サイコキネシス文芸部   作:氷の泥

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09 迫る文化祭

 体育祭から一週間後。放課後の部室で本を読みながら先輩を待っていると、カタッ……カタッ……と、気のせいかと思うくらい控えめな音が鳴った。部室の扉が、じわりじわりと開いていく。

 やがて人間の顔半分ほどの幅が開くと、そこから女生徒が一人こちらの様子を伺っていた。短髪で童顔、かつ背の低い女子だった。人様に童顔と言えるほどぼくが大人びているわけでもないけれど。

「す、すみませーん……?」

「はい」

「部長さんいますか……? 文芸部の……」

「根室先輩ならそのうち来るはずですけど」

 先輩から「受け取っておいて」と言われたことをぼくは忘れていない。たぶんこの人がそうなのだろうなと思った。いよいよって感じだ。

「あれですか、部誌の件ですか」

 びくっと相手が肩を震わせた。

「あ、はい……。その、文芸部の活動として、作ってきたんですけど。ま、まだ見本しかなくて」

「大丈夫です、先輩から聞いてます。受け取っておいてくれとも」

「あ、……来栖さん?」

「はい、来栖です」

 ぼくの名前を聞くと多少警戒心が解けたのか、もう少し大きく開いた扉の隙間からそろ〜っと入ってくる。

 そこでハッとした。そうか、幽霊部員の人たちは部室に来なさすぎて、「そこにいるのが根室でなければ来栖だ」ってことを知らないんだ。

「あの、じゃあ、これ……」

 手渡された紙の束は、表紙に「表紙」と書いてあった。シャーペンで走り書きした文字だ。

 ぼくがそこに注目していたからだろうか、女生徒はソプラノみたいな声で、

「そ、それは見本で、完成品はちゃんと表紙とかあるので……!」

 と、消え入りそうな早口で言ってくれた。漫画なら頭上に汗マークの演出が入ってきそうだった。

「まぁ、ぼくにはよくわかりませんけど。先輩に渡しておきます」

 じゃあ先輩なら何か良し悪しがわかるのかというと……違ったら失礼だけど、先輩だって何もわからなさそうに見える。

「あ、お、お願いします。それじゃあ私はこれで……ひっ」

 ガラララァ!と大きな音を立てて、開きかけだった扉が全開された。そしてその向こう側に女性が一人浮かんでいる。彼女には腕がなく、足もない。根室麗三年生がやって来たのだった。

 ちょうど出ていこうとしたところで鉢合わせた女生徒は、尻もちでもつきそうなくらい後ずさった。

「おお、凪か」

 凪、というのが彼女の名前らしい。彼女を一瞥してから、ぼくの持つ紙の束に目を向けた先輩は、大体のことを理解したらしく、

「ご苦労」

 と一言彼女を労った。部長というか生徒会長みたいなオーラを出している。

 凪さんは、聞き取れないくらい小さな声で何か言ってから、逃げるように部室を去っていった。たぶん一文字目は「し」だったので、失礼しますと言ったのかもしれない。だとすると逃げる際前傾姿勢になったのかと思った彼女の動きは、小さくお辞儀をしていたのかもしれない。

「それ、見せて」

 走り去った部員は話題にも出されず、そう言われて部誌の見本を渡そうと思い、あれ、手がない人にどうやって渡せばいいんだろうと、しばらく自分の動きが停止する。すると部誌は独りでに、ぼくの手の中からスルスルと逃げ出していった。

 ペラペラと、たぶん適当にページをめくって、最後まで見終えた先輩は言った。

「よくわからないけど、たぶんこれで大丈夫でしょう」

 やっぱりよくわからないんだ。ぼくの印象は間違っていなかった。

 部誌(見本)は部室の大半を占拠する長机の一角、先輩の席の目の前に置かれ、以降特に読まれることはなかった。けれどそういえば、あの中にはすでに先輩の書いた文章が載っているのかもしれない。だとすれば先輩が来る前に見ておけばよかったか。

 受け取りのミッションも終わったので、普段通りお互い向かい合って座る。四角形に設置された長机特有の間に、距離に、近頃なんだか違和感を覚える。教室で話した経験が結構長かったからかもしれない。

