□将都冒険者ギルド 【迎撃者】水無月火篝
「…………」
……落ち着かない。
一応手には【クエストカタログ】――専用の設備に設置したクエストが表示される【職業診断カタログ】と同種のアイテムで、今までクリアしたクエストの数や難易度により表示されるクエストが変わるなどの機能を持つ――があり、開いてはいるけど……正直、そちらに集中できない。
その原因は、分かっている。
ティレシアスの視界で、カウンターの方を窺う。
そこでは、しきりに時計とお座敷の方を確認しながら対応を行う受付嬢……茜ちゃんがいた。
その姿を見た瞬間、先程言われた言葉が蘇る。
『あの子も貴方と話したくてうずうずしているようですしね』
……これはやっぱり、そういうこと、でいいんだろうか?
茜ちゃんも俺と喋りたいと、そう思っているのだと、思ってもいいんだろうか……?
「~~~~~ッ」
そう考えた瞬間、顔がだらしなく緩みそうになり、咄嗟に表情を引き締める。
これまで何度か言ったかもしれないが、俺に友達と言えるのはほぼいない。
幼少の頃から少なかったが、あのトラウマを植え付けられた出来事があった後、極端にいなくなった。
というか、俺の方から離れて行った。もうこれ以上、傷つけられたくなかったから。
あの頃の友達で今も交友があるのは、俺が離れようとしても追い縋って来た健だけだ。
中学を卒業し、高校に入学した後、健が仲良くなったクラスメイトの二人と知り合いにはなったが、友達というにはまだ距離がある。付き纏う変人はいるが、あいつは論外。
つまり、友達と言えるのは健だけだが、あいつはあいつで、どちらかと言えば“幼馴染”や“悪友”というべき存在で、純然たる友達はいない。
……そんな俺が、“自分から友達になりに来てくれて”“そこにあの時みたいな悪意が欠片もなくて”“自分と話がしたくてそわそわしてくれる”友達が出来たら、どうなるか、明白だろ?
……嬉しさでニヤけるに決まってるよな!?
あーヤバイ。嬉しい。マジ嬉しい。
茜ちゃんが俺と友達になりたいと思ったのは、絶対、俺がこの姿だからだろうから、騙しているような罪悪感はあるけど……でもやっぱり嬉しい!
頑張って表情筋を操作していると、その最中でも注意を払っていたカウンターの方で動きがあった。
茜ちゃんがカウンターを他のギルド職員に任せて、こちら側に来たのである。
それを認識した瞬間、“女性らしさ”と“火篝らしさ”の二つの雰囲気を被る。
露骨かもしれないけど……だって、幻滅とかされたくないし!
視界の端で先程対応してくれた受付嬢さんが微笑ましそうに見ているのが分かるが、そちらに意識を割く余裕もない。
……人との関わりで、ここまで緊張したのはいつぶりだろうかな?
「あ、あの、火篝さん!今、お話しても良いですか!?」
「ええ、大丈夫ですよ」
私の前まで来た茜ちゃんが、かなり緊張したような雰囲気で私に話しかけてくる。
それに俺は、カタログを閉じて余裕綽綽といった感じで返すが、その内心では心臓がバクバクしている。
それが顔に出てないかだけが心配だ。
「ここ、座って下さい」
「あ、はい。失礼します……」
俺の横の座布団を叩き、茜ちゃんを誘導する。
座った茜ちゃんは不安気な表情の上目遣いで、俺を見上げてくる。
「あ、あの、大丈夫でしたか……?」
「え、何がです?」
「だって、フィールドに出て、2日以上も帰ってこなかったので……」
へ、2日?
俺、そんなにフィールドに行ってないと思うんだけど……。
昨日は早くからログアウトしてたし、どんなに長くても半日もかかってない……って、あ!
そうだよ、三倍時間!
俺がログアウトしたのは昨日の午後5時で、ログインしたのは今日の午前8時。
現実だと15時間だが、それだけでも、デンドロ内では45時間……2日近く経っている。その上、フィールドで狩りもしていたから、2日以上は確実に経っているだろう。
確かに、フィールドに狩りに行ってからそんな長い時間帰ってこなかったら、不安にもなるだろう。もしかしたら死んでいる可能性もあるし。
……あれ?でも俺〈マスター〉だから、ログアウトしている可能性もあるし、それに死んでも生き返るから、そんなに心配することではなくないか?
……あ。もしかして茜ちゃん、俺が〈マスター〉だって知らない?
