この夏から一年、早苗さんの家にお世話になる。 作:ももいっぷ
どれくらい登っただろうか。
夏だというのに涼しい参道を、木々の葉によって直射日光を遮られながら歩く。
すっかり狂ってしまったらしい腕時計は役に立たないが、時間にしておおよそ二十分。
ずっと見上げていた視線の先に、朱色の大きな鳥居が見えた。
後少しだと言わんばかりに、腕に最後の力を籠める。
キャリーケースはずっしりと重かったが、後少しで早苗さんに会えると思うと軽いものだった。
手に汗がじんわりと広がる。
それは多分、暑さによるものではない。
……やがて鳥居の後ろに大きな本殿と、遠目からでも分かる立派なしめ縄が確認できた。
鳥居のすぐそばに、守矢神社と彫られた漆塗りの門柱が置かれている。
……着いたか。
階段の一番最後の段を、気持ち強めに踏みしめる。
「……お、おぉ」
目の前に広がるのは、想像以上に大きく立派な神社。
よく手入れされた拝殿に、先ほど確認できた大きなしめ縄。
石造りの参道には僅かに葉が落ちている程度で、きちんと掃除されていることが伺える。
神道にはあまり詳しくないが……こう、神様が落ち着いて過ごせるだろうな、と直感で感じられる場所だった。
とりあえず少し参道を進んで、静かに深呼吸する。
幸いかな、早苗さんは外には出ていないようでその姿は見えない。
いきなり出くわすと緊張で上手く話せなかったかもしれなかった。
「……十円でいいか」
とりあえず心を落ち着けるため、挨拶代わりにお参りすることにした。
拝殿に進み賽銭箱に賽銭を投げ入れる。
本坪鈴を鳴らし小さく二回頭を下げると、両手を胸の高さで鳴らし目を閉じる。
これから住処としてもお世話になる場所だ。気持ち長めに祈り続ける。
(不束者ですが、お世話になります、と)
そして何より、呪いの解呪――。
俺の人生をずっと嘲笑うかのように呪い続けたそれを、確実に祓ってくれるように祈る。
……どれくらいそうしていたのだろう。
蝉の鳴き声が静まったタイミングで、顔を上げて目を――、
――――開けようとすると同時に、優しく温かい何かが俺の視界を覆った。
「……だーれだ?」
「……」
しまった。
そうだ、この人はこういう人だった。
子供の頃初めてあちらの神社に訪れた時、待ち合わせの木の下でうたた寝しかけていた時。
もう慣れたはずの……しかし、今はひどく懐かしい感覚。
……緊張でそのまま固まってしまう。
自然と、引いていた額の汗もどっと吹き出してしまいそうで。
静かに喉を鳴らし、心で人の字を書いて呑み込む。
そうしてやっと、やっと口を動かせるようになる。
「……早苗さん」
手のぬくもりと、暗闇が晴れる。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはずっと会いたかった彼女がいた。
胸まで届く、深緑色の長い髪。
頭に付けた蛙と白蛇の髪飾り。
白地に青の縁取りがされた上着にスカートは、ここ守矢神社の巫女服なのだろう。
彼女は昔そうしていたようによく見慣れた……しかし十年振りに見るには眩しすぎる、優しい笑顔でこちらを見つめていた。
――東風谷早苗。
俺はなんだか唐突に緊張が解けて、固かった表情に自然と笑みを取り戻す。
そうして、やはり十年振りにこう告げるのだった。
「……ただいま」
「おかえりなさい、有羽くん――。ずっと、ずっと、待ってました」
そう微笑む彼女に、悪戯っぽく問いかける。
「忘れなかったんですね」と。
彼女はその笑顔を一切崩さないまま、「当たり前です」と答えて。
『私は決して、あなたを忘れたりしませんから――』
……十年もの時が経っていた。
その間に、俺は十回周囲の人間から忘れ去られた。
何度やっても慣れない酷い孤独感に圧し潰されなかったのは、ずっと俺を覚えてくれた唯一の人のおかげだ。
十年もの時が経っている。
しかし成長した彼女は、それでも変わらない笑顔で俺を迎えてくれた。
空を見上げる。
ここからでは木々にも隠れず真っ直ぐに差し込む夏の光が、いつもより眩しく、そして美しく感じられた――。
――その日の夜は、豪華だった。
沢山昔の話をしながら、俺たち二人は食卓に広げられた豪勢な料理を突いた。
自分の孤独で苦しかった記憶を面白おかしく脚色して話す。
夏休みの度に友人関係がリセットされたこと、宿題をやらなくても怒られなかったこと、
おばさんがボケてるのか記憶が無いのか分からなくて混乱したこと、
早苗さんの前では、何でも笑い話に出来た。
そして早苗さんも、この十年の話をしてくれる。
巫女として修業したこと、幻想郷に来て驚いたこと、もう一人の巫女のこと……。
そしてこれからの生活のこと。
「有羽くんには毎日一回、私の祈祷を受けてもらいます」
すっかり料理を片付けた後で、早苗さんは俺に向き直ってそう言った。
