イーディス(主人)と臨むアンダーワールド 作:粗茶Returnees
アンダーワールドの製作に関与していたのは、理由にしたくはないが、正直紺野姉妹のこともいくらか理由になっている。
ユウキがまだいたから、俺はランの死後も前を向いていた。いや違うな。前を向くフリをしていた。俺にとってランは、たしかに最愛の人だった。わかっていたとしても、別れを受け入れるのが難しいほどに。
けど、ユウキにとってランは残された唯一の家族だ。最愛の姉にして、最後の家族。その唯一無二の人を喪ったユウキの前で、ユウキ以上に凹むのは俺が許せない。
だからそう振る舞っていた。
胸の奥底では、とうに心は死んでいた。
だからだろう。アンダーワールド。この計画に加担したのは、ありえないのに可能性を感じていたからだ。
人と遜色ないAI。人工フラクトライト。
何もランを蘇らそうと思ったわけじゃない。仮にこの世界にランが現れたとして、そこに虚無を見出すのは他でもない俺だ。再現できたとしても、起こるのはランの死の再認だ。
期待と虚しさ。結局俺は頭でわかっていても、それを抱えながら協力した。
「あれ? 久しぶり過ぎて思考止まっちゃった?」
「あんた……! カイルに何してるのよ!」
「わっ」
イーディスがランに斬りかかる。ランは俺に刺していた剣を抜いて、イーディスの刃を防ぎながら後退した。口では驚いたような反応だが、イーディスの剣を完璧にいなしている。
ランが握っている剣を見る。それは俺も振るっていた剣だが、気づいたら見た目が変わっていた。剣から刀へ。最後に一緒にやったあのゲームで、ランが愛用していた刀。『白菊』峰も含む刀身の全てが白い刀だ。
「ラン……? けど、そんなはずは……」
「そうだね。私は死んだね」
「ありえない」
「うーん。言いたいことはわかるけど、私からも1ついいかな?」
腰に手を当てて、わかりやすく頬を膨らませた。不満を言いたいことは明白だな。
「その人誰?」
イーディスのことを指差して、ランはそう言った。イーディスはイーディスで、ランと同じことを思っているのだろうか。
「……」
「私に言ってくれてたことは嘘なんだ?」
「それは違う。……あの時だって、哀れんだわけじゃない。同情なんかで……言ったんじゃない」
「じゃあその人は何なの?」
「何って……」
幻覚なんかじゃない。偽物じゃない。ランが目の前にいる。それをわかってしまう。
俺はランに何も言えない。返す言葉が見つからなかった。何かを言おうと思っても、喉が詰まって何も言えない。
「何って失礼な物言いね。あたしはイーディス。イーディス・シンセシス・テン。整合騎士で、カイルの主人よ」
「主人、ね。はぁ〜〜。……カイルには失望したよ」
「っ!」
「あたしの従者に言いたい放題ね」
イーディスが強引に割って入った。斬りかかることで、無理矢理俺とランの話を終わらせる。
そうやってイーディスが距離を詰めて剣を振るっても、ランは涼しい顔でそのすべてを受け流してる。イーディスは強い。整合騎士の中でも指折りだ。
けれど、ランも引けを取らない。キリトにすら勝ったユウキ。絶剣と呼ばれたあの子より強かった。その実力が、この世界でもトップクラスなのは疑いようもない。
「どうしよっかな」
「随分と余裕を見せてくれるじゃない」
「余裕なんてないよ」
その言葉は嘘じゃない。ランはどれだけ追い込まれようと、常に冷静なプレイヤーだった。だから、ランが実際にどの程度まで余裕がないのかは、誰にもわからない。
ランのことをよく見ていた俺でも、完全には見抜けない。妹のユウキは一切気づかない。たぶん、ユウキには見せないようにしてたから、その間は俺が気づけていただけだ。
「これがいいかな」
一瞬ランと目が合った。
その直後にランの動きが変わる。防戦から一転。攻めに回った。鮮やかなまでの受け流しから、守りを一切捨てた苛烈な攻勢。突然のその変化が、ほんの僅かにイーディスに隙を生じさせた。
「っ! かひゅっ……! ご、ば……!」
「イーディス!」
喉を斬られた。イーディスの喉と口から血が溢れ、呼吸もままならない状態に陥っている。
「カイ、あっ、ぶなっ」
ランがそんな残忍な手段を取るとは思わなかった。一緒にやったゲームの中で、効率を求めた行動をとっても残忍な手は取らなかった。
そのギャップによる驚きよりも、持っていたイメージとのギャップよりも。俺の中では怒りが勝った。
爆発した感情に任せて、心意を使いながら突き出した拳が刀に阻まれる。2発目の拳は距離を取られたことで空振り。
「もう少しだったんだけどね。イーディスさんも強いね」
「ラン! お前! 自分が何したか分かってるのか!!」
「そんなに怒るなら、追いかけてきてよ」
「どういうことだ!」
