ルシード君ガチ恋勢アマツ女主が「まだだッ!」に逆らう話。

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シルヴァリオヴェンデッタ グランド√異聞録
『哀しき錬金術師へと捧ぐ愛の譚詩曲』



男装乙女は白い燕尾服に恋してる

 

 

 ──―その昔、()は英雄譚が好きだった。

 

 物語に登場する勇者や騎士。

 彼らはいつも数多の試練を乗り越えて、如何なる邪悪も絶望さえをも討ち斃し、最後は必ず囚われの姫を救い出す。

 高潔にして勇壮無比。皆が憧れる大英雄。

 悪しき魔物はその光輝の前に必ずや敗れ去り、事件は解決。物語は常に誰もが幸福となって最高のハッピーエンドを迎える。

 

 まるで、純粋無垢な子どもが思い描くご都合主義の絵空事。

 

 だけど、現実には決して起こり得ない夢のような空想だからこそ、私はそんな英雄譚がとても好きだった。

 

 荒唐無稽な勧善懲悪。

 

 世の理不尽と儘ならない本当を知れば、きっとほとんどの人が真剣には取り合わない。大人になれば子どもの頃に思い描いた理想なんて……世界中、きっと何処を探したって見つからないことに誰だろうと気がついてしまうから。

 

 嘘のような反撃、追い詰められた末の奇跡の復活、涙を拭って明日の希望を雄々しく謳う英雄(ヒーロー)は、その馬鹿げた設定とにわかには信じられない偉業から、常に空虚な夢物語であると端から決めつけられる。

 

 そして実際、それはたしかに間違いではない。

 

 英雄譚は人々の心の奥底に憧憬の火を灯しはしても、現実という峻険なる山肌の如き暮らしの中では、所詮どう形容したところで一時の無聊を慰める以上の価値を持つことがない。

 

 夢を見て笑っていることが許されるのは、それに相応しい身空である時だけだ。

 

 幼年期を終えた者がいつまでも純朴な子どものように絵本の内容を口にして喜んでいては、それこそ真性の阿呆である。口さがない言い方をするようで申し訳ないが、ハッキリ言って痴愚の謗りは免れないと知るべきだろう。

 

 英雄譚が好きだった、とここまで繰り返してきた私だが、そんな私でもそれくらいの物の道理は十分に弁えている。

 

 一般的に、十代も半ばを過ぎて、もうそろそろ大人としての自覚を持っても良い時分となれば、いよいよ以って現実を見据える時だ。

 仮にもし、それでもまだ子どもの我が儘を言って幼年期に浸り続けていたい、という者がいるのであれば、周囲はそいつの頬を二度三度引っ叩いて強制的に夢から覚ます荒療治の準備を整えておいた方がいい。

 

 でないと、当の本人はいつまで経っても馬鹿みたいに御伽噺の空想から引き剥がれず、本格的な“卒業”を迎えるのにはかなりの時間を要してしまう。

 そして、時遅くようやく世間とのズレに気がついた時には、盛大な痛みを伴って世界の真実を知ることになるのだ。

 厳しいことを言うようだけど、世の中というのは決まってそういうふうにできている。

 

 とは言え。

 

 そうは言っても英雄譚はやはり魅力的だ。

 

 現実には起こり得ない絵空事。誰も彼もが救われるご都合主義。人は本質的に悲劇を好むが、その根底には常にハッピーエンドを希求する願望がある。

 ありえない展開。悪役からすれば道理の通らない脚本。けれど、大抵の読者や観客が望むのはいつだって光が闇を打倒する素晴らしきストーリーで。

 積み重なった苦痛と悲しみ、耐え抜いた地獄が多ければ多いほどに、それらを踏みつけ勝利する快感はまさしく法悦の極み。

 

 何より、周囲から批難を受ける心配の無い完全正義の感動というものは、万人を分かりやすく魅了する。

 

 現実は辛くて厳しいことの連続だ。目蓋を開けて世界と本気で向き合えば、この世には直視するのに堪えない残酷な真実ばかり浮かび上がる。貧困、病苦、死別など。醜く汚れた人生に、倦み疲れない者など誰一人として存在しない。

 

 ゆえに、なればこそ美しき英雄譚は喝采を浴びる。

 

 我々の人生に大きく立ちふさがる困難を、物語の中とは言え英雄は気持ちよく撃ち砕いてくれるから。

 その快進撃の先に待ち受けるだろう希望の明日に、万人は我もまた英雄たればと一時の夢想に浸る。その至福の心地よさ、楽しい妄想は、まさに苦界を生きては澱み萎びた精神を、夏の夜の水辺が如く涼やかに安らがせる。

 

 要は──―結局のところ、子どもだろうと大人だろうと男女の区別など無くヒーローには皆が憧れるのだ。

 

 年齢の差なんて関係ない。人は皆、自分にとっての救い主を永遠に求め続けてしまうどうしようもない生き物だから、都合の良い偶像には藁だと知っていても縋りついてしまう。

 たとえ嘘でも、優しい嘘ならできる限り信じたい。

 

 それがこの世の真実。万人が抱える救えぬ宿阿。

 

 どこまで行こうとどれだけ行こうと、絶対に満足せずよりよい自分(いま)を欲してしまう………人類はその究極の(さが)からまず逃れられない。

 

 ──―ゆえに。

 

 幼い私は英雄譚の持つそんな裏側の本質を欠片も理解することなく、いっそ残酷とも言えるほど無邪気に、ただ眺めていて気持ちの良いものだからというそれだけの理由で、自分にとっての理想、物語の中の英雄像を愛してしまっていた。

 

 ………それが、いったいどれほど愚かで、無知で、救いようのない過ちだったかも知らずに。

 

 

 

「死ねよ貴様ら、塵屑(ごみくず)だろうが。苦悶の喘ぎを漏らしながら地獄の底まで堕ちるがいい」

 

 

 

 ──―思い違いが糾されたのは、忘れもしないあの落陽の日。

 新西暦1027年、軍事帝国アドラーの帝都を未曽有の災禍が襲ったとされる、アスクレピオスの大虐殺。

 紅と蒼──八年もの月日経ようと未だにその正体を謎のままとする──二つの暴虐が繰り広げた殺戮劇によって、七万を超える帝国臣民が命を落としたという紛れもない地獄の具現。

 

 あの日、私は自らが住まう日常に突如として“英雄”が現れたことで、それまでの人生をすべて(うしな)った。

 

 怒涛のように押し寄せる軍靴。統制の取れた発砲音。

 それらが笑えるほどに一定の律動(リズム)だったことを、今でも忘れない。

 そして、響き渡る怒号と怨嗟の叫びが、たちまち醜くひしゃげた蛙の断末魔となって、あっという間に辺りを支配していったことも。

 

 豪奢に設えられていたはずの屋敷は、こちらがあっと驚く間もないほどに簡単に踏み荒らされた。

 その余りの急変ぶりに、私は数瞬そこが()()()ではなくどこか別の場所なのではないかと、空漠──―白昼夢を見ている気分にすらなった。

 

 けれど、打ち壊された調度品や床に散乱したたくさんの美術品だったものを見て、ここは間違いなく私の家なのだと、罅割れた現実を受け入れざるを得ず──―

 

 気づいた瞬間、それが避け得ようのない崩壊、暖かな日常、揺籃の日々が崩れ去るたしかな現実だと分かってしまったから。

 

 蝶よ花よと甘やかされ、十代も半ばを過ぎていたというのにいつまでも小さな女の子のようにして育てられていたそんな私でも、“このまま何もしなければ死んでしまう”という絶対の事実に、恐怖を覚えるだけの思考回路はあって。

 

 何より、血と鉄風吹き荒ぶ鏖殺の金影──―クリストファー・ヴァルゼライド。

 

 軍服を身に纏い七つの鋼を燦然と背にしたその男を、一目見て。

 全身から滲み出る狂的な熱意と、その双眸から氾濫する悍ましいまでの()()に、夥しい数の(むくろ)の群れを幻視した。

 

 ──殺される。殺される殺される殺される。きっと間違いなく他の何にでもなく私はアレに殺される! 

