まだ物心ついたばかりの時期、姉と二人でたびたび悪いことをした。家のものを盗んだり壊したりといったことから、外に出れば昆虫や蛙などをいたぶって殺めることまで様々。学校でもガラスを何枚も割った。姉は直接手を貸すことはなかったが止めることもしなかった。普段忙しかった父に代わり、悪さの後は母から叱られそれでおしまい。次の日にはいつも通り悪事を働く。そんな毎日がずっと続いた。
そんなある日、確か6月の蒸し暑い日だった。両親がいない間に、姉と二人で家の倉に忍び込んだ。そこは家に代々伝わる古物、骨董品が納めてある宝物蔵である。子供にはそうした品の金銭的価値はわからない。しかし別の意味で好奇心をそそられるものがあるではないか。私は高価そうな掛け軸や壺、皿や茶器には目もくれない。視線の先にあったのは、鎧兜。そして刀である。私はまず兜を手に取り頭に被る。次に刀に目をやった。黒の鞘をつけたものもあれば、茶色いものもある。しかし、私が選んだのは赤色の鞘をつけた刀だった。理由は言うまでもない。赤は一番強そうで格好よく見えるから。まるでそれを持っているだけで最強の侍になれた気がした。
興奮の絶頂に達した私は、一瞬たりとも躊躇うことなくその刀を持ち出した。重かったが、鞘から抜いて試しに振り回してみた。漫画で見た、刀を持って敵と戦うシーンを思い浮かべながら技を繰り出す。といっても、剣術など学んだことのない子供が繰り出す技など滅茶苦茶で技とは呼べない代物だったが。
姉は、危ないから戻しておけと言う。しかし楽しくて仕方ない私が姉の忠告など気にするはずもない。加えて、手には刀がある。今ならば何者にも負けはしない。そんな気持ちがあった。
私は姉を一瞥もせず倉から飛び出し、庭に出た。そして、目に入ったのはそこに植えてある花や観葉植物。後から知ったのだが、母が大切に育てていたものらしい。そこで私の脳裏に浮かんだのは、当時好きだったアドベンチャーゲームだった。主人公が棒状の武器を持って敵を倒したり、植物を斬って実を取り、体力を回復する。そんな光景を思いだし、刀構えるや否や目の前の植物たちを滅茶苦茶になぎ倒していく。右から。左から。斜め上から。瞬く間にそこらじゅうに花弁や葉が散らばり、ひどい有り様だ。ゲラゲラと笑いながら凶行に及ぶ私。なぜそんなに楽しかったのか今ではよくわからない。が、そんな私をさすがの姉も見ていられず、しばらくして止めに入る。そんなときだった。
背後から凄まじい怒鳴り声がして振り返ると、そこにはいつのまに帰ってきたのか、母が立っていた。たった今まで自分がしていたこと。そして目の前の惨状。それに使われた凶器。言い訳しようのない現行犯…私は姉の手を振り払って逃げようとした。しかし門はすでに閉じられており、あえなく捕縛される形となった。
当然と言えば当然だが刀は取り上げられ、大広間に姉と二人で連れてこられて説教の時間が始まる。姉は知らないが、私は説教など全く聞いておらず内容も右の耳から左の耳に抜けている状態だった。そんな態度が露骨に出ていたのか、母は突然机をバン!と叩く。もう手遅れだった。母の怒りが注がれるときだったのだ。
我々は悪鬼のような強い力で腕を掴まれ、そのまま監獄へと連れていかれた。監獄とは家の地下室のことである。私たちは問答無用でそこに放り込まれた。ここまできてようやく事態の深刻さを実感する。こんなところに連れてこられて、もしや殺されるのではないかと思った。何かの映画だったか、それともドラマだったか、あるいは漫画だったか、地下室で人が殺害される場面がとっさに頭に浮かんだのだ。もうおしまいだと本当にそう感じた。
が、母は我々をそこに放り込むと、自分たちがしたことをよく考えるようにと吐き捨ててそのまま重い鉄の扉を閉めて去っていった。開けようとしたが、鍵をかけられたらしく扉は微動だにしない。私も姉もとっくに気づいていた。閉じ込められたことに。そのときの私は何かを叫びながら扉をバンバン叩いたり蹴ったりしたが、無駄だったことは言うまでもない。
そのようなところに入ったのはあれがはじめてだった。思ったのだが、そこは明らかに他の部屋とは全く異質だ。窒息しそうなほど息苦しく、それでいてジメジメと湿った空気が漂う。まるでアウシュビッツの収容所だ。そんな場所に監禁されれば恐らく今の自分さえ耐えられないだろうに、ましてや子供にはその何倍も苦痛だったに違いない。ものの二分もしないうちに私は根を上げ、姉に助けを求める。これもまた無駄だと知りつつも。
だが、姉の態度は対照的だった。足掻くことも喚くこともせず、黙って壁を背に座っていた。そして助けを求める私に、開口一番に自分のせいでしょと言った。そして、あの花や観葉植物は母が手塩にかけて育てたものであることを聞かせた。そして、あの宝物蔵にあったのはどれも我々の先祖が大切にしていた品々だということ。勝手に盗んだり壊したりしたから母が怒ったのだ。そうしたことをゆっくり一つ一つ話す姉。そして、しばらくしたら出してもらえるだろうと告げた。
今にして思えば、姉の言ったことも正しい。だがそれ以上に、私は先祖が大切にしていた刀で母が大切にしていた花を駄目にした。これが許されざることだったのだと思う。私の行いは、先祖と、そして親に対する挑発だった。何世代にも渡って脈々と続いてきた先祖全員に対する敵対行為。それが許されるはずもなく、だからああした結果を招いたのだと感じる。当時の私はそうした意図でそれを行ったわけではなく、ただ純粋に遊んでいただけだった。しかし結果的には先祖を敵に回してしまったのだから、意図がどうあれ関係ないのだろう。望まないまでも、私は禁忌に触れてしまったのである。
それからどれぐらいの時が過ぎただろう。母がやってきて、閉ざされていた扉が音を立てて開いた。そのとき私はすぐさま恥もプライドも捨てて母にすがりついた。しかし姉はなぜかそうしなかった。そのまま我々は外に出て解放されたが、私はその日一日母のそばを離れられなかなった。一方の姉はやれやれといった感じで、自分の部屋に戻っていった。
今でもときどき思い出す。そのときの母は恐ろしくなるほど感情のない冷酷な目をしてこう口にした。
"あいつは、可愛くない…"
そのとき、私は自分に対して母がそう言ったのだと思った。けど違う。母のそばにいた私にあいつは、と言うわけがない。なら、それを言われたのは…でもなぜなんだろう?どうして、母や先祖を挑発した当人の私にそう言わなかったのか?それは今でもまるでわからない。私がこの足で宝物蔵を踏み荒し、この手で先祖の遺品を汚し、親の育てた花を蹂躙した事実を母が知らないはずがないというのに。
ともあれ、あれ以降私は再びあの倉に足を踏み入れることはなかった。庭の花にも一切触れていない。もうあんな禁忌に触れるのはたくさんだから。その後も隠れて悪さはしたが、家にあるものに手を出すことはしなくなった。そして母に逆らうこともまずなく、年頃になっても反抗期は存在しなかった。というより、逆らうことができなくなったのだろうか…もしまた私が禁忌を破ればどんな目に遭うか。恐ろしい結末を見る勇気は、私にはない