魔法少女をやめ大学生になった水波レナが、十咎ももこと一緒に秋野かえでに会いに行く、その道中の話。

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道中にて

 気がつけばレナ達の乗った軽自動車はとっくに高速道路から外れていて、真っ平らな田圃が続く田舎道をゆっくり走行していた。FMラジオでは可愛らしい声の女の子が誰かの投書を読み上げていて、運転席に座るももこの控えめな鼻歌がエンジンの振動に合わせてレナを揺すぶった。レナは眠っていた体勢のまま、何もない殺風景な通り道をただぼうっと眺めていた。

 かえでの家に新年の挨拶をしに行こうという話をしたのは、今から一週間ほど前のことだった。ももこを追いかけて市外の大学へと進学したレナは、あっという間に大学三年生の冬休みを迎えていた。通学の都合という口実を使ってももこと同じアパートに押しかけたレナは、大学内での孤独を旧友によって発散する日々を送っていた。やりたいことも無く、漠然とした将来への投資というだけの目的で進学したレナには、ただ卒業要件を満たす為に単位を修得する以上のことを大学に見出すことが出来なかった。三年生も終盤という状況において、多くの同級生たちの会話にも就職の二文字がちらつく時期であったが、普段気軽に交流を図るような友人が居ないレナは幸か不幸か焦りを感じることも無かった。同じアパートに住むお節介な旧友も大学二年生の時に彼氏を作り、それからは何となく距離が出来たような気がしていた。その日は久しぶりに二人きりで、ももこの部屋の中で安い缶ビールを飲み交わしていた。

「ああ……そういえば、かえでとも随分話してないわね」

 かえでもレナ達の旧友で、中学生の頃は仲良し三人組として知られていたような仲だった。レナとは同い年であるが、高校生の時分にアルバイト先の花屋で出会ったとある男性と純情な恋に落ち、そのままあれよあれよという間に身を固めてしまった。元々自然が大好きだったかえでは、今ではどこか名前も聞いたことの無い片田舎で自然に囲まれた生活をしている……らしい。レナもももこもその様子は時折送られてくる写真でしか知ることができないのだが、都会の片隅で爛れた大学生活を送っているレナには幸せそうな手紙があまりに眩しいものだった。そんなかえではどうやら最近になって子宝に恵まれたらしく、メールで送られてきた写真を二人で顔を突き合わせて犯罪じゃないかと眺めていたのも記憶に新しい。レナは甘い匂いのする煙草の煙をふかしながら、テーブルの上に乱雑に広げられたチー鱈をひとつ摘んだ。

「だろ? アタシも一回くらい、かえでの家を見てみたいし」

 ももこは特に目的もなく、年末に向けた特番ばかりが流れるテレビのチャンネルを回していた。レナは時間を確認するためにスマートフォンの画面を点灯させた。ロック画面に設定してある中学生時代の三人組が、虚ろなレナの顔を見て笑っていた。

「……ん? あれ、やちよさんだ」

 ももこのその声で、レナもテレビに目を向けた。画面の中ではバラエティ番組の真っ最中で、どこかで見たことのある顔に囲まれた中で七海やちよが笑っていた。やちよはレナ達がまだ魔法少女だった頃に知り合った先輩であった。一、二年程度で殆どが脱落するという厳しい魔法少女社会において、出会った時点で既に五年以上の時を生き抜いていたとんでもない人間だった。雑誌の読者モデルを兼業し、その上で大学の単位を一つも落とさずに卒業したというのだから、大学生以上の要素を持たない癖に単位をいくつか落としているレナには到底信じられない存在である。魔法少女をやめた後は芸能界に入ったと風の噂で聞いていたが、レナとはそれきりの仲だった。ももこは今でもたまに連絡を取り合っているらしい。テレビの中でコメントを述べるあの綺麗な女性が、何の取り柄もないレナと一瞬でも関わりがあったというのが不思議な話だった。ももこはにやにやと笑いながらスマートフォンを操作して、どうやら本人にメッセージを送っているらしかった。レナは少し居心地が悪くなって、一言断ってトイレを借りた。ユニットバスの扉を開けると、目の前に鏡のついた洗面台があって、アルコールで少し赤らんだレナの情けない顔が映った。溜息を吐きながら扉を閉め、もう一度鏡を見つめると、見慣れない影が鏡の中に映っていた。

「やあ、レナ。久しぶりだね」

 鏡の中の台の上に、キュゥべえが座っていた。年頃の女子ウケが良さそうな外面をしているキュゥべえは、悔しいが未だに可愛らしく見えるのだった。その正体はインキュベーターという地球外生命体らしく、エントロピーだかエネルギー問題だかという小難しい理屈を延々とこね続ける分からず屋である。魔法少女になる素養があるかキュゥべえが選んだ人間にしか見ることができず、レナも高校生辺りですっかり見えなくなっていた筈だった。レナは思わず振り向いたが、現実世界の台の上にはただシャンプーやリンスが置いてあるだけで、キュゥべえの影も形もなかった。しかし鏡の中では毛繕いでもしているかのようなキュゥべえが、じっとレナの方を見つめていた。