「2日間のほとんどはログアウトしていたので、そんなに長くフィールドにはいませんでしたよ?」
「……え?ログアウト?」
俺の言葉が予想外だったかのような反応をする茜ちゃん。
あ、やっぱり。俺が〈マスター〉だって知らなかったっぽい。
「私、〈マスター〉なんですよ。知りませんでした?」
左手の紋章――マスターの証――を茜ちゃんの前にかざす。
「え、え!?そうだったんですか!?」
驚愕する茜ちゃん曰く、〈マスター〉が目に見えて増えだしたのが昨日からであったため、その前の日に冒険者ギルドに来た俺のことは〈マスター〉だなんて考えもしなかったらしい。
「でも私、和服じゃなくて洋装だし、おかしく思わなかったんですか?」
「珍しいとは思いましたけど、極稀には大陸の服装している方もいますし……それに、とても似合って綺麗だったので、違和感も感じませんでした!」
「そうですか……」
うむ……褒められ慣れてないから、照れるな……。
「火篝さんはこの後、どうするんですか?」
「いくつかクエストを見繕って、またフィールドに行こうと思っています。……ああでも、まず加工の当てを探した方が良いでしょうか?それとも、もう少し素材が集まってからの方が……」
「……何かお悩みですか?私で良ければ聞きますよ?」
「……そうですね。お願いします」
先程の狩りで【隠形子狐の尻尾】がドロップし、それを加工するアテを探すにはどうすれば良いのか、あるいはすぐに装備品に加工せず、もう少し素材を集めた方がよいのか迷っている、ということを話す。
「……それでしたら、私の馴染みの加工屋を紹介しますか?そこの店主に相談して、費用とか、どんな性能になるかとかを聞いてから、どうするか決めたらどうですか?」
「本当ですか?頼んでしまってもいいです?」
「はい、もちろんです!」
そう言って屈託のない笑顔を向けてくれる茜ちゃん。
うわ……この子天使だ。間違いない!
「私の休憩時間はあと一時間くらいありますし、今から案内しますね」
「ありがとうございます」
「いえいえ!」
カタログを所定の位置に戻し、お座敷から立ち上がってギルドから出ようとするが……。
「おい、退けろよ!NPC風情が、プレイヤーの邪魔してるんじゃねぇよ!」
「うおっ、危ないな!」
「えぬぴーしー?……それが何かは分からんが、順番は守るものだぞ?」
突如カウンターの方から聞こえてきた怒号に、茜ちゃん共々足を止めてしまう。
振り向くと、俺が先程まで並んでいた買い取りカウンターの列の前で、三人の男が1対2で向き合っていた。
2人の方は、使い古された甲冑を着込んだまだギリギリ青年と評せる者と、布に包んだ何かを腰に挿した着流しの中年。恐らくティアンの武芸者たち。
それに相対する一人の方は、天地に似合わない騎士鎧を着た、二十代前半辺りに見える青年。その恰好から、恐らく〈マスター〉だ。
「は?何で俺がNPCの列に待たされなきゃいけないんだよ!お前らはプレイヤーを助ける立場だろ!」
「うーむ、錯乱してるのか?〈マスター〉の様だし、世界を渡った影響か?だからと言っても、秩序を守らぬ理由にはならぬぞ」
「そうだぞ。列は後ろに並んで待つ。それが常識だろ?」
ティアンの二人は青年を諭そうとしている。
……だが、青年の方はそれを聞く気がないようだ。
「うるさいんだよ!《苦痛に嘆け、死を感じよ》ッ!!」
鬱陶しそうにしていた青年がスキル名を高々と宣言すると、魔法陣らしきモノが甲冑ティアンの足元に浮かび、妖しげな紫の光を放つ。
「……うぐっ!」
その瞬間、甲冑ティアンの全身が硬直し、床に倒れこむ。
……ティレシアスで看破してみると、彼は【呪縛】――身体が動かなくなり、動作が制限される――という状態異常になっていた。
確実に先程のスキルの影響だろう。
相手に攻撃を加えたことに、ギルド内は少し騒然となるが……よく見てみると、騒いでいるほとんどは〈マスター〉であり、ギルド職員やティアンの武芸者たちは特に動揺していなかった。
ここは冒険者ギルドという戦闘職が集まる施設。
当然荒れ事も日常茶飯事であり、慣れているのだろう。
看破した限り、青年のレベルは10程度だし、エンブリオの補正を含めても、ステータスはかなり低い。
エンブリオのスキルは強力だが、すぐにでも鎮圧されるだろう。……
