サイコキネシス文芸部   作:氷の泥

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08 チキンレース

 お祭り騒ぎをする時には、なぜ各国の国旗を頭上に張り巡らせるのか。ぼくはその理由を未だに知らない。知ろうとも思わない。よーいドンを告げる鉄砲が空砲だということを知ったのは、小学校高学年になってからだった。知ろうと思って知ったわけじゃなかった。サンタの正体を知るように、いつの間にか知っていたのだ。

 十月の某日、土曜日。我が校では体育祭が絶賛開催されていた。

「A組速い! 圧倒的です! C組も追い上げてきました! さぁいよいよ最後のランナーです!」

 実況席の放送委員はどんな気持ちでマイクに向かっているのだろう。あまり楽しくはなさそうだ。状況に合わせて定型文を選ぶだけのゲームだもの。

 三年生のリレー競走を他の生徒と同じように場外の椅子から見守るぼくは、そのレースの行方にまるで興味がない。先輩が走らないからだ。彼女は言った、超能力がある以上、たとえ自分に手足があろうと出場は出来ないと。

 つまらない競技だと思う。ある日先輩が、愚鈍な凡人共には付き合っていられない……とか言い出しても、仕方ないんじゃないかとさえ思えてくる。まぁ、だったら彼女が義足でも付けて走れば見栄えしたのかというと、そうでもなさそうだけれど。

 要するにぼくは、身内贔屓の応援とやらがしてみたかったのだ。結局それは叶わなかったので拗ねている。

「ゴォール!! 一着はA組! 二着は……」

 校舎の高い位置に取り付けられた時計が、校庭にいればよく見える。だからこの場の全員が知っているはずだ。このリレーが終われば始まる予定の昼休憩は、すでに十五分も遅れているのだということを。

 どうしてプログラム表を配るくらい用意周到なはずの行事が、いざ始めればこんなグダグダになってしまうのだろう。一つのイベントを実行することの難しさをひしひしと感じながら、ぼくは若干イライラしている。

 仮に先輩が毎日部室へ十五分遅く来たとして、ぼくはそんなに腹を立てるだろうか。そんなことはないはず。……ならなぜ今こんなにイライラする? そう考えれば心当たりがないこともなかった。

 仮説だけれど、そういえば部活は必ず放課後で、ぼくは部室で腹を好かせたことがなかったのだ。

「えー、これで午前のプログラムは全て終了しました。時間が押してしまったので、昼の休憩を十五分延長して、十三時十五分から午後の部の開始を予定しております」

 家に帰ったからといってさほど楽しみがあるわけでもないので、ぼくとしてはその放送にこれといって文句はなかった。が、そうではない人たちもいるようで、そりゃ閉会も遅れるってことなんじゃないか、運営側の手際が悪いから……とぶつくさ愚痴っている男子たちもそこかしこで見かけられる。

 ともかく休憩時間だ。弁当を食べに行って、どこか涼しいところで休もう。十月とはいえ、雲一つない空の下に一日出されて、しかもまわりが「いけー!」とか「がんばれー!」とか騒いでいると、さすがにこっちも座ってるだけなのに疲れてくる。その上ちょくちょく競技にも出るわけだし。

 各自持参の弁当は教室に置いてあるので、一度中履きに履き替えて階段を上る。すると途中で、ぽんぽんと肩を叩かれた気がした。振り返るとそこには、肩の叩きようもなさそうな人が、浮かんでいた。

「一日働きましたって顔してるね」

 そういう先輩は涼しい顔をしていた。言うなら、今来ましたって顔だ。

「先輩は余裕そうですね」

「余裕さ。座ってるだけだからね。何一つやらせてもらえないんだ。あーあ、私も走ったり跳ねたり踊ったりしたかったなー。でも出来ないから仕方ない、あぁ残念、とても残念」