 

 総身を駆け抜けた絶望と戦慄。まるで底なしの沼から這い出てきた魍魎にガッチリと足首を掴まれてしまったかのような感覚は、いともたやすく私というちっぽけな人間からマトモな思考力を奪い去った。

 

 端的に言えば、我を失ったのだ。

 

 生きたい。死にたくない。まだ生きていたい。すべてはその一心で。

 突如として訪れた絶体絶命の窮地から何としてでも逃げ延びて、あの恐ろしい男から一刻も早く距離を置いて、その目の遠く届かない場所へと隠れたい。

 

 限界を突き抜けた焦燥と、それまで経験したことのない本能から来る衝動に、私は文字通り死に物狂いで生存への活路を探し求めた。

 それはきっと、異常と評されてもおかしくはない豹変だったと思う。幼く未熟な精神しか持っていなかった子どもが、生存欲求に突き動かされて両の眼が血走るのも構わず、口から泡さえ吹いて狂態を晒したのだから。ショッキングとさえ言える。

 

 けれど、それくらい恐ろしかったのだ。

 

 金髪の隙間から覗く鋭い眼光が。地盤さえ歪めるのでと思えるその一歩が。まるでグツグツと煮え立つ大地の怒り(マグマ)が、無理矢理ヒトガタに押し込められているかのようで。それがただ居ても立っても居られないほど、怖くて恐くて──―(こわ)くて。

 

 そして──―だから。

 

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

 

 帝国の中でも血統派に属していた父と母。

 彼らが何やら世間的には悪人と呼ばれる人種であることは、物心ついてより読みふけってきた書物の知識で何となく察していたし。

 たとえ両親が自分の前ではそんなこと、おくびにも出さず。ちょっと子どもへと向ける愛情が過剰なだけの人たちであったとしても。

 

 子どもの知らないところで、およそどれだけの他人を食い物にしていたのかは、迫りくる改革派の声高な叫びでとても明白だったから。

 

 だから、だから私は、この状況を脱するのにはもうそれしか道がないのだと判断して。

 

 頬を伝う雫、掌を濡らす赤い液体にただ壊れた笑みを零しながら………

 

 威風堂々と現れた“英雄”が(ドア)を開け、ちょうどその光景を目の当たりにするようタイミングさえ推し量り。

 自分でも、ほんとうにどうしてそんなことができるのかと訝しみつつ、張り付けた憎悪でナイフを振るっていた。

 

 心と身体を切り離し、凍える涙で暖かな幻想を引き裂く。それはまるで、ふとした切っ掛けで子どもが大人へと成長するように。

 

 幼年期の終わり。揺籃の檻からの脱出。

 幸いにも、実際事実として私の家庭環境は歪んだものだったから。

 

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 ……そういうふうに見せることも、別に難しくはなかった。

 両手足にはどう見ても鎖の痕と思しい傷跡があり、首にはチョーカーと言い張るには少しばかり生々しすぎる革製の首輪。地下には私専用の鉄でできた檻さえも。

 

 ──―そんな少女を、どうして“英雄”が見捨てられるだろう? あまつさえ、命を奪うことができる? 

 

 救うべき無辜の民。

 歪んだ愛情を持った両親の下に生まれてしまったせいで、吐き気を催す家庭環境で十年以上もの間、檻の中で蝶よ花よと育てられた少女。

 そんな存在は、弱きを助け強きを挫くヒーローが最も手を差し伸べるべきモノだ。

 

 よって私は──―否、()は。

 

 結論から言って、実にうまくやれたと思う。

 

 軍事帝国アドラーに巣食っていた悪しき病巣、血統派という自分たちの利益と悦楽のためならばたとえどれだけの他者を貶めても何ら構わないという真性の塵屑たち。

 改革派──ひいてはクリストファー・ヴァルゼライドが執り行う粛清の対象となるべき一大派閥の係累でありながら、不幸な身の上ゆえ、ついには英雄の振るう凶刃から逃れることができたのだから。

 

 ただの小娘。ただ他人よりもいささか異常な家に生まれてしまっただけの、単なる子どもが挙げた功績としては、凄まじいまでの快挙だったと自信を持って断言できる。

 

 誤った子育て。捻じれた家庭環境。狂った愛。

 それは、たしかに傍から見て気持ちが悪く、思わず目を背けたくなる事実かもしれない。

 

 だけど──―それでも。

 

 子は親を愛していたし、親もまた子を真に愛していた。

 そこに嘘偽りはないし、大和(カミ)に誓って自分たちの間に不幸など無かったと宣言できる。

 

 ナイフを突き刺す刹那、両親の浮かべた微笑は今もたしかな傷となってこの胸に。

 

 後の展開(こと)はおよそ言うまでもない。

 

 粛清の対象から運よく逃れられたとは言え、元は血統派の悪しき忌み児。

 根腐りした生まれに気持ちの悪い子育て。挙句の果てには親殺しすら為す異常性と来れば。

 英雄の命令で如何に保護対象として扱うことが決定したとは言え、改革派にとっては一族郎党を(みなごろし)にした負い目もあればこそ、懸念はそうそうに拭い去れない。

 

 結果、誰もが安心を得られる落着として、少女は軍籍へと身を置くことになった。

 

 帝国(アドラー)が誇る偉大なる英雄、三十七代総統クリストファー・ヴァルゼライド曰く。

 

「子が親の罪を背負う必要はない。だが、周囲の目は今後しばらくお前を血統派の残滓として見るだろう。ゆえに、なればこそ自由を求めるなら自分自身の手で証明してみせる必要がある」

 

 親と子はそもまったく違う人間であり、別人であるということを。

 尽きせぬ汚濁を雪ぎ、栄えあるアドラーに誠心誠意身を(ささ)ぐことで、目障りな視線もいつかは消える。

 

 それは、半ば体の良い使い捨ての道具を得るためだけの建前のようでもあり、実際、事実として様々な思惑が蠢いた末での宣告ではあったのだろうが、英雄は本心から言の葉を紡いでいたのだろう。

 

 どちらにしろ、とうに心の折れていた小娘に端から首を横に振れる力などとても無かったが、少なくとも精神が崩壊し廃人へと成り果てる……そんな結末を迎えることだけは防げた。

 

 ──両親が遺した呪縛を断ち切り、見事檻から飛び立ってみせろ、ヤヨイ・(たちばな)・アマツ。

 

 英雄が口にしたそんな激励じみた言葉にただうなずく。

 勝者の指示に従うこと。

 それが、この時の僕に許された唯一の選択肢でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──―しかし、当然のことだが一度心を折られたからと言って、それで人がもう二度と立ち上がれなくなってしまうかというと、答えはノー。

 

 時間はあらゆる傷を癒し、たとえ取り返しのつかない極大の精神的外傷(トラウマ)であったとしても、最低限上辺を取り繕うことくらいは可能にしてくれる万能薬。

 そして、人間というのは時に自分で思っているよりも遥かに諦めが悪く、また往生際が悪い生き物。

 