確実に、俺が出しゃばらなくてもすぐに収まる。
だが……。
「はっ!NPCのくせに俺に逆らうからこんな目に合うんだよ!どっちが偉いか、よく考えてから行動しろ!」
だが、その物言いには黙っていられなかった。
「はぁ。よくあることだし、穏便にすませようとしたんだがな……そっちが手を出した以上、こちらも力で解決するぞ?痛いかもしれないが、恨んだりは――」
「……何を、しているんですか?」
ピシッ。
そんな空間が軋むような音が、辺りから聞こえてきた気がした。
着流し中年が布に包まれた得物を取り出し、実力行使に出ようとした瞬間……それを遮った俺の声で、周囲の空気が凍る。いや、俺が意図的に
声に怒気を込め、青年に叩きつけたのだ。
「……あ、あ……」
「じょ、嬢ちゃん……」
その威圧を直に浴びた青年はへたり込み、着流しティアンは信じられないような目で俺を見つめる。
……ここまでなるとは思わなかったけど。でも、やりすぎだとは感じなかった。
コツ、コツ、と靴音が響くくらいの静寂の中、青年に近づき、能面のようになった顔で見下ろしながら声を発する。
「何をしているのかと、聞いているんです」
「…………え、NPCが邪魔してきたから、それを退かしただけだろ!何でそんな怒ってるんだよ!」
俺が女と知って気を持ち直したのか、怒鳴り返してくる青年。失態を晒してしまったのが余程恥ずかしいのか、顔が真っ赤になっている。
「NPCなんて、俺たちプレイヤーがゲームを楽しむ足掛かりになるためだけに存在してる奴らだろ!そいつらが俺の邪魔をしたんだから、それに制裁をするのは当たり前だろうが!?」
「…………」
へぇ。NPC、ねぇ。
こいつには、ティアンがそう見えてるのか。
これほど鮮明に生きている存在が、今までのゲームにいた、プログラムでルーチンが設定された存在と同等なのだと。
……だが、この〈Infinite Dendrogram〉をあくまで
いやむしろ、ゲームとして発売され、ゲームとして入った〈Infinite Dendrogram〉を本物の
ダッチェスがチュートリアルの最後に言っていた。『これから始まるのは、あなただけのオンリーワンの物語』と。
ルイス・キャロルが言っていた。『〈Infinite Dendrogram〉は、あなただけの可能性を提供します』と。
恐らく、このデンドロのコンセプトはそこだ。
“人それぞれの可能性”。どう考えてどう選ぶのも、その〈マスター〉の自由ということ。
だから、こいつがティアンをNPCと認識し、虐げようとするのも自由。止めさせる権利はない。
だけど……だったら、俺がこいつにムカついて怒るのも、自由だよな?
「うるさいです。黙って下さい」
「なっ!?」
先程からずっと怒鳴り散らしていた青年を、一言で黙らせる。
「あなたの考えは聞きました。それを知った上で言います。……あなた、馬鹿ですか?」
「……はぁ!?」
「彼らをNPCと思い、蔑むのは勝手です。けれど、それを表に出して行動しているのは単なる馬鹿です。彼らの機嫌を損ねることは考えなかったんですか?」
「機嫌を損ねるって……NPCの機嫌を取れっていうのか!?そっちの方が馬鹿みたいだろ!!」
「……だから馬鹿って言われるんですよ」
わめく青年を冷めた目で見ながら、ため息混じりに呟く。
ログインしてから少し周りを見渡せば、彼ら“NPC”が、ティアンだろうと〈マスター〉だろうと同等に、良い態度であれば良い反応を、悪い態度であれば悪い反応を返していたことが分かるはずだ。
それが分かった時点で、いくら“NPC”と思っていようと、賢い人間であれば、現実で普通に人間と接するようにしているだろう。
それに気づかず、あるいは気付いていてもそこまで頭が回らず、先程のような言動を行っていたのだから、馬鹿と誹られても文句は言えないだろう。
……ヤバいな。自分で思っていたより、だいぶ頭に血が昇っているらしい。良心の呵責もなく、スラスラと蔑む言葉が出てくる。
「う、うるせぇんだよ!そんな馬鹿にした目で見るな!俺の邪魔すんじゃねぇ!《苦痛に嘆け、死を……ヒッ!?」
先程のティアンとの絡みからも思っていたが、こいつ、かなり短気らしい。
まだあれしか言ってない俺にキレて、さっきと同じスキルを発動しようとしているが……やらせるとでも思ったのか?
