そのうち領家がなんとか回復した頃合いになって、本格的に列が動き始めた。
「いよいよだな!」
回復した領家は、しっかりと俺のコートの背を掴みながら、うずうずと待ちきれない様子だった。
完全に活動の目的を忘れているなこいつ……。しかしそれも、無理のない話だ。
なにしろ、周りにはあまりカップルの姿は見受けられないのだ。家族だったり、夫婦だったり、老後のサークル活動の仲間内だったり、そんな感じの人が多かった。
むしろ俺たちが「若いっていいわねぇ……」的な目線で見られる立場だった。
本堂へ向かってゆっくりと進んでいく列の中で、俺たちはいくらか話をした。
他愛のない話だ。学校がどうだ、とか、来るまで見ていたテレビ番組の話だとか、そういった類だ。革命運動の話は、あんまりでなかった。
そういうとき、領家はいたって普通の女の子だ。いや、普通じゃない。可愛い。とびきり可愛い。俺はそう思う。
会話が途切れても、そのままで平気だった。妙な気詰まりは、領家との間では不思議と存在しなかった。なぜだろう、と考えていると、また会話が始まる。
長かったのか、短かったのか、よくわからない待ち時間の後、俺らは参拝を終えて帰路に入った。少し人と人との間に余裕ができ、やっと一息つける。
そんな時だった。
「あれ、比企谷君と領家さん……?」
心臓が飛び出るかと思った。声のした方向を見ると、たしかにそこには見知った顔――いつも昼休み男とテニスをしている女子の姿があった。
「戸塚くん」
領家が答えた。「こんばんは、明けましておめでとう」
領家の口調は革命家の時とも、俺と普通に会話している時とも違う。いたって事務的だった。
「あ、うん、あけましておめでとう」
「領家、知り合いか?」
「一応、同じクラスなんだけどな。……はは」
戸塚は固まったように笑う。
なんだか申し訳ない気がしてくるが、こいつは部活と称して俺の目の前でいつも男とイチャコラしていた。つまり俺たちの敵だ。
しばらくすると、目線が俺のコートに向いていることに気づく。
「領家さんたちってもしかして付き合っているの?」
戸塚が言う。純粋に興味があるように感じた。しかし領家は、それを受け流さず、突っかかろうとする。
「わ、我々は!」
まずい。このまま暴走した領家に喋らせていたら、いろいろと厄介なことになる――俺はぐっ、と恥ずかしさをこらえて、領家の継ごうとした言葉を、強制遮断した。彼女の後ろに回り込んで軽く抱きつき、その方に顎をのせた。領家は案の定、フリーズした。こちらも、脳が沸騰しそうなほど恥ずかしいが、さらにそれを上塗りしなくてはならない。
「べつに隠してたわけじゃないんだけどな」
「やっぱりそうなんだ⁉ おめでとう」
「戸塚は1人か?」
「いや、テニス部の何人かと来てるんだ。良かったら一緒に回らない?」
躊躇してはならない。優柔不断は必ず付け入る隙を与える。嘘でも盛大にデコレーションすれば、相手を威圧するには十分だ。息を吸い込む。
「遠慮するよ、今日は薫のこと独り占めにしたいんだわ。年のはじめだからな。また誘ってくれよ」
そう言いながら手を振って、俺は領家とぴったりくっついたまま動いていく。
「ははは、ごちそうさま」
戸塚の姿が見えなくなったのを確認してから、ホールドを解除する。
領家は真っ赤だった。ゆでだこのように、というのはまさにこういった状態のことを指すんだろう。俺は冗談みたいに冷静な顔で、そんなどうでもいいことを考えていた。
「おい領家、しっかりしろ。敵は過ぎ去ったぞ」
「……お前は……なんという」
ダメだ、放心状態になっている。しかし俺はだんだん、どうやって彼女を御せばよいのかコツをつかみ始めていた。
「領家同志、今の、クラスメイトに突っかかろうとした君の態度は、愚かしいぞ。自己批判を要求する!」
すると領家の目にはパッ、と光がもどる。しかしその目は鋭い眼光をたずさえて、俺を射抜いていた。
「何故だ! 我々は恋愛という蛮行をこの地上から追放するために結社したのだ! どうして逃げた! しかも自ら恋愛信奉者を装ったのは革命家として、羞恥の極みと言わざるを得ない! 貴様こそ自己批判せよ!」
「領家同志、お前には今、闘争をするための準備がととのっているのか? 特に顔を隠すヘルメット、布を巻いているのか?」
俺の問に、領家は押し黙った。
「『我々の活動は、秘密主義的にならざるを得ない』お前の配ったビラにはそんな文があった。これは偽りか? 我々の活動は、素性を知られていても構わず続けられるような、日和見主義的なものだったのか? しかもお前は議長だ。一時の感情で、同盟全体を危険に晒そうとしたのだ! そして恋愛狂信者を装ったことに関しては、彼女の上をいく恋愛発展段階を見せつけることが奴を退散させるための最も効果的な方法であると、領家同志自らが、あの屋上事件で示して見せたのではないか!」
それを聞くと、領家は悄然とうなだれた。
ちなみにやりとりは全部小声で行われている。
「はやる気持ちは俺にもよく分かる。しかし我々は、崇高なる『恋愛放棄・粉砕』という目標達成のために、むしろ一歩引く『勇気』も必要なのだ」
「……私が誤っていた。比企谷同志、窮地から私を救ってくれたこの恩、決して忘れない」
領家はそう言うと、手を差し伸べてきた。俺はそれを取り、硬く握手を結ぶ。
「……で、でも……めっちゃ恥ずかしかった」
さらに小声になって、震えた声で彼女は言った。
それを聞くと、俺は自分の行ったことが、ぶわっ、と脳裏によみがえり、凍っていた血が一気に沸騰したみたいに、身体が熱くなった。
ふたりして真っ赤になって、それでいて握手、はたから見れば手をつないだ状態になっている。そのことが追い打ちをかけるように、鼓動を速く打たせた。
ぱっ、とどちらからともなく手を離すと、同時にうつむいて、お互いの顔を見ることができなかった。