それだけで呪いが祓えるのか少し疑問に感じたが、どうやらそれはあくまで基本というだけで、他にも方法は考えてあるらしい。
「いいですか、有羽くん。あなたの呪いについて重要な三つの事、忘れてませんね?」
「……はい、まぁ」
俺の呪い、生まれた時からずっと付いて回ってきた呪い。
これから本格的に対処しなくてはいけないそれについて、二人で詳細を確認し合う。
『八月一日日を迎えると、全ての人間の"記憶"から存在が消える』
『十九回目の八月一日を迎えると、呪いは身体を死に至らしめる』
『十九回目までに自身の子供を授かり呪いを継がせることで、少なくとも当人の呪いの効力は消える』
……改めて確認しても、悪意の塊だ。
まあ呪いだから、そんなものなのだろうが。
一体いつ、だれが、何の目的でそんなものを俺の先祖に掛けたのかは分からない。
だが、ただ一つ確かなことはある。
俺に呪いが受け継がれたということは、親は……自身の命欲しさに子供を作り、そして、見捨てた。
俺が自身の足で立てるようになった頃、多額の金と先祖から代々受け継がれてきた有難い文献と共に、親戚の元へ預けられた。
まだ幼く、考える力もほとんどない幼児。
呪いを継がせた母親は、年に一回俺の顔を覗きにきて、そしてすぐに金を置いて去っていく。
あんなものは親じゃない。
小学校をなんとか卒業した頃に大喧嘩をして、それから、顔を見ることはなくなった。
「……有羽くん、辛いかもしれませんが」
考え込んでしまった俺の顔を心配そうに覗き込む早苗さん。
だから俺にとって、本当に親のような存在だったのは早苗さんだけだった。
この人だけは、俺の事を忘れない。
それが何故なのかはもう考えていない。巫女にはきっと、そういう何かがあるのだろうと思うことにした。
ただ、誰かが覚えて気にかけてくれるのが嬉しかった。
でも――。
「早苗さん、俺は……」
「分かってます、落ち着いて考えてくれればいいですから」
早苗さんは俺の呪いをなんとか一年で解呪するよう努力してくれるらしいが、手紙では何度もこう書かれていた。
「もし、私の力が及ばなかったその時は――」
「……」
「……大丈夫です。里には、可愛い子がたくさんいますから」
そういう問題ではないが。
いやまぁ、わざとおどけてそんな事を言っているのだろう。
しかし、その真意のところは決して冗談ではない。
……子供を作って、呪いを継がせる。
そうして生き残って欲しいと、これまで何度も告げられていたのだ。
けれど、その答えは決まっていた。
早苗さんには悪くて、うまく伝えられないでいるが察してはいるのだろう。諦めてはいないが。
俺は子供を作る気なんてない。
この一年で駄目だったらその時は、この身を以て呪いごとくたばるつもりだ。
……己の命欲しさのみで俺を産んだ、あの母親のようにならないために。
「……さて。
今日は、もうそろそろゆっくり休みましょうか」
なんて考えたり、話している間に夜も深くなる。
時計が機能してないので分からないが、いい頃合いだろう。
二人揃って席を立ち、これから暮らす神社の内装について説明を受けながら歩く。
「ここがお風呂で、脱衣所はこっちで、洗濯は一緒にここに、こっちは神奈子様の……」
一通り案内を受け説明に納得した後、最後に自分に用意してくれたという部屋に案内される。
六畳一間の、寝具や衣装ケースなど最低限の家具が置かれている、丁寧に掃除された和室だった。
「こんないい部屋、使ってもいいんですか?」
「ちょっと狭いですけど、有羽くんさえよければ好きに使ってください」
「充分。ありがとうございます!」
実際、これまでろくに部屋を与えられたことはなかった。
基本使われていない押し入れなどで過ごしてきた俺には贅沢な話だ。
絶対に大切に使おう。毎日掃除しよう……。
「それじゃあ有羽くん、お風呂は今からなら誰もいませんから、好きな時に。
朝は、日が半分顔を覗かせたくらいに起きてくださいね」
「はい。えっと、それじゃあ……」
「これからよろしくお願いしますね、有羽くん」
「……こちらこそ、お願いします」
早苗さんは去っていく。
それを見送ると、荷物を部屋で整理し、タオルと着替えを持って早速風呂へと向かった。
囲い付きの露天風呂だ。
神社というのはなんかこう、贅沢なものなんだな……。
少し遠慮がちになるも、それでも今日の疲れの前には適わない。
身体を流してゆっくりと湯船に浸かい、空を見上げる。
あっちの世界より何倍も透き通った夜空に、輝く星々。
「さて、どうなることやら……」
今日から一年。
俺はこの場所で暮らし、そして、答えを見つける。
……あと一年後、俺はどこで何をしているのだろう。
どう生きて、或いはどう死ぬことを選ぶのか、その答えを。
そんなことをずっと考えながら、新しい世界での夜は更けていくのだった。