スキルの宣言を始めた瞬間《迎撃》でAGIを倍増し、急接近。首筋に刃を突きつける。屋内で、しかも周囲に人もいるため、取り回しが悪い槍の代わりに、得物は先程売らずに取っておいた【小鬼】の小太刀である。少し刃こぼれしているが、こいつの動脈を切る程度に支障はない。
小太刀が首筋に少し埋まり血が出てくると、青年は悲鳴を上げて宣言を途中で止め、俺が元居た場所に形成されかけていた魔法陣も掻き消えて行った。
「……うるさいのはあなたの方です。黙れと言ったのに聞こえてませんでした?」
「ヒッ……あ、ああ……」
刃をまた少し埋め、怒気を少し叩き込めば、戦意を喪失して大人しくなったので小太刀を首元から離す。
解放された青年はよほど怖かったのか、床にへたり込んでいた。
「……今回はこれくらいで勘弁してあげます。今後、あなたが彼らにどんな行動を取ろうと知りませんが、もしまた私の前で同じことをしていたら……分かりますね?」
「……う……うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
言葉の最後、こいつとの会話で今まで一度も見せなかった笑顔を、絶対零度の如き怒りしか込められてない笑みを浮かべてやると、青年はすぐさま飛び起き、狂乱のままギルド玄関から外へ飛び出していった。
「「「……」」」
青年はいなくなったが、ギルドはまだ静寂に包まれていた。
いやむしろ、わめいていた青年がいなくなり音を立てる者がいなくなった分、静けさが深まっている。
〈マスター〉のほとんどは顔面蒼白であり、ティアンたちは緊迫した面持ちをしている。
一番落ち着いているように見えるのは先程俺に対応した受付嬢さんと騒動の中心であった着流しティアンの二人だが、それも自然体を装っているだけで、内面では緊張の糸を張り詰めているのが手に取るように分かった。
しかし、全員が俺を凝視しているのだけは共通だった。
挙動を見逃さぬように注視されていた俺は……先程青年に向けていたのとは違う、柔らかく温かい笑顔を意図して浮かべた。
「すみません。お騒がせしました」
周囲に向かって頭を下げる。
先程まで纏っていた剣呑な空気も、周囲にまき散らしていた怒気も霧消させる。
そこでやっと時間が進みだしたかのように、騒めきが戻って来た。
〈マスター〉、ティアン、一様に安堵した表情をし、ギルド職員たちが声を上げ、率先して日常を取り戻そうとしていた。
「ごめんなさい、茜ちゃん。勝手に飛び出して騒ぎ起こしてしまって」
「い、いえ!大丈夫ですよ!それと、ああいう方は時々いらっしゃいますが、よほど施設を破壊しない限り、それを止めた方が罰を受けることはないので安心してください」
ああ、それは良かった。ついカッとなってやってしまったから、後々のことを考えていなかったからな……。俺がペナルティ受けなくていいのは勿論、一緒にいた茜ちゃんとかに迷惑がかからないのは安心だ。
「それに……」
「ん?」
「あの人……あの〈マスター〉が、私達ティアンを悪く言ったことに怒って下さったんですよね?とても、うれしいです」
「……っ……私は別に、ティアンの皆のために、なんて思ってやったわけではないです。ただ、腹が立ったから、というだけで、茜ちゃんが思うような、善人じゃないんですよ、私は」
「それでも、です」
そういって微笑む茜ちゃんを直視できず、思わず目を背ける。
自分が汚れているという自覚と騙している罪悪感を持つ俺には、こんなに純粋で綺麗な笑顔はむしろ毒だった。
……と、少し挙動不審になっていると……あれ?今度はなんか、茜ちゃんの挙動がおかしい?
顔を俯かせ、何かモジモジしてる。
目を背けてはいても、ティレシアスのせいで実際に目に出来なくするのは無理なので、態勢的と精神的に目を背けているだけであったから、その様子が見えた。
「さっきの火篝さん、すごいカッコ良かった……。いつもは淑女然とした美人さんなのに、刀を持ってる姿は凛々しくて……すごかった……」
「…………」
どうしたのか尋ねようと思ったらそんな呟きが聞こえてきて、思わず思考が固まる。
……俺、別に難聴系主人公じゃないから、この距離であれば全部聞こえるんだが……どう反応すればいいんだ?どう反応するのが正解なんだ……?