 みっともなくも生にしがみつき、死に恥よりも生き恥を曝すことを選んだ愚者ならなおさらそうで、ゆえにこそ負の感情を燃料として再起するのは自然な流れでもあった。………少なくとも、僕個人に限ってはそういうダメな方向に舵取りをすることで、心の均衡を保っているという部分が無きにしも非ずだった。

 

 心の奥底に深く刻まれた傷。

 

 それらを覆い隠し、ひたすらにずぅっと何重ものプロテクトをかけて。

 見ないフリ。知らないフリ。忘れたフリ。

 直視することを続けてしまえば、恐らくはまともに立ってさえいられない致命傷だから、まずはそう………自分自身から騙すことにしたのだ。

 

 ありのままの自分はもう好きにはなれない。

 

 英雄の眼光に射竦められたあの日より、この身は既に魂の気概で負けている。外界を知らずに育った弊害と言えばそれまでだが、世界に自分を害するモノなど無いと信じて生きて来た幼き精神に、あの威容はあらゆる意味で刺激が強すぎた。

 

 赤ん坊の柔肌に、やおら劇物を叩きこまれたと言っても過言ではない。

 

 元よりマトモな生育環境で育ったとは言えず、栄養状態だって健常とは言えない虚弱さ(そういったいわゆる守ってあげたくなるタイプの子どもが両親の好みだった)ではあったが、あの出会いによって僕には決定的な自覚が生まれてしまった。

 

 ──()は弱い。

 

 そう。すべてはこの身が弱いから起きてしまった悪因悪果。

 

 もしもあの日、自分に英雄の暴威に負けない精神があったら? 

 もしもあの日、自分に英雄に立ちはだかる勇気と胆力があったら? 

 もしもあの日、自分に英雄を討ち倒せるだけの力があったら? 

 

 それらは過ぎ去ってしまったがゆえに到底ありえもしない失笑ものの“もしも”ではあったが、それでも、僕にとっては夜毎に考えずにはいられない最大の後悔だった。

 

 ゆえに──―変身は必然だったとも言える。

 

 自分にとっての弱さの象徴とも言える過去。両親の愛情を一身に引き受けていた頃の姿を捨てる。

 長かった黒髪はきれいさっぱり短くショートに。身に纏う衣類はすべて男物へ。当然、軍から支給される制服等も男性用。

 

 両親が愛した私は可愛らしく小さくて弱弱しい私。そして、英雄の恐怖に膝を屈したのもその私。

 

 なら、そんな私とはもうおさらばだ。私を守ってくれていた両親はもういない。蛹は蝶へと羽化をする。これからは少しでも強い自分でいたい。

 

 ──―だから、()

 

 動物や虫が自然界を生き抜くために擬態の質を向上させるというのは、今時誰でも知っている話だ。

 さすがに自分を動物や虫と同等に見ている訳ではないが、けれどこと()()()という点に於いて自然界ほど手本となるものもない。

 

 よって、日常的に男装をするのにあたり唯一自らの胸が懸念事項ではあったが、成長期に栄養が不足していたからか──喜んでいいのやら悲しむべきか──その点についてはあまり心配する必要も無く。

 

 私は気づけば、僕として歩き出していた。

 

 とは言え、別に女性であることを隠すようになった訳ではない。

 

 男装はあくまでも自分の精神状態をクリアに保つための手段であり、弱い自分から少しでも強い自分へアイデンティティを移行することが目的。

 生来の声質やどうしたって丸みを帯びた輪郭は、『星辰体感応奏者(エスペラント)』となる強化手術を受けたところでも変わらない。

 恋愛感情や性的欲求についても、あいにく意識したことが無いため曖昧だが──―恐らく一般的な域を出ないはずだ。

 

 一人称を変えたのも、別にはじめから意図していた訳ではない。

 

 ただ、不思議なもので人と言うのは恰好を変え、環境が変わり、自らそのように振る舞い続けていくと、徐々に徐々にそれが自然であると思うようになってしまうものらしく。

 軍というある種男性社会とも言える世界に身を置いて、男の恰好、男っぽい口調を続け、周囲も男性ばかりに囲まれていく内に、だんだんと“この自分も等しく自分自身である”と認識するようになっていったのだ。

 

 結果、気がつけば僕という一人称が生まれ、ヤヨイ・橘・アマツは二つの顔を持つ人間へと相成った。

 

 弱い自分との訣別。強い自分への変身(メタモルフォーゼ)

 さすがに二重人格とまで言える大袈裟なものではないにしろ、私/僕はそうして新たな人生をスタートさせるに至ったのである。

 

 軍事帝国アドラーが誇る強化人間。新西暦に満ちる謎の粒子──星辰体(アストラル)と感応することで自己を最小単位の星と定義して、個々それぞれの異星環境とも呼べる独自法則を地球上に降臨、超能力という形で具現化する異能兵。

 膂力、生理機能、知覚器官など基本的な身体能力さえも著しく上昇させ、たとえどれだけ優れた達人・武人であっても、強化手術を受けているかいないかたったそれだけの差で圧倒的な彼我の実力差を生み出してしまう新世代の超人。その名も星辰奏者。

 

 腐っても貴種(アマツ)としての血筋ゆえか、あるいは単なる偶然か。僕にはその星辰奏者となる適性がズバ抜けて高くあった。

 

 軍人としての高い素養。人間兵器としての価値。それは、普通ならあまり喜ぶべきことではなかったのかもしれない。

 

 しかし、クリストファー・ヴァルゼライド。あの恐るべき狂人へと()()()()()。腹の底でひそかにそんな逆恨みを醸造していた僕にとって、これはまさしく大和(カミさま)からの恩恵そのものに他ならなかった。

 

 ──―そう。結局のところ、改革派麾下の懸念は正しかったのだ。

 

 血統派の忌み児は栄えある総統閣下からの温情などに微塵も感謝などしてはいなかったし、自分に対して圧倒的恐怖と生涯完治せぬ傷を刻み込んだ男へ、恨み骨髄にまで達するほど性根が腐っていた。

 その感情が八つ当たりであることも、両親の積み重ねた悪徳を思えばとんだ逆恨みであることも、すべて承知の内。

 

 なれど、それでも。

 

 夜になり眠りにつけば夢にみるのは決まってあの日の焼き回し。

 薬を使い強制的に意識をシャットアウトさせなければ、ろくな睡眠さえ取れない毎日の絶望。

 バスルームに入り、裸身を見下ろせばどうしたって(弱い自分)であることを突きつけられて。

 僕ではなく私として料理をしようと思って包丁を握れば、必ずと言っていいほど吐いた。

 

 そんな惨めな日々を、あんな殺戮者(えいゆう)のせいで味わっているのかと思うと、とてもじゃないが精神を掻き毟りたくなるほど恨まずにはいられなかったのだ。

 

 ──―だから。

 

 優れた星辰奏者。使い勝手のいい軍人。そういった役割をこなし、業腹ながらあの男に言われた通りひたすらに帝国のための走狗として駆けずり回った。時には暗殺や潜入なんて危険な任務さえも進んで引き受け、周囲を徹底的に油断させるまで。

 

 実績を積み、謙虚に振る舞い、然れど心の裡側は決して晒さず仮面を被り続ける。

 

 いつしかそうして、アドラーの象徴たる黄道十二星座部隊(ゾディアック)が第一、近衛白羊(アリエス)の副官として抜擢されるに至った時は、内心でかなりガッツポーズをしたものだ。

 

 上官である部隊長、アオイ・漣・アマツの総統閣下狂いにはすぐさま辟易することになったが、とは言え十二部隊の準隊長格ともなれば軍内部での立場と影響力はそれなりになる。

 

