アイエス国侯爵令嬢セシリア・オルコットはある日前世の記憶を取り戻し、乙女ゲー「インフィニット・ラブストラトス」の世界に転生してしまったこと、そして自分がそこに登場する悪役令嬢だと気がついてしまった!このままでは破滅エンドまっしぐら。それを回避するため、セシリアは婚約者である王子の心を射止め、必ず結婚しなければならないのだった!

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エルゴさん「@Ergo_nohohon」主催ハッカ杯参加作品です。
大会規約により8日まで匿名投稿となりますこと、また企画趣旨を守るため8日まで感想返信を行わない予定となっております。あらかじめご了承くださいませ。

(1/8追記)
匿名解除いたしました。


自分が乙女ゲーの悪役令嬢だと気づいてしまったセシリア・オルコット

 鳥のさえずる朝。繁栄を謳歌するアイエス国の朝日が、絢爛に飾られた室内に差し込む。

 

「うう……んっ」

 

 金髪の少女は、天涯付きのベッドで体をよじりながら目をパチリと開いた。

 ゆっくりと体を起こすと、シーツの上に広がった金糸のようなブロンドの髪が揺れた。夜着に包んだ肢体は、肩から腰までの流麗なラインを描く。

 一度目を閉じてぐっと開くと、部屋の入口のドアがガチャリと開き、赤髪の女性が一礼して入室してきた。

 

「おはようございます、お嬢様」

「ええ、おはようチェルシー」

 

 忠臣へそう告げた少女――オルコット侯爵家嬢、セシリアの朝は早い。

 侯爵令嬢たるもの、身だしなみを整え、万全の状態でもって、一日を過ごさなければならない。美しく、気高く――すべてはオルコット家の繁栄がため。それが貴族の元に生まれた淑女の定め。

 後ろに控えたチェルシー始めメイドたち、セシリアは今日も優雅な一日を過ごすべく、鏡台の前に座った。

 ――その瞬間である。

 

「……はっ!?」

 

 セシリアは目を見開いた。

 びりびりと脳内がスパーク。激しい電流によって封印されし記憶が呼び起され、あらゆるビジョンが鮮烈に駆け抜けていく。

 やがて記憶と、それに伴って人格が弾けてミックスされるような感覚がして、そして口にした言葉は。

 

「わ、わたくし……」

 

 そう、オルコット伯爵家令嬢、セシリア・オルコットは。

 

「悪役令嬢でしたわ!!」

 

 ――乙女ゲーの悪役令嬢だったのだ!!

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 前世について思い出せることはほとんどない。名前さえも思い出すことができない。ただひとつ思い出したことは、この世界が自分のプレイしていた乙女ゲーの世界であるということ。

 そのゲームとは、大人気女性向けゲーム『インフィニット・ラブストラトス』、通称ラブスト。所謂乙女ゲーと呼ばれるジャンルのシミュレーションゲームで、多数のイケメンキャラが出演することが多いこの手のゲームにおいて、攻略対象は王子のみという設定ながら、むしろ主人公や友人など魅力的な女性キャラで人気を博した異色のヒット作である。

 そこに登場する侯爵令嬢セシリア・オルコットは、そのゲームにおいて主人公をいびり倒すライバル役であり、作中屈指の嫌われ者であった。主人公が恋焦がれる王子の婚約者にして、あらゆる下劣な策略を用いて主人公に悪虐の限りを尽くすその姿は、まさに悪役令嬢と呼ぶに相応しい。

 セシリアは幾度となく主人公の足を引っ張り、惹かれ合う王子との関係を引き裂こうとするのだが、二人の一途な思いには勝てず、最終的に王子は主人公と相思相愛となり、セシリアは敗北。王子から愛想を尽かされ、さらには過去に行ってきた悪事が社交界に露見。挙句に父オルコット侯も政争に敗れ政治基盤も失い、ついに国外亡命と相成った。

 嗚呼、まさに因果応報、あるいは自業自得。そして勧善懲悪。主人公は王子は結ばれ、王子や友人たちと幸せに生きるのでした、ちゃんちゃん。

 

(ちょっとお待ちなさーい! ちゃんちゃんではなくってよ!?)

 

 わたくし、破滅してるではありませんの!

 と、己の記憶にツッコミを入れたのは、侯爵令嬢セシリア・オルコット。もとい乙女ゲー『インフィニット・ラブストラトス』の悪役令嬢その人であった。

 

「まずいですわ……」

 

 学園へと向かう馬車の中で頭を抱えたセシリア。

 まさか自分がプレイしていたゲームの世界に転生してしまうとは。それも、よりにもよって悪役令嬢に。

 このままでは自分はいずれ国外亡命の憂き目に遭ってしまう。名誉も地位も何もかも捨て、地を這いずり生きてゆく、それはなんとしても避けたい。何より、前世から己が推しであった王子――最愛の婚約者である王子の愛を失うことは、今のセシリアにとっては耐えがたき苦痛であった。

 悪役令嬢として、大人しく滅びの道を往くのか? 負けるとわかっていながら、諦めて日々を過ごすのか……否! 生まれ変わったセシリアはそんな腰抜けではなかった!

 

(……いいえ!)

 

 その強い意志と共に拳を握りしめたセシリア。彼女の蒼いサファイアの瞳からは、めらめらと炎が噴き出しているかのよう。

 セシリアは決意した。己の中にある最大の武器――乙女ゲー『インフィニット・ラブストラトス』のシナリオ知識を活かし、破滅ルートを回避してみせると。

 セシリアの孤独な闘いが今、始まろうとしていた!

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 学園に到着したセシリアは、廊下を優雅に歩みながら、今後の方針について考えていた。

 乙女ゲー『ラブスト』のシナリオには、マルチエンディング形式が採用されている。王子が主人公と結ばれる唯一のグッドエンドルートと、王子が他のキャラと結婚してしまういくつかのバッドエンドルートという名の実質的なアナザールートが存在している。

 バッドエンドルートの中には、側近ルート、親友ルート、魔法使いエンド、姉ルートなどがあるが、いずれのエンディングにおいても悪役令嬢セシリアは似たような末路を辿る。その上困ったことに原作シナリオには悪役令嬢ルートはないときている。

 故に、今からセシリアが成そうとしているのは、本来ゲームには存在しない闇のシナリオルート。一部コアな悪役令嬢ファンが二次創作という形で補完するのみだった幻の悪役令嬢ルートを、セシリア自ら構築する必要があるのだ。

 

(シナリオの力を借りることはできませんわ。使える知識は何でも使っていきませんと……)

 

 ゲームシステムについて考えてみよう。

『ラブスト』においてもっとも大切なものは、何をとってもまずは王子の好感度である。攻略対象が王子ただ一人のこのゲームにおいて、王子の好感度こそが物語の行く末を左右しうる大きな要素であることは間違いない。が、何も王子の好感度を稼ぐことだけが王子攻略の最短ルートではない。王子との関係を進展させるためには、王子の周辺人物は勿論、学園内の一般生徒(モブ)からの評価も大切である。

 王子の好感度が第一という前提だけは忘れてはならないが、かと言って他の人物の好感度を蔑ろにしてもよいというわけではないのである。

 ちなみに、悪役令嬢セシリアが過去一般生徒(モブ)へ言い放っていた言葉の数々はというと。

 

 ――あら愚民の皆さんごきげんよう、今日も阿呆面を並べてご苦労なこと。

 ――はあ? どうしてわたくしがあなた方のような下賎な方々とお食事をしなければなりませんの?

 ――お退きなさい三下。あなた方がわたくしの道を阻むなど万死に値しますわよ。

 

 ……と、まあ御察しの通り大変にヒドイものであり。一般生徒(モブ)からの人気は最底辺スレスレと言っても過言ではなかった。

 しかし、攻略早々から多額の負債を背負っていたとしても、生まれかわった侯爵令嬢セシリアの決意は揺ぎなかった!

 

「ごきげんよう皆さん」

 

 学園に着いたセシリアは、エレガントな所作にロイヤルな微笑で飾った極上の挨拶を決めた。途端に生徒たち(モブ)がざわざわとし始めた。

 オルコット家の淑女たるもの挨拶ひとつで大差をつけろ、と日々教育を受けてきたセシリア。その美貌から繰り出される圧倒的お嬢様力でもってすれば見る者を虜にするなど朝飯前というもの。いや朝食べてきましたけれどね。

 

「見てごらんなさい、セシリア様よ」

「変わらずお美しいわ。社交界の華と呼ばれておられるのも納得ね」

「王子様の許嫁でいらっしゃるのに、どうしてあんなにも性格が……」

 

 女生徒たちがひそひそと噂話をしているのが聞こえた。セシリアがにこりと笑いかけると、恐れをなしたようにそそくさと散る。

 

(避けられていますわ……)

 

 日頃の行いが故、セシリアは一般生徒(モブ)に激しく避けられていた。今朝前世を思い出したくらいで周囲からの印象は変わらない。

 王子との未来のためにも、己の人気は確固たるものにしなければならない。王子と結ばれれば、王子はいずれ王となり、セシリアはその横に並び立ち王妃となるのである、国民から支持がない妃は王子にとっても邪魔であろう。やはり王子の心だけ手に入れても意味はないのだ。

 そのとき、近くがざわつき始めた。セシリアが来たときの比ではない。

 

(こ、これは……!)

