「殺し屋、か…」
誤解はしないで欲しい。依頼をするために探しているわけではないのだ。
ストローを吸えば、特製フルーツジュースのさっぱりとした甘さが喉を潤す。結局、持ち込んだ本の内容は頭に入ってこなかった。周囲を見渡しても、穏やかな時間を過ごしている老人、スーツ姿の生真面目そうな男性、華奢なティーカップ片手に会話に花を咲かせているご婦人方しかいない。目当ての殺し屋さんはいないようだった。
子ども達から得た情報は多かった。
外国人カップルの名前は、ジョディ先生にアンドレ・キャメルさん。ジョディ先生と呼ばれるその人は、元高校の英語教師でとても強い女性とのこと。なんでも少年探偵団はバスジャック事件や銀行強盗も一緒に解決したとか、していないとか。
そしてアンドレ・キャメルさん。殺し屋のような風貌で、以前ニュー米花ホテルで起きた殺人事件の容疑者として疑われたらしい。それにしても、少年探偵団は物騒な事件に巻き込まれすぎだよね。残念ながら、探偵団の諸君たちは彼らの居場所はわからないと言っていた。
けれど、キャメルさんは時間が空くとニュー米花ホテルの階段をトレーニングに使っていて、トレーニング後は毎回屋上のレストランで休憩をしているらしい。その話を聞いた僕は、住まいをニュー米花ホテルに移動したのである。それからというもの、暇があれば屋上のレストランに張り込みをしている。
しかし子どもたち曰く目つきの悪い、まるで国際指名手配犯の殺し屋のような人相の男性は未だに現れていない。「絶対にすぐにわかりますよ!」と自信満々に教えてくれたけど、殺し屋のような顔ってどんな顔だろう。見ればわかる、とは言われたもの、そろそろレストランのメニューも全部制覇しそうだ。もちろんおすすめは特製フルーツジュースである。果汁100%だ。おいしい。
一番店内を見渡しやすいこの席は、いつの間にか僕の指定席になっていた。何も言わなくても案内してもらえるようになったので、ありがたい。流石大きなホテルということもあって、フロアの通路を利用する人も多い。
その時であった。殺し屋さんが、レストラン前の通路を足早に進んでいたのだ。
(……いた)
今なら少年探偵団のみんなが言っていたこともわかる。たしかに、殺し屋っぽい。
その男の人はひたすらに黒だった。
黒いコート。目深に被られた黒い帽子は表情を隠している。見るからに怪しい。まるで世を忍ぶ殺し屋ですと宣伝しているような格好だ。(忍んでいるのに宣伝ってよくわからないけど)それに、ちらとしか見えなかったけど、銀の長髪の隙間から覗いた瞳はぞっとするような冷たさがあった。背筋にぞわぞわと悪寒が這う。あの人はきっとこわい。恐ろしい人に見える。…でも、そうも言ってはいられない。それに、人を見かけで判断するのは失礼なことだ。あの人が、きっと、アンドレ・キャメルさん。大丈夫、子どもたちも、見た目は怖いけど良い人だったと教えてくれた。
その人を追いかけるべく、慌てて立ち上がり伝票を手にする。急がないと。
いそがなきゃ、はやく、それで――
はやる気持ちばかりが先行してしまい、注意を怠ったからだろう。
「あっ、」
「えっ‼」
ゴトンとガラスの倒れる音が響く。他のお客さんのグラスが、倒れたのだ。
避けたはずだったのに、ぶつかったらしい。背の高いグラスからは、アイスコーヒーと氷が一緒にサラサラと流れてテーブルを汚していく。僕が通りすぎたタイミングで、倒れたということはそういうことなのだろう。やってしまった。
生真面目そうに見えたスーツ姿の男性は、先程までキリリと上げていた特徴的な眉を下げて慌てて立ち上がっている。彼のスラックスには床から跳ね返ったコーヒーで茶色いシミが所々にできている。あー、悪いのは僕だ。ああ、もう。ごめんなさい。もちろん、まだあのキャメルさんを追いかけたいと思う気持ちは冷めないが、このまま駆け出すことも出来ない。
男性に謝罪とクリーニング代を支払うことを申し出れば、目立たないので問題ない、むしろ急いでいるところを引き止めてしまって申し訳ない、と丁寧に謝られた。
結局、クリーニング代も受け取ってもらえないまま、彼はこのあと予定がありますので失礼します、とメガネのブリッジを抑えながら去ってしまった。
名前と連絡先くらい聞いておけばよかった、と反省しても後の祭りだ。
行き場のなくなった視線をふと携帯に目線を向ける。あ、そういえば最近透くんからの連絡がぱったりと止まってしまったのだ。探偵業が忙しいのだろう。無理に連絡を取って相手の負担になるくらいなら、待つ方がよっぽど良い。必要があればきっとまた連絡をくれるだろう。
「用心をして、くださいね」
眼鏡の彼が去り際に残した言葉だ。そりゃあ、こんなことがあったのだから一言モノを申したいのは当たり前だろう。けれど、彼が伝えたかったのは別のことらしい。僕はそのことを知る由もなかったけれど。
◇◇
side kazami
風見裕也は優秀な警察官である。それも、ごく限られた人数しか接触することが出来ないゼロに属する人物と接触が可能なほどに。
「……」
「珍しく荒れていますね、どうされたんです?」