「あの女子、凪野乃子という人なのだけれど」

 椅子に座ったというより置かれたように見える先輩が言う。そんな先輩にも見慣れたものだ。人形みたいだとか言っていた頃が懐かしい。たかだか半年程度が経っただけなのに。

「あれで三年生なんだ」

「へえ、それはまた、なんというか……控えめに言ってすごく腰の低い」

「ああ、だから言ったんだ、受け渡しに来る人に変なことを言うなよって。かわいそうだからね」

「なるほど」

 たしかに彼女は先輩とは真逆の人間に見えた。蚊も殺せないような、という例えがしっくり来る人間を現実で初めて見た。ちょっとでも過激な話をすればひっくり返りそうだ。

「……ところでそれ、面白い?」

 先輩が顎で指したのは、さっきまで読んでいた、ぼくの真ん前に置かれている文庫本だった。タイトルは「享年29歳」。独立した計四本の短編集であり、表題作が一本目の話になっている。

「まぁまぁですね」

 たぶん先輩は、ぼくの読書の趣味に興味を持っていない。先輩がぼくという人間そのものに興味を持った例はあまりないのに、なぜ本人にとってアウェーである読書の話にだけ興味を持つんだ、と不思議に思ったことがある。

 彼女はぼくの読書に興味がない……と仮定して物を見ると、彼女がぼくに本の話を振る時というのは大抵、他に話すことがない時か、すでに話したいことが決まっていて、その布石を打っているかの、どちらかなように思えてくる。そしてぼくはそれが正解なのだと信じてやまない。

 そして、それなのに時々、先輩はこう言うのだ。

「どういう話?」

 そう来るだろうと身構えていたからか、思ったより流暢に話し出せた。

「ある日森の中で、男が死体を見つけるんです。強姦された末に殺された、若い女性の死体だったんですけど、その女性は胸が大きくて」

「え、ちょっと、十八禁?」

「いや、違うと思います。思いますけど、それでその男は無類の巨乳好きで、しかし女性の胸を揉んだことがない、いわゆる童貞でした。それで出来心で、死体の胸を揉むんですよ」

「ほう」

「すると女性の体が黄金に輝き、その輝きが収まると、明らかに死んでいた彼女が蘇ったんです。それでなんやかんや騒ぎがあって、最終的にその男は、女性の胸を揉むことで命を呼び戻す力を持っていたことが明らかになりました」

「ファンタジーだね」

「ですね。で、男はその力で商売を始めます。命を呼び戻すことは、死後すぐでなければ出来ないのですけど、病魔を退けることはもっと容易だったんです。だから彼は医者もどきを始めました。何かしら難病を抱えた女性が彼のもとを訪れては、胸を揉ませることと引き換えに健康になっていくのです。あぁもちろんお金も支払いますけど、揉むと言っても服の上からなので、末期癌まで治るならそれはもう大盛況なわけですよ」

「ふむ」

「で、そうして彼が下心のままに巨額の財産を築き上げた時、ある告発をする女性が現れたんです。その女性は、胸を揉ませれば病が治ると聞いたから行ってみれば、それ以上のことを、つまり強姦をされたと主張し始めました。それが一人現れると、私も私もと、次々「被害者」が名乗りを上げ始めるんですよ」

「……それで?」

「男はそれを否定し続けました。自分は無実だと。そしてこれは読者にだけ明かされる真実ですが、実際彼はそんなことしていないんです。彼にとって女性に乱暴することは、死体の胸を揉むより、もっと覚悟のいることだったようで。しかし彼の有罪を証明する証拠が出ないかわりに、彼の無罪を証明する証拠もありませんでした。やがて彼は非難の嵐に耐えかねて、自殺しました。それがタイトルにある享年29歳です」

「うん。……えっ、おわり?」

 先輩が目を丸くするので、ちょっと「してやったり」な気持ちになる。もちろん物語はこれで終わりではない。

「いいえ。その後、男の死後から数十年経って、奇妙な現象が各地で起こります。一部の老人が唐突に若返り始め、みるみるうちに子どもに、さらには赤ん坊にまで歳を遡っていくのです。老人は一週間もすれば赤ん坊になり、そしてどうやらその赤ん坊は、普通の人間と同じ速度で成長していく。寿命の「巻き戻り」が起こっていました」

「それって、巻き戻った人は全員女性?」

「……そうです」

 ちくしょう、と内心で毒づく。本は読まないらしいのに、なんでそう鋭いんだろう。

「やがて、巻き戻りが起こった人は全員、過去に例の男から治療を受けた……つまり胸を揉まれた人物であったことが判明します。つまり男の力は三つありました。一つ目は死後間もない命を呼び戻す力、二つ目はあらゆる病魔を退ける力、そして三つ目は「死ぬ寸前に寿命を巻き戻す効果」をあらかじめかけておく力です。そして彼のことを強姦魔だと告発していた人たちは、巻き戻りが起こることもなく、一人また一人と老衰で死んでいきました。彼の無実が証明されたのです。……もう何十年も前に、彼は死んでしまったわけですが。……おしまい」