 

 何が起こるのかを察したセシリアのテンションがぶち上がる。

 

「みんな、おはよう」

 

 そして行動に颯爽と現れた黒髪の少年。そう、彼こそ。

 

(……っきゃー!!!! イチカさーん!!!)

 

 彼こそが『ラブスト』唯一の攻略対象にしてゲームの華。アイエス国第一王子イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラ――通称イチカ王子。

 整った容姿に加えて穏やかな性格をしており、時折見せる男らしい様が女子のハートを鷲掴みにすると専らの噂である。かくいうセシリアもその一人。前世にて王子の男らしい一面を見て、推すと決めたのである。ついつい「さん」付けしちゃうくらいには推していたようだ。

 セシリアは引き寄せられるように王子の元へと歩いてゆく。

 

「ご、ごきげんよう、イチカさん」

「ん? あ、おはようセシリア」

 

 王子がきらっと笑う。

 どっきゅーん、と心臓をライフルで撃ち抜かれたセシリア。

 嗚呼、カッコよすぎますわ。なんて素敵な御方なのかしら。

 

「……はっ!?」

 

 数秒見惚れてしまったものの、セシリアははっと我った。危ない危ない、推しの笑顔が眩しすぎてトリップしかけた。

 セシリアは止まった脳のエンジンをフルスロットルに回転させ、迅速に状況を整理した。

 まだ王子に避けられていないのなら、王子からの好感度はそこまで低くない。終盤、破滅間近になると無視されることすらあるくらいなので、現状詰みというわけではないということだ。まずは一安心。

 悪役令嬢セシリアは他のライバルへの妨害にかまけて一番大事な王子との逢瀬を疎かにしていた。それこそが好感度低下の原因であり、悪役令嬢破滅の元凶である。

 …………ならば!

 

「イ、イチカさん。今日の授業が終わってから、わたくしとお茶会でもしませんこと? 今後の方針についてお話したくて……」

「お、おう。珍しいな、セシリアが誘ってくるなんて」

 

 王子は少し困惑しているようだ。セシリアは「そうだったかしら、おほほ」などと誤魔化しつつ、「それでは」とお茶会の予定を詳細まで決めようとした、そのときだった。

 

「――待て」

 

 王子とセシリアの間に割って入った少女がいた。

 その少女は腰までありそうな長い黒髪をたなびかせ、仏頂面を携えてセシリアをにらみつけた。

 

「イチカは放課後私と剣の訓練をするのだ。邪魔しないでもらおう」

「ホーキ・シノノーノ……」

 

 二本帯剣している異様な少女。名はホーキ・シノノーノ。イチカ王子の側近の騎士――というか武士である。

 貴族ではないものの、父が現王の側近であり、ホーキと姉の姉妹二人がそれぞれ姫と王子の側近を務めている。

 ホーキは女の身でありながら武の道を極めようとしており、イチカ王子の仇なした者はもれなく自慢のジャパニーズ刀の錆にしてきた猛者である。

 そして、数あるバッドエンドルートの中で、側近ルートと呼ばれるルートにて、王子の心を射止めて結ばれる人物でもある。つまりは、セシリアの恋敵であった。

 

(で、出ましたわね脳筋武士……!)

(イチカを貴様に近づけるわけにはいかんのだ! この女豹め!)

 

 王子に聞こえない無言で、しかし目線ではバチバチにいがみ合う両者。

 

(ホーキ・シノノーノがただの脳筋ならばここまで気を揉む必要もないというのに……!)

 

 セシリアは唇を噛む。困ったことに、このホーキという少女、振る舞いこそ男勝りだが容姿自体は良いのである。東洋人の血を引く彼女の黒髪は艶やかで夜空を思わせるようであり、そのかんばせも仏頂面で目立たないが鼻筋が通っており端正そのもの。そして何より、サラシで潰して目立たないようにしてあるものの、その禁が解かれた際の胸部のサイズは暴力的と表現する他ないインパクトなのだ。

 セシリアもスタイルは抜群に良いのだが、こと「B」だけで見れば敗北は必至であった。ちなみにホーキの姉タバーネ・シノノーノもダイナマイトである。

 ……と、まあ見た目でセシリアに張り合えるだけでなく、腕力も強いため原作『ラブスト』においても常に王子攻略の壁となるのがこのホーキという少女であった。ゲームをプレイしていて一番ストレスだったのは実は悪役令嬢ではなく、二人きりのタイミングで必ず邪魔に現れるこの側近であるというのが、プレイヤーからの総評である。

 

「……まあ、いいですわ」

 

 悪役令嬢時代に失った信用はあまりにも大きいが、ここで張り合ったところでいたずらにキャラたちの好感度を下げるだけだろう。

 そう判断したセシリアは、今日のところは引くといたしましょう、と一時撤退を宣言したのち、自分の席へと戻った。

 今はいがみ合っていても、いずれはホーキの好感度も獲得していかねばならない。道は長く険しい。

 

「ふん、そうしろ。……イチカ、授業が始まるぞ」

「了解。――あ、そうだった」

 

 イチカ王子はホーキを置いててくてくと講堂の奥へと進む。その先にいたのは、金髪の少女。

 

(……あ、あれはっ!?)

 

 見間違うはずもない。首の後ろで束ねた金髪の少女。

 

「おはよ、シャル」

「イ、イチカっ!? お、おはよう」

 

 少女はびくりとして振り返り、王子と見合った。シャルロットの頬が紅潮していることを見ても、ときに恥ずかしそうに、嬉しそうに話すその姿を見れば、彼女が王子に懸想していることは一目瞭然である。

 彼女の名は新興貴族デュノア男爵家の令嬢、シャルロット・デュノア――そして、彼女こそが『ラブスト』の主人公である。

 彼女の物語は王子との出会いから始まる。お忍びで下町を訪れていた王子が、暴漢に襲われかけていたシャルロットを助けたことがきっかけで交流が始まるのだ、なんと運命的なことだろう。

 ルックスも申し分ない。愛嬌のある整った容姿と、優しい性格を持っている。華やかさでこそセシリアの圧勝であろうが、庭に咲く花のような親しみやすさと、天性のあざとさで王子の心をくすぐり、その距離をぐいぐいと詰めていくのである。

 

(シャルロット・デュノア……)

 

 最大の敵の姿をその目に収めたセシリア。シャルロットと談笑していた王子は、授業があるからとホーキに連れ戻されていた。

 やや遠めからそのやり取りをじっと眺めていたセシリアと、振り向いたシャルロットの視線が交差した。シャルロットはそれに気づかなかったフリをしたが、セシリアにはお見通しだ。

 やはり、避けられている。それも当然と言えば当然かもしれない。前世の記憶を取り戻すまでのセシリアがシャルロットに何をしていたのかは、誰よりもセシリア自身が知っている。

 原作にて、悪役令嬢セシリア・オルコットはあの手この手でこのシャルロット嬢を陥れようとするが、彼女はその人当りの良さと運の良さですべて潜り抜け、最終的に王子と結ばれるのだ。

 王子との出会い、そしてそのあとの展開も、すべてがシャルロットを中心に回る。この世界の主人公は間違いなく彼女であり、シナリオは常に彼女の味方だ。

 かつてプレイヤーであったセシリアにとって、彼女は言わばかつての己の分身。その主人公にこれから挑まねばならない。

 

(わたくし、絶対負けませんわ)

 

 悪役令嬢として作ってしまった負債の数々を考えると頭が痛くなる思いだが、いずれにしてもセシリアは登場人物たちの好感度を稼いでいかねばならない。

 そして、登場キャラはどんどん増えていく。その一人ひとりと好敵手として恋のレース勝負をしながら、また同時に友情も深めていく必要があるのだ。

 現在、ゲーム序盤の六月。来るべき断罪の日は学年が終わる三月だ。フラグの発生期限が一月頭なので、実質的に残っている期間は約半年と言ったところ。残された時間は多くない。

 ここから、セシリアの過酷な闘いが始まる……!

