04
僕はよくシュウ君の家に行く(正しくは押しかける)けど、その逆は多くはない。彼は一人暮らしで、僕はおばあさまと二人で暮らしているからだ。
それでも、彼が自発的にこの家に訪れることはある。
1つは食事。
いつの間にかぼくのおばあさまと仲良くなっていて、夕方頃に呼び鈴がなり「そういえば、今日はシュウちゃんが来る日ねえ」なんて、いきなり聞かされ驚くことも少なくない。おばあさまはとても顔が広い方なので、友達がたくさんいる。僕の知らない間にシュウ君と交流を深めていたことは流石に驚いたけど、おばあさまの友達は老若男女だし。
可愛らしいクラシカルな食器に盛り付けれられた食事を、丁寧な所作で口に運ぶシュウ君の姿は初めのうちは不思議だったけど、食卓を囲む人数は多い方がよい。
それに、シュウ君の食生活はそれはもう……ずさんなのだ。自分で包丁を握ったことがない僕に心配されてしまうほどである。煙草はご飯ではないし、カロリーメイトでは満足な栄養は得られない。
そしてもう一つ、彼が僕の家を訪れる理由がある。これは喜ばしいことでは、ないけれど。
「わ、窓から入ってくるのは危ないよ!」
「ユーリは無用心だな。侵入者が現れたら、どうするんだ」
「今、まさにシュウ君に侵入されているよ⁉」
「……」
「…ってうわ!また派手にやってきたね、まってて」
シュウ君の来訪。それは、喧嘩っ早い彼が怪我をした時である。
痛い思いをする彼を見るのは嫌だ。けれど、それを隠されるほうが、もっと嫌である。訪ねてくれるということは、それなりに頼られていると思いたい。
せっかくの端正な顔立ちは、いつも以上に男前になっている。唇の端から血が流れ、右頬も打撲痕があった。よく見ると腕にもちいさな切り傷まである。うわあ、刃物を持った奴を相手にしたのか。出血自体は多くないけれど、皮膚が切れているので、消毒は必要だな。顔周りの皮膚は薄いから、すぐに腫れる。それも、どうにかしないと。
「ほら座って。あとこれ当てて」
「ん」
今日も無事に帰還して、屍の山を作り上げたらしい。
シュウ君は自分でもいうほどめっぽう強いらしいので、サシで負けることは絶対にないとのこと。(実際に立ち会ったことはない)売られた喧嘩は丁寧に買ってしまうので、いつのまにか、このあたりのゴロツキやらヤンキーを集めてしまい、最近では一対十数人もザラだとか。
彼は自分自身のことにはどこか無頓着なところがある。彼の部屋には、消毒液なんてないし、包帯もないのである。なので、以前、立派な切り傷をそのままにしている状態の彼をみて叫んだ僕は、これくらい平気だと突っぱねる彼を自宅まで引っ張り治療した。
本人曰く怪我なんて唾をつけておけば治るらしい。そう言ってのけた口は引っ張りの刑である。
無理やり手当をしてからいうもの、怪我をするたびに、時間に関わらず僕の部屋までやってくる。ここ二階なんだけどね。運動神経すごいなあ。するする~っと、庭の絶妙な配置にある幹のしっかりした桜の木を登ってくるのだ。
玄関を通らないのは、うるさくしておばあさまを起こさないように、っていうのと怪我をしている姿を見せて驚かせたくないらしい。その配慮を彼自身に向けてほしい。あと僕にも。できることなら、もっと心穏やかに生きて欲しい。
こうして怪我をして部屋を訪れるシュウ君は、なんだか……瞳がギラギラしている。それに僕だって血とかめちゃくちゃこわい。見るだけで痛い。僕が痛くなってくる。
音を立てないように慎重に詰めてきた氷嚢を渡せば、冷たさに思わず眉をひそめていた。そうだね、シュウ君は冷たいのとか、寒いの苦手だもんね。でも冷やさなきゃ明日にはもっと男前になっちゃうのをわかっているからか、難しい顔をしながら無言で右頬に当てている。
「大丈夫?痛いよね」
「痛くない」
いや、痛いだろ…。むっすりとした彼は不満げである。
「今日は何人だったの?」
「わからん。途中から数えるのをやめた。クソ……最後にあの野郎のツラに、唾でも吐いてくりゃよかった」
「えーとなんだっけ。なんたらケンポー?で今日も勝ったの?」
「当たり前だろう。ジークンドーだ。あいつらが束になっても負ける気はしないし、いい加減に俺に勝てないことを学んで欲しいものだ。って、痛えな!」
「消毒は染みるもの!今の、俺には勝てないぜ云々って本人たちに言ったんでしょ……そりゃ逆上して毎度押し寄せてくるよ。これで少しは反省してよね」
「俺は悪いと思っていない。喧嘩を売ってくるアイツ等が悪い……」
ここまで全てヒソヒソと囁く程度の声量である。あんまりにも血の気が多すぎるので、消毒脱脂綿を予告なしに当てれば相当しみたようで怒られた。だけど僕だって怒っているんだからね!
