この夏から一年、早苗さんの家にお世話になる。 作:ももいっぷ
一日の始まり
翌朝、日の出が半分顔を覗かせるころ。
ピ、ピピピ……と耳元で腕時計に設定したアラームが鳴り、俺はゆっくりと目覚める。
「ん、んぅ……」
どんなものかと思ったが、思っていたよりずっと早い時間らしい。
自分の身体の気怠さがそう訴えている。
大きく伸びをして体の節々を軽く鳴らすと、開けっ放しの障子から外を見た。
こんなにも元の世界に似ているのに、今立っているのは別の世界。
遠くに何か飛んでいく影が鳥ではなく、人の様な形だったことからあれが妖怪とかなのだろう。
改めて、自分はこの地で生きていくのだということを認識する。
……いつまでものんびりしている訳にはいかない。
こんな早い時間に起きたのも、早苗さんとの取り決めがあるからだ。
『ここに住む間、その恩はきっちりと働いて返す――』
これは俺から言い出したことだ。
早苗さんはもちろんゆっくりしていいと言っていたが、それでは居心地がよろしくない。
まぁ、そんな大層なことが出来るとは思えないが。
寝間着から着替え、洗面所へ迎い顔を洗う。
そうして少し身嗜みを整えてから居間のある方へと向かった。
「おはようございまーす」
「……あ、おはようございます。有羽くん、ちゃんと起きれたんですね」
声だけ返ってくる。
居間の引き戸を閉め、早苗さんの姿が見えないことを確認すると台所へと向かう。
台所では、白い三角巾とエプロンをした早苗さんが慣れた手つきで朝食の用意を進めていた。
早苗さんの新鮮な後ろ姿をしばらく眺める。
一緒に一つ屋根の下で暮らすことがなければ、例え幼馴染であっても見ることの無かった光景だ。
……ああ、なんかいいな、こういうの。
「鍋ですか?」
しっかりと下ごしらえをされた具材が放り込まれた鍋を見て問う。
朝から手の込んだことをするものだ。
「なんだか最近、朝はちょっぴり冷えますから」
これまた慣れた手つきで味噌、醤油、みりんなどを鍋に入れて火にかける早苗さん。
ある程度用意は終わったのか、よし、と小さく呟くと三角巾とエプロンを外しながら俺を振り返った。
「じゃあ有羽くん、お仕事の時間です」
「今日は初日ですから、私が付いて教えますね」
外に出ると、早苗さんは台所から持ってきた桶と肩掛けを俺に手渡した。
続いて、本殿裏に小さく作られた畑からキュウリを十数本毟り、同じく台所から持ってきた大きな背負い篭に投げ入れる。
「キュウリ、ですか?」
「はい。これも一緒に持っていきます」
八百屋のような事でもやっているのだろうか。しかしなぜキュウリオンリー。
少し疑問に思ったがすぐに分かるだろうと口には出さず、早苗さんのあとに続いて山へ入り始める。
昨日登ってきたよく整理された道とは違う、少し足場の荒れた道。
地面は固かったが滑らないように気を付けて進む。
「とりあえず、朝にやってもらう仕事は二つです」
進みながら、仕事の説明を受ける。
「水汲みと山菜採り……これを一度にこなしてもらいますね」
「は、はぁ」
荷物はまぁ軽くはないが、別にそれらを同時には問題ない。
しかし山菜は入れる場所が無いし、水は井戸のものを使わないのだろうか。
そんな疑問をぶつけると、早苗さんはどこか得意気になって説明を返す。
「井戸のものはお料理には使わないんです。これから行く場所には新鮮な清流の流れる場所があって、そこのものを使うんですよ」
「ああ、なるほど」
「加奈子様や諏訪子様もそうですが、お客様にもお出しするものですから」
「それでわざわざ水を汲みに行くんですね……えっと、じゃあ山菜は? 篭はキュウリだらけでもう入らないし」
「いい商売相手がいるんです」
商売相手?
何のことかと思ったが、会ってみてからのお楽しみです、と適当にはぐらかされてしまった。
まあ察するに、物々交換でもするのだろう。
……その後は適当に雑談をしながら、清流を目指す。
おおよそニ十分、山を下れば丁度降りた頃合いの時間を使い、澄んだ水の流れている場所へと抜ける。
これが清流か。
早苗さんに言われた通り、桶に汲んでいく。
「ね、おいしそうな水でしょう?」
「確かに、見た目でこんなに分かるものなんですね……」
「ちょっと飲んでみるといいですよ、ほら」
早苗さんは手で水を掬うと、少し口を付けておいしそうに喉に流す。
そして流れるような動作で、手に残った水の残りを俺の口元へ運んできた。
「!?」
あまりに自然に行われる不自然な出来事に脳がフリーズし、抵抗することも何も許されなかった。
そのまま水を喉に流し込まれる。
もちろんむせた。
「う、ごほっ、は……」
「ね、おいしいでしょう?」
「……」
隣を見れば、そのいたずらな微笑みが目に入る。
この人、分かっててからかったのだろうか。
十年前はこんなこと気にも留めなかったが、今の俺は十八歳。
早苗さんだって成人を迎える年である訳で……つまり、少しは気にしてほしいと思わずにはいられない。
動揺を隠すように声を上げる。
「さ、さあ、次は山菜っすよね。行きましょう」
「はい。また付いて来てくださいね。……くすくす」
未だ喉の違和感と胸の生理現象的な高鳴りが消えない俺に、早苗さんはくすりと笑って進み出す。
やっぱりこの人、分かっててやったな……? と、噛み締める敗北感。
……清流の水の味は、微かに甘く、そして程よくほろ苦いものに感じられたのだった。
それから更に、十数分。
清流までの道より整理された道を抜けると、大きな湖の前に出た。
「山の中にこんな湖が……?」
「はい。そしてここが、山菜の取引場所です」
「え?」
「――河童さんたち、お願いします。守矢のキュウリをお持ちしました」
そう大きな声で言うや否や、早苗さんは篭を抱えて湖の傍まで近寄っていく。
……河童?