 もちろん、アスクレピオスの大虐殺以後、クリストファー・ヴァルゼライドを至上と崇める風土と気風が帝国全体で蔓延しているため、部隊長でもない副官の地位など総統の鶴の一声でまさに吹けば飛ぶようなポジションに過ぎなかったが。

 

 しかし、そうだとしても権限の向上は素直に喜ばしい。

 

 光に網膜を焼かれた英雄信者どもとは違い、無様で愚かなただの敗北者である僕にとって、英雄がひそかに抱え持っているだろう瑕疵……不祥事は、とにもかくにも使える人間の多さによって調べられる多寡が決まって来る。

 

 真正面から向き合っても勝てないのは道理。

 

 武力は言うに及ばず、人格すら英雄は他と一線を画する傑物だ。その素晴らしさは聖人と形容してすら過言ではない。

 

 だが、あの日垣間見た悍ましいまでの光の波動。立ちはだかるもの者皆すべて轢殺する鏖殺の大行進には、たしかな悍ましさがあった。

 

 “あんなにも逸脱してしまった人間には、間違いない。およそ人として決定的に欠落した何かが絶対にある”

 

 古来より女の勘はあらゆる論理性を超越して核心を突くと言われるが、これは恐らく性別などに関係なく、ただ弱者の視点を真に解する者であれば恐らく易々と分かったことだろう。

 

 クリストファー・ヴァルゼライドという男は正真正銘の気狂いであり、人間として破綻している怪物だ、と。

 

 だが、多くの臣民が惑わされていることから分かるように、あの男は真実英雄として光り輝く王器(カリスマ)を備え持っていた。

 そんな男が、まさしく伝説を打ち立ててみろ。

 大衆を包む熱狂は天井知らず。万人を救う英雄譚の現実化に、歓喜の叫びを挙げながら酔い痴れない者などいなくなる。

 

 したがって、事は水面下で細々と推し進める必要があった。

 

 周囲は誰も彼もが英雄の威光に視界を眩ませた盲者ばかり。

 我らが総統に叛意あり、などと一人にでも気取られてしまえば、もうその時点で望む復讐は成し遂げられなくなってしまう。過日の汚名を雪ぎ切ったとも言える状況でも、元血統派としての偏見は決して拭えずしつこくこびりついたまま。

 

 火のない所に煙は立たぬ、とはよく言うが、逆に言えば火種さえあれば火とはあっという間に燃え盛るものだということ。

 

 行動は慎重に慎重を期し、極秘密裏に嗅ぎ回る必要があった。

 

 そして──―

 

 ある時、僕はついに手がかりらしきものを掴んだ。

 

 それは上官、アオイ・漣・アマツが漏らした何気ない一言(つぶやき)

 

 ──閣下は何処へいらしているのか。せめて(わたくし)くらいには胸襟を開いていただいても……。

 

 ヴァルゼライドの信奉者にして、総統閣下の近衛の長を務めることに無上の喜びを見出している女の独白。

 政府中央棟(セントラル)に於いて、最も英雄の行動(タイムスケジュール)を把握しているはずのそんな女が、微かな不満とともに疑問を口にする。

 

 それすなわち、アドラー第三十七代総統には、自らが誇る腹心中の腹心にさえも明かしていない()()があるということ。

 

 あの公私に渡りアドラーを栄えさせることそれのみに昼夜邁進しているかの如き男が、余暇(プライベート)ならいざ知らず、職務時間中に公の場から短くない時間、姿を晦ましている──―? 

 

 怪しくないはずがない。

 

 ゆえに、そこからの行動指針は単純にして明快。クリストファー・ヴァルゼライドという男の監視と、周囲に隠れて単身何をしているのかを暴く。僕はそれだけに注心した。

 

 表向きは粛々と仕事をこなし、頭の天辺から足の爪先まで忠誠心の塊であるかのように振る舞いつつ、警護を厚くするという建前で人員を増やしては英雄の足跡をいつでもどこでも必ず追えるように環境を整えた。政府中央棟に於いては、もはや蟻の一匹さえも見逃さない厳重な体制が出来上がったと言えるほどに。

 

 だが、そこまでしても英雄はなかなか尻尾を出さなかった。

 

 一定の周期で姿を隠している事実にはすぐさま確証を得られたが、如何なるトリックかはたまたどのような魔法か、まるで政府中央棟そのものが手引きをしているかのように英雄は楽々と警備網を掻い潜り続けた。ともすれば、それはこちらの意図を既に読まれているのではないかと焦りを抱きかねないほど鮮やかに。

 

 臍を噛む毎日。思うように行かない現実への鬱憤。このままでは単に英雄を慮って警備網を厚くした忠義者ではないか。そう見えることを狙ったとは言え、内心とは異なる周囲からの評価に、沸き立つ苛立ちはどうしても抑えきれない。

 

 一ヶ月、二ヶ月、三か月……無情にも流れゆく時の濁流に身を苛まれゆく、そんなある時。

 

 ついに我慢の限界に達してしまった僕は、愚かなるかな、向こう見ずにも自ら行動を起こしてしまった。

 

 英雄が監視の眼を逃れて姿を消すならば、使えない他人ではなくもはや自分自身でその行動を詳らかにするしかない。

 軍人として鍛えに鍛えたあらゆる能力を総動員して、ヴァルゼライドを尾行する。

 政府中央棟を下に、下に、ひたすらに下に降りていく男の背中を、細心の注意を払い決して気取られぬよう追いかけ──―

 

 けれど、なぜか見失う。

 

「……っ、どうして!?」

 

 物理的にも論理的にもありえないタイミング。

 視界から忽然と姿を消し、もはや神隠しに遭ったとでも言わなければ到底説明のつかない現象を前に、僕は目を見開いてただ愕然とする他になかった。

 

 蜃気楼。幻覚。あるいはそれらに準ずる星辰光(アステリズム)かとも疑ったが、しかし星辰奏者であれば近くに発動値(ドライブ)状態の星辰奏者がいれば言われずともそれを感知できる。たとえ星辰奏者自体を見つけられずとも、大気中に漂う星辰体の濃度に変化があれば、その異常は火を見るよりも明らかだ。

 

 しかし、辺りを幾度見渡してみても、そのような異常は欠片も見当たらない。仕掛け扉や隠し通路の存在を探しても、そんなものを都合よく発見できるのであればそもとっくに英雄の尻尾は掴めている。

 

 自分で直接英雄の懐を探る。そんな極大のリスクさえ背負っても、影すら踏むことができない。

 

 格の違い。勝者と敗者。こうなってくると、薄々察してはいたが自分の行動などとうの昔に見透かされ、滑稽に踊る様をみすみす泳がされていただけなのではないか、いや、そもそもあの男にとって自分などは眼中にさえ入らない矮小十把に過ぎないからこそ………。

 

 どうしようもない落胆に打ちのめされ、僕はとぼとぼと元来た道を戻るしかなかった。

 

 通路を歩き、意気消沈とした様子を取り繕うことさえできず。

 このまま地上へ出れば上官や部下たちに訝しまれかねないという危機意識はあっても、何の成果も掴めなかったという厳しい現実に、仮面の綻びを再度繋ぎ合わせることがひどく難しかった。

 

 ………別に、これで自分がどうしようもない失敗を犯してしまったとか、そういう訳ではないことは理解していた。

 

 英雄の後を()ける。不審がられても、やったこととしてはせいぜいがその程度。弁解はいくらでもできるし、偶然を装えば素直にそう信じ込ませるだけの人間関係はいくらでも築いてある。

 むしろ、相手はあのクリストファー・ヴァルゼライドなのだからこれくらいでへこたれていては先が思いやられるというもの。さすがは英雄。それでこそ我が積年の憎悪を向けるに相応しい──と、奮い立って然るべきである。

 

 ──―けれど。

 

 “まだ届かない。まだ掴めない。じゃあ、いったい何時になれば、僕/私はお前の悪夢を見ないで済むの……? ”

 

 軋むココロは補修に補修を重ね、()()ぎだらけのパッチワークにも等しく。罅の入った硝子のコップに、割れないよう繊細に水を注ぎ入れて何とか使い続けてきた、そんな有り様。

 

 もうこれ以上はいつ決壊してもおかしくない。毎夜毎夜涙に濡れる日々にはうんざりなのに。

 

 英雄は人々を救う。けど、英雄に討ち斃される邪悪な魔物の下で愛を込められ育った人間は? 辛い日々から解放されて? 助けてくれてありがとう? そんな馬鹿げた道理があるかよふざけないでっ! 