とりあえず、によによと緩む頬筋を見せるのは不正解だということは分かるので、頬筋だけは本気で引き締めておこう。
「……うーむ、若人たちの甘酸っぱい青春の匂いがするなぁ。これはもう少し待った方が良かったか?」
「ッ……!」
突如として近くで聞こえてきた声に、俺と茜ちゃんがバッと振り向く。
そこでは、先程の騒動の中心であった着流しのティアンが、思案顔で立っていた。
「き、鏡石さん、からかわないでください!」
「はっは、すまぬな。いや、からかった気はなく本心だったが……」
「もっとダメです!」
……どうやら、茜ちゃんはこの人と面識があるらしい。
「ああ、火篝さん、こちらは……」
「ワシは
「水無月 火篝です。よろしくお願いします」
俺の視線を感じたのか、茜ちゃんがこちらに向き直り紹介してくれた。
着流しティアン、改め鏡石さんは人懐っこい笑みを浮かべ、手を差し出してきたので、こちらからも手を出して握手を交わす。
……しかし、“しがない武芸者”ねぇ。
「あ、先程はすみません。勝手に出しゃばるような真似をしてしまって」
「いやいや、何も問題はないぞ。どのみち、鎮めなければいけなかったからな。しかし、何でわざわざそんなことをしたかは気になるのぅ」
そう言って、如何にも興味津々と言った表情で見つめてくる。
……はぐらかしてもいいが、ここは正直に話そう。ここで興味を引いて、“有力者”とのコネを作っておくのも悪くないし。
「一番の理由は、彼の言動に苛立ったからですが……あとは、彼のためを思って、ですね」
「ふむ?」
「目の前でトラウマを植え付けられるのを黙って見過ごすのは、後味が悪いですからね。あなた、そういうのの
「……、ふ、ふぁはははははっ!」
最初、俺の言ってる事の意味が分からない、といった表情をしていた鏡石さんだったが、俺が含ませた意味に気付いた途端、ギルド中に響くほどの大笑いをし始めた。
「はっ、は……なんだ、気付いておったのか。《看破》された気配もなかったし、装備も付けていたのだがのぅ」
「練習、しましたから」
やっと笑いが収まるも、それでもまだ頬が引き攣っている鏡石さんに、すまし顔で返す。
「そうかそうか、練習したか……ははは!想像してた何倍もおもしろいのう、嬢ちゃん!」
「お褒め頂きありがとうございます」
「いやいや……それじゃ、ワシはもう行くか。また今度会ったら、茶でも飲もう」
「ええ、もちろん」
手を振りながら玄関に向かう鏡石さんに、こちらも笑顔で手を振り返す。
ふむ、掴みは上々か。また会うこともあるだろうし、そこでもっと仲を深めれば、コネと呼べるモノは築けるだろう。
「茜ちゃん。ちょっと時間無駄にしちゃったけど、案内お願いできる?」
「え……あ、はい。もちろんです!」
そうして、俺たちも冒険者ギルドから出て、茜ちゃん馴染みの加工屋へと向かって行った。
□【■■■】鏡石 装弥
ギルドを出た後、特に当てもなく……というわけでもないが、目的地はないので、適当に北区内を練り歩く。
「くくく……」
気を抜くと、思わず零れてきてしまう笑いに、また笑いが誘われる。
【征夷大将軍】からの依頼でもう数週間も将都に留まっており、少し退屈し始めていたが……こんなにも面白い者に出会えたのだから、今度会った時は感謝の一つでもしておこう。
「水無月火篝、といったか、あの嬢ちゃん」
ワシの笑いを誘っている少女を思い浮べる。
長年生き、天地どころか世界中を回ったワシですら数人しかお目にかかったことのない美貌だったが……面白いのはそこではない。
人を威圧する方法には、大まかに四種類ある。
一つ目は、見た目。厳つかったり、おぞましかったりする容姿で相手を気圧すものだが、見かけだけでそれに中身が伴っていなければ、一定以上の修羅場を潜って来た者には通用しない。
二つ目は、スキルによるもの。相手に【恐怖】などの状態異常を与えることで動きを鈍らせる。
三つ目は、保有するリソースによるもの。あまりにも多量のリソースを保有するモノ、合計レベルが1000を越えた超級職や〈UBM〉などに相対した時、生物ならば本能で畏怖する。自身の保有リソースが多ければ抵抗もできるが、低レベルの者などは、相対した時点で気絶することもある。
そして四つ目が、纏う気配や放つ気によるもの。いわゆる“殺気”や“闘気”と呼ばれるモノであり、数多の戦闘で磨かれた猛者ならば自ずと会得されるモノ。
