるんだ、根室(ねむろ)は勉強出来そうだなって」

 と言われても、でしょうねとしか思わなかった。先輩がバツの悪そうな顔をしなければ、それが嫌味に聞こえる可能性にさえ気が付かなかっただろう。

 それよりもむしろ、先輩が自分の名前を口にすることが、なんだか面白かった。失礼といえば失礼な感想だけれども。

「ぼくもそう思ってます」

「だろうね。……けれど実際はね、これでも必死に頑張っているんだよ。だから来栖、私は絶対に赤点を取らないけれど、けれどもしも、うっかり取ってしまったら。……その時に後輩から笑われでもしたら、いくら私でもつらいんだぞ……?」

 そう言って、目を伏せた彼女を見て。あれ、こんな表情見たことあったか……? と思った時には、舌が動いていた。

「笑いませんよ」

 先輩はニヤりとした。

「良い物を見たと思うだけだって?」

 少し迷ってから頷くと、先輩は「ぷッ」とツバを吐くフリをした。ラマか。あれ、アルパカだっけ?

「いいさ、背水の陣ってやつだな」

 かっこいい言い回しとは裏腹に、先輩はあざとくも唇をとがらせていた。それを見て、ふと、そういえばこの人彼氏とかいないのかな、いたことはないのかな、と想像してしまった。いてもいなくても、ここではあまり関係ないけれど。

「あのですね先輩」

「何かな後輩」

「ぼくはですね、人の慰め方を知らないんですよ」

 きょとんとされた。むしろこのぼくが、人を慰めることに限って達者だったら、それより不気味なことは他にないだろうに。

「だから先輩がそう言うなら、本当に絶対赤点とか取らないでくださいね」

 と付け加えても、依然として先輩の、機能停止したような表情は変わらない。そしてそのままの顔で、

「来栖」

 と、ぼくの名を呼ぶ。

「はい」

「ごめん、冗談のつもりだった。君に笑われたって痛くも痒くもないよ、私は」

 冗談と言うわりに、いつの間にか先輩の表情は、今日一番真剣だった。まぁ、今日先輩と過ごした時間は現在進行形で、たったの数分しかないのだけれども。

「そんなマジな顔して冗談言う人がいますか」

「いや、何を乙女みたいなこと言ってんすかって反応を期待していたんだ。それか、つらいならその様子も見てみたいって言われるか」

「ぼくを何だと思ってるんですか」

 候補に上げられたうち、後者の方さえあり得ると思われるのも、まぁ仕方がないのかなと思うところはある。ぼくにはぼくの倫理観があるのだけれど、それが理解されるとは思っていない。何せぼくも「常識的倫理観」ってやつがちっともわからない。

「いや、悪かった、本当にその通りだ。ちょっと君のことを軽く見すぎた。君も人間なのに」

「な、なんですか急に」

「君が私を慰める可能性なんて、頭になかったんだ。……ごめん」

 ……先輩が来る数分前を再現したような、雨音未満の静寂が訪れる。その異様な静けさがぼくには、今の状況は間違っていると叫んでいるように感じられた。

 思えば入部から二ヶ月、ぼくと先輩はほぼ毎日この部屋で顔を合わせては、何かしら話をしていて、二人揃っているのに、これほど静かになったということはなかった。

 彼女がぼくに対して今そうなっているように、ぼくの方も少し、先輩のことがわからなくなってしまった。

「いや、ぼくだってさっき言われるまで、先輩を慰めることなんて想像もしませんでしたよ」

「それはよかった」

 そう言って笑う先輩が、なんだか本当にほっとしていそうで、いたたまれない。本来、先輩がぼくを何だと思おうと勝手なのだ。そうでないと、ぼくが先輩に何を話すのも勝手だと言えなくなってしまう。