 

 手前勝手な理屈。ヒステリーを起こした女の逆恨み。自分の罪を棚上げして何と醜い逆上か。そんなことは言われずとも知っているし分かっている。

 でも、この感情を、痛みを、叫びを、封じ込めてなんていられないからこんなにも苦しんでいるのだ。

 

 嘆きも悲しみも嫌悪も苦痛も、自分の人生はすべてあの日からクリストファー・ヴァルゼライドただ一色。

 

 そんな地獄に、ああ、いったいいつまで耐えればいい? 

 

 ヤヨイ・橘・アマツの人生は、生まれてからずっと変わらずに檻の中へと囚われたまま。

 もしやこの先もずっとそうなのではないか………? 

 

 暗澹と広がる昏き絶望に、僕は叫び出すことさえ出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──―しかし。

 

 

「っと、失礼。大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」

「────ぁ」

 

 

 白い燕尾服に、純白の外套。

 朝焼けを浴びて輝く穂波のような金の髪。

 紫紺の瞳は透き通るほど煌めいて、まるで高価な宝石(アメジスト)のよう。

 スラリと伸びた手足は長く、頬は柔和にほぐれ眼差しは暖かい。

 

 道角を曲がり、偶然ぶつかりかった。

 

 それは、とても嘘のような出会いだったけども。

 あなたに背中を支えられ、ただ差し伸べられるままにその手を取って。

 力強く助け起こされた瞬間──―

 

 

 

 私の地獄(せかい)に、あなたという色がすっと差し込んだ。

 

 

 

 たったそれだけのことで、息が随分としやすくなった。

 それを私は………きっと生涯忘れない。

 だってその日、私はあなたに、たぶんだけれど一目で心を奪われてしまっていたのだと思うから。

 出会っただけで人生を染め上げられる。

 そんな男の人が、今度はこんなにも陽だまりじみているだなんて、ああほんとうに──―想像すらしていなかった。

 

 だから、抱えきれないほどの感謝をくれたあなたに、この想いと同じくらいの喜びを返したい。

 

 英雄に犯された人生で、はじめて抱いたそれが希望。

 ヤヨイ・橘・アマツは、ルシード・グランセニックと出会って恋に落ちた。

 劇的でもなければ、何の変哲もない。それどころか、される方にとっては迷惑な不意打ちもいいところだったかもしれないけれど………

 

 それはとても──―素敵な運命(こと)だと。(ぼく)には思えたのです。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 ──君と過ごした日々をたとえるなら、()()()()()()()()()()()。それが一番しっくり来る。

 

 

 人造惑星(プラネテス)

 来たる聖戦へ向け、鋼の恒星が宿敵と定めた英雄と対決するため用立てた、星辰奏者(エスペラント)を超える完全上位互換の星辰体(アストラル)運用兵器。

 

 通称、魔星。

 

 その試作、ヘルメス‐No.δ(デルタ) 錬金術師(アルケミスト)として目覚めた直後。

 創造主たるカグツチと悍ましき殺戮の英雄クリストファー・ヴァルゼライドによって、自らの精神性を暴かれ散々っぱら扱き下ろされた僕は、かつてない陰鬱を纏って政府中央棟地下最奥から地上へと続く通路を歩いていた。

 

 頭の中に過ぎるのは、(さき)未来(さき)へとひたすらに明日(さき)しか目指せない真性の破綻者たち。

 

 あんな奴らに選ばれて、生き返らせたのだから言うことを聞けと命令されて、ただ素体として優秀だったからというそれだけの理由で望みもしない戦いへ巻き込まれる。

 

 ──やめてくれよ……僕には、無理だっ! ごめんなさい……! 

 

 率直に言って冗談ではなかったし、とてもじゃないが心が保たない。

 悲鳴をあげる絶望。

 だから、どうしたって受け入れられない現実にただ頭を下げて許しを請う。それだけが、僕という負け犬に許された唯一の選択肢だった。

 

 ………幸い、英雄の一声でいずれ来たる聖戦まで猶予は得られた。

 

 しかし、それでも奴らに生殺与奪の権を握られている状況は変わらない。

 もはやルシード・グランセニック本人ではなく、その記憶と未練を引き継いだだけの亡者に等しい成れの果てではあったが、だからこそ再び冥府へと堕ち行くあの感覚だけは二度と味わいたくなかった。

 

 ──―だけど、それであの化け物たちへ反旗を翻すだとか、ましてや表立って敵対的な行動を取るなんて、そんな選択肢を端から選べるくらいなら自分はこうして惨めに負け犬などやっていない訳で。

 

 情けない。怯弱。それでも男かおまえ──―自分でもそう思うから、呆れも侮蔑も甘んじて受け入れる。

 別に開き直っている訳じゃない。ただ他に否定のしようもない純然たる事実だから、そう認めるほかにないだけ。

 

 ──―だって、仕方がないじゃないか。皆が皆、あんな気狂いどもみたいに前を向ける訳じゃないんだよ。

 

 覚悟も決意も重要なのは分かっている。それが出来ればどれだけカッコいいかも。

 

 だけど、信じ続ければいつか必ず夢は叶うとか、希望の明日を目指して決して諦めずただ頑張るだとか。

 そんな言葉を聞かされる度、おまえら揃いも揃って節穴かと。ろくに未来も見通せない能無しなのか。少しはその足りない頭で現実ってものを考えろよと不満は爆発して。

 

 ──―どいつもこいつも本当に分かっているのか? “選択”っていうのは重いんだ。命を懸けた場でならより一層、失敗は許されない。自分だけならまだいい。けれど、もしも他人の命までどうにかなってしまう状況だったら? ()()を、取れるのか? 馬鹿を言うなよ無理に決まっているだろうそんなのはっ! 僕には重すぎる……ッ! 