処理するスピードもいつもと変わらず迅速だ。しかし、静かに書類を整理している上司の雰囲気がピリピリしていることは長い付き合いの部下はきちんと感じ取っていた。ダブルフェイスをこなす上司が、久しぶりに登庁をしたと思えば、絶対零度の様子で殺伐としているのだから部下として心配をしてしまうのは仕方の無いことだった。
触らぬ神に祟りなしとは言うが、この人の場合は溜め込みすぎている案件が多い。
少しでも心労を取り除くことが出来れば、とつついたのが凶だった。
「…普通、毎日メールやメッセージが届いた相手から突然連絡が途絶えたらどう思う」
「…なにか、あったかと心配するのでは?」
「そうだよな…。そうなんだよ。それが当たり前だ。一般的な解答だ」
あっ、これは本当に触らないほうがいい案件だったな…プライベートなことだろうか。残念ながら出払っていて執務室には自分と上司しかいない。退路も閉ざされている。
「ええと、」
「連絡が来ないのなら、電話の1本なり、メールの一つでも送ってきてもいいはずなのに、こない!」
珍しいこともあったものだ。この人も、人間だったのか。ほんの一部を除き(赤い色はNGが合言葉だ)強い執着を見るのは初めてだと、風見裕也は驚いた。
つまるところ上司こと、安室透改め降谷零は怒っている。
◇◇
降谷零は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐で脳天気な訳の分からない男を自分の心から除かなければならぬと決意した。降谷零にはわからないものなど、なかったのだ。降谷零は、公僕である。部下を指揮し、喫茶ポアロで茶を入れ、組織では探り屋として活躍をして来た。けれどもこの持て余した感情に対しては、人一倍に敏感であったのである。
ユーリの寝言を盗み聞きしてしまった時から、かき乱されていた心はさらに荒れた。冬の日本海ぐらい。心臓を貸したのも、安室透だから頼られたのではない。あの男にとっては誰でも良かったのだ。そうに決まっている。
無性に腹が立って、毎日送り続けいていた連絡をあれ以降は突然やめた。少しぐらい慌ててしまえ、と思ったのだ。それなのに考えれば考えるほど「え~?そういえば連絡来ないねえ、忙しいのかな」とほのほの笑って気にもしていないユーリが脳内をよぎる。そして、引っ込みがつかなくなってしまったのだ。もう1週間も、一方的に怒り続けて音信不通にしている。
「…むしろ相手にも何かがあったと考えてみては?」
「いや、それはない。くそ…俺だけが意識しているみたいで、腹が立つな…」
やけに即答したのが気になったが、気にすべき点ではない。上司は怒りを顕にして目の前の書類をグシャグシャに丸めた。ああ、シュレッダーにかけるときに丸まった紙は直さないといけないのに。まるで、恋人と喧嘩をして相手からの謝罪を待つ女性のようだとは聡明な部下は口に出さなかった。
いつも去る者追わずの上司が珍しい。それに、こんなにも感情をあらわにする事も。女性関係のトラブルだろうか。あんなに整った顔立ちの上司でも悩む事があるのか。純粋に、部下である風見裕也は驚いた。
上司は忙しいのだ。優秀な頭脳に狂いはないはずだが、疲れているのだろう。薄々気がついていたが、上司は変なところで、そう、面倒なところがある。風見は眼鏡のブリッジを触った。
その後、女性関係の問題ではなく目的のために近づいている人物がいると説明され、仕事の都合でニュー米花ホテル内のレストランで遅めのランチを摂っていれば、渦中の人物がまさに同じ空間にいたのだから驚きだ。
こっそりと様子を観察していたが、その視線の先に、上司の潜入先組織の幹部である、要注意人物の『ジン』がいたのも。
店員にトレーニング帰りの外国人男性は来ていないか?と訪ねる様子をみた時には、降谷さんに報告する内容ができたな、これであの人の問題が解決できれば…と思ったが物事はうまく進まない。人を探していることは判明したが、彼が探し人だと判断した相手が悪すぎる。あれは絶対に彼が探している人物ではないだろう。
しかし、聞こえてしまったのだ。彼が「いた」と小さくつぶやいたのが。よく見ろ、あれは見るからに本物の殺し屋だ。どこがトレーニング帰りだ。君が探している人物像は殺し屋なのか?たしかに外国人男性だが、脳みそを働かせてくれ。自分の安全を省みろ。祈る心はもちろん届かない。ユーリ氏は本物の殺し屋を追いかけに、伝票を掴み立ち上がってしまった。
引き返せ、君が探しているであろうトレーニング帰りの外国人男性ではない。どこにトレーニング要素があるというのだ。明らかに違う。自分たちが秘密裏に仕事として動いている時には、滅多に姿を現さないというのになぜこんな真昼間に、このタイミングで、ニュー米花ホテルにいるんだ!と口が裂けても言えないような叫びを脳内で吠えながら、組織幹部が現れたことを上司に報告をした。この間わずか30秒ほどである。彼は優秀な警察官だからだ。
そして、あの上司が意識をしている彼が通り過ぎるまであと数秒ほど。ああ、まずい。周囲の状況も確認しながら、多くものを天秤にかけた。一般人の脳天に風穴があくか、この場で多少目立つか。
まったく、市民の日常を守る存在とは損な役回りだらけだ。そして、風見裕也は腹を決めたのである。
ゴトン。