そのあとは、当たり前のように僕のベッドへ潜り込もうとしたシュウ君を、丁重にソファーへと案内した。こういう時に、一緒に寝るとあんまり良いことが起きない。おやすみなさい。髪をするりと撫でてあげれば、難しそうに寄っていた眉間のシワがすこし薄まった。
朝、寝苦しさに目を覚ますと、ソファで寝たはずのシュウ君の顔が、視界いっぱいに広がっていた。どうやら暖を取るために、結局潜り込んできたらしい。
◇◇
Side: Shuichi
「ミスター!大変だ!」
アコーディオンの仕事は休み。夕日で照らされる街をふらりと歩く。
いつかのクソ野郎に絡まれたら、その顔面に唾でも吐いてやろうか。それとも、物好きなアイツに会いに行こうか。そうだ、それがいい。映画フィルムが5番街で上映されるという案内ポスターがちょうど視線の先にある。たしか、ユーリが見たいと言っていた作品である。近くには日本食のチェーン店もあるらしいから喜ぶだろう。
秀一の冒されている熱病は変わらず治らないままであったが、穏やかな心地よさに浸る安らぎに価値を見出していた。共に過ごす時間の、楽しさも。
無自覚のまま、ぼんやりとこれからの予定を組立てながら、迎えに行く道をたどっている時だった。
突然前に飛び出してきたのは、見たことのあるような、ないような、ホームドラマに出てきそうな枠にはまったそばかすの小太り野郎。誰だったか。
「やっぱり覚えていないね!わかってましたけど!ほら!ユーリんちの近所に住んでるドミニク!ドムってユーリは呼ぶんだけど覚えてないかい?前に君がユーリの家にいるときにも、カリフォルニアに住んでいるおじさんが持ってきてくれたオレンジを持っていったんだけどなあ!」
「さっぱり覚えがないな。それで、そのご近所さんとやらがなんのようだ?」
「オーウ!君って興味のないことはとことん興味がないんだね!べつにそれは今話し合う論点ではありませんけどね!」
興奮し、これでもかというほどの早口でべらべらとまくしたてる。ほかにもぐちゃぐちゃと言っていたようだが騒音として聞き流れていった。絶対にこいつとは上手くやれそうにないな。すでに、秀一はイラついていた。
「結論からいえ。ただ長話がしたいだけなら、帰ってテメエのママにでも付き合ってもらうんだな」
「悪いニュースだ!ユーリが連れて行かれた!」
「それをはじめに言え。場所は!」
「わからない!でもキャップをかぶったガタイのいい奴を中心に5人くらいに囲まれていましたぞ!しかも首元にジャラジャラしたやつを!ぼくは知っております⁉たしかこの辺のヤンチャな奴らがボスと慕っている!あんな連中みるからにユーリの趣味じゃあないだろう!なら君関連しか考えられませんな!どうしよう!ユーリがリンチされちゃうよ!ってああ!もういない!足はや‼あっ、ぼくのバイクちゃん!どうぞ、ユーリと、バイクちゃんを、くれぐれも、ご丁寧にー!」
◇◇
熱い汗で、濡れた髪の毛が頬にはりつく。
ユーリは思い切りこそいいが、それは暴力にまったく当て嵌まらない。むしろ向かないくらいだ。本人は否定するが、あの細っこい腕なんて、ちょっと乱暴に
したらすぐに折れてしまうだろう。白い肌が血に染まっていたら。それに、あの指から紡がれる色と、繊細な加減で描く線は誰にも真似は出来ない。身体は熱いのに、冷えた頭は悪い想像ばかりが秀一の脳裏をよぎった。
