この夏から一年、早苗さんの家にお世話になる。 作:ももいっぷ
買い物を終え帰宅すると、辺りはすっかり夕焼け色の深いオレンジに染まっていた。
賽銭箱前で早苗さんが出迎えてくれていて、俺の姿を見るなり何も無かったかとしつこく聞かれる。
子供じゃあるまいし……と思ったが、こうして心配されるのも悪くはない。
今までは、自分がいつ帰宅しようと、どれだけ家を空けようと……こんな風に心配されたことは無かったのだから。
「それじゃあ、お夕飯前に今日の祈祷を始めましょうね」
荷物を片付けた後は、祈祷の時間らしい。
早苗さんに渡された白装束を身に纏い、本殿の奥へと通された。
「これじゃお化けみたいですね……」
「縁起でもないこと言ってないで、ほら、そこに正座してください」
本殿の奥には大きな神棚があり、よく手入れされた菊の花や榊の葉が飾られている。
特に目立つ、人間が飲むより随分と大きい盃に、早苗さんは並々と酒を注いでいく。
そして隣に置かれていた小さい、こちらは人間用の盃らしいもの。
それにも酒を注ぎ、一口こくんと飲んでから、正座する俺の前へと運ぶ。
「さあ、飲んでください」
「え?」
またからかっているのかと思ったが、その眼は真剣だった。
口元も一文字に結んで、全く笑っていない。
間接キスだとか馬鹿なこと考えていられる雰囲気ではないと思い、素直に従う。
……苦い。
なんだこれ、めちゃくちゃ苦い。
酒ってこんな味だったっけか? それとも使っているものが特殊なのだろうか。
苦そうな顔をしてる俺をよそに、早苗さんは盃を片付ける。
代わりに手にお祓い棒のような物を持ち、俺に向き直った。
「それでは、始めます――」
……静かに目を閉じる。
喉から絞り出すような、早苗さんの鈴を転がすような声が聞こえる。
祝詞のような何かが、耳の奥をするすると通り抜けていった。
……祈祷の後は昨日と同じように、しかし煮付けがメインとなった食事を楽しんだ。
お使いで疲れているだろうと先に風呂に入らせてもらい、今は縁側で適当に涼んでいる。
昨日から思っていたが、幻想郷の夏は外の世界よりだいぶ涼しい。
おかげで、真夏なのに冷房どころか扇風機いらずである。
静かにそよぐ風と、飾られた風鈴、蜩の鳴き声が気分まで涼ませてくれた。
「どうですか、幻想郷は?」
早苗さんの声。
うんと背伸びをしながら隣に座った早苗さんは、言いながら麦茶を寄越してくれる。
風呂上りらしく、蒸気した肌がいつもより色っぽく見えた。妙に緊張して、目を逸らす。
「……おかげさまで、うまくやれそうですよ」
「それは何よりです」
まだ昨日の今日だというのに、こうも馴染めているのは早苗さんのおかげという所が大きい。
里の人間に俺の事を話していてくれたり、仕事で付き合う妖怪に根回ししてくれていたり。
大げさかもしれないが。
外の世界で死んだように息をしていたこの十年より、遥かに生きている感じがするのだ。
いつか、いや。
死ぬまでに何か、恩返しをしないとな……。
「ああ、そういえば」
と、ここで一つ話題を振る。
「昼間、本居小鈴って子に会いましたよ」
「ああ、あの子は鈴奈庵の看板娘なんです。仲良くなれそうですか?」
「それが、昨日神社へ案内してくれたり、今日も助けてもらったりで」
「ふふ、すっかり仲良しさんなんですね」
笑う早苗さんは嬉しそうだ。
俺がというより、小鈴に関してはあのお人好しな性格が大きいだろう。
それにいじりがいがあっておもしろいし、退屈しなさそうである。
「小鈴ちゃんもお年頃ですからね。でも、ちょっと子供は早いと思います」
「はい?」
「忘れないでください有羽くん、時間は一年しか……」
「いやいや、何言ってるんですか!」
麦茶を吹き出しそうになる。
話が飛躍し過ぎだろう。
というか、早いも何もめちゃくちゃ子供だ。
良くて中学生くらい、対して俺は高三になる年齢。
確かに可愛らしく、もっといじめたいと思いはするがそういう思いは一切無かった。
「あら残念です。有羽くんは、もう少し小さい子の方が良かったんですか?」
「早苗さんは俺を何だと思っているんですか……」
「ふふ、これは冗談です」
できればさっきの方も冗談だと言ってほしかった。
しかし、こう言われると不安にもなる。
確か、里の人間も何かと俺を変質者だと決めつける節が見え隠れしていたよな……。
まさか、小鈴といるとそう見えるのだろうか。
自分では普通にしているつもりだったんだけどな……。
ロリコン野郎坂柳とかって二つ名が付くのだけは勘弁だ。
「有羽くん、格好良いんですから自信を持ってくださいね?」
「なんですか、いきなり」
「きっと明日にでも、コロっとカワイイ子をお嫁に連れてくるんだろうなって」
「人はそんな簡単に誰かを好きになったりしませんよ」
「あら、そうでしょうか?」
うん、と早苗さんは再び大きく伸びをして、足をぷらぷらと揺らす。
そしてとびっきりの笑顔を見せて、楽しそうに話すのだ。
「人が人を好きになるのに……"期間とか、時間"。そういうの、そんなに大切じゃないと思うんです。
きっかけなんて、ほんのささいなものがあれば、……恋に、落ちてしまうものなんです」
………………。
…………。
……。
なんだか、こっちがひどく恥ずかしく感じる。
俺はどうして今こんな所で、恋だのなんだのという話をされているのだろうか。
しかし早苗さんの言葉はどこか、達観したような物言いに感じられた。
そういえば、早苗さんももう二十歳なんだよな……。
好意のある男の一人や二人いてもおかしくない歳なわけで。
……それはなんか、嫌だと思った。
「そういう、ものですかね……」
「そういうものなんです」
気の無さげに返す。
今自分が一瞬でも考えたことを、読まれたくは無かった。
多分、それは恋とは違う……俺自身の身勝手な気持ちだ。
そういうものでもし相手を縛ってしまえるなら、それは表に出してはいけない。
少なくとも、今はそう思う。
「さて、と」
ぐい、と麦茶を飲み干した早苗さんが立ち上がる。
残った氷を俺のコップへ追加して、溢れた冷たい液体が左手に濡れた。
「私はそろそろ寝ます。有羽くんも、あまり遅くまで起きて寝坊しちゃだめですよ?」
「まあ、ぼちぼち」
「ええ、それじゃあおやすみなさい!」
「おやすみなさい」
縁側を立った早苗さんが廊下へ消えていく。
俺はその後姿が見えなくなるまで目で見送って、そうして一気に麦茶を飲み干し、全ての氷を噛み砕いた。
「染みるなぁ……」
何もかもが変わり、何も変わっていない夜は更けていく。
……頭の痛みが消えるまで、静かに宵闇に身を任せるのだった。