 何かしら煽りの意味があるのか、先輩はその場で上下にゆらゆら揺れた。

「煽りとも言いきれない微妙な煽りですね」

「え? 前にも言ったじゃないか。手足なんて無料でもいらないよ」

「ぼくは走る友人を応援してみたかったんですけど」

 そう伝えると、先輩は一瞬「なぜ?」というような顔をしたけれど、特にコメントはされなかった。

「私は君のことを応援していたよ。走る時ちょっと面白い顔をするんだなぁって」

「……お昼食べましょう」

「あれ、ごめん。怒るなよー」

「怒りゃしませんよ」

 怒ってはないけど、自分が走ってる時の顔なんて考えたこともなかった。そもそも本来ぼくのダッシュをまじまじと見守る人間なんて、小学校時代に運動会を見学しに来ていた親くらいのものなのだ。

「そう? じゃあ余程お腹が減っているのか」

「かもですね」

「弁当は教室に?」

「先輩もそうでしょ」

「うむ。だから取る物取ったら、またウチの教室に来ない?」

「久しぶりですね」

 予定通り十月には衣替えが行われ、宣言通りぼくたちはお喋りの舞台を放課後の部室に戻した。けれどひと月も経たないうちに、再び三年D組へ足を踏み入れることになるとは。いよいよアウェーを通り越し、憩いの地も通り越し、ホーム感が出てきた。

 さっさと弁当を取って自分の教室にさよならする。ちらりと確認した限り、男子も女子も皆思い思いのグループで集まり昼食の時間を過ごしていた。

「そういえば」

 上級生の教室へ向かうべく、さらに階段を上る。足音がぼく一人分だけしか響かないので、浮遊する先輩はきっとエスカレーターにありがたみを感じたことがないのだろうなと思った。

「先輩が何か食べるところを見るのって初めてですね」

「……来栖、今のはなんか、いつもと違う方向に気持ち悪いぞ」

「えっ、うそ」

「誰しもまじまじと見られて気持ちのいいものじゃないだろう、食事の最中なんて」

 そういうものだろうか。確かにぼくもマナーにうるさい人は嫌いだけれど、別にそういう意味で言ったわけでもないし。

「そう嫌われるとは予想外でした」

「いや、内心でほくそ笑まれるよりはいい。というか、君のいいところはそこだよ。邪悪だけど素直だ」

「欠点じゃないですかそれ。馬鹿だけど強欲みたいな」

「物は言いようってね」

「なるほどですね」

 時々忘れそうになるけど、先輩は三年生だ。物は言いようなんて、まさに三年生らしい考え方だと思う。ぼくも中学三年生の時に嫌というほど体感した。面接対策に自分の長所短所を考えると、どちらも全て「言いよう」なのだ。

 先輩のクラスに着くと、かつて半ば定位置と化していた位置の席は空いていなかった。が、一方で人口密度自体は大幅減少している。今のぼくのように他クラスへ遊びに行った人が多いのかもしれない。体育祭の昼休憩ならではの状況だ。

 適当な椅子と机をくっ付けて、先輩と向かい合って座る。そして二人とも黙々と弁当を広げる。先輩は小さな声で「いただきます」と言ったけれど、合掌の代わりに目を閉じたのが印象的だった。……いや、合掌と目を閉じることはセットか? なに分やったことがないもので。

 先輩に対して返事をするかのように、弁当箱の蓋を開けながらいただきますと言う。

「……あ、そうじゃん」

「え?」

「いや、こっちの話です」

 卵焼きが宙に浮かび上がって先輩の口にとびこんでいったのを見て、そうか箸の類は彼女に必要ないんだと初めて気付いた。どうも箸が浮遊するところを想像してしまっていた。

 とか考えているうちに、蓋をコップにするタイプの水筒がさも自動であるかのようにお茶を注ぎ始める。口元までやって来たそれを飲む先輩を見ていると、見えない執事に甘やかされているようにも見えてくる。