 

 

 

 ☆六月末時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 主人公:-50 →悪役令嬢、メラメラ。

 王子:20 →悪役令嬢、メロメロ。

 側近:-100 →悪役令嬢、ギスギス。

 

 モブからの評価:学園の腫物。綺麗だけど敵に回すと怖い。性格に難がありすぎるため近づくのは憚られる。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 七月。春の終わり、あるいは夏の始まり。悪役令嬢だと気づいてしまったセシリアに残された時間はおよそ四か月。

 悪役令嬢として積み上げてしまった悪徳を少しずつ返済しながら、日々王子へのアタックを続けるセシリア。

 この時期の目玉と言えば、テストである。学期のまとめとして、学習レベルの到達度が問われる。国内有数の学力レベルを誇るアイエス学園の試験は簡単ではない。

 かく言うセシリアはというと……。

 

「ふっふっふ……完璧ですわ」

 

 アイエス学園が誇る大図書館の机上にて、大きく丸がついた答案についつい自画自賛してしまう。

 それも無理からぬことであろう。毎日しっかりと学園へ通い予習復習を欠かさず、授業内テストにおいても常に高得点をたたき出すセシリアの勤勉な振る舞いが、一般生徒(モブ)や教師、他の登場人物にも浸透してきていたのだ。

 彼女の勉学に対する真摯さは勿論その要因ではあるのだが、何よりもゲーム世界の知識を持つ今のセシリアにとって、シナリオで発生する学力テストなどものの数ではないのだ。

 現在数学の問題集にて実戦的なテストを意識した学習を行っているセシリア。

 

「ふふふ~ん、ここは~因数を~分解しますのよ~」

 

 ワルツを踏むようにセシリアのペンは用紙を走った。

 あなたは歌いながらテストを解くのかという問題はさておき、セシリアの回答は止まりなく進んだ。

 

「――完璧(ザ・パーフェクト)♪」

 

 やがて回答が出来上がると、答案と確認してみればほぼ満点に近い出来だ。この仕上がりであれば学年有数の上位成績を取ることは容易い。

 ふっ、勝ちましたわねチェルシー。

 

「…………」

 

 その近くで、問題集とにらめっこをしていたのは脳筋武士ことホーキ・シノノーノ。武道のことで頭いっぱいの彼女にとって、机に座っての勉学は苦手以外の何ものでもないと見える。

 それを見ていたセシリアは、勉強が苦手な設定でしたわね、とホーキの設定を思い出すのだった。

 さて、ここでどうするか。よくない成績をとってホーキを上からあざ笑うのか、それとも――。

 

(……ノブレス・オブリージュ、ですわね)

 

 セシリアはわざとらしく席を立ち上がると、ホーキのすぐ後ろを通り、「そうですわねえ、aの公式を変形させることができれば次の式への代入は簡単になるのですけれど」とホーキが答えに悩む問題の攻略法をチラつかせた。

 ホーキはばっと後ろを振り返るとき、おほほと微笑んでわざとらしく教科書を広げた。

 

「オルコット!? き、貴様っ!」

「あら、何かしら。わたくしはただ勉強をしていただけですのに」

 

 ホーキが顔を真っ赤にしてセシリアに詰め寄った。

 

「わたくし、数学は得意でしてよ。あなたが教えてほしいと言うのであれば、教えて差し上げてもよろしくってよ」

「だ、誰が貴様の力など借りるか! 私は別に――!」

「まあまあ。そんなにカッとならずに。イチカさんたちにいいところを見せたいのでしょう?」

「…………」

 

 ホーキは押し黙った。図星らしい。

 武に秀でいるのだから、必ずしも文まで求める必要はないのだろうが、ホーキ……というかイチカ王子の姉であるチフユー・ズボラーナ・オリムーラ姫が理想としているのが文武両道だから、それを目指しているのだろう。

 セシリアにはゲームで得た知識がある。ホーキの望んでいることは、ゲームのシナリオで掘り下げられたから知っているのだ。

 

「ほら、お座りになって。一からみっちりとわかりやすく教えて差し上げますわ」

「……ふん」

 

 しぶしぶとホーキは席についた。セシリアはにっこり笑う。

 教鞭を取るべく、伊達眼鏡をすちゃっと装着したセシリアに、箒がぼそりと、「何故だ」と尋ねた。

 

「貴様はこのような真似をする女ではなかったはずだ」

「そうだったかしら」

「誤魔化すな。そういえば、以前からお前の様子が変わったという噂を聞いたな。何を企んでいる」

 

 王子の好感度を得て破滅ルートを回避するためですわ、という開けっ広げな本音はさておき。

 セシリアとてゲームのファン。腕っぷしの強さと純情な乙女心を併せ持つホーキ・シノノーノというキャラに対して、少なからず愛着があるのだ。

 

「――あなたと仲良くなりたいから、と言ったら?」

「んなっ!?」

 

 ホーキがぎょっと目を丸くした。

 決して、嘘ではない。

 

「わたくし、お友達がいませんの。対等に話してくれる方なんて、あなたを含めてもほんの一握り。イチカさんの婚約者としての立場もありますけれど、それ以上にあなたという人とあなたと交流を深めたい……そう思うのは、いけませんか?」

 

 とっておきの口説き文句だった。

 ホーキはしばらくセシリアをじっと見つめていたが、ため息ひとつつき、席に座りなおした。

 

「貴様と友人になるなど、願い下げだ。以前までの貴様なら。ただ、まあ」

 

 ホーキは顔を赤らめると俯いて、

 

「…………考えてやらないことも、ない」

 

 小さくぼそりと呟いた。

 ……素直じゃありませんわねえ。

 

「ふふふ、前向きに検討してくださいな。……さあ、では始めてまいりますわよ。まずこの問題は――」

 

 

 

 ☆七月末時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 主(出番ナシ):-50 →±0。悪役令嬢、絡むタイミング皆無。

 唐変木:25 →+5。悪役令嬢、地道にアプローチ。微前進。

 純情女剣士:40 →+140。悪役令嬢、友人フラグ構築。意外とチョロい。

 

 一般生徒(モブ)からの評価:良くも悪くも学園の華。まだ怖い。ただし穏やかな表情が増えて近づきやすくなったとの噂アリ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 八月。夏のバカンス、恋も友情もデッドヒートの夏真っ只中。国内の人気海水浴場をプライベートビーチとして貸し切ったセシリアを含めた王子一行。

 海に着くなり、セシリアは装備を制服から水着に換装し、婚約者イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラへと自慢のスタイルを見せつけた。

 

「さあ、見惚れなさいイチカさん。わたくしのこの至上のボディーに!」

 

 どーん、と漫画ならばコマに書き込まれそうな勢いでイチカの前に立つセシリア。そのドヤ顔は大変に自信に満ち満ち、自身のスタイルを誇っていた。

『ラブスト』においても、サービスシーンは皆無ながらビジュアル的に「脱いだらすごい」説がまことしやかに囁かれていた悪役令嬢セシリア・オルコット。実際ゲームの世界に転生して初めて、その説が正しかったことを証明されたのである。

 

「お、おおお……」

 

 その一際目立つ存在感にイチカは気押されていた。彼とて思春期の男子。女子の艶姿に目を奪われないわけがなかった。

 

「どうでしょう? わたくしの水着姿は」

「い、いいと思うぞ」

 

 サムズアップした王子は照れるように目を背けた。

 

(手応え良しですわ……!)

 

 見事婚約者を魅了し、内心ガッツポーズ。ビキニの少し攻めたデザインだったが、イチカからお褒めいただけたのなら上々であろう。

 だが侯爵令嬢セシリア・オルコット、これだけでは終わらない。

 さらなる展開のため、日焼け止め用のオイルを取り出したセシリアは、その栓を抜き放ち、あろうことかその豊かな谷間にたらりと垂らしたのである!

 

「やぁんっ」

 

 セシリアはわざとセクシーなあえぎ声を出す。

 イチカはごくりと唾を飲み、オイルがその谷間に吸い込まれる魅惑の光景に釘付けになっていた。

 

「イ、イチカさん、このオイル、とっても気持ちがいいですわ……」

「お、おう」

「イチカさん、もししたいのでしたら……わたくしのココ(・・)に、オイルを塗りたくってもよくってよ……」

 

 わざとらしく指先で胸元のオイルを広げながら、イチカをこれでもかと誘惑する。またイチカがごくりと唾を飲んだ。

 

「い、いや、嫁入りの前の女の子にそんな……!」

「あら。わたくしはあなたの婚約者(フィアンセ)なのですから、問題はありませんわ。いずれはそうなるのですから、その順番がサキ(・・)になるか、アト(・・)になるかだけ――」

 

 サキとかアトとか何となくそれっぽいセリフに無駄にリップを乗せ、持てるエロティックスキルを全解放して王子へと迫るセシリア。

 いや、とか、あの、とかDTらしく真っ赤になって後ずさる王子も何のその、王子の手を掴んで自身の谷間へと誘導していく――。

 

「――待て」

 

 ドスの効いた静止と共に王子をエロお嬢様から引き剥がしたのは、側近武士少女ことホーキ・シノノーノ。

 

「セシリア、貴様白昼堂々イチカを誘惑とは……!」

「あら、邪魔が入りましたわね。残念」

 