この地域のそういうしろ暗い奴や、暴力で物事を解決しようとする奴らがたむろしている人目につかない場所はだいたい知っている。めぼしいところを回って数件目。古い建物が並ぶこの地区は、バイクも通れないような、目立たない細い小道が多い。
小道の手前でバイクを降りれば、あのやわらかい声色が聞こえてきた。近い。――秀一は、脇目も振らず駆け出した。
「ユーリ‼」
「えっ…?シュウ君?」
「ゲ!やっぱり奴が来たか!そそっかしいドムのやつが見ていたから、まさかとは思ったが、こうも現実になるなんて!」
Side: Yuri
突然の友人の登場にユーリは目を白黒させた。あれ?なんで?いつも涼しそうな顔をしているのに、シュウ君のひたいには玉のような汗が吹き出ていて、息も荒い。そうか、彼はここまで走って駆けつけてくれたのか。しかし思いつくことは何一つない。それに、目の前の依頼をしてくれた彼も頭を抱えて天を仰いでいる。ジーザス、だなんて。なにかあったのだろうか。
「おい…このふざけた集まりはなんだ…」
「やめろ、完全に誤解だ‼まて!近づくな‼」
「…ああ!彼の年の離れた妹さんが僕の絵本のファンなんだって。へへ。サインが欲しいってわざわざ来てくれたんだよ!でも恥ずかしいから、人目につかないところで書いて欲しいって言われてね。まさかこんなに近くにファンがいてくれるなんて嬉しいな」
そう、見た目はちょっと派手で驚いたものの、妹思いのお兄さんらしい。彼の友人さんたちも何を介して知ったのか、サインをして欲しいと集まってくれたのだ。ちょっと照れる。どうやら彼らはシュウ君の知り合いだったよう。そしてシュウ君が彼らにどんどん迫っている。仲が良いなあ。
「ホゥ――?」
「俺らとお前は確かに何度も拳を交わした間だが、あんたのダチに手を出すほど俺らだって腐っちゃねえよ!頼むからこっちに来るな!あんたの技は初手で殺ろうとする気満々だから危なくてしょうがねえ!ユーリさん!この狂犬を抑え、グアッ!」
空気を裂くような鋭さがある拳は、彼らが助けを求めたユーリの目には映ることはなかった。
「ユーリ、時計は確認したか?」
「あ、もうこんな時間!急がないと。ごめんなさい、失礼しますね。妹さんによろしくお伝えください。あ、今日来る?」
「ああ、ちょっと野暮用を済ませてから行く。なに、5分もかからないから先に帰っていてくれ」
「りょーかい」
パタパタと慌てて駆ける友人の背中を見送る。秀一は特別に虫の居所が悪かった。いろんな感情が複雑に混じって、自分でもどう処理をすれば良いのかもわからない。ただ、わかるのは、すべてこのクソどもが誤解をさせたせいだ。秀一は、力任せにボロボロの屍を積み上げ、「二度と近づくな」という言葉を吐き去った。
◇◇
「そういえば、さっきものすごく急いでたけど、なにかあったの?」
「……忘れた」
その日秀一が感じた複雑な感情は、夕食のトマトシチューとともに胃の中に飲み込まれてしまったので、ユーリが知ることはきっとない。それでもたしかに感じてしまったのだ。願ったこともない神に柄でもなく祈ってしまった。心を繋げ、懐に入れる。それは満たされ、あたたかく、幸せなことでもあると同時に、恐怖でもある。入れ込むほど、自分にとっての弱みが大きくなることと同義だ。これからも似たような出来事、もっと最悪なことも起こるかも知れない。それでも、失い難いと思ってしまったから、どうしたものか。
例の件に巻き込むつもりは一切ない。しかし、若く、未熟で、満たされる感覚を知ってしまった彼には、この友人との縁を切る未来は、想像することもできなかった。