「君に聞きたいことがあるのだけれど」

「なんですか」

「君のご両親は今日来ていたりする?」

 それを聞いてどうするんだろう、とは思いつつ。

「来てませんよ。体育祭の見学なんて、小学生じゃあるまいし」

「だよね」

 唐揚げを一つ箸でつまんで食べる。最近の冷凍食品は「解凍」という手間が省かれるようになってきて革命を感じている。放っておいたら解けるってどういう仕組みなんだろう。コマーシャルをやっていたアイドルは味の話ばかりで、そのあたりは教えてくれなかった。

「ウチは来てるんだ」

「え?」

「両親が、二人とも」

 何とは無しに言うけれど、なんだか先輩が意図的にぼくから目を逸らしている気がした。その俯きは単に、弁当箱の中から次に何を浮かせるか迷っていただけかもしれないけど。

「面白いでしょ。私は競技に出ないのに、必ず来るんだ。小学校どころか、幼稚園の頃からずっと」

「……いいんじゃないですか? 恥ずかしいとか?」

「それもある」

 真顔で言われたので、

「先輩にも親が来て恥ずかしいって感覚があるんですね」

 と言いたくなってしまった。

「ううむ、まぁ、そうだなぁ。恥ずかしいというか、申し訳ないというか、なんだかね」

「煮え切りませんね、珍しく」

「小学生じゃあるまいし、と言われたからね」

 ジッと視線を向けられた。

 それは、もちろん本心からの言葉だったけれど、同時に事実として、それは一般論でもあったはずだ。今回ばかりはそんなにひどいことを言ってないはず。

「先輩の地雷は変な場所にありますね」

「え? あぁ、ごめん、そういうつもりじゃなかった。一般論を確かめたかったんだ」

「うーん……?」

「私の親が、わざわざ見学に来るのはさ」

 またお茶が注がれる。よく見ると、注いでいる間は先輩の視線が水筒に集中していて、やはりあれは自動などではないのだなと思う。

「気遣いと意地なんだ。自分たちの子どもが四肢欠損の超能力者で、体育祭の競技になんか一切出ないとしても、それを理由に「じゃあ行かない」なんて絶対に言うものか……っていう」

「……あー、なんか、なるほど」

 ぼくにはわからない。仮に自分がまだ幼い子どもだったとして、自分が競技に参加できない体育祭を親に見に来てほしいと思ったのかどうか。想像も出来ない。たまたま怪我をして今年の分は不参加、なんてわけじゃなくて、一生それが続くなんてことは。

 だから先輩が、両親のその「気遣いと意地」とやらをどう思っているのかはわからない。今聞いてみたところで上っ面しか理解できないだろう。

「でも今君に言われた通り、普通は高校の体育祭なんか親が見に来るものじゃない」

「まぁ、そうですね」

「ね。だから亡霊みたいなものなんだよ。私への気遣いと言えば聞こえはいいけど、やってること自体は、何を恨んでいたのかも忘れて、憎しみだけで人を呪う亡霊だ」

「……霊が多いですね」

「え?」

「幽霊部員だとか、亡霊だとか」

「あぁ、ははっ、そうだね」

 さすがに高校生ともなれば、「子ども」と呼ばれる側も限りなく大人に近づくから、誰の親が来ていたって「ふーん」以上の感想は持たないけれど。それでも口ぶりからすると、先輩は親が来ることを嫌がっているように感じる。

「先輩は、親に来ないでいてほしいんですか」

「さぁ、なんとも言い難い。意地だけで来られては見ている方がつらいけれど、突き放すなんてことも出来ない」

「複雑ですね」

「本当に」

 とはいえ、ぼくにはどうしようも出来ないが。

 一つ救いがあるとすれば、先輩はもう三年生。進学した先の文化祭とかに親が来る可能性を考えても、社会人まで進めばさすがに親の出番はない。……まさかいわゆるヘリコプターペアレントということもないだろう。だとすればあと少しで、複雑さとやらは自然消滅するのだ。

 ……残りの期間を「少し」と呼べるのか、そもそも待つしかないものを「救い」と呼べるのか、全部他人事の理屈なのではないか……とは思うけれど。しかし、だからといってぼくに出来ることは何もない。