 

 考えれば考える程に、自分を縛る縄と足枷は増えていく。

 元々、ただでさえ自分一人のことだけでも怖くて堪らなくなってしまう気質なのに、そんな風に誰かのことなんて考え出してしまったら、元々小さかった風船はいとも簡単にキャパシティを超えて破裂してしまう。

 

 だから、僕にできるのはせいぜい嫌な現実から必死に目を逸らし、“都合よく現実がどうにかなってくれないか”なんてクズな思考を走らせるだけ。

 命令に従い、唯々諾々と未だ目覚めぬ死想恋歌(エウデュディケ)の管理を行いながら、八つ当たりのように銀色の少女へ憎しみを募らせる。

 

 それだけ。それのみが、僕という負け犬の正体にして、今さら変えようもない本質だった。

 

 恒星と英雄とのファーストコンタクトの後、あの地下室を出てしばらく。

 厳重に封が施された扉を背にし、政府中央棟地上付近にまで上がる。

 これからしなくてはいけないこと。これから待っている鬱屈とした日々。それらに想いを馳せ余計に気を滅入らせながら……

 

 “ルシード・グランセニック”としての仮面を被り商国(アンタルヤ)の内情を帝国へと流し続ける? まったく……立派な売国奴じゃないかよ。

 

 なんて、胸の中でひとりごちて。

 

 ──―その星辰奏者に気がつかなかったのは、だからきっと、その時の僕に周りを気にするだけの余裕がまったく無かったからなのだろう。

 

 鋼色がどこまでも続く味気ない通路を曲がろうとして、トンッと何かが胴体へとぶつかった。

 衝撃は小さく、けれど意識外からの接触に驚きは駆け巡り。

 それが黒い髪をした小さな女の子であると咄嗟に見て取った瞬間、思わず無意識の内で体が勝手に動いていた。

 

「っと、失礼。大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」

 

 声をかけながら腰を支え、手を引いて立ち上がらせる。

 そうしながら思ったのは、“あれっ、男……? ”という微かな違和感。

 女の子だと思い、つい商国で培った紳士の精神が顔を出してしまったが、相手は痩せてはいるものの女性と判断するにはあまりに洒落っ気が無く、そして胸も無ければ顔も中性的だった。

 支えた背中も引き上げた手も、残念ながら厚い軍服と革製の手袋の上からでは感触などいまいち判然とせず。

 

「……」

 

 頭の中を微かな混乱が走った。

 

 魔星となり、人間だった頃とは遥かに比ぶべくもない五感を以ってすれば、本来なら容易に判断できて然るべきだったのかもしれない。

 

 しかし、この時の自分は未だ目覚めたばかりで生前との感覚の違いに慣れておらず。そのため、一瞬の接触で相手の性別を判断するのはなかなかの難事と言わざるを得なかった。

 

 加えて、しかも──

 

「あっ、ありがとうございます。すみません、そちらこそお怪我はありませんでしたか?」

「いえ。僕の方はなんとも」

「そ、そうですか。良かった……()も大丈夫です」

 

 ──一相手の口から飛び出てきたのは、まさかの一人称。一般的に男性が使う自称(もの)であったから、観察眼には割と自信のあったこちらもさすがに混乱した。

 

 商売人として鍛え上げた細やかなプライドは最初の直感を大事にしろと訴える。

 

 しかし、今やルシード・グランセニックのようでそうでない自分が、果たして商売人としての直感を真に有していると言えるものだろうか? 

 

(いや………べつにどうでもいいか、そんなこと)

 

 益体も無い未練に引きずられそうになった頭を、かぶりを振ることでリセットする。

 圧倒的な暴力の前では弁舌も駆け引きもあらゆる小手先の業が無意味。

 死の間際、英雄の暴威をこれでもかと見せつけられた記憶は魔星となっても色鮮やかに思い出せた。どうせなら少しくらい不鮮明になっていてもいいものを。おかげ商国で培ってきた価値観などもはや完全に見る影もない。

 

 残っているのは真実、粘ついた未練だけだ。

 

 そんな自分が死んだ後でも商人じみた思考を巡らせたところで、死者の怨念以外の何にでもならないだろう。

 

 たまたま出くわしただけの人物の性別がどちらなのか、それもまた本来は極めてどうでもいい。

 

「──―」

 

 息を吐き、感情を平らにする。

 それで乱れた精神は、何ら問題なく平静を取り戻した。

 自分の感情に蓋をして、外面をキレイに取り繕う。数少ない得意分野。商談用の顔は幾つ容易してあっても不足は無い。

 昔取った杵柄、とはまさにこういう時のために使われる言葉だとしみじみ実感した。

 

 と──―そうして冷静になったらなったで、今度は割と現実的な問題が浮上した。

 

 軍服を着た星辰奏者。それが政府中央棟にいるのは何もおかしなことではない。

 しかし、真っ白い燕尾服を着たどこぞの御曹司。これがアドラーの中心も中心で平然とほっつき回っているのは、いささかアウト過ぎるアウトであろう。

 地上近くまで上がって来ていたとは言え、立ち入るにはそれなりの階級が求められるだろう深奥区画で堂々と闊歩するとは、甚だ不自然極まる。

 

 ゆえに、この構図は地味にピンチ。

 

 機密も機密であるはずの魔星ゆえ、カグツチや英雄がその辺の情報統制に抜かりがあるとは思えない。

 というより、そもそも自分は命令を受けてこれからグランセニック邸へと()()する道すがらである。部外者と遭遇する可能性のある通路(ルート)を、あの英雄が頭に入れていないはずはない。

 

 ──―ならば、関係者だろうか? 

 

 閃く憶測。

 しかし、関係者と言えば恐らくあの一人と一機を除けば叡智宝瓶(アクエリアス)の研究者くらいしかいないはず。それですら、厳選に厳選を重ねて選ばれた極少数に限られるだろう。

 目の前の人物からは研究者であれば自ずと匂い立たせている独特な気配──技術畑出身特有のアレな雰囲気──を、まったく感じ取れない。

 というか、もしも関係者ならばルシードのことを見て、その正体が分からないはずはなく。

 

 結論として、僕は次に取るべきアクションをどうすべきか、非常に困惑せざるを得なかった。

 

 端的に言えば、“誰だこいつ”という状況。

 

 けれどそれは、向こうからしてもまったく同様のはずで。

 

 一秒、二秒、三秒と。

 ひそかに冷や汗が流れる気まずい沈黙が続いたその直後、意外なことに最初に口火を切ったのは向こうからだった。

 

「えっと……あっ、僕はヤヨイです。ヤヨイ・橘・アマツと申します! 好きなものは蜜柑とかの柑橘類で、嫌いなものは酸っぱいだけの梅干しです!」

「って自己紹介だとぅ?!」

「ひゃっ!?」

 

 天然か! 

 

 想定外の反応に思わずツッコミが口を突いて飛び出てしまったのは、この状況であればある程度仕方がなかったと誰もが思うだろう。

 軍事帝国アドラーの御膝下で、軍人と推定不審人物が遭遇しているにも拘わらず、真っ先に口から出るのが自己紹介とは、いったいどのような感性の持ち主ならば為し得る芸当なのか。自他ともに認める小物にはとても推し量れそうにない。

 

 ──潜在的な大人物? なんとかと天才はよく紙一重と言うけれど……

 

 とは言え、名乗られたからには名乗り返さなければ礼儀を失する。

 

 目の前の人物の素性およびその背景は依然として不明だったが、この新西暦で貴種(アマツ)を名乗る以上、その時点で(騙りでなければだが)相当な地位にいると判断していい。

 加えて、一星辰奏者と魔星たるこの身では当然後者の方が能力的には上に立っているはずであるが、侮れないことに大和の系譜はおしなべて新西暦の申し子である。

 目の前の人物がどんな星を持っているか、それが分からない内に悪感情を買うことはなるべく避けたかった。

 

 ──それに。あの総統閣下が部下の行動を把握してないはずがないだろうし。

 

 ここで自分が何をしようと、どうせ大局的には何も変わらない。

 ならば、邂逅一番トンチンカンなことを口走ったこの人物と、もう少しだけコンタクトを取り続けてみるのも面白いかもしれない。何より、両肩へ圧し掛かっていた重いプレッシャーが先程からほんの少しだけ軽くなったような気がする。

 

 一言で表現すると、毒気を抜かれた。これはまさにそういう感じ。

 

