夏休みが明けて九月。先輩は普通に学校に来ていた。高校生が休み明けに登校することは、当然と言えば当然だ。超能力者も例外じゃなかった。
若干の慣れや馴染みのような物を感じながら。ぼくは先輩の隣の空席に座っている。夏休みが明けてから二日が過ぎた。初日は下校時間が早かったりして、なんやかんや先輩とまともに話せる時間に乏しく、それでやっと今日の昼休み、三年D組の教室である。かつてのアウェーも、もはや憩いの地だ。
「タイミングを失ってしまった」
先輩がさして深刻でもなさそうに言う。
「何のですか」
「部室へ戻るタイミング」
「制服の袖が長くなってからとか」
「来月か。思ったより長く離れることになったな」
きっと今の日本の気候では、十月になったところでまだまだ涼しいとは言えない状態が続くのだろうけど、とはいえ「こんなところにいたら死んでしまう」というレベルはとりあえず脱せるだろう。
「ところで来栖、君にぜひ話したいことがある」
「え、なんですか」
「調べたのだけれど、腕や足が分離するロボットは結構いるんだね。ヴィクトリーガンダムと、ターンXだったか」
「なぜそんなことを……」
確かにどれも腕や足を武器として分離し飛ばす機体だ。ジオングの話からそう繋がってくるとは思いもしなかったけど。
「夏休みは暇だったからね。調べてみた」
「ご苦労さまです」
「これでコスプレには困るまい」
「コスプレ? するんですか?」
先輩にオタク趣味は縁遠そうな印象だったけれど、まさかそこまで深い趣味を持っていたのか。確かに美人の特権であると言えばそうなのだけれども。
「うん、あぁ、まだわからない。候補としてあるんだ」
「何な話です……?」
「文化祭の、ウチのクラスの出し物。喫茶店のような物をやることだけは決定しているんだ。もしかしたらそのテーマがコスプレになるかもしれない」
「……それでモビルスーツをやろうっていうんですか?」
「面白いだろう? ほら、誰かがやっていたじゃないか。あのスターウォーズの、なんだったか、あのロボット」
「あー」
確かに見た。何年か前の年末の番組で、手足のない人がそんな感じのコスプレで登場して笑いを取っていた。……いや、あれは笑いを取っていたのか? 笑わざるをない状況を作ることを、笑いを取ると言えるのだろうか。
「やめときませんか」
「どうして?」
「コスプレ喫茶にガンダムを見に来る人はいませんよ」
「そんなことを言ったら、みんな五体満足のメイドを見に来るんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
てっきり、少なくとも三年生の間に限った程度なら、先輩は有名人になっているのかと思っていた。校内の三分の一が「あのクラスにはインパクトある見た目の超能力者がいる」と知っていれば、それがその日だけメイドの格好をしていたからといって、それほど騒ぐことでもないと思うのだけれど。
しかし実際はそうではなくて、ぼくがこの目で見るまで先輩の存在を知らなかったように、案外三年生たちも先輩のことを認識していないのかもしれない。せいぜい同じクラスの人しか彼女のことを知らない。……そんなことあるのだろうか? 情報や噂って、そんなに流通しない物なのか……?