 チャンスタイム終了を察したセシリアはオイルの瓶を置くと、鬼の形相の友人にケチですわねと抗議した。

 

「よかったのではないですか、少しくらい見逃してくださっても。その水着、選んであげたのはわたくしですのに」

「なにっ!? そ、それとこれとは別問題だ! 王族の不純異性交遊など、私は認めんぞ!」

 

 水着についてはその、感謝しているがとぼそぼそホーキ。

 先日海に行くと決まった際、水着がなくて困っているとホーキがセシリアに泣きついてきたのだ。快く引き受けたセシリアは、彼女に似合う清楚で綺麗かつ大人っぽいベストな水着を選んであげたのである。

 その成果は間違いなく、イチカ王子はというと側近少女に目を奪われていた。

 

「あ、あまり、見るな……恥ずかしいだろう」

 

 腕で体を隠すように、水着姿を恥じらうホーキだったが、意中の彼にガン見されることに関しては悪い気はしないらしい。

 特にその腕で隠したくらいでは到底収まらないダイナマイトウォーターメロンは、思春期男子の目には猛毒らしく、ムッツリ王子は側近の少女が隠し持っていた懐刀で一突きにされていた。

 

(ホーキさん……やはりサイズでは勝てませんわね……)

 

 自身の双丘と比較したセシリアは、パーフェクトレディと自称する己にビーチの砂をかけた、もとい土をつけた脳筋少女のポテンシャルに恐れおののいていた。

 

(いえ、大事なのは全身のバランスと質感。ホーキさんの特化した「B」は脅威と言えど、わたくしは「B」「W」「H」三点のバランス型、一概に負けとは言えませんわ。それに質感ではホーキさんが剣を嗜む分全身が筋肉質で硬めでしょうから、柔らかさではわたくしのほうが……)

 

 などと侯爵令嬢が独断と偏見MAXの自己フォローをしていると、視界の端に金色の髪が見えた。

 自分たちの輪に入ることもなく、パラソルの下で脚を抱えて座り込む少女――男爵令嬢シャルロット・デュノアだった。

 じっと海を眺めるその表情は暗い。宿敵にしてかつてのプレイヤーであった己の分身――その彼女がそんなザマでいいのかと、セシリアは己に問うた。

 愚問だった。

 

「ごきげんよう、デュノアさん」

「へっ!?」

 

 見下ろすセシリアを見上げた主人公シャルロットは、セシリアと視線が合うなり「オルコットさん!?」と狼狽した。

 

「し、ししし失礼いたしましたっ! 僕、あ、いえ私、デュノア男爵家の――!」

「そんな堅苦しい挨拶は不要でしてよ。今日はイチカさんの『友人』として参加なさったのですから、貴族の地位なんて関係ありませんわ」

 

 友人という部分は猛烈に協調しながらも、セシリアと距離を取ろうとするシャルロットの体裁を撃ち抜いたセシリアは、シャルロットの隣に腰かける。

 

「こうして面と向かって話すのは、初めてですわね」

「は、はい……」

「それで、よろしかったの? イチカさんにその水着姿を見せなくて」

「……い、いえ、それは」

「ふぅん、煮え切りませんわねえ」

 

 煽るようにセシリアは言い放った。

『ラブスト』の主人公シャルロットは、その運命的な出会いからイチカ王子と急速に仲を発展させていくものの、本人や立場を理由に俯きがちで、。

 だが、それも最初はの話。セシリアはよく知っている。この少女の本気になったときのヒロイン力は凄まじいことを。

 

「――あなた、イチカさんのことが好きでしょう」

「ッ……!」

 

 シャルロットが一気に真っ赤になった。

 

「なんでも、イチカさんに危ないところを助けていただいたとか? 素敵な出会いではありませんの」

 

 わたくしもイチカさんとそんな出会いをしてしまったら一瞬で恋に落ちてしまいそう、とじろりセシリアが睨み、シャルロットがますます縮こまった。

 

「だと言うのに、いいんですの? わたくしはアタックをやめませんわよ。婚約者として立場に甘んじる気はありませんわ。イチカさんの心は誰にも渡したくありませんから」

「ぼ、僕は……」

 

 そう、その意気。

 

「イ、イチカのこと、諦めたくない!」

 

 シャルロットが紫紺の瞳を燃やしてセシリアと向き合う。

 その目ですわ。プレイヤーが求める本当のシャルロットの覚醒、それは恋敵との正面衝突でしか、起こりえないのだ。

 

「ふふ、よろしくてよ。受けて立ちますわ」

「望むところです」

「その言葉遣いも不要ですわ。わたくしたちは同じ殿方を想う宿敵同士、そこに上下関係なんてありませんわ」

 

 シャルロットは分かった、と頷いて立ち上がる。

 

「僕もそうする。もうオルコットさんに遠慮なんかしない!」

「そうよ。正々堂々と、向かっていらっしゃい」

「――わかった。僕は負けないよ、イチカの婚約者さん」

「その意気ですわ、泥棒猫さん」

 

 恋の炎が燃え盛る中。

 

「――せいっ」

 

 ホーキはスイカ割りにて、木刀でスイカを真っ二つにしていた。……うーんお見事。

 

 

 

 ☆八月末時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 好敵手:30 →+80。悪役令嬢、宣戦布告。

 ムッツリ王子:60 →+35。悪役令嬢、ゴリゴリに色仕掛け。結構効いてる。

 ウォーターメロン:70 →+30。悪役令嬢、もはや普通に友人。順調。

 

 一般生徒(モブ)からの評価:脱いだらすごい。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 十月。夏の暑さが去った頃。アイエス学園では恒例の体育祭が行われようとしていた。

 前時代的な貴族社会風のモチーフでありながら学園生活自体はごく一般的な形が展開されるのが『ラブスト』の特徴である。そこ、ご都合とか言わない。

 アイエス学園体育祭では赤組白組に分かれて戦うのであるが、ここに来てとある問題が。

 

「はあ、イチカさんとは別組でしたわね……」 

 

 侯爵令嬢セシリアはクラス分けを見てがっくりする。赤組の名簿リストにはセシリア、そして男爵令嬢シャルロット・デュノアの名があったが、白組にイチカ王子とその側近ホーキ・シノノーノの名前があった。

 原作ゲームでは確かこのような組み分けになっていたので、セシリアのゲーム知識に相違はないが、やはり同じ組に入って勝利を目指したかったというのがセシリアの本音であった。

 きっとホーキは喜んでいるに違いない。口では「そ、そんなことはないぞ!」とか言いながら実際はデレデレと表情を緩ませるめんどくさいホーキの姿が目に浮かぶようだった。

 

「イチカとは別組かあ。セシリア、頑張ろうね」

 

 隣で同じ用紙を見ていたシャルロットが言った。勿論ですわ、とセシリアは同意した。

 夏以降あれこれとセシリアがシャルロットに絡むので、すっかり普通に友人になってしまった二人。同じ男性に恋したライバル同士であるが、その点においてむしろ共通点があり、また女性らしくお洒落やお茶を楽しむ教養を持つシャルロットと過ごす時間は、セシリアにとって楽しいものであった。

 原作ゲームではほぼ敵対していた両者。その関係性が行き着く先は、もはやセシリアの知識が及ばない領域だった。

 組内での出場を決める段階になったところで、セシリアが二人三脚に立候補、相方にシャルロットを推薦した。

 

「ぼ、僕!?」

「ええ。イチカさんもホーキさんと出ると仰っておりました。あなたしかいませんわシャルロットさん。わたくしと一緒に、イチカさんを倒しましょう」

「セシリア……」

 

 立ち上がったセシリアが手を伸ばすと、シャルロットはその手を掴み、宣言した。

 

「――出るよ、僕。一緒に戦おう」

 

 ぐっと手を握る二人。立場と設定と、出身国を越えた友情が育まれているのを実感し、セシリアは胸が熱くなったのである。

 

 ……で、体育祭の結果はというと。

 圧倒的武力を誇る脳筋ホーキ・シノノーノが騎馬戦、綱引きにて無双。圧倒的苦境に立たされた白組だったが、終盤二人三脚、組対抗リレーなどセシリアが出場する種目にて赤組が猛追し、最終的には僅差で逆転し赤組が勝利。

 悔しがるホーキを尻目に、歓声をセシリアとシャルロットはハイタッチで勝利の美酒を味わうのであった。

 

 

 

 ☆十月末時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 戦友:70 →+40。悪役令嬢、共闘&勝利。やりましたわ。

 台詞ゼロ王子:70 →+15。悪役令嬢、カッコいいところを見せる。ふふん。

 圧倒的武力:75 →+5。悪役令嬢、ぎゃふんと言わせる。やるではないか。

 

 一般生徒(モブ)からの評価:今や学園のお姉様。何故性格悪で有名だったのが不思議。

 

 

 

 