 ぼくを何だと思っているのかなんて、それこそ冗談で言ったのだ。先輩がぼくを何だと思おうと、ぼくはそれには興味がない。

「さて、気を取り直して。今日もお願いしようかな」

「えっ?」

 あまりに唐突で、肩でも揉めと言われたのかと思った。それで出た素っ頓狂な返事に、先輩もほんの少し戸惑ったように見える。

「面白い話だよ、来栖後輩。私たちといえばそれじゃないか」

 そう言われると、「確かに」と肯定せざるを得ない。今日まで先輩とはそれなりに色々な話をした。というかそれは大抵、ぼくから先輩への質問だった。初めの頃は顔色を窺いながらだったけれど、入部から一ヶ月も経った頃には、どうもこの人は何を言っても機嫌を損ねないし、傷つきもしないらしいと分かってきていたものだ。

 いつの日か、外を歩けばきっと注目されるだろうけど、人の視線は嫌じゃないんですかと聞いた日があった。というか「歩く」という表現は正しいのかとも聞いた。返ってきた答えは「視線がストレスになるような人間が君と話していたら死んでしまう」「便宜上「歩く」と呼ぶ」とのことだった。

 先輩と話すのはとても楽しかった。けれど、

「ぼくたちと言えば、というのはわかりますけど。しかし先輩、ぼくらもかれこれ二ヶ月ですよ。さすがに尽きますって、「面白い話」も」

 ぼくの話題も無尽蔵ではないのだ。

「そんなこともあろうかと、今日は私が話題を用意している」

「おお」

 ということはつまり、ぼくが質問される側になるということだ。先輩がぼくに何を聞くのか、ちょっと興味がある。

「君は前に、奇抜なエロ本を読んで私を連想したと言ったね」

 へえ、この人は「エロ本」と口にすることにまるで躊躇がないのか、と感心した。ぼくは聞く分にはいいが、自分で言うのには若干抵抗がある。

「あー、言いましたね」

 もはや懐かしい。ぼくは瞬時に、良き思い出のようにそれを振り返った。結局その本のヒロインは、先輩とは似ても似つかぬ小動物系の性格をしていたのだ。

「なら、何かほかに私を連想する物はあるのかな。と、気になった」

「なるほど。ありますね、パっと思いつくのが一つ」

「それは?」

「いや、言ってもわからないかもですよ」

 ぼくの頭の中には、明確なシルエットが一つ思い浮かんでいる。けれどもそれは、クラスの男子ならともかく、これといってオタクらしくもない先輩に通じるかどうか、怪しいところだった。

「む、なんだ? いいから言ってみて」

「ガンダムに出てくるやつなんですけど」

「ガンダム?」

「ジオングっていう」

「ああ」

 知ってる、と彼女は確かに言った。ガンダムやザク、アムロやシャアだけでなく、ジオングまでそんなに知名度があったとは驚きだ。

「なんで知ってるんですか」

「足なんて飾りです、って台詞をどこかで聞いたんだ。それでその台詞に感銘を受けて調べてみた」

「なるほど」

 先輩の体をチラと見て、聞く。

「足なんて飾りなんですか?」

「飾りだろうね。タダでもらえるとしてもいらないよ」

 超能力者ともなると、そういう考えに至るのか。ニュータイプはエスパーではないとは言うものの、実際先輩の超能力はサイコミュ兵器みたいな物だしなぁ。

「けれどあれは、腕は付いていたんじゃなかったか? 前回の例と比べると、私とは少し違うような」

「いや、でも腕は飛ぶじゃないですか」

「とぶ?」

「切り離して」

「……そうなのか?」

「知ってるんじゃなかったんですか」

「見た目だけだよ。まさかこの話題で見た目以上の話になるとは」

 オタクってのは怖いな〜、とでも言いたげな目だけを向けて、先輩は何も言わなかった。しかしぼくはオタクではない、ガンダムの本編に至っては、一話たりとも見たことがない。

 ぼくと話している時は余裕有り気に見える先輩も、案外ガチのオタクに早口でまくし立てられでもすれば、目をうずまき模様にして参ってしまうのかもしれない。そう妄想してみると、それも見てみたいなと思えてしまった。これといってサディストなつもりはないのだけれど。

