今日のごはんなに?
※恋愛ものです
今日ごはん何にするの?
頭の後ろから呼ばれた。聞きなれた低い声だ。
「今日はカレーです。さつまいも入れるとおいしいんですよね。」
おお、いいね
残りの仕事を片付ける。帰り道のスーパーでしめじと鶏肉を買って帰ろう。恋人は今日も遅くなるだろうか。後ろの席の上司はコーヒーをすすり、大きく伸びをした。中川課長のいつものはブラックコーヒー。今日はミルク入り。お疲れだろうか。
カレーとかシンプルなの食べたいなあ。なあ吉野、今度俺にも作ってよ。
「なんで中川課長に私が作るんですか。料理できるんだから自分で作ったら良いでしょう。」
んんんそうだなぁ。
定時のチャイムが鳴って給湯室で自分のマグカップを洗う。使い込んだカップの汚れはもう落ちなくなっている。
「俺のもー」
課長がもっと使いこんであるカップを流しに置いた。仕事を増やさないでほしい。
「今日は何時?」
「21時には。ごめんな。」
恋人の大きな手が頭に乗る。
「いいえ。無理しないで。」
今日で恋人と付き合って1年になる。煩わしいのは良くない、と社内では誰にも関係は伝えていない。給湯室の外から名前を呼ばれている。先程後輩から依頼された書類のチェックだろう。返事をしようと振り返ると、恋人の唇が額に触れた。
「…馬鹿じゃないの?」
「カレー、ちゃんと残しといてな」
返事はせずににらみつけた。何かうまいものでも食べに行こうといったのは恋人の方だ。21時とは?意味がわからない。明日も仕事だというのにその時間からどこに何をしに行くというのか。カレーを残しておいて、とは?私だけで食べきることはできないし、うまいものって何か?ただの私のカレーか?私の気持ちは?
「いま行きます。」
課長と目を合わせたまま給湯室の外に返事をした。
「奈緒。急ぐからさ。」
「お気をつけてどうぞ。」
書類のチェックを終えたら早々に帰ろう。付き合って残業するような気分でもない。
1年前の今日は酷く冷える金曜日だった。2月初めに大雪が降って、中川課長は1日中寒い寒いとぼやいていた。飲み会の時に連絡先を交換してからというもの、定期的に他愛のない連絡がきていた。
今日夜ごはんなに?
今日はさばみそです。
おつかれさま 今日は忙しかったね
お疲れ様です。今日は豚汁作ってみました。
えぇぇ俺も食べたい
自分で作ったら良いじゃないですか。木村主任が中川課長は料理上手いって言ってましたよ。
今日はごはん何にするの?
今日は友人と飲みに行くんです。
おっと邪魔しちゃ悪いね
今日は酷く冷えるね
そうですね。なにか温かいものでも食べたいですね。
鍋?かれー?
かれー? 笑 寒い日は鍋でしょ?
え?鍋?つくってくれんの?
私が?なぜ?あ、でも作るならカレーが良いです。
え?まじで?食べに行って良いの?
うわあ、課長なんか変なことする気でしょう。絶対家にあげない。
えぇ頼むよ 話聞いたらカレー食べたい
「え、カレーにさつまいもいれるの?じゃがいもでしょ?」
ちょっと辛いカレーに甘いさつまいもとにんじんを入れるのが好きでカレーのときはこれと決めている。
「まあまあ、絶対おいしくなりますから。」
内心気が気じゃなかった。リビングでただ待つのが申し訳ないからと、背後をうろうろしている。何よりこの人は恋人ではない。2年前奥様と別れたと聞いたがその時のことを私は知らない。子供はいないらしい。煮込んでいる間にいつもの他愛のない話をして、仕上げに少し牛乳を入れて、もう一度火にかける。頭の上の方から低く呼ばれた。課長は背が高い。
「吉野」
「…はい。」
課長は何も言わなかった。代わりに肩のあたりが重かった。課長の長い腕が私の体を抱えた。見慣れない私服のパーカーが柔らかい。深く髪の匂いを吸い込むのが聞こえる。鍋がコトコトいっている。私が振り向けば唇が触れる。
「…吉野」
課長の声がかすれた。指の長いかさついた手が頬に触れた。息をするのでやっとだった。かさついた手がコンロの火を止めた。