 そして、何やらこの性別不詳な小さな軍人は、自分からいきなりぶちかましに来ておきながら、こちらが思いのほか軽妙な返しをしたことに目を白黒とさせている。どういうことだ。

 しかも、さらに不思議なのは、そんな様子を見ているとますますこちらから肩の力が抜けていくこと。

 なんというか、それまで殺伐とした荒野を鬱屈とした気分で彷徨っていたのに、突如として目の前にファンシーショップが現れたかのような、とにかく例えるならそんな感覚。

 

 ゆえに、僕は咳ばらいを挟みやれやれと苦笑を浮かべながら、つい無用な言葉を紡いでしまったのだ。

 

「ああ──失礼、ミスター? 僕はルシード・グランセニックと言います。まぁ、見ての通りしがない商人です。グランセニック商会の御曹司と言えば、近頃は分かりやすいですかね?」

 

 それは記念すべき交友のはじまり。愛おしむべき刹那。

 けれど後になって振り返れば、互いになんと猫を被っていたものかと。少なくとも僕は自分が発した気取りすぎの第一声に、我がことながら凄まじく薄ら寒くなった。

 

 互いに本名を告げながら同時に正体だけはひた隠す。

 

 片や魔星。片や復讐者。

 

 それを思えば、これはやはりある種仕方のない欺瞞だったのだとは思う。

 どちらも自分の事情を一言で語るには壮絶すぎる過去を抱えていたし、すべてを打ち明けるにはともに相手のことを知らな過ぎた。

 

 だからこそ、この時。

 

 僕らは(ペルソナ)から始まったこの奇妙な縁に、長いこと振り回されることになったのだろう。

 

 はじめはたぶん、互いに単なる興味本位。……いや。もしかすると君の方は壮大な野望への足掛かりとするため、英雄の秘密を知っているかもしれない謎の不審人物へと仕方なく近づいた──―なんて。そんな現実的な意図が多分に含まれていたかもしれないけど。

 

 ともあれ、僕の方はと言えば、意図せざる復活の直後で非常にストレスが溜まっていたこともあって、半ば天然臭い君へシンプルな好奇心からそちらへと近づいた。

 

 語弊を恐れずに言うと、目を奪われた(珍しかった)のだ。

 

 あのクリストファー・ヴァルゼライドが統率している軍組織にいながら、()()()()()()()()()()()()人間。

 強烈な自我の持ち主か、あるいは根っからの同類か。

 類は友を呼ぶ、なんて諺があるけれど、そういう意味ではきっと僕は無意識下で君にシンパシーを抱いていたのだと思う。君の方も、もしかするとそうなんじゃないだろうか? 

 

 現実的に考えれば、互いに相手の素性を探っていい立場。いや、むしろ探るべき遭遇だった。

 

 なのに僕らはいつまで経っても核心へと触れず、そればかりか暗黙の了解としてその手の話題を懸命に避け続けた。

 

 表向きは穏やかな友人関係。

 時に他愛のない雑談に花を咲かせ、時に酒を飲み明かしては愚痴を零し合う。そして、時には互いに赤裸々な恋愛観さえも口にして。………いやはや。まさか叶わぬ恋の話題であれほど盛り上がれるとは。こちらは思いもしていなかった。

 意気投合なんてレベルじゃない。僕らはそういう自らを構築している根幹部分からして、きっと驚くほどに似ていた。

 

 まさか一度死んだ後で二人もの親友に恵まれるだなんて、その点に限って言えば、僕の人生はとても幸運だ。

 

 ──―けれど。そこまで友情を繋いでも、ゼファーに対してもそうしていたように。決して互いの真実にまでは踏み込まない。

 

 臆病者はいつだって未来への不安を感じている。降りかかる火の粉は何が何でも払い除けたいし、そもそも火の粉が降りかかって来るような位置へは足を運ばない。危険を嗅ぎ分ける能力に優れている。

 

 だから、恐らくこれも何となく分かっていたのだろう。

 

 知ってしまえば後戻りはできなくなる。居心地のいいぬるま湯みたいな関係を。どうしようもないほど心安らぐ日々を。僕らは互いの真実を知った時、この手で自ら壊す羽目になるのだ。譲れぬ怒りと絶望が、必ずや凶つ宿星となって破滅の咢を打ち鳴らすことを。

 そして、そういう嫌な予感というものが総じて現実へと映し出されてしまうのが、僕らの生まれ持った星でもあるから──────

 

 

 

 

創生せよ、天に描いた星辰を──―我らは煌めく流れ星

 

 

 

 

 紡がれゆくその詠唱(ランゲージ)に、僕は目を愕然と見開いてヤメロ! と叫ばずにはいられなかった。

 

 親友と想い人が待つ政府中央棟地下。

 そこへ至るため英雄の前へと立ちはだかり、ようやく七つの絶滅光を封じた矢先──

 

 突如として五体を襲った強烈な体当たり(タックル)

 四肢を砕かれ、人体の構造的に自らの力では立つことも不可能にされた。そればかりか、周囲にあった星辰体への干渉権すら奪われ、僕は文字通り地を這うことしかできなくなってしまった。

 

「……橘か。たしかお前は、その男に浅からぬ想いを抱いていたはずだが」

 

 英雄は目を細め、乱入者へと問を投げかける。

 

「──解せんな。お前の目は今も暗き炎を宿し続けている。心変わりしたのではあるまい。

 ならば、その凶行もまた錬金術師(アルケミスト)が語った個人への愛ゆえか」

 

 封じられていた絶滅光が、封じ手の負傷によって復活する。

 自分の手元で再び輝き出した怒りの具現を油断なく構えながら、英雄はうねる気焔で以って今や過日となったあの日の少女と対峙した。

 

 魔星ならざる星辰奏者など、本来なら歯牙にもかけず一蹴できる。

 

 然れど、橘の(うじ)はすなわち源平藤橘(げんぺいとうきつ)──―遥か太古よりその名を知らしめる貴種の中の貴種。

 新西暦に覇を轟かす大和の直系、()()()()()()()()だった女を前に、その星の威容を侮ることなどとてもできない。

 

 元より、いずれ訪れる衝突であることは分かっていた。

 

 ゆえに、クリストファー・ヴァルゼライドはかつても今もそうであるように。

 

 此度もまた、全身全霊を以って気合と根性を漲らせる。

 

 ──―その、悍ましき眼光を真っ向から浴びて。

 

「ふふっ……いいえ、閣下?」

 

 もはや(仮面)を脱ぎ捨て、自らがどうしようもないほどに女であることを自覚したヤヨイ・橘・アマツは、ここに来て驚くべくほど楚々とした顔で言った。

 

「これは単に、バカな女の我意(エゴ)ゆえの狂態(ヒステリー)です。つまりは、閣下のそれと何も変わりありません」

 

 叶わぬ恋に吐息を零し、ならばせめて愛する男の精神的外傷(トラウマ)になろうと思った。

 所詮これは横恋慕が高じた末の愚かな選択なのだと。徹頭徹尾ただそうしたいという欲望に過ぎぬのだと。

 後ろから注がれる痛いほどの視線に、我が背の君よどうか最期までと心臓を高鳴らせながら。

 

 ──―滔々と、真実の歌を贈った。

 

 

大神の怒りに触れたこと。苛烈なる断罪はすなわち私の犯した罪の重さ。血に濡れた腕を忘れはしない

 悪徳と残虐に酔い痴れる咎人たちよ、なにゆえ我が子を慈しんだのか。尽きせぬ悔恨は雷霆の光を求める

 

 

