俺の初恋がいつだったかと聞かれれば、高校生の頃だって答えるだろう。
初めて心が躍った。初対面なんて関係ない、勝手に目が彼女の姿を追い続けていたから。
けど、そんな恋は直ぐに終わる。
彼女には好きな人が居たから。
恋をした女性は美しくなると、どこかで聞いたことがある。本だったか、テレビだったか。少なくとも、使い古されたフレーズだろう。
でも事実、彼女は綺麗だった。
花が咲く様な笑みや、コロコロと変わる表情。誰かの為に一生懸命になれるその姿勢。
その全ては、俺の友人に対してのモノだったんだがな。
思わないでもない。嫉妬しないって言えば嘘になる。俺だって学生だし、それに好きな相手に自分を見てもらいたいと思わない筈がない。
でも、それと同時に思ったんだ。このままでもいいって。
略奪愛が趣味じゃないってのもある。けど、それ以上にたった一人を思い続けている彼女の表情が、一挙手一投足の全てが堪らなく愛おしかったから。
彼女が幸せならそれでいい。そう思えたから、俺は何も言わなかった。ぶっちゃけ後押しもした方だと思ってる。
我ながら情けない。でも、彼女が幸せそうならそれで良かったんだ。
負けていい。負けて良かったんだ、俺は。
そもそも生まれからして俺は周りより劣ってる。
両親はいない。施設育ちだし、このまま大学に行くにしても全額免除の特待生が取れなければ就職だろう。
幸い、推薦を貰える程度には努力してきたお陰でチャンスは多い。全国模試でも名前がトップ二十には入れる程度頭があって良かったとも思う。
だから、これでいい。俺じゃ多分、彼女を幸せにできないから。
良い筈、だったんだがなぁ…………
*
俺、
それも、たった一人で城みたいに馬鹿でかい門の前に居ます、ハイ。
「…………何でだ……!俺じゃなくて、アイツの仕事だろ!橘が好きなのは、楽じゃねぇか!?」
最早城門って言われても違和感のない門の前で頭を抱えて叫ぶ男子高校生が居た。というか、俺なんですけどね、ハイ。
ハイハイ五月蠅いって?こっちだって
元はといえば、橘の病状悪化と何言うかもハッキリしない楽のせいだっての。
何でも、橘は病気の為に二年間はアメリカに行かなきゃならないし、何より家が決めた婚約者と無理矢理結婚させられるんだと。
いや、まあ…………うん。雲の上みたいな話なんだが、とにかくそんな話があったんだと。
で、だ。楽も楽で、橘の好意に答えるつもりはない、というか応えられないというか、アイツもアイツで結構色々と抱えてたんだよな
分からないでもない。好きな奴がいたのに、偽物の恋人作らされて、その恋人にも惹かれてどっちにも傾けなくて、更にそこから横槍の様なでっかい好意だ。
当事者間の問題だからって、口を出さなかった俺が言う事じゃないが、先延ばしは何も生まない良い例だよな。
そして本題なんだが、俺は橘が好きだった。過去形になるのは、アイツが楽の事が好きだって一目瞭然だからだな。
気づかれては無かった。つい数時間前まで。少なくとも集と宮本には多分バレた。あの二人は必要以上に突っ込んでこなかったけど。
むしろ、腫れ物を触るような態度の方が心に来たけどさ。
まあ、そんな事はどうでもいい。篠原さんの手引きで地下通路も使えたはずだったんだが、俺は断った。
友達の家に来て、裏口から忍び込むってのは性に合わなかったからな。
「んじゃ、行こうか」
大門の前で確りと筋肉と関節を伸ばして、両手をつく。
「お邪魔しますよ、と」
扉を押し開けるのさ。
*
鎧塚銀という少年は、孤児である。
何でも今どき珍しく、赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられていたらしい。
黒髪黒目の典型的な日本人であり、見た目はヘラヘラとした緩さの感じられる少年でしかない。
だが、その肉体に関しては“普通”等という言葉では言い表す事の出来ない特異性を有している。
常人の十数倍、下手すれば数十倍にも及ぶかもしれない筋密度、骨密度を誇っており文字通りの超人であるのだ。