「なるほどね。いや、面白かった……!」

 そう言う先輩は普段とさほど表情が変わらなかったけれど、とはいえ退屈だったというわけでもないらしい。ぼくとしてもそれなりに満足だ。自分が書いた話だというわけでもないのに。

 ふと、先輩が今思いついたかのように言った。

「けれど、寿命の巻き戻しとは、病気を治すことと違って、悪い面が大きくないかな。記憶がどうなるのか知らないから望まない「二週目」についてはさておき、少なくとも赤ん坊にはもう親がいないじゃないか」

 実際今思い至ったのだと思う。すると先輩は鋭いというより、賢いのかもしれない。一を言えば十まで分かるタイプか。

「そうです。だから巻き戻りは作中でも「呪い」と言われていました。告発していた女性以外が呪われるなんて理不尽ですけどね」

「そんなものだと思うよ、呪いなんて。俺を庇わなかった女どもはみんな敵だーって感じなんじゃない?」

 そのあたりは作中にも書かれていなかった。が、先輩の言うことはなぜか当たっている気がする。根拠はないけれど、男女関わらず、人を呪う人間なんてみんな、全てを敵視しているんじゃないかと。

「ところでさ」

 楽しそうに、笑みを浮かべて、

「君は、私の死体が転がってたらどうする? 誰も見ていない場所にさ」

「縁起でもないこと言わないでください」

 先輩は目を丸くした。

「君に言われるとは」

 はたしてぼくは今まで、縁起でもないことを言ってきただろうか。……言ってきたかもしれない。

「で、どうなの?」

「続けるんですかその話」

「気になっちゃったから」

 恋バナでもするみたいに言ってくれる。いつか先輩に自虐ネタが増えた気がした日があったけれど、これもぼくからの影響だというのか。

 例えるならそう、ぼくが昔「四肢欠損の女性を性的な玩具扱いする趣向の本が世の中にはあるんです」と話した時、あの時に「君もそうなの?」と聞かれるような感じだ。先輩はそこまでは言わなかった。

 ……先輩はぼくという人間そのものには興味がない、という前提が間違っていたのか? あるいは、前提が崩れてきている……?

「もしも、明らかに死体だとわかる状態なら」

「うん」

「持つでしょうね」

「持つ?」

「前にも言ったじゃないですか」

 彼女から目を逸らして、窓の方を見ながら言う。

「先輩みたいな人って本当に軽いのかなって」

「あぁ、懐かしいね……!」

 そうかそうか、と彼女は何度も頷いた。

「ぼくからも質問いいですか?」

「なんだい?」

 手元の本の、表紙を見ながら。

「先輩って、やっぱり本は読まないんですか?」

「読まないよ」

「不思議ですね。ぼくの読んでる本にも興味ないんじゃないですか?」

 すると先輩は、バツが悪そうにクスりと笑う。

「あぁ、今日は」

 バサバサッと、紙の束が音を立てる。部誌の見本が踊っていた。

「その本を見た時、これ、売れても29部くらいかなと思って」

「あー」

 納得してしまった。そう言われてみるとこの本の表紙は、不吉な予言の書のようだった。中に書いてある内容に関係なく、「29」という数字だけが浮かび上がって見える。

「君が何も書いてくれなかったから、きっと売れない」

「ぼくが書いていたら、今頃逆のこと言ってません?」

「あはは」

 思い出される。ぼくが九月の最後の登校日に「書けそうもない」と伝えると、「きちんと期限内に伝えてもらえて助かる」と褒められたのだ。むしろもっと時間に余裕を持てと言われるかと思ったのに。

 先輩はスマホで何か操作して、「凪にこれで良いと伝えたよ」と言った。それで部誌の見本は鞄に仕舞われる。

 ぼくも先輩も、この部誌にかける思いなんか、夏休みの宿題で書いた読書感想文に対する物のような、あるのかないのか分からない思い入れしかないだろう。凪先輩と、その他の部員たちもそうであることを祈る。でないと気の毒だ。あるいは、誰も顔を出さないのが悪いのかもしれないけれど。

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