「そこでだ」

「はい?」

「来栖後輩よ、うちの親に会っていきたまえ」

「はぁ?」

 先輩は今までで一二を争う、意地の悪い笑みを口元に貼り付けていた。

「私の親は無意味な意地で来たのではない、娘に近づく怪しい男の視察に来たのだ。……ということにするのはどうだろう、と思ってね」

「いや、どうも何も」

 考える余地もない。ぼくは自分が何も出来ないのではなく、何もしたくないのだと理解した。

「嫌ですよ、普通に」

「どうして?」

「どうしてって、いつも仲良くさせてもらってます来栖ですーって出ていくんですか? なんだこいつって話でしょう」

「どうかな。案外、体育会系の世界では、先輩の両親が来たとなれば挨拶をしに行くのかもしれないぞ。知らないけど」

「偏見フルスロットルですね。そしてぼくらは文芸部です。絶対行きませんからね」

 文芸部、それは体育会と対極にある部活だ。事実上の運動部と言われる歌や楽器関係とは違い、寄り付く人間のタイプ的な偏りから文化部寄り扱いされる卓球部とも違う。文芸部は純度百パーセントの文化系だ。行くもんか、挨拶なんか。いや体育会系も行かないけど。

「そうか……。いや、まぁ、無理を言ったな」

 そう言って俯く先輩が、意外なほど悲しそうな顔をするので、半分以上冗談だと思っていたぼくは驚かされた。うっ、と声に出そうになる。

 ぼくにも良心ってものがあるのだ。

「いや、いや先輩、それは、そういうのはずるくないですか?」

「そういうのって?」

「ぼくが悪者みたいじゃないですか」

「…………」

「……先輩?」

 突然の沈黙。電池でも切れたかのように、先輩は俯いたまま喋らなくなってしまった。何が起こったのか分からず、おそるおそる覗き込む。

「……くっ、ふふっ」

「先輩……?」

 先輩は、なぜかめちゃめちゃウケていた。箸が落ちても笑う年頃ってやつかと思うくらい、ずっと噛み殺した笑いに取り憑かれている。

「来栖後輩、私は、私は君が心配だ」

「え、なんですか急に」

「ちょろすぎる」

 意地の悪い笑みだと思っていたものは、悪魔の笑みだったのかもしれない。それがまた先輩の口元に戻ってきていた。

「泣けば何でもしてくれるんじゃないか?」

「人をなんだと思ってるんですか……」

「ごめんごめん。しないよ、良心を人質にするなんて」

 恐ろしい話だ、恐ろしい発想だ。良心を人質にするなんて。ただそれで、いつか言われたことを思い出した。先輩に言われたことじゃない。親に言われたわけでもない。けれど誰に言われたかを思い出せるわけでもない。誰かから言われた、言葉だけを覚えている。

 具体的に思い出せない誰かいわく、ぼくに良心があることが、またなおさら不気味であるらしい。

「けれど既にね、君のことは両親に話してしまったんだ」

「は?」

 何事かと思う。話してしまったって、何を……?

「部活で出来た友達が面白いやつなんだって、ついうっかり。口が滑った」

「いや、面白いやつって、具体的にどんな」

「めちゃめちゃ喋るやつだ、って。……安心しなよ、まずそうな内容までは言ってない。ビビりすぎ!」

「びびりますよ、告発じゃないですか」

「じゃあなんで言われたらまずいこと話すのさ」

「話したいからですよ」

「あははっ。ほら、面白いやつだ」

 教室の外、校庭の方から、何やら放送の声が聞こえてきた。さっきのリレーに進路妨害等の不正があったとかないとか、そんな話をしている。その声は明らかに実況と同じ声、放送委員の生徒の声だった。昼休憩というのは、生徒に平等な物ではないらしい。

 放送委員は、自分が放送委員でよかったと思う時なんてあるのだろうか。なんだか気の毒になってくるけれど、ぼくは文芸部でよかったと思う。先輩がこれ以上両親に対して口を滑らせない限りは。

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