(あの嬢ちゃんは、明らかに四つ目であの青年と周囲を威圧しておった。だが……その密度が、
それは、多くの修羅場を潜り抜けてきた自分すらも、一瞬怖気立つほどのモノ。
決して、まだ下級職の一つもカンストしていない少女が出して良いものではない。
彼女は〈マスター〉であるため、あちらの世界でそれほどの地獄に浸って来た、というのならば納得するが……
(いや、それはないな)
この二日、街を巡り、フィールドにも出て〈マスター〉を観察していたが……そのほとんどは武術の心得など持たず、持っていたとしてもジョブに就く前の子供用の道場レベルであり、心構えもその程度だった。
あちらの世界はよほど平和な世界らしい。
カンスト武芸者を凌駕するような武芸を持っていたり、精神性が破綻していたり、内心が欠片も読み取れなかったりする者も何人かはいたが……あれは恐らく、あちらの方が例外なのだろう。
そしてそれで言うのならば、彼女も例外側だ。
(さらに言えば、《看破》を感じられなかった理由を、嬢ちゃんは“練習した”と言っておった)
確かに、《看破》を気付かせずに行う、そういった技術はある。
だが、《看破》される側が達人になればなるほど、察知能力も高まるため、そうそう成功するモノではない。経験を積めば自ずと身に付くものと、研鑽しなければ手に入らないものの違いもあるだろう。
それを自分に通用させるレベルで習得しているのもそうだが……何よりも、彼女は〈マスター〉だ。
それが意味することは、
(才だけで言えば、今まで見てきた【神】どもと同等以上。しかも恐らく、頂きに至っていないどころか、まだ開花し切ってすらいない。開花すれば、あやつらを凌駕するだけのものとなるじゃろう。とはいえ、あやつらとはかなり方向性が違うようじゃが……)
今まで見てきた【神】どもは、ほとんどが一つの分野において並々ならぬ才を抱いていた。だからこそ【神】の座を射止められた。
だが、彼女は少し違うように感じられた。
使いこなしている《看破》――大別すれば感知系のスキルに才能が集中しているわけではなそうであり、青年へ肉薄した身のこなしや小太刀の扱いからもその才は感じられた。
だが……何故だか、それらは今一つ、
開花し切っていないが故の何かなのだろうが、このような感覚は初めてであり、その正体には皆目見当がつかない。
――しかし何にせよ、決まっていることは一つだけある。
「くくく……ああ、楽しみだのう。あの嬢ちゃんならば、きっと超級職に就き、本気のワシと殺り合えるくらいまで成長するだろうからなぁ」
迫力が【神】らと劣っていようが、それでもその才は常人を遙かに超えている。
彼女のメインジョブ……迎撃者系統の超級職も、あいつが数ヶ月前に死んだ今、空席のはずだ。
しかし、判明している条件を満たした【大迎撃者】らが転職クエストに挑めず、何かしらのゴタゴタが起きているらしいが……彼女ならそれも解き明かし、就くことは間違いない。
ティアンならば才能が合っても育ち切る前に死ぬ可能性もあったが、彼女は〈マスター〉。死んだとしても死なないため、その未来は半ば確定したモノであった。
「あとは、うっかり神話級にでも出会ってワシが死なないようにしなければ……」
「……おい!!」
「……ふむん?」
怒鳴り声を掛けられたことで、思考の海から意識を浮かせる。
闇討ちなんかをされないように警戒だけはしていたが、それ以外には注意を払ってなかったため、周囲を改めて見渡すと、薄暗い細道に居た。
適当に歩いている内に、路地裏に入っていたらしい。
「で、何か用かの?」
「何か用……じゃねぇんだよ!クソジジイ!!」
振り返って声の主に問いかけると、顔を真っ赤にして憤激している青年がいた。
騎士鎧を着込んだ青年。そいつは、先程ワシらに絡み、少女に追い払われた〈マスター〉だった。
ギルドから出た瞬間から感じていた恨みの籠った視線、やはりこやつだったらしい。
「報いを受けさせてやるんだよ!さっきはよくも恥かかせやがって!」
「……お主に恥かかせたのはワシじゃなくて、嬢ちゃんだと思うが?お礼参りならそっちに行ったらどうじゃ?」
「そ、それは……」
「……はぁ。大方、苛立ちはぶつけたいが、嬢ちゃんは怖いから、間接的な原因となったワシに八つ当たりにでも来たのじゃろ?」
まったく……まるで餓鬼の所業じゃな。
いい歳こいてみっともない……いや、もしかしたら本当に餓鬼か?