無論代償もある。圧倒的すぎるほどの代謝が食事を常に求めるのだ。食費だけでも月に一人で数万などザラであると言える。
そんな彼は、基本的に本気で動くことが無い。動けば怪我人を出してしまうし、必要以上に色々壊してしまうから。
だが、この日、この時間だけは彼は全てを擲った。
例え全てを失う事になろうとも、それすら厭わずに彼は力を開放した。
やる事はシンプルだ。
正面突破。この一点に尽きる。
「セアアアアッ!」
鋭い拳が迫り、深々と銀の頬へとめり込んだ。
仰け反りかける体。だが、強靭な筋肉はそれを許さず拳を食らった姿勢のまま腕を掴むと、まるでタオルでも振り回すようにして自身の上で振り回し、近くの池へと放り込んでいた。
正当防衛。自分の体に全てを懸けて一度攻撃を受けて、その上で一発だけ返す。その繰り返しで彼は本丸を目指していた。
プロの護衛を前に実に不合理な事であるのだが、そんな事は関係が無い。
銀は知っている、護衛をしていた者たちを彼の思い人は大切に思っても居たことを。故に、必要以上の怪我を負わせることは本意ではない。
それを知ってか知らずか、顔見知りの護衛は若干手緩い。とはいえ、クリーンヒットするポイントを若干ずらす程度でしかないが。
如何に強靭な肉体といえども、ダメージは蓄積していく。それこそ、既に着てきた服はボロボロであるし、頬からは血も流れていたりする程度には。
それでも、その行軍は止まらない。止めるわけにはいかないというのもあるが、やはり彼女が幸せになってほしいというのが本音であるから。
例え、自分にはその笑顔が向けられないのだとしても、それでも良かった。
「…………ハァ、何やってるんだか」
鼻血を拭って、銀は目の前の建物を見上げた。
「城だな。俺は、虚刀流じゃないんだが」
やれやれ、と肩を竦めて拳と掌を打ち合わせる。見た目は酷くとも、まだまだ彼の体は元気であるし力も溢れている。
最初の様に、門を押し開けて中へ。
「そこで止まってください、鎧塚様」
「どうも、本田さん」
門をくぐった彼を待ち受けていたのは、片目を隠した男装の麗人。
「何の御用でしょうか?」
「体調崩した友達の見舞いっすよ」
「その為に、態々?」
「まあ。言いたい事が無いわけじゃ、無いんすけどね」
「そうですか…………ですが、ここまでです」
本田が構える。
殺す気はないが、少なくともここから叩き出すぐらいはすることだろう。
だが、
「下がりなさい、本田」
凛とした声が一触即発のこの状況を止めた。
(うっわ、若いな…………)
吹き抜けとなった二階。上り階段の最上段に、豪奢な衣装姿の女性が現れていた。
「母君様」
「えっ…………あ、あの人が橘の…………?」
銀が目を見開くのも無理はない。
目の前の女性はそれだけ若かった。そして、同時に彼はある事にも気づく。
(目に光が無いんだが…………?)
銀もよく知る瞳がそこにあった。
孤児院の出身だからこそ、見たことのある目。
「ここが橘の家だと知っての狼藉?」
「狼藉ィ?俺は単に、体調を崩した友達の見舞いに来ただけっすよ」
「乗り込んだでしょう?」
「いやー、ノックはしたんですけどね。聞こえなかったみたいで」
彼女、橘千花は眉根を寄せる。
ヘラヘラとした男だ。年も自身の娘と変わらないであろうに、人としての妙な厚みがある。
「不法侵入よ」
「いや、正当防衛っすよ。多分、百人以上には一発以上殴られてきたんで」
何でもない様に嘯くが、常人の耐久度ではない。
肉体と精神のタフさ。折れない心を軸として、超人的肉体が立ち上がる。
「理由は、万里花かしら」
「まあ、友達っすからね」
「そんな事の為に、ここまで来たのね。けれど、無駄よ。あの子の未来は決まってるの」
「あ?」
淡々と言葉を紡ぐ千花に、銀の眉間がしわを寄せた。
「婚約って奴っすよね。橘が望んでなくても、っすか?」
「私も、その上の母も皆家に決められた結婚相手と結婚してきたわ。私は、万里花よりも体が弱くて、満足に外にも出られなかった。なぜ、あの子だけが特別扱いされなければならないの?」