「何にせよ、腕も足も飾りですよ。私以外にはそれが分からんのです」

「そうですね」

 しかし先輩もまた、地面を踏みしめる感覚は分からないだろうと思った。けれど考えてみれば、だったら何だという話なので、口にはしなかった。

 かわりに、聞きたいことがある。

「ところで先輩って」

「うん」

「なんで手足がないんですか?」

「……なんで、かぁ」

 ぽかーんと上を向く先輩。多少アホっぽいところを見せたって様になるのだから、美人は得だなと思った。

「生まれつきだから、分からない」

「そうなんですね」

「ちなみに超能力も生まれつきだよ。だから神様は分かってたんだろうね、私に手足はいらないって」

 だとすればそれは超能力だけではなく、メンタル面まで含めてそうなんだろうと思った。けれど神様なんて、そんな律儀な人じゃないだろう。先輩の例は偶然で、大抵の場合は理不尽で、ズルい。

 けれど人の心がないと言われたところで、今日も元気に生きている自分のことを思うと、それもまた先輩と同じような幸運の例だった。幸運なことに、ぼくは神を恨んだことがない。

「さて、そろそろ帰るかな。することもないし」

 強力な磁石で反発したみたいに、先輩がふわっと浮かび上がる。いつも通り鞄もそれに追従する。

「……どうした?」

 窓の外を眺めて動かないぼくを、訝しげな声が見逃さなかった。

「もうちょっとここにいます」

「うん……? いいけど、なぜ?」

「傘忘れたんです」

 ふっ、と笑い声が聞こえた。窓の外を眺めたまま動く気がないぼくは、根拠はないのだけれど、しかし先輩がすごく嬉しそうにしている気がした。まるでそう、先輩が赤点を取っていたら、ぼくがそうしていたような喜び方で。

「一緒に帰ろうか?」

「電車ですよ」

「駅はどこ」

「下りに三つです」

「私は四つだ。幸運な後輩だな」

「そんなに大きな傘持ってきたんですか?」

「なんだ君は、席を譲られたのに素直に座らない老人か?」

 それもそうだな、と思った。

 正直なことを言うなら、ぼくは女子の傘に入って帰ることが恥ずかしかった。そして高校生にもなってそんなことを言うこと自体、同じように恥ずかしかった。けれどそれは、傘を忘れた者には、元々選択肢なんかないことだったのだ。

 先輩と並んで歩き昇降口まで行く。もしかするとぼくは今日初めて、この人と並んで歩いたのかもしれない。というのも、超能力で浮かんでいるだけなのに、なぜかこの人は、ぼくより少し高い位置に頭を持ってこようとするのだ。そのことに今日初めて気が付いた。たぶん彼女に足があったら、そのつま先は床から離れているだろう。

「……え、傘は?」

 靴を履き替えて外に出たところで、先輩は未だ傘を手にしていなかった。校舎が屋根となるギリギリの場所まで来て持っていないということは、つまり彼女も傘を持っていない。あるいは……いや、折りたたみで二人はさすがに無理がないか?

「足も腕も飾りだけれど」

 先輩は、躊躇いなく屋根の下から飛び出した。

「傘も飾りだよ」

 雨が、見えないドームに弾かれるみたいに、先輩の頭上で弾け続けていた。……ぼくは以前、彼女には見えない手足があるのだと解釈したけれど、それは間違いだったらしい。彼女の力は、ぼくの手足よりも自由だ。

 ぼくたちはただ横に並んで、晴れた日みたいに歩いて帰った。先輩はぼくの家まで着いてきてくれた。そして「生憎、超能力に疲労の概念はないんだ」とか言って、結局一駅歩くことにしたらしい。……便宜上「歩いて」だ。

 自分で傘を差した日よりも、遥かに濡れず帰ってこられた。それでぼくは今日初めて、傘を差さずに帰る雨の日も、一駅歩くのを何とも思わないことも、先輩にとっては当たり前なのだと知った。

 だとするとぼくが思っていたよりもさらに、ぼくと先輩では、見えている世界が違うらしい。少し考えればわかりそうなことなのに、今日までちっとも気が付かなった。

 今日はそういうことに気が付く日だった。

 

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