 体育祭イベントをクリアした悪役令嬢セシリア・オルコット。

 制服姿に戻り、馬車に乗って邸宅に戻るセシリアは、馬車を出した直後に来訪者の姿を視界に収め、馬車を止めさせた。

 

「……イチカさん?」

 

 何かを後ろでに持って馬車の近くまで来たイチカ王子。

 こんなイベントがあったかしら、とセシリアは困惑しながらもセシリアは馬車を降りた。王子はやあと笑いかけた。

 

「あら、素敵な婚約者様ではありませんの。どうかされましたかしら?」

「あ、いや。その、なんていうか。おめでとう」

「ふふん。わたくしの実力、思い知りまして?」

「ああ、カッコよかった」

 

 王子は照れたように言った。

 やだ、かわいいですわ。

 

「それで、なんだけどさ。勝利の栄冠を、セシリアに渡そうと思って」

 

 王子は後ろから花で作った冠を出して、婚約者に見せた。

 

「まあ、素敵。これ、わたくしのために?」

「作ってみたんだ。今日のセシリアには、きっと似合うと思って。受け取ってくれるか?」

「勿論ですわ。……授けてくださる?」

 

 セシリアが優雅に未来の王の前に跪くと、イチカはセシリアの金色の髪へ花の王冠を載せた。

 

「イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラの名のもとに。おめでとうセシリア」

 

 戴冠したセシリアが見上げると、そこには笑顔の王子が。

 

 ――嗚呼、最高のご褒美。こんなイベントがあるなんて。

 

 その光景を目に焼き付けたセシリアは、絶対にこの方と結婚したいと、改めて思うのだった。

 

 

 ☆特別イベント発生☆

 

 王子の好感度:70 →??

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 十一月。冬の訪れをしんみりと感じる時期。

 来月十二月は好感度の総決算が行われる。タイムリミットの接近はしみじみと感じながら、セシリアは何だかんだとよく一緒にいるホーキとシャルロットを自邸オルコット家へと招待し、お茶会を開催した。

 淑女らしくドレスアップを済ませ、テーブルで二人を待つセシリア。お茶会とはいうものの、レディーにとっては己のお嬢様としての実力もとい教養を見せつける場でもあるのだ。故にセシリアは一切手を抜かない。

 

(……お二人とは、それなりにいい関係を築けたと思っているのですけれど)

 

 王子攻略にあたって、ゲームの主人公並びに王子の側近二人は非常に大きなハードルであった。加えて、己の過去の所業で好感度はマイナススタート、厳しい展開と言わざるを得なかった。

 だがそれも過去の話。今や二人の好感度はかなり高い状態にあり、王子攻略の外堀は順調に埋まりつつあった。

 

「お待たせ」

 

 そんなことを考えているうち、男爵家令嬢シャルロット・デュノアが到着。

 橙色の明るい色のドレスに、いつもは束ねている長めの髪を見事に結い上げたシャルロットは、新興貴族のご令嬢という肩書を越えた、淑女然とした美しさ、気品に満ち満ちていた。レディとしての完成度は、セシリアに決して劣らない。

 

「ちょっと張り切っちゃった。どうかな?」

「素晴らしくってよシャルロットさん」

「えへへ、ありがと」

 

 はにかんで笑う主人公。かつての自分の分身――その彼女が立派なレディになっていることは感慨深い。

 

「さて、ホーキさんですが」

「結構苦戦してそうだね」

「ええ、それだけにどう化けるのか、楽しみですわ」

「――ま、待たせたなっ!」

 

 噂をすればホーキ・シノノーノ、推参。

 長い黒髪を結い上げ、純白のドレスを慣れないながらも着こなし、表情の仏頂面を武装解除したホーキは、その圧倒的ボリュームを誇る胸元をダイナマイトしていた。

 今の彼女は、黙っていれば立派な貴族のレディだ。普段の本人のキャラクターを知っているとなおそのギャップは大きい。

 

「ふふふ、馬子にも衣装と言ったところでしょうか」

「い、言われると思っておったわ!」

「いいじゃない。よく似合ってると思うよ、僕は」

「あ、ありがとう。だが、貴族でもない私がこのような場所にお呼ばれするというのは、どうにも落ち着かなくてだな」

 

 何を言っていますの、とセシリア。

 

「ホーキさんもシャルロットさんも大切なわたくしのご友人ですわ。貴族だから何だと区別はいたしませんわ」

「セシリア……」

 

 ホーキはそうか、と小さく呟いた。

 

「変わったな、セシリアは」

「そうだね」

 

 ホーキが言ったのにシャルロットが続く。セシリアはどきりとした。

 

「お前の噂はひどいものだった。だが、お前と接するうちにそんな噂はデマだったのではないかと思い始めたくらいに」

「僕も、最初はすごく嫌われてるんじゃないかって思ってたんだけど、話してみると全然そんなことなくって、僕の思い違いだったのかなって」

 

 セシリアは言葉に詰まった。それは本質を捉えた言葉だったからだ。

 

「愚かだった己を顧みましたのよ、そうならなければ幸せはないと気づいたから」

 

 結局曖昧な言葉で誤魔化したセシリアだったが、どこか心の中に楔を打たれたような感覚は拭えなかった。

 

「……そういえばさ、来月学園でダンスパーティがあるよね」

 

 シャルロットの一言にそうだったな、とホーキ。

 

(ダンスパーティ……そうでしたわ)

 

 アイエス学園が誇る一大イベント、聖夜のダンスパーティ。その夜に校舎の塔最上階フロアで踊った男女は永遠に結ばれるというジンクスがある。

 そのダンスパーティこそ、『ラブスト』における最重要イベントにしてルートが確定するまさに運命の日であった。イチカ王子の心を射止めるには、この時点で好感度がMAXに達していなければならない。

 つまり、泣いても笑ってもそれが最後。イチカ王子と結ばれるということは、こうしてホーキやシャルロットと過ごすことはないのかもしれない。

 

(ですが……それも必然、ですわね)

 

 イチカ王子と結ばれることは勿論嬉しい。だがその代償として、二人の心を傷つける。

 

「――恨みっこなし、ですわ」

 

 宣言するように、セシリアが言った。

 

「わたくしは婚約者という立場にありますけれど、それも王子が本気で望めば変えられること。万一お二人のうちのどちらかがイチカさんに選ばれたとしても、わたくしはお二人を恨んだりしませんわ」

 

 オルコットの名に誓って、とセシリアが締めくくる。

 紛れもない本心だった。

 二人が頷いたのを見て、セシリアは己の目的を完遂するための覚悟を決めたのだった。

 

 

 ☆十一月末時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 シャルロット・デュノア男爵令嬢:90 →+20。

 イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラ:?? 

 ホーキ・シノノーノ:90 →+15。

 

 一般生徒(モブ)からの評価:ダンスパーティにおける王子のお相手最有力候補。セシリア様ならいいかな?

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 十二月。下旬のダンスパーティを控えていた侯爵令嬢セシリア・オルコットは、いつものようにアイエス学園に登校。

 覚悟を決め、婚約者という立場だけでなく王子の心を手に入れるため、最後の準備をしていた、そのときだった。

 友人と婚約者と過ごす穏やかな日々は、突然に崩壊を告げたのである。

 

「……え、特別転校生?」

「この時期に?」

 

 一般生徒(モブ)たちの噂を小耳に挟んだセシリアは、顔をしかめた。

 

(転校生ですって……? こんなイベントは……)

 

 ゲームも終盤の終盤、このタイミングでの転校生イベントなどなかったはず。

 ……おかしい。

 セシリアがいぶかしんでいると、その転校生とやらが講堂に現れた。

 

「……ッ!」

 

 現れたのは、銀髪の小柄な少女。片目に眼帯を付けたその少女を、セシリアは知っていた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……!?」

 

 間違いない、あの少女は、原作から派生したメディアミックス作品漫画版『インフィニット・ラブストラトス』にのみ登場する王子の姉チフユー・ズボランダ・オリムーラ姫の部下である。

 その彼女が何故このタイミングで登場してくるのか。漫画版では四月から既に登場しており、シャルロットの親友になるキャラクターのはずだが……

 そんなセシリアの疑問は、すぐに解消された。

 

「――いた」

 

 ラウラはセシリアの姿を見つけるなり、つかつかとセシリアの目の前まで来て、ニヤリと口角を上げた。

 

「見つけたぞ。『悪役令嬢』セシリア・オルコット!」

「……なっ!?」

 

 悪役令嬢と確かにラウラは言った。何故、ここがゲーム世界だと知っているの。

 困惑のあまり何も口に出せないセシリア。

 

「何故知っているのか、と言いたげな顔だな。まさか、前世の記憶が蘇ったのが己一人だとでも思っていたのか?」

「そ、そんな、まさか……」

 

 その可能性に思い至り青ざめるセシリアに、ラウラが言い放った。

 