「…………」
彼女の問いに、しかし銀は衝撃を受けるでもなく、顎を掻いて首を傾げる。
「お家事情って奴っすね。孤児の俺にゃ、分からない世界だ」
間を開けて、そんな事を呟いていた。
更に、頭を掻きながら続ける。
「俺の親が、どんな気持ちで俺を捨てたのか、そんな事は分からない。けど、」
言葉を一度切り、彼は胸を叩く。
「俺は、鎧塚銀だ。この名前は、俺が入れられてた布包みの中に入ってた紙に書かれてた名前らしい。唯一の贈り物だし、単なる置き土産なのかもしれない。けど、この年まで生きてきて、俺は親を恨んだことは一度もない。むしろ感謝してるぐらいだ」
「…………」
突然の自分語りに、聞いている大人二人は眉根を寄せる。
要領を得ていない自覚はあったのか、銀は再度頭を掻くと指を立てて空中を掻きまわし口を開く。
「まあ、つまり、ほとんど影響を受けてなさそうな俺でも、親の影って言うのは少なからず付いて来るって話っすよ」
「………何が言いたいのかしら?」
「要するに、自分の復讐を子供にするなって話だな」
うん、と頷く銀。
彼の言葉を受けて、千花の表情が初めてほんの少しだけ変わった。
「私が、万里花を使って憂さ晴らしをしてると?」
「少なくとも、外野の俺にはそう見えましたがね」
「…………家のしきたりは絶対よ」
「それが間違ってる、何て言いませんって。ただ、俺は橘に笑って生きて行ってほしい。アイツの笑顔が翳るのは見たくないんで」
目ざとい者ならば、気づくだろう。彼の言葉の含みを。
そして、千花は気づく人種。
「貴方は、万里花が好きなのかしら?」
「好きですよ。心の底から、誰よりも」
問いに対して一切隠す事は無い。
そして、この答えに傍らに控える本田は目を見開いていた。
「おかしいわね。貴方、本田の報告では万里花の後押しをしていたそうじゃない」
「そりゃ、俺は横恋慕って知ってますからね。橘は、楽の事が好き。そして、俺はそんな橘が好きなんです。ほら、言うじゃないっすか女性は恋をすると美しくなるって」
「その為に、背を押したの?」
「まあ、近くで話せるっている魅力に負けたとも言いますがね。でも、俺はそれで良いし、これから先もアイツには伝えるつもりはないっすよ」
「それは、伝えても無駄だからかしら?」
「いいえ、単に気持ちの問題って奴っすね。橘は優しい。そんなアイツが、今まで相談してきた相手に告白されたら罪悪感を覚えかねない。俺は、アイツに笑顔で居てほしい。だから、言いません」
好きだから、銀はこの思いを永遠に胸の内に沈める事にした。
だからこそ、この場に居るとも言えるが。
「…………本田」
「はっ」
「万里花の部屋に案内してあげなさい」
「……よろしいのですか?」
「ええ。少なくとも、あの子の思う彼よりもマシでしょう」
それだけを言い、千花は踵を返して屋敷の奥へ。
「…………へ?」
「鎧塚様。こちらへ」
「あ、え?」
「先に、治療します。擦り傷といえども、お嬢様に面会されるのでしたら身綺麗にしなければ」
流れるような事態に、銀は目を白黒させながら屋敷の奥へ。
「…………」
そして、彼は気づかなかった。二人の会話を聞いていた者がいたことを。
*
緊張する。うん、心臓バックバクなんですけど、耳から心臓が飛び出そうなんですけど。
「え、大丈夫?血の臭いしてない?」
「していません」
「ちょっと辛辣じゃないっすか、本田さん」
割と仲が良いと思ってた本田さんが妙に辛辣なんですけど。俺、何かやったっけ?
「では、私はこれで」
「あ、はい」
行っちゃったし。えー、マジで?これ俺一人で吶喊しなきゃいけないパターンの奴?
いや、まあ、ここまで乗り込んでおいて今更尻込みするのも、らしくない、か。
「んじゃあ―――――うぇ?」
「どうぞ、鎧塚さん」
扉をノックしようとしたら、扉が開いたんですけど。
ついでに、パジャマ姿の橘が目の前に居るんですけど!?