〈マスター〉はあちらとこちらで扱う肉体が違うというのは接触した〈マスター〉から聞いておるしな。
「う、うるせぇ!理由なんて何でもいいだろ!どっちにしろ、お前はここで甚振られて殺されるんだからな!《
スキルを宣言した途端、冒険者ギルドの時と同様、魔法陣が描かれる。
ただし、その大きさはまったく違う。
ギルドの時は一人が収まる程度だったが、今回は路地裏全てを呑み込む巨大さであった。
そして、魔法陣が完成した瞬間、ワシの簡易ステータスウィンドウに、【衰弱】【恐怖】【呪詛】と表示される。
「ハハハッ!こいつは30秒ごとに、範囲内の全存在に病毒・精神・呪怨系の状態異常を与える!しかも、時間が経つごとにそれらは蓄積していく!苦しみに悶える中で、俺の邪魔をしたことを後悔するんだな!」
自分の術にハメたことがよほど嬉しいのか、高笑いしながら自分の手の内を晒しておるが……。
「お主、ちゃんと物が見えてるのか?」
「はあ?」
「どこに、苦しみに悶える奴がいるんじゃ?」
「そんなもの、お前に決まって……ぁあ!?」
ようやっと気づいたようじゃな。
ワシが
「な、なんで……!?さっきは確かに……!?」
青年が狼狽している内に、もう一度スキルの判定が訪れた。
ワシのウィンドウに【毒】【混乱】【吸魔】の表示が並び……すぐさま掻き消える。
「な、なぁ……!?」
何らかの手段でこやつもそれを確認したのか、驚愕している。
さっきこやつも手の内を晒しておったし、等価交換というわけではないが、種明かしをしてやろう。
左手を持ち上げ、巻き付いているミサンガを見せる。
「これは【穢浄竜紐 ドラグクリア】。【浄竜王 ドラグクリア】という古代伝説級〈UBM〉の特典武具で、貯めたSPを消費して全ての状態異常を自動治療する装備スキルがあるのだ」
かなり便利な代物であり、他のアクセサリー枠は付け替えることもあるが、これはほぼ常装している。
難点としては、自動であるため、今みたいに正直無視しても良い【毒】なんかも治療してSPを無駄にしてしまう点じゃな。
「そ、そんなのありかよ……!?」
あまりにも自身のエンブリオと相性の悪い特典武具を前にして、呆然としておるな。
「あの場で収めておれば、嬢ちゃんの顔を立てて全て水に流れていたのだがな……こうして攻撃してきたからには、捨て置く訳にもいかん」
懐から布に包まれた得物――【托生強棍 ベーアーイー】と銘打たれたトンファーを取り出し、両手で構える。
「う……クソォーー!」
不利を悟ったのか、逃走しようとするが……。
「《ストッパブル・スローイング》」
左のトンファーを軽く投げる。
スキルの影響を受けたトンファーは青年の足目掛けて飛んでいき、当たった瞬間【硬直】――効果時間がとてつもなく短い代わりに、ステータスで抵抗できない制限系状態異常――を与え、さらには、軽く投げたとしても影響するほどの圧倒的なステータス差で【左足首複雑骨折】を発症させ、トンファーがワシの手元まで戻ってくる。
「うおっ!」
「ほいっと」
急に左足が使えなくなった青年が路地裏に転がる。
ついでに、近づいて残った右足首も右手のトンファーで壊し、逃走を完全に封じた。
「く、くそ!動けねぇ!」
「ふむ?痛がらんのか?……ああそういえば、〈マスター〉は痛覚も無効にすることが出来るんじゃったか。つくづくおかしな肉体しておるのぅ」
しかし、これは七面倒じゃな。
こういう輩を仕置きするとき、いつもは手足首を骨折でもしてやれば、その痛みで大人しくなり、言う事を聞くようになるんだが……痛覚無効では、生半可なことでは反省させられないだろうな。
「……ならば、精神的に圧をかけてやるか」
「は?な、なにを……ぎゃぁ!」
ふむ。痛覚がなくても、指を折られるところを見せつけられれば、それなりに衝撃があるらしいな。
「流石にオイタが過ぎるのでな。きちんと反省できるまで、少し痛めつけるぞ。ああ、安心せい。ワシの《スパレッション》レベルEXのおかげで、肉体は損傷しても、HPは微塵も減らんからな。死にはせん」
「……う、ぁ……」
青年はワシの言葉の意味を……反省しなければどんな仕打ちをされても死ねずに、永久に痛め付けられるということを理解し、顔面が蒼白となる。
「お、お前、何者なんだよ!?」
どうやら、流石にこやつもワシが単なる一介の武芸者ではないと気が付いたらしい。