どうにも聞き慣れないその単語の意味は、すぐに理解することになる。
「――おお、こりゃあどうも守矢の巫女様」
湖の中、その中央から突如として人が飛び出す。
それは音もたてずに水中を滑るように移動して、早苗さんの前にやって来た。
突然のびっくり人間の出現に俺はしばらく固まって様子を伺うことしか出来ない。
「いーち、にーい、……うん、たくさんあるね。待っててね、今取りに行かせてるから」
「ええ、お願いします」
「ところで、さっきから動かないそこの男の子はなんだい?」
「有羽くんです。ほら、前から話していた私の幼馴染の……」
「ああ、守矢の巫女様の夫候補かい。見せつけてくれるね~」
「……尻子玉を抜いてもいいんですよ?」
「あ、いや、冗談で……ごめんなさい」
目の前で広げられる会話の応酬に、早苗さんの新しい一面を見た気がした。
あまり怒らせないように気を付けようと思いつつ、俺もびっくり人間に近付く。
……白いブラウスに、肩にポケットが付いている水色の上着。
そして裾に大量のポケットが付いた、少しだけ濃い青色のスカート。
海色の髪を短いツインテールにして、特徴的な緑のキャップを被っている。
……近くで見てもそれは、どう見ても人間の少女だった。
「お前、どうやって湖なんかに潜ってたんだ? 危ないだろ」
「はい?」
いくらびっくり人間とはいえ女の子だ。
そんな危険な遊びを看過するのはあまりよろしくない。
しかしそんな話をする目の前で、またも水しぶきが上がった。
「お持ちしました」
「はい、どうも」
目の前のツインテール少女と似たような恰好の人間が、もう一人湖から現れて早苗さんに何かを手渡す。
それは山菜がいっぱいに詰まった、大きな背負い篭だった。
入れ替わりに早苗さんからキュウリの入った篭を受け取ると、それを抱えて嬉しそうに湖へ潜る少女は、もう二度と起き上がっては来なかった。
「……」
これ、河童なのか。
いや無理だろ。どうやっても一目で気付けないだろ。
「有羽くん、紹介しますね。こちら取引相手の河童です」
俺が理解したことを察した早苗さんが、ツインテール少女を指してそう告げる。
これが河童て。
……もしかして、幻想郷の妖怪というのはどれも最近の携帯ゲームよろしく、可愛い女の子の姿にでもなっているのだろうか?
ハゲてないし。
「河城にとりって言うんだ。にとりでいいよ」
「あ、ああ。よろしく」
そう言って、少し戸惑いながらも自己紹介をしあう。
挨拶代わりに握手をしたらなんかぬめっとしてた。妖怪だこれ。
「それではにとりさん、明日からは有羽くんが担当しますから。どうぞ御贔屓に」
「もちろん、うまいキュウリをくれる人間なら誰だって大歓迎さ」
山菜の入った篭を背負うと、俺たちは湖を後にする。
後は神社まで戻るだけらしい。しかし両腕に抱える水は、思ったより重かった。
これに、今早苗さんが背負っている山菜の篭も追加されるのか……。
慣れる頃には随分と力が付きそうだ。
「にとりさんは妖怪ですが、人間、特に私たちみたいな有益な相手には非常に友好的です。だから安心してくださいね。
有羽くんのことは他の妖怪にも伝わるでしょうし、守矢神社が健在である限りまず襲われることはありません」
帰り道、早苗さんはそんな話をしてくれた。
妖怪の山の名の付く通りここにはあのような妖怪がわんさかいるらしいが、守矢神社の巫女の身内となれば下手に手出しはできないらしい。
それでも一応気を付けるように、と釘を刺される。
どれだけかわいい女の子の姿でも、妖怪は妖怪……用心するに越したことはないのだろう。
「さて、それじゃあご飯にしましょうか」
神社に付くとすぐ、早苗さんが朝食の用意をする。
山菜をふんだんに使った味噌汁に、煮物。
キュウリの漬物に川魚の開きが食卓に並べられる。
「いただきます」
……朝から色々な意味で疲労が溜まってしまった俺は、その豪勢な朝食でようやく癒される事が出来たのだった。