「お、おおおおお邪魔し、ます!」
「フフッ、そう硬くならずとも。さあ、どうぞ」
ここが、
*
久しぶりの顔合わせから、三十分。
「「…………」」
二人の間には沈黙の帳だけが下りていた。
気まずいというか、いつもならば彼女、橘万里花の方から話題を振る為、銀から何かを語る事は無いのだ。
故に、沈黙。口火を切る側が沈黙を保っているため、どうしようもない。
「あー、橘?」
「はい」
「いや、その、体調は大丈夫か?」
「ええ、問題ありませんわ」
「そ、そうか…………いや、本当なら楽の奴を連れてくるべきなんだろうが。悪いな、俺で。見舞いの品とか気の利いたものも用意してな―――――」
「鎧塚さん」
「ん?」
「貴方が…………私を好き、というのは本当ですか?」
「ッ!?」
銀は思いっきりむせた。ついさっき、隠し通すと決めた気持ちを、その相手がなぜ知っているのか、と。
「い、いいいいきなりなんだよ!だ、大体何を根拠に―――――」
「お話を、聞いていましたの」
「…………マジ?」
「マジですわ」
俯く彼女に、銀は席を立ちあがると両手をわちゃわちゃ動かしながら弁明を述べる。
「あ、アレだから!別に騙してたとかじゃないんだ!橘の恋を応援してたのは本当だし!嘘なんて一つも―――――」
「分かっていますわ。ですから、少し落ち着いてください
クスクスと微笑む万里花に促され、銀は再び椅子に腰かける。だが、落ち着かないのか居心地が悪そうにソワソワしていた。
「熱烈な言葉でしたね」
「うぐっ…………いや、まあ…………本音だし」
「私の笑顔が好きだとか?」
「むっ……………………はぁ……好きだよ。好きだ、大好きだ。橘の笑顔が好きなんだ」
「殿方は、私の御胸ばかり見る方も多いのに、貴方は真っ直ぐに私の顔を見ていましたよね」
「一目惚れだったからな。俺も、ここまで誰かを見て、熱くなれるなんて思いもしなかった」
拳を握る、彼の胸の内は今も騒めいている。
開き直ったとはいえ、思い人にやけくそ気味に言葉を投げるのはどうなのだろうか。
「……………………ごめんなさい」
小さく呟かれた、万里花の言葉。
「私、ちっとも…………」
「いや、俺が気づかれないようにしてたからな」
「それでも、です。貴方には何度も…………」
「俺は、それでも楽しかった。本当さ。俺は橘に頼ってもらえてる、そんな自己陶酔を感じていられたからな」
それに、笑顔も見れた、と彼は笑った。
本当に満足そうで、こんな機会が無ければ万里花は本当に鎧塚銀という少年が抱えた内面に触れることなく、中の良い友人だけで終わってしまっていたであろう、そんな笑み。
改めて思い浮かべても、彼は真摯に万里花の恋を応援し続けてきた。その胸の内は一度も零すことなく。
孤児という立場。共同生活する者たちは、他人とも言えずしかし家族とも言えないようなそんな面々。
出ていく者も居れば、入って来るもの、場合によっては戻ってくる者も居る。
我儘なんて言えるはずも無いし、年長者ともなれば常に誰かの面倒を見る事にもなる。なまじ、頭がよく体も強靭な銀はその役目が多かった。
いつしか、自分の意見よりも目の前の誰かを優先する。誰かが幸せならば、それでいい。そう考え、根っこにまで沁みついていた。
「銀さん」
「ん?……………………あれ?」
「私、もう一度楽様に告白しようと思います」
「え、あ、うん………良いと思うが……………………橘、さっき俺の―――――」
「そして、銀さん。貴方の告白、前向きに検討しますわ」
「…………………………………………は?」
銀の思考が今度こそ、空の彼方へと飛んでいく。
だが、次の瞬間彼の中に浮かんだのは、怒りにも似た感情であった。
「それは…………結婚したくないからって言う、人避けか?」
声は、知らずの内に冷たく、重く。ともすれば、ゾッとするほどのもの。
だが、万里花は顔を反らさない。
真っ直ぐに彼を見返している。
「いいえ、違います。ただ、今の私と貴方ではフェアじゃありませんもの」
「いや、俺が一方的に好きになったってだけで…………別に合わせる必要はないんだぞ?」
「恋とは一方的な物でしょう?私の楽様への気持ちの様に」
「…………ッ、でもな……」
「あー、もう!」
煮え切らない銀に、万里花は立ち上がると詰め寄った。
「ウチはケジメばつけんといかんと!」
「で、でもよ…………俺、孤児だし」
「知らん!」
「親なんて知らないし…………」
「知らん、知らん!」
「し、幸せにできるなんて保証無いし…………」
「そげな事、知らん!ウチが決めた事ったい!それとも…………」
万里花は、ジッと銀の目を見返す。
「好きって言ったのは、嘘やったん…………?」
「そんな事ない!俺は、橘万里花が大好きだ!」
ノータイムの返答に、万里花は花の咲く様な笑みを浮かべた。
「お相手も、この結婚話には乗り気じゃないようなんです」
「へ?」
「母が勝手に決めた事ですから…………でも、銀さんが乗り込んできて少し変わったのかと」
「俺が原因か?」
「だって…………」
少し離れ、腰をかがめて目を合わせてくる万里花は歌うように言葉を紡ぐ。
「たった一人で敵の城に乗り込んで姫を救おうとするなんて、まるで勇者様みたいじゃありません?」
「…………俺は、いいとこ農民だろうよ」
「かもしれません。けれど、私にとっては
「…………」
居心地悪そうに、銀は頭を掻いてそっぽ向いた。
ついでに、緊張がゆるんだのか、腹の虫が鳴く。
「…………スマン」
「いいえ。何か用意させましょう。銀さんもお疲れでしょうしね」
*
俺の話は、これでお終いだ。
先がどうなったかって?まあそれは、ご想像にお任せするって話だ。