「そう、私も前世の記憶が蘇りし者。前世より、悪役令嬢セシリア・オルコット、貴様のアンチ(・・・)だ」

 

 

 

「諸君、この侯爵令嬢セシリア・オルコットが急に変わったと感じていただろう」

 

 呆然とするセシリアの前から講堂の中心に映ったラウラは、声高々に生徒たちに熱弁した。

 

「その理由について考えるものもいただろうが、理由はひとつ。人格が変わったのだ」

 

 ラウラのその一言で、生徒たちがざわつき始めた。そういえば、どういうこと、など感嘆の声も上がる。

 

「性格に難ありと噂されていた学園の腫物が、いつの間にか容姿端麗、成績優秀、品行方正、三拍子揃った模範的な令嬢……そんな評価がいつの間にか与えられるほどの人物になった。では何故そうなれたのだろうか。人がそうまで急に変わることなど、できるだろうか」

 

 セシリアが小さくやめて、と言ったところで、ラウラが止まるわけもなかった。

 ついにラウラは、その決定的な一言を口にする。

 

「それは、この者の人格が書き換わったからだ。それもシナリオと皆の設定――言うなれば未来と情報を知っている者にな」

 

 生徒のざわめきが大きくなり、視線がセシリアに集中する。

 セシリアは咄嗟に俯いて顔を隠した。

 

「信じられないと思う者はいるだろうが、これは事実だ。思い出して見てほしい、まるで未来を知っているかのような言動をしたり、まるで己のことを知っているかのように話しかけてきたことはないか?」

 

 生徒たちに聞くまでもない。

 ――ある、あるに決まっている。何故なら、セシリア自身がそうしていたという自覚があるからである。

 己の破滅を回避するために。周りの評価を取り戻そうと、王子やキャラたちの好感度を得ようと、使えるものは何でも使うと決めて。そうやって自分が有利になるように立ち回ってきた。

 どこか自分がシナリオと設定を知っていることに優越感を感じていなかったかと尋ねられれば、セシリアは否定できなかった。

 親友ホーキとシャルロットがどこにいるのか、わからない。だが、二人の好感度を得るために、セシリアが何をしたか――。

 セシリアは、冷や汗の止まらない自分の体をぶるぶると震えながら掻き抱いた。

 

「恐ろしいことだ。多くのことを知っているぞ、この女は。そして、王子と結ばれなければ自分が破滅するということもな」

「あ――」

「王子の愛がなければ、この者はいずれ国外追放となるのだ。故に、この女はどうしても王子と結ばれる必要があり、すべてはそのためにしてきたこと……違わないな?」

 

 ――言った。言われてしまった。

 ここで違いますわ、と言えればどんなに楽だったか。だが、ここで上辺だけの嘘をついたとして、自分の行いに嘘はつけない。

 己の破滅を回避するために、設定やシナリオの知識で以って、自分が愛したゲームのキャラクターたちを利用する。それは、紛れもない自分自身がしてきたことなのだから。

 

「――それ、本当なのかしら。でも、セシリアお姉様は何もおっしゃらないわ」

 

 ひそひそ、ざわざわ。

 

「――もしかたら、本当なのかも。だとすれば、恐ろしいわ……」

 

 ひそひそ、ざわざわ。

 

「――もしかして、以前のセシリア・オルコットが振る舞いを変えただけとか? 裏ではすごい悪口言われているのかも!」

 

 噂話の声が大きくなり、侯爵令嬢セシリア・オルコットに関する事実無根の憶測推測が飛び交う異様な空間の中、ただひとつ言えることは、侯爵令嬢セシリア・オルコットの信は、地に堕ちたということ――。

 かつていがみ合う間柄から、歩み寄って友情を深めた王子の側近ホーキ・シノノーノが怒りに震え。対等なライバルであると認めた、男爵令嬢シャルロット・デュノアが、失望を滲ませて佇み。

 そして、前世からずっと愛してきた、王子イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラの悲しみに満ちたその顔を見たとき、セシリアは意識が遠のくような感覚を覚え――そして、セシリアの耳に最後に届いたのは。

 

「――終わりだ、セシリア・オルコット。イチカは、私の嫁にする」

 

 勝ち誇ったように言う、ラウラ・ボーデヴィッヒの冷たい声だった。

 

 

 

 ☆十二月中旬時点での各人物の好感度(最大は100)☆

 

 シャルロット・デュノア男爵令嬢:??

 イチカ・トーヘンヴォク・オリムーラ王子:?? 

 ホーキ・シノノーノ:??

 

 一般生徒(モブ)からの評価:そういうことだったのね。私たちが見てきたオルコット家令嬢は、作り物。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 十二月も下旬。アイエス学園恒例行事であるダンスパーティが、今日行われていた。今日を以って各ルートへのフラグが出揃いエンディングが確定する。

 だが、行われていたにも関わらず、セシリアはオルコット邸の自室のベッドに身を投げており、すなわちそれはセシリアが参加しなかったこと意味していた。 

 ――破滅ルート、確定である。

 

「……う、うう……っ」

 

 ベッドで枕を涙で濡らすセシリア。結局あの騒動があってから、体調不良を理由に、学園には通っておらず。何を言われるかと思うと恐ろしくなり、何もできないままだった。

 メイドたちが心配する中、半ば引きこもりのようになってしまったセシリアは、今日のダンスパーティに出ないことを決めてからというもの、ずっと泣いていたのである。

 だが、それは己の破滅が確定路線になったからではなく。

 

「ごめんなさい、ごめん、なさい……っ!」

 

 泣きながらの謝罪。その意味は、自分が愛したキャラクターたちへの侮辱を後悔したがためであった。

 ラウラが指摘したことは事実だった。セシリアは本当にこの世界のキャラたちを愛していたが、同時に王子の好感度を稼ぐために打算的に行っていたことは否定できないのだ。自分の目的のために人を利用し傷つける――だとすれば、過去の自分も今の自分も、本質的には「悪役令嬢」なのではないか、と。

 セシリアは前世を思い出してからというもの、過去の自分が作った黒歴史を背負いながらも、王子と結ばれるためあらゆる努力をしてきた。それが苦しくなかったと言えば嘘になる。かつての自分作ってしまった軋轢や不和で傷ついたことは、一度や二度ではない。

 だが、その結果得た友人たちや婚約者との日々は、本当に心から楽しいと言えるもので。その日々の価値は、何にも代えがたいくらいに尊く……それが失われようとしていることが、たまらなく悲しかった。

 涙が止まらない。泣いて許されるとは、謝って許されるとは思っていなかったが、それでも止まらなかった。

 ゴーン、と時計の鐘が鳴った。

 

「あ……」

 

 現在、午後十時。もうダンスパーティが終わって一時間も経った頃だろう。

 原作では、どのルートでもこのタイミングで王子とのイベントが終了し、王子と悪役令嬢セシリアの婚約は破棄される。イチカさんは誰をお選びになったのかしら、と少し気がかりだったが、それを確認する術はなかった。

 今のセシリアにできることは、ただ己の破滅を待つことだけ。

 

(悪役令嬢としては、ひどく地味な顛末ですわね)

 

 セシリアが自嘲した、そのときだった。コンコンと部屋のドアがノックされた。

 

「お嬢様。お客様がいらしております」

 

 メイドのチェルシー・ブランケットが、外からセシリアに言った。誰かしら、とセシリアが尋ねると、デュノア様ですとチェルシーは答えた。

 

「シャ、シャルロットさん!?」

 

 どうして、と考えていると、チェルシーが「お通ししてもよろしいですか」ともう一度尋ねた。

 シャルロットの目的はわからないがノーとも言えず、「よくってよ。通しなさい」と答えたセシリアは、最低限の身だしなみを整え、客人を待った。

 ――ガチャリ、と扉が開く。

 

「やあ、セシリア。久しぶりだね」

「シャルロットさん……」

 

 ダンスパーティの帰りであろう、綺麗に着飾ったシャルロットがにこりと言うと、またセシリアの目に涙がにじんだ。

 

「あはは、ひどい顔。ずっと泣いてたんでしょ?」

「う、お恥ずかしい……」

 

 腫れぼったく赤い目では誤魔化しようがなかった。

 

(そうですわ、イチカさんダンスパーティのお相手は……)

 

 セシリアには自分のことよりシャルロットに聞かねばならないことがあった。

 

「シャルロットさん。ダンスパーティで、イチカさんとは……」

「あ、僕ね、フラれちゃったんだ。『他に踊りたい子がいるから』って」

 

 シャルロットはあっけらかんと言った。

 

「そ、そんな……っ!」

「まったくもう、ひどい話だよね。あんなヒーローみたいな出会い方してさ、惚れるなっていう方が無茶なのに、僕のことフるんだもん」

 

 ひどいよねイチカは、とシャルロットは頬を膨らませた。

 

「ちなみに、ホーキもダメだったみたい。理由は僕と同じ」

「え、ええっ」

 