 自分の本性を見抜かれ、然りその通りだと頷く英雄は、しかし女々しさだけを烈しく否定し剣を振り上げる。

 当たれば即死。掠っても致命傷。極限の恐怖に心底身を震わせ、それでも女は積年の想いを糧にそれらを躱す。

 口にしているのは祝福の祝詞、呪わしき残穢。すべてはそう、あの日から始まった。

 

 

穢れた魂、醜く汚泥に染まった我が愁眉を求め、死者の影が夜毎に墓場より躍り出る。

 この世はまさに苦界なればこそ、無垢に笑っていられた箱庭へと帰りたい

 

 

 己が人生を塗り潰した男を憎み、犯した罪の重さに耐えきれない自分の弱さを恨み。

 挙句の果てには手前勝手な八つ当たりの感情すら抱いた。

 しかし、それすらも看過され、それでお前が生きることを諦めないのであればと魂を引き裂かれる。

 邪悪なの(カイブツ)はいったいどちらか。壊された心で敗残の苦渋を舐め続けた。

 

 

──ああしかし、美しきかな人生。亡者の咢に食まれるが如き徒刑の地にて、斯くも素晴らしき朝焼けの穂波が広がるとは。

 優しくも淡き紫水晶、あなたの瞳から目が離せない。我が心は刹那の艶麗の内に囚われた

 

 

 なれど、あの出会いを今も覚えている。

 ただ一度。ほんの一瞬。

 けれど、それはこの身を焦がすには余りにも十分すぎた。

 

 

ゆえに、雄弁なる伝令神よ。私はあなたを許さない。

 盗みの代償は百の傷、千の傷、久遠の果てまでこの身を刻め────―どうか私を忘れないで

 

 

 黒金に染まった世界を、あなたという白金が雪いでくれたから。

 

 

超新星(Metalnova)──凋落橘花・燃え尽きるは愛憎悲喜(      Oort Palaestra Meteoron      )

 

 

 ──―ここに。

 新西暦の寵愛を授かるアマツの星が炸裂する。

 

 直後──

 

「っ、ぬぅ……!」

 

 声を発した英雄だけには飽き足らず、地下にて事の推移を見守っていたカグツチさえもが、たしかな異変を感じ取った。

 

「バカな………()()だと!?」

 

 “自らを最小単位の星と規定し、個々それぞれの異星法則を地球上へと適用する”

 

 それこそが、新西暦に名高き星辰光(アステリズム)の最たる特徴である。

 ゆえに、突き詰めて考えていけば、これはある意味誰だろうと簡単に分かったことなのかもしれない。

 数瞬見て取っただけでそれに気づいた鋼の恒星は、やはりさすがと言わざるを得ないだろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……だとっ!? なんだそれは──!」

 

 しかし、さしもの英雄もここに来て姿を露わにした想定外の事象に、動揺を包み隠すことができなかった。

 

 なぜなら、先程からずっと英雄は攻撃の手を緩めてなどいない。全身全霊、全力全開の本気を以って、絶滅の剣閃を幾度となく叩きつけている。

 だというのに、ヤヨイ・橘・アマツはまるで何ら痛痒を覚えていないかのように、棒立ちのまま。

 

「不思議には思いませんでしたか? 臆病者で根っからの弱者であるはずの私が、どうして閣下の軍でここまで上り詰めることができたのか」

 

 女が言う。

 

「私の星辰光は猟追地蠍(スコルピオ)隊長のヴィクトリアさんと同じで、外界には一切の影響力を持ちません。有する星は純粋な自己強化。あらゆる刺激からこの身を守る強固な外皮の創造………と、そう叡智宝瓶の研究者も報告していましたね」

 

 然もありなん。

 ヤヨイ・橘・アマツは弱者だ。その行動基幹には必ず自分を守りたいという渇望が根差している。純粋な生存欲求が形になったかのような星辰光に、英雄は納得したのを覚えている。

 加え、たった今名前が挙がったヴァネッサ・ヴィクトリアとの模擬戦も実際にこの目で確認済み。その防御能力はたしかに目を見張るものがあった。

 

 が、所詮はそれだけ。

 

 傷つかない兵士というのはたしかにそこだけ見れば驚異的だが、死なないだけの兵士など、たとえいつ何時反旗を翻されようとクリストファー・ヴァルゼライドであれば余裕を以って対処できる。

 

 ゆえに、警戒すべきは不意を打たんとする暗殺だろうと。本人の気質からしても、英雄はそう考えていた。

 

「でも、実際は違ったんです。私の星は、()()()()()()()()でもあった」

 

 弱い自分からの脱却。

 強い自分への羽化。

 それもまた、英雄と出会ってしまったがために刻まれてしまった深き渇望。

 変身へと至る道筋は偶然にも整っていた。

 

 ──―ゆえに。

 

 ヤヨイ・橘・アマツはいま、地球という母なる惑星法則から外れ、正真正銘の異星人(インベイダー)として世界に立っている。

 もはや地球人類でもなければ在星生物ですらない彼女に、地上の人間は如何なる手段を以ってしても仇なすことが叶わない。

 彼女はそういう“星”へと、存在規模からして生まれ変わってしまっているのだ──―

 

「なるほど。俺の放射光(ガンマレイ)もこれでは意味を為すまい………だがな!」

 

 連戦に続く連戦。無理を重ねた結果、ついに祟り始めたフィードバック。

 英雄は常人ならば既に死に体とも言える有り様で、なおも声高に一歩前へと踏み込んだ。

 

「──()()()()()()()()()()()()()!」

 

 “勝つ”のは俺だ──! 

 

 猛る狂気はまさに鬼のそれ。

 

 “異星へと生まれ変わる?”

 “地球の物理法則からの逃亡?”

 “いいだろう。ならばこちらもそれと同じか更なる次元(たかみ)へと上がるまで──―!”

 

 悍ましき覇道の行進。

 者皆轢殺する光輝の行軍。

 望む明日を掴むため、英雄は気合と根性を以って星辰体との感応をより高める。

 振り翳した鋼には、驚くべきことに先程よりもたしかな脅威が宿っていた。

 

 そして──―

 

 

 

 

「っ、ごふッ……、バカなひと。私がいつ、勝負の土俵に上がると?」

「──な、に……?」

 

 

 

 

 己が胸へと深く突き刺さった英雄の腕。

 勢いあまり、突き刺さりすぎているそれをぐっと捕らえて。

 

 ──あーあ、男のひとにはじめて身体を貫かれる時は、ルシードさんって決めてたのになぁ。

 

 なんて、未練がましい呟きを内心で零し。

 ヤヨイ・橘・アマツは、結局最後まで自分に振り向かなかった男へ、恨みを込めて言ってやった。

 

()のこと、ほんとうはとっくに気がついていたくせに。ルシード君って意外と鬼畜ですよね、最低です。大好きでした」

「──―っ!」

 

 背後から届く息を呑む音。

 それに、それだけで、ああもう………すべてが嬉しくなった。

 

 ──―だから。

 

「創、生せよ……天に描いた、星辰を──―我らは煌めく……流れ星──」

 

 最期の決断は思っていたよりも軽く。

 紡ぐ詠唱その通りに。

 宙を流れる彗星として、鮮やかに美しく自分を飾ることができた。

 

 それはきっと、人という愚かで矛盾を抱えたどうしようもない生き物だからこそ、時に為し得る究極の一。

 勝利という呪縛に自ら縛られた光の亡者には、そも決して辿りつけぬ弥終(いやはて)の地平──―

 

 自身の身を擲ち大切な誰かを救う。

 

 “人間”の尊厳に満ち溢れた、小さくも光り輝く綺羅星に他ならなかった。

 

 

 

 

 



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