「……何の用?」

 口に出して、そういえばキュゥべえには言葉を口に出さなくても通じるのだ、と思い出した。

「僕が会いに来る用事なんて、一つしかないだろう?」

 レナはキュゥべえの無感情な声が嫌いだった。キュゥべえが本当は人間になど何の興味もなく、ただ感情をエネルギーとして得る為だけに利用している事を知った後は尚更だった。レナがキュゥべえと契約を交わしたのは、中学二年生の時だった。その頃のレナは今よりもずっと根暗で、自己嫌悪が服を着て歩いているような人間だった。当時のレナは行きずりのキュゥべえに対して、自分以外の人間になりたい、という願いをして、魔法少女となった。魔法少女という言葉は、レナの中で未だに眩い輝きを放っていた。それは若気の至り以外の何物でもなかったが、その後の人生を顧みると、契約のお陰で現在に続くももことかえでとの出会いがあった訳なので、その判断はやはり成功だったと思えた。

 暫く無言のままだったレナは、扉をノックする音で気が付いた。ももこの少し心配そうな声を受けて、レナは適当な返事と共に扉を開けた。ももこは鏡を見やっても、キュゥべえの存在には気付いていないようだった。

「……忘年会でお酒を飲まされること、ありますよね? 。わたしもあまりお酒が得意じゃないんですけど、注がれるとほら、飲まないといけないなあって思うじゃないですか……」

 ラジオの向こうの甘ったるい声は、どこか昔に聞いたアイドルのように聞こえた。何日か前、レナは彼氏が同級の男友達と旅行に行ってしまったというももこに半ば引き摺られて、安い居酒屋で忘年会をした。アパートの自室ですっかり全国区にまで勢力を拡大した史乃沙優希のラジオを聴いていたレナは、防寒具一式と財布を持たされてももこの自棄酒に付き合わされた。邪魔をされたことは不服だったが、ももこから誘ってくれたことは嬉しかった。しかし何杯かビールを煽ったももこはすっかり出来上がり、口を開けば彼氏の話しかしない面倒な酔っ払いに変貌したので、レナはやっぱり付いてきてしまったことを後悔した。そんなももこのやたらと大きい声を適当に受け流していると、ふとももこが入り口を見てでかい声を出した。

「あー! お前ら!」

 それでレナも入り口のほうを見ると、よく似た顔をした二人の女性がももこを見て固まっていた。お揃いの月のアクセサリーを付けた二人には、レナも見覚えがあった。魔法少女の頃に知り合った、天音姉妹だった。そのまま二人もももこに引っ張られて同じ席に座ることになり、ももこの隣の席に座った姉の月夜は酒臭さに顔を顰めていた。二人は魔法少女の頃はレナ達と敵対する関係だった上、魔法少女をやめた後はあまり関わることもなかったが、多少は話した程度の関わりであっても神浜の外での再会ということで旧交を温める気になったようだった。レナは隣に座った妹の月咲と安酒で乾杯をして、当たり障りのない世間話をいくつかした。

「……で、あんたたちは今何してんの?」

 話の流れの中で、レナは何となくそう聞いた。

「ウチも月夜ちゃんも、パートで働いてるよ。レナは……大学生だっけ」

 うん、とだけ答えた。話に聞くと、天音姉妹は二人揃って高校卒業と同時に駆落ちをして、神浜から出て行ったらしい。その後は偶々この町で安いアパートを二人で借りて、細々と暮らしている。「給料も安いし、生活も楽じゃないんだけどね」と言って、月咲は笑った。レナはなんだかいたたまれなくなって、ふいと顔を逸らした。対面では月夜がももこに絡まれていて、助けて欲しそうな目でこちらを見ていた。

「……後悔とか、してないの?」

「してないよ。ウチはあのまま神浜にいたら、きっとそのまま潰れてたし。今が一番幸せなんだ」

 ちょっと疲れた顔で笑う月咲は、きっと魔法少女の事なんて何も気にしてないんだとレナは思った。

 がたん、と揺れた車内で、レナはなんとなく顔を上げた。田舎の道は何も変わることなく延々と続いていた。

「お、起きた? もうちょっとで着くよ」

 隣のももこがレナの方をちらりと見てそう言った。レナは短く返事をして、体を起こしてシートに座りなおした。ホルダーに入りっぱなしのペットボトルの水を飲むと、少し強めの暖房で乾いた喉によく染みた。レナはバックミラー越しにももこの顔を眺めていた。

「ねえ、ももこ」

「ん?」

「向こうに着いたらさ、三人で写真撮ろ」

「いいねえ、それ」

 レナを乗せた軽自動車は、かえでの家に続く山道を登って行った。



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