何にせよ、モビルスーツはどうかと思うけれど。
「まぁしかし、全ての女子が表に出なければならないわけでもない。適当にやるよ」
「頑張ってください」
「君のクラスは何をやるの?」
「スタンプラリーになりそうですね。こっちも仮装した人が判子を持って、決まった場所をうろちょろするんじゃないかと」
「へぇ、じゃあそっちの方が向いてそうだ。私はハチ公より目立つ」
「……先輩なんか、自虐ネタ増えました?」
身体的特徴にどれだけコメントされてもビクともしないメンタルは、ぼくが入部した当初から変わらない物だけれど。
「そう? だとしたら、君のせいだろうね」
「否めません」
「否めないどころじゃないよ」
先輩のすごいところは、「聞かせて」とか「言ってみて」とは言うのに、まるで大多数の他人みたいにぼくの話を「悪」として扱うことだ。その上で楽しんでいる。これがバランス感覚ってやつなのだろうか。
「でもそれを言ったら、ぼくだって先輩のせいってことはありますからね」
「ほう?」
「最近はもう、腕や足がどうのこうのしていなくても、超能力チックな物が出てくるたびに、先輩のことを思い出すんですよ」
「例えば?」
「それこそスターウォーズも」
フォースとかいうパワーがあったはずだ、あの作品には。コマーシャルが流れるたびフォースフォースと聞こえるので、あー、あの超能力みたいなやつかと思うと、そのたび先輩のことが頭をよぎる。
まぁぼくはスターウォーズを一作たりとも見ていないから、フォースとやらが実際どんな物なのかは知らない……と言っても過言ではないのだけれども。
「それは私に言われても。君のお喋りと違って、生活に必要不可欠な物なんだから」
「なるほど。ぼくが、お喋りしなければ死んでしまう体で、生まれてこなかったばかりに」
「君がそんな体に生まれていたら、さぞ大変なことになっていただろうなぁ」
と思ったけどカウンセラーは腐るほどいるか、ははは。と先輩は笑った。
「ところでですけど」
流れをぶった切って言う。
「先輩って夏休み何してたんですか?」
「何って?」
「イベント的な」
まさかガンダムにちょっと詳しくなった程度で、夏休みの全てを食いつぶしてはいないだろう。
「イベントねぇ。……海に行ったな」
ビンゴ! と心の中で叫ぶ。聞きたかった話がついに来た。
「先輩って海で何するんですか。泳ぐにしても超能力だとやり甲斐なさそうですし、それは砂浜で城を作っても同じでしょうし」
「お、急にスロットル入ってきたね。マッドサイエンティストに燃料を与えてしまったか」
言いながら彼女は機嫌が良さそうだった。
「確かに君の言う通りだけれど、海には私しか出来ない遊びがあるんだよ。数年ぶりにそれをした」
「それとは?」
「モーゼごっこ」
「ああ、なるほど」
完全に盲点だった。そうだ、超能力者のする遊びが全て、ぼくら平凡な人間と同じだと考えること自体間違っていたんだ。
「楽しそうですね」
「いいや全然。隅っこで小さくやるだけだからね。さもなくば人だかりが出来てしまう」
「本当のモーゼみたいに、やろうと思えば出来るんですか?」
「さぁ? 試したこともない」
先輩の超能力は強力だ。いつか出てきたBB弾の例えは、人ではなくとも何かに向かって試したことがあるから出た話なんじゃないか……とぼくは勝手に思っている。そうでなくても、少なくともスチール缶をペットボトルみたいにぐしゃぐしゃに出来ることは知っている。
とはいえ、地平線の彼方まで海を割れるのかというと、あまりそういう絵面は想像できなかった。先輩の言う通り、誰にも迷惑をかけずそれを確かめる方法はないのだろうけど。
「だから海はあまり面白くなかったな」
「逆になんで行ったんですか」
「親戚が遊びに来て、向こうには小学生の子どもがいたからね。流れだよ」
「へー」
子どもと上手く付き合う先輩が想像できなかったけれど、同じく子どもに懐かれる先輩も想像できず、隅っこでモーゼごっこをしていたということは、そういうことなのかもしれない。
「子どもって」
「うん」
「なんでおねーちゃんには手や足がないの、って聞いてきたりしないんですか」
「それが、しないんだよ。君と違って」
「へぇ」