 セシリアは愕然とした。シャルロットもホーキも振られていたとなれば、相手は誰だと言うのか。

 

「相手が誰か、気になる? イチカ、誰ともダンス踊ってないんだよ、正確には待ってるんだよ、その一緒にダンスを踊りたい子を」

 

 シャルロットが明かした結末。

『ラブスト』において、聖夜のダンスパーティで王子が誰とも踊らないなどというルートは存在しない。たとえどんなルートを選んだとしても、王子は必ず誰かと踊り、そして結ばれるはず。

 であるにも関わらず、相手がいないということはまさか――。

 

「その意味、わからないわけじゃないよね。――そう。イチカは君を待っているんだよ、セシリア」

 

 シャルロットは優しく告げた。どくん、と胸が弾む音がした。

 ――王子が自分を待っている。

 ずっと沈んだままだったセシリアは、心に熱が戻るのを感じた。

 

「だから、僕がこうしてイチカのためにセシリアを呼びに来たわけ。大好きな男の子のためにここまでするんだよ、健気でしょ、僕」

 

 おどけて笑って見せるシャルロットに、セシリアはそんな、と首を振った。

 

「そ、そんな、でもわたくしは……!」

 

 熱くなる感情を、理性が留めた。

 

「わたくしは、シャルロットさんも、あの方のことも、自分のために……!」 

 

 あの日以来ずっと胸に抱えていた罪悪感が、ずっとくすぶっていて、セシリアはこの期に及んでそれに囚われていた。

 

「セシリア。ボーデヴィッヒさんが言ってたのって、本当のことなの?」

「……はい」

 

 セシリアは、洗いざらい話した。

 この世界がゲームと呼ばれるおとぎ話の世界で、前世で自分がそれのファンであったこと、シャルロットが主人公であったこと、自分が悪役令嬢であり、前世の記憶を取り戻したセシリアが、自分の破滅の未来を回避するために動いていたこと、そのすべてを。

 

「……へえ~。じゃあ、ボーデヴィッヒさんもそういう存在なんだ」

 

 セシリアは頷いた。加えて、悪役令嬢であった自分のアンチであることもシャルロットに説明した。

 

「それで、セシリアはまんまとボーデヴィッヒさんに陥れられて今このザマってことだね。よくわかったよ」

 

 シャルロットは平坦な口調で言ったが、セシリアは内心恐怖でいっぱいであった。

 恋の勝負に敗れ、友人だと思っていたセシリアの打算を知ったシャルロットが何を口にするのか、恐ろしくて仕方がなかったのである。

 俯いて目を逸らしたセシリアに、シャルロットが言い放ったのは。

 

「――でも、僕にはなーんにも関係ないっ」

「え……!?」

 

 そんな恐怖を吹き飛ばす、爽やかな満面の笑顔だった。

 

「僕はね、セシリア。セシリアが海で話しかけてくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ」

 

 貴族としては新入りで位も高いわけではないシャルロットは、自分から他人と輪に入って仲良くするような人付き合いができなかった。唯一王子だけは気さくに接してくれたものの、その王子だって常にシャルロット一緒にいられるわけではない。そんなとき、自分から話かけてくれたのがセシリアだったと、シャルロットは言った。

 最初こそ、悪役令嬢として嫌がらせのいくつかをしたセシリアだったが、夏に初めて話して以降は、セシリアが身分や立場と関係なく対等に接してくれたことが何よりも嬉しかったと、そして淑女として完璧であろうと努力するセシリアに憧れているのだと。

 

「僕がそのおとぎ話の主人公で、イチカとの関係を深めるためだったとしても、そんなの僕には何の関係もないんだ。僕にとってセシリアは、恋の好敵手(ライバル)で、尊敬するレディで、親友なんだから。それが僕にとっての、セシリアの真実」

 

 セシリアは胸に湧き上がる感動で、言葉が出せなかった。涙が滲んで溢れ出すのを、シャルロットは優しく拭った。

 

「セシリア。君は、僕だよ。僕でいてくれて、僕のことわかってくれて、ありがとう」

「あ、あああ……シャルロットさん……!」

 

 セシリアは泣き崩れた。

 セシリアはずっと悪役令嬢セシリアの亡霊に追いかけられていた。だが、何とかしなければと、宿敵だと思っていたシャルロットが、自分を闇から救い出してくれた。

 何もかもが報われる思いだった。かつての己の分身に、そして愛したキャラクターにここまで肯定されて、立ち上がらない腑抜けにはなりたくない。

 

「――セシリア、イチカを想う気持ちに、嘘はない?」

「誰よりも思っておりますわ。前世(まえ)よりずっと」

「うん、なら行こう」

「で、でも、時間が、もう……」

 

 時刻は既に午後十一時になろうとしていた。今日がもうあと一時間で終わってしまう、学園までも少なくとも一時間はかかる。

 間に合わないのでは……だがシャルロットは大丈夫、と言って。

 

「まだ間に合うよ。とびきり速い馬、用意してきたんだ」

 

 とびきりのウインクを、セシリアにプレゼントした。

 

 

 

「予定よりも遅いぞっ! 何をしていた! 今日が終わってしまうぞ!」

「ごめんごめん」

 

 防寒着を羽織ったセシリアをオルコット邸の外で待っていたのは、紅色の馬に跨ったホーキ・シノノーノだった。

 

「ホ、ホーキさん!? なんですの、その馬は!」

「こいつは姉さんが品種改良・調教を手掛けた特別軍用馬『アカツバキ』だ。姉さんから許可をもらって借りてきた」

 

 通常の馬より格段に速いのが特徴で、ここから学園まで三〇分もあれば到達でき、馬車の何倍も速い分あまり持久力がない、とホーキが説明した。

 チフユー姫の側近にしてホーキの実姉であるタバーネ・シノノーノは天才科学者としても有名であり、兵器の開発なども行っているので、その姉お手製の軍用馬となれば、その速さは折り紙付きだろう。

 

「これ以上無駄話をしている時間はない。行くぞ、セシリア」

 

 セシリアは頷くと鞍の上に跨り、箒の腰の後ろから手を回した。

 その下でぶるひんと鳴くやる気十分な様子の軍用馬は、今か今かと走り出す命令を待っていた。

 

「行くぞ、『アカツバキ』! はあっ!」

 

 ホーキが手綱を叩くと、紅のアカツバキは目にも留まらない速さで駆け出して行った。

 セシリアが振り返ると、オルコット邸ではシャルロットが手を振っているのが見えた。

 

(ありがとう、シャルロットさん……)

 

 その影もすぐに見えなくなり、ホーキとセシリアの二人を乗せた快速の馬は、目的地へ向かって全力疾走していた。

 

「……あ、あの」

 

 おずおずとセシリアがホーキの背に話しかけると、ホーキはなんだとぶっきらぼうに返事をしてから、「何も言うな、舌を噛みたいのか」と注意した。

 

「お前の言いたいことはわかっている。シャルロットとは話を済ませたのだろう、ならそれで充分だ」

「……ありがとうございます」

「礼には及ばない」

 

 学園へと向かう道中、二人の会話はそれだけだった。

 セシリアは何も言わずとも心が繋がっていると思った。わざわざ口に出さなくても、共に過ごした時間が、その中で交わした会話が、この瞬間を満たしているような気がした。

 予想していた時間より少し早く学園の敷地内に入ったセシリアとホーキは、さらに馬を飛ばして王子の待つ塔の入口までたどり着いた。

 現在時刻、午後十一時半。まだ間に合う。

 

「セシリア、まだ間に合うぞ!」

「ええ! ホーキさんありが――」

「――待て」

 

 馬から降りたセシリアにナイフを突きつけた者がいた。

 

「ボ、ボーデヴィッヒさん……」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒがそこにいた。愛用のナイフを逆手に持った状態で、セシリアに襲い掛かった。

 

「貴様を我が嫁のところへ行かせるわけにはいかんな、悪役令嬢よ!」

 

 足を狙って振るわれたナイフを間一髪避けたセシリアだったが、避けて尻餅をついてしまった。次の一撃は確実に避けられない。

 

「食らえ――」

「はあっ!」

 

 振り下ろされたナイフとセシリアの間に入ったホーキが、刀を抜いて割って入った。

 がきいん、と金属音が鳴り、セシリアに向かったナイフは、ホーキ自慢の日本刀「雨月」によって阻まれていた。

 ホーキが刀に力を込めて押し返すと、ラウラとホーキの間合いが少し離れた。

 

「何故邪魔をする」

「決めたことだ。セシリアをイチカのところまで送り届けると」

 

 ラウラの問いにホーキが答えた。

 

「貴様、利用されていたのだぞ。体よく友人として振る舞い、王子へより近づくための足掛かりにされたのだぞ、それでいいのか?」

「うるさい、知らん。そんなことは私には関係ない」

「選ばれなかった貴様が、何故セシリア・オルコットの手助けをする」

「友だから……と言っても、それはシャルロットと同じで芸がない。私には私なりの信念がある」

 