……隠していたから気付かれないのは良いことなのだが、それはそれで悲しいな。
では、名乗りを上げてやるとするか。
「ワシは【
名乗りと同時に、今まで抑えてきた覇気を解放し、殺気を叩きつける。
密度はあの少女の方が濃いだろうが……こちらは身に宿した、
「あ、ああああ……」
青年は自分が手を出してはいけない部類の存在に唾を吐いていたことを悟り、今にも消えそうな表情をしているが……しかし、ここで徹底的にやっておくことが重要だからな。予定通り、少し仕置きはしておこう。
□□□
「も、もういやだぁ!?助けてよ、ママぁ!?」
結論から言えば、仕置きはすぐに終わった。
……と言っても、青年がすぐに反省したとか、そういう訳ではない。
何か所か折っただけで、すぐに自害して光の塵になってしまったのだ。
「……まるでモンスターのような死に様だの。ドロップアイテム……の代わりに、所持品も落ちておるし」
路地裏に少量のリルと騎士鎧が転がっているが……これは拾う気にはなれんな。
まあ、放置しておけばいずれ欲している者の手に渡ることだろう。
「しかし、根性なかったのぉ。ま、平和な世界で生きてきたといたらこんなものか?」
さて、面倒ごとは片付けしたし、とりあえずはクエストの中間報告に行くかの。
【〈マスター〉の調査――【征夷大将軍】】
〈マスター〉の増加が吉と出るか凶と出るか。それは分からんが、とりあえず、天地が……いや、世界全体が大きな変革の波に襲われる――その率直な感想だけは伝えておこう。
……私、大森茜というキャラは、異世界ラノベによくある、主人公と仲が良くなるけど、ハーレムメンバーになったり攻略ルートになったりしない程度の美人受付嬢レベルの配役として設定していたんですよ。
それがいつの間にか予想以上に親密になっていてヒロインムーブしてるんですけど、どうなってるんですかね?
なんか、展開考えてるときに自然と浮かんでくるですよね、茜ちゃんのHP(ヒロイン・ポント)高めの行動とか台詞とか。
いつの間にかネメシスがヒロイン()になってアズライトがメインヒロインにしか見えなくなっていた海道先生の気持ちが少し分かった気がします。
【旋棍王(キング・オブ・トンファー】
旋棍士系統超級職。SP,AGI,STRの順に大きく上昇する。
旋棍士系統は、『傷痍・制限系状態異常による鎮圧』をジョブ特性とし、自身の攻撃によるHPに関する影響を失くす《スパレッション》などを持つが、これをオフにすれば、傷痍・制限系を駆使する前衛として普通に戦闘できる。
鏡石は、この『傷痍・制限系状態異常』を得意とするジョブ特性と【托生強棍 ベーアーイー】のシナジーによるかなりエグい方法で広域殲滅を長年続けた結果、【旋棍王】のレベルが1000を超えた。
【苦悶逝紋 アジ・ダハーカ】
TYPE:テリトリー
能力特性:苦しみ(を見て感じる愉悦)
モチーフ:ゾロアスター教において悪の根源を成すモノとして恐れられる怪物“アジ・ダハーカ”
到達段階:Ⅱ
《苦痛に嘆け、死を感じよ》
指定した対象の足元に魔法陣を描き、その中に存在する生物に、抵抗不可の病毒・精神・呪怨系状態異常をどれか1つランダムに付与する。一回描くのにMPを100消費するが、〈マスター〉の周囲で発生した負の感情をスキルコスト専用に貯蓄でき、それを消費することでも発動可能。
《怪物蠢獄(ダマー・ヴィント)》
地面に特大の魔法陣を描き、その中に存在する生物に、30秒ごとにランダムな病毒・精神・呪怨系状態異常をそれぞれ1つずつ付与する。こちらは抵抗可能であり、状態異常の効果時間は一律で60秒間なので、最大で6つ重なる。展開時間は5分間固定であり、早めたり遅くしたりすることはできない。再発動には三日間のクールタイムが必要。
備考:作中に登場した青年〈マスター〉のエンブリオ。鏡石のせいでデンドロにトラウマを持ってしまい、今後ログインすることもなく一生再登場しないので、供養のために掲載。
リアルは鏡石の推測通り、単なる小学生。
青年の身体になれたことと、状態異常を使用できるエンブリオでモンスター相手に無双したことの高揚のままに調子に乗ってたら、超常者・超越者にぼっこぼこにされ、カマセ役にされた。
デンドロで状態異常はかなり重いので、続けて成長していればかなりの強者になっていた、かもしれない。