子どもっていうのは好奇心旺盛なもので、なおかつ遠慮もない生き物だと思っていたけれど、まさかこちらの方が幼児扱いされるとは。親に口止めでもされたのか、それとも先輩にびびってるのか、何かあるような気はする。
けれどそうか……と、なんだか感慨深いような気持ちになる。そうか、先輩も親戚と出かけたりするのか。平和なものだ。……本当に平和だ。超能力者も、普通の人間と変わらず暮らしている。
「先輩」
「うん?」
「先輩は夏休みに、部誌に載せる物とか書きましたか」
「いいや」
小学生の頃から七月中に宿題を終わらせてきたような顔をして、ニコリともせずに彼女は言う。
「書きたい物が出来たら書くよ」
「それで間に合うんですか」
「間に合わせる」
「……書きたいものって、たとえば?」
「さぁね。見当もつかない」
「…………」
「なに?」
先輩は疑念の眼差しに敏感だった。
「ぼくは、一瞬書こうと思ったんですよ」
「へぇ。初耳だね。書くつもりだったんだ?」
「いや、書かなくていいなら、そうしたいです。上手くいかなかったので」
「書くのかどうか、今月中に決めてくれると助かる」
「はい」
文化祭は十一月にある。十月を丸々一つ開けておけば、ぼくが書こうと書かなかろうと調節は出来るのだろう。ただその十月には体育祭があり、その練習は本番が近くなるにつれて放課後にも及ぶので、暇かと言われればそうでもなさそうではある。
「そのうち幽霊のリーダーが、部誌の見本を持ってやってくる。来月中には間違いなく来る」
「はぁ。部室にですか」
「そうだ。だから、もし会ったら受け取っておいてほしい」
「あー、いいですけど」
先輩は部室に来るのがぼくよりも少し遅い。遅いと言ってもせいぜい五分、長くて十分程度だけれど。先輩いわくその理由は、担任のホームルーム進行がトロいせいらしい。ぼくのクラスの担任が「はい解散さよなら〜」って感じなので、むしろ彼女のクラスの方が標準なのではないかと薄々思っている。
「初対面の人間同士、あの部屋で私を待つのも気まずいだろう」
「まぁ、そうかもですね」
本当に、その人が何年生で、男性なのか女性なのかさえ知らない。聞けば教えてもらえるだろうけど、だからなんだと言うのか。関わりが無さすぎることに何も変わりはないのだ。
「くれぐれも、そいつにまで何か言うことだけはやめてくれよ……?」
「何かって?」
「さぁ、なんだろう。君の言うことは想像つかない」
「下の名前を教えてとか?」
「やめろやめろ。さっき君が「おねーちゃん」と口にした時でさえゾッとした」
言われてみるとそれはそうだろうと思う。先輩に恋愛経験はあるのかと気にした日もあったけれど、仮に先輩に彼氏がいれば、自然と下の名前で呼ばれることもあるだろう。けれど「おねーちゃん」はない。そういうつもりで言ったわけではなかったが、ゾッとされたならそれも仕方ないのかもしれない。
しかしまぁ、心配されることはわかるけれど、特に何もやらかしようはないように思える。部誌の見本を受け取る、ほんの一瞬、たった数秒だけのやり取りじゃないか。相手が五体満足で、異能力の類と無縁なら大丈夫だ。
「何も変なことなんか言いませんよ。先輩相手じゃあるまいし」
「でも中学ではトラブったんでしょ」
「一ヶ月はやってましたよ、部活。一ヶ月やってれば、そういうこともあります。一ヶ月もやってれば」
「はいはい。わかったよ、心配性で済まなかった。後輩を信頼するよ」
「……そう言われるとなんか胡散臭いですね」
「でしょう?」
ぼくは意外と流されやすいタイプなのかもしれない。信頼するなんて言われると、自分は常時警戒されていて然るべきなのではと思えてくる。
……だとするとぼくは、部誌に載せる文章の件について、先輩からどう思われているのだろうか。どうせ書かないだろう……なのか、きっと何か載せるはずだ……なのか。
考えてみるとぼくと先輩の関係は、お喋り以外のこととなると、信頼するもしないも決められないくらい、お互いのことを何もしらないのかもしれない。そしてそれは、彼女が海水浴場の隅っこで海を割っているところを目撃したって、大して変わりはしないだろう。
だからかもしれない。文章というクッションを挟んで、ぼくは先輩が何を語るのか見てみたいのだ。