 ホーキはそう言って、腰からもう一本の日本刀「空裂」を抜き放った。両の太刀を構えたホーキは続ける。

 

「私には己の心情以上に優先する誓いがある。イチカに仕えるとき、私はこの二刀に誓った、命を賭してイチカの幸せを守ることを。そしてイチカの幸せがセシリアにあるのなら、それを守ることもまた私の使命」

 

 ホーキが淀みなく言ってのけたのがラウラは面白くないらしく、苦虫を噛んだような顔で殊勝なことだ、と吐き捨てた。

 

「シャルロット・デュノアとホーキ・シノノーノ……貴様らとセシリア・オルコットの関係は……」

「友だ! さっきも言ったろう!」

 

 ホーキが踏み込んでいくのに対し、ラウラも防御体勢をとった。金属同士がぶつかり合う激しい音の合間、立ち上がったセシリアにホーキが言う。

 

「セシリア! お前が以前、何をしていても、今どんな人間であっても! っくうぅ……!」

 

 ラウラの反撃を受け止め苦悶の表情をしながらも、ホーキは叫んだ。

 

「私が信じた! 友が信じた! 何よりイチカが信じた! ならばお前は、セシリア・オルコットだ! だから――!」

 

 ホーキが大きく二刀を振るってラウラを退けて、叫ぶ。

 

「行けッ!! そして約束しろ! 私の主を、幸せにすると!」

「……っええ! 必ず!」

 

 ホーキの激励を受けたセシリアは、ラウラの待て、という静止も聞かず、塔の最上階を目指して駆け上がっていった。

 

 

 

 

「はあ、はあ……!」

 

 息を切らしながらも、セシリアは全力で階段を上ることをやめなかった。階段の一歩一歩を踏みしめる度、感謝と後悔が何回も腹と喉元を行き来しては、セシリアを急がせた。

 ――嗚呼、わたくしの愛するイチカさんへ。こんなに待たせてしまってごめんなさい。打算ばかりでごめんなさい。チャンスをくださってありがとう、最後まで信じてくれてありがとう。

 言いたいことがたくさんある。伝えてないことが、伝えてないことが、山ほどある。だから、お願い。

 

(お願いですわ。どうか、今日よ終わらないで。絶対に彼に逢いたいの――!)

 

 一縷の望みを賭け上る円階段の終着点。

 着いた……最上階。セシリアは残ったありったけの体力を込めて、その人を呼んだ。

 

「イ、イチカさんっ!!」

 

 正装に身を包んだ後ろ姿――セシリアが呼んだその人は、セシリアの方を振り向いた。

 

「待ってたよ、セシリア。今日はもう来ないのかと思ってた」

「お、お待たせ、して、申し訳、ございません……あと、服装も、こんな、制服姿で、お恥ずかしいっ」

「い、いいから、いったん落ち着いて。それからでいいよ」

 

 疲労と安堵でぐちゃぐちゃになった肉体と精神を抱え、はあはあと息を切らすセシリアを見かねたイチカだったが、数分で落ち着いたのを見てから、イチカは隣まで来るようセシリアを呼んで、話始めた。

 

「今年になるまで、全然話してこなかったよな、俺たちってさ。婚約者なのに」

「……そうですわね」

 

 悪役令嬢セシリア・オルコットは他者への妨害は頻繁にしていたものの、王子と接触することはさほど多くはなかった。

 

「でも、今年になってからさ、セシリアはすごく俺と関わろうとしてくれたよな。結構急な変化で驚いたけど、今までは考えられないくらい仲良くなれた気がしてさ。実は俺、すごく嬉しかったんだ」

「…………」

「俺もやっぱり男だからさ。セシリアは綺麗だし、スタイル良いし、そういう女性的な魅力もあって、そういうところも気になってたけど、立居振舞いにも気品があるし、努力家だし、そういうところを見て、あーセシリアみたいな人と結婚するなら俺の王妃として鼻が高いだろーなーって、そう思ったりしてさ」

 

 セシリアがかーっと赤くなる。好きな人からこんなに褒められて、嬉しくないわけがない。

 

「そう思ったとき、気づいたんだよ。いつの間にかセシリアが王太子妃になってくれるのを考えてる俺がいることに」

 

 それでセシリアを誘おうって思った、イチカが言った。

 

「セシリアが変わったなって思ったのは本当だ。前より丸くなったと感じてた。だからもし、俺が仲良くなれたって喜んでるのがぬか喜びだったら悲しいと思って、一度距離を置いた」

「……それについては、申し訳ありませんでしたわ」

 

 いいんだ、とイチカが微笑して、それから、と続けた。

 

「一度離れて思ったんだ。セシリアが自分のためだけに俺に近づいてきたなら、セシリアといる時間があんなに楽しかったはずないって。セシリアがいなくなってからの毎日は物足らなくて、俺はイチカさんと呼んでくれた君に呼んでほしいんだって、改めて思ったんだよ」

 

 イチカさん、と掠れた声でセシリアがイチカを呼んだ。

 月と街の明かりに照らされた王子かんばせはひどくはかなげで、なのに吸い寄せられるような魔力があって、セシリアとイチカの距離は気がづけば十センチもないくらいになっていた。

 

「セシリアを信じているし、疑ってはいないけど、改めて聞かせてほしい、セシリアの気持ちを」

「イチカさん……!」

 

 感極まって、ぽろぽろと涙が溢れるのが止まらない。今日は泣きすぎて、涙なんてとっくに涸れ果てたと思っていたのに。感情が高揚すれば、涙は無限なのかしら。

 

「わたくしは、わたくしは……!」

 

 さあ、言うのです。言わなければなりません。

 

「わたくし、は……!」

 

 なのに言葉に詰まる。涙でつっかえて、苦しくて、思ったように言葉が出ない。

 

「ずっと、ずっと……!」

 

 だから、少しずつ。高まった感情に任せて。

 

前世(いままで)も、今世(これから)も……!」

 

 想いのままにぶつけたい……!

 

「――あなたのことを、愛していますわ……っ!!」

「セシリアっ!!」

 

 イチカが嬉しそうに、セシリアを抱きしめた。

 歓びと幸せが、セシリアを満たして、それが涙となって、また溢れて。

 自分の破滅ルートとか、もうどうでもよくなるくらいの幸福の中で。セシリアは王子とキスを交わしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こうして、悪役令嬢だったセシリア・オルコットは、王子と結ばれ破滅ルートを回避。ラウラ・ボーデヴィッヒは不敬罪により更迭され、投獄されることとなるのです。このように、悪役令嬢に転生してしまったセシリア・オルコットは王子や友人たちと楽しく生きていくのでした。ああっ、これにてグランドフィナーレっ!」

 

 感情の高まりを抑えきれず、一年一組の教壇をばんっと叩いたセシリア・オルコット。

 その手には丁寧に厚紙で装丁された『悪役令嬢セシリア・オルコット』と書かれた台本が。

 

「さあ、いかがでしょう皆さん! オルコット家の総力を上げ完成させたこのシナリオは! 我々一組の文化祭の出し物は、この劇で決まりでしょう!」

「「「却下!!!」」」

 

 ドヤ顔のセシリアに対して教室からわっと大ブーイングが上がった。

 セシリアが「何故ですの!?」と抗議した。

 

「不満があるなら言ってくださいまし!」

「すべてが不満だ! こんなもの当て書きではないか!」

「そうだよ! 実際の人物元ネタにするなんて反則! しかも僕負けヒロインじゃん! いい役どころではあるけど!」

「ふん、劇など面倒、私はそこから反対だ。が、嫁がお前と結婚するエンディングだけは気に入らん! 私が悪役なのはいいな!」

 

 箒、シャルロット、ラウラと一組の専用機持ちから次々にバッシングが飛ぶ。

 ちなみに鈴は二組なので劇に登場もしなければキャスティングもされていない。

 一組の他の生徒からも「オルコット優遇反対」、「織斑一夏の私物化」、「財力の暴力」など数々の批判の声が挙がり、セシリア内閣は孤立無援、どんどんと退陣へ追い込まれていく。

 

「うぅ~! わたくし、これがやりたいですわ!」

 

 結局、賛成票ゼロによりセシリア考案の劇は廃案となり、一年一組は出し物はメイド喫茶になったという。

 

 余談であるが、この無駄に手が入ったこの台本は、まもなく本国にて全冊回収されオルコット家に保管されるのだが、のちに舞台として実際に公演され、一部でプチヒットしたとかしてないとか……。

 

 

 

 

 

 




(1/8追記)
企画の終了に伴い匿名解除いたしました。
活動報告にて本作の設定等の後書きをしておりますので、よければ一読ください。リンクは↓
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=230571&uid=118496


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