「最終負荷実験、だっけ? その時までに、私も調子を戻しとくから。そうそう、イリナちゃんの力はこのまま半分くらい貰っていくね」
「待て! ラン!!」
ランの姿が消えた。転移なんてこの世界で可能だったのか。その真偽を俺が知るわけもなく、イリナの力ならあるいはと可能性も考えた。それも一瞬で頭の片隅に追いやり、喉を抑えているイーディスの下に駆け寄る。
「イーディス! おいイーディス!」
「傷口は私が塞ぎます」
「イリナ!?」
「はい。力の大半は持っていかれましたが、これくらいの治療なら可能です」
「頼む!!」
イリナにイーディスの治療を任せている間に、俺は一度壁を全力で殴った。全力で殴ろうと壁は冷たく硬いだけ。ただ自分の拳に痛みがじんわりと広がっていく。それを感じながら、深呼吸を繰り返した。
時間をかけて、ようやく冷静になれた。忘れていた自分の腹の傷は、知らぬ間に塞がっている。
[それも私が治しておきました]
[いつの間に……。ありがとうイリナ]
状況を整理したい。
なぜか知らないけれど、ランがこの世界に現れた。イリナの力の大半を奪って、体も存在する。愛刀もあるし、イリナの力があるなら、ランなら神聖術も習得しそうだ。時間があれば心意まで習得するだろう。きっとランはそこまでやる。
イリナはというと、力が減ったが、治療はできるらしい。神聖術も一通りは使えるようだが、以前ほどのチートではない。神器としての在り方は、ほぼ変わらないそうだ。最大出力が下がったが、本当にそれくらい。
[最高司祭には及ばないでしょうが、元老長相手なら引けを取りません]
[その時点でこの世界の最高峰に並ぶんじゃないか?]
ありがたいことだ。俺1人じゃ力が足りない。
俺1人ではランに勝つことができない。力を合わせないと。
「……ランがどこに行ったのか気になるが、今は置いとくしかないな。それよりこれからどうするか」
「どうって? あたしとしては、さっきの女のことを聞きたいんだけど」
「イーディス。傷は大丈夫なのか?」
「イリナのおかげで。それで? さっきのは?」
「……ラン。なんていうか、かつての相棒的な。もう、病気で亡くなった……のにな」
「ふーん? 相棒、ね」
(それだけじゃないくせに)
イーディスの怪訝な目には、気づかないふりをした。それも気づかれてそうだけど、今は話すつもりがない。話そうとしても、口が重くなって声が出そうにない。
「今からはどうしたいの?
「主人が怖い。脳内見られてそう」
「見なくても、これくらいはわかるわよ」
「……イーディスの従者だからな。指示に従うよ」
「そう? さっきの2人に加勢したいんじゃないの?」
「そんなことしたら、イーディスの立場がなくなるだろ。さすがに弁えるよ」
「そっか」
イーディスが何やらイリナに目配せすると、次の瞬間にはテレビの電源が切られるようにあっさりと俺の意識が途切れた。
「カイルがそうしてくれるなら、あたしもそれに応えてあげないとね」
「感謝します。傷を塞いだとはいえ、カイルの天命は減っていましたから」
「でしょうね。カイルとあたしがどう決めても、イリナは強制的にカイルを休ませるつもりだったでしょ」
「もちろんです。私はカイルを何よりも優先しますから」
「そうね」
体の疲れは何も運動だけで溜まるものじゃない。傷を負えば体力も気力も削がれる。カイルはそれを無視していただけであり、本当は相当な疲労が蓄積されていた。
凍らされ、炎で無理やり抜け出し、戦闘で傷つき、あまつさえ最愛の人に刺された。
肉体も精神も削れていたカイルの体は、それを癒そうと深い眠りに落ちている。イリナの膝の上で寝ているカイルを温かく見つめると、イーディスは静かに天井を見上げる。
(アリス。どうか無事でいて)
□
アンダーワールドは、人界とダークテリトリーに分けられる。土地はダークテリトリーの方が広く、だが人界の方が恵まれた自然の資源を持つ。
この2つの世界は人界を囲う山脈で遮られている。東の山脈の頂上に、ランは移動していた。そこからさらに移動を続け、東にのみ存在する大門のタイムリミットを確認してから、その目を人界へと向けた。
遠く離れたセントラル=カセドラルを見やる。震える右手を左手で抑えながら、崩れそうな表情を必死に保つ。
「……カイル……刺しちゃった」
記憶はすべて持っている。家族のことを覚えているし、妹のユウキのことも覚えている。スリーピングナイツのみんなのことも、カイルのことも。大切な記憶をすべて持っている。
感情もそうだ。リセットなんかされていない。カイルのことは今でも大好きだ。現状を第二の生とするなら、カイルと結ばれたいと思っている。
であれば刺したのは嫉妬なのか。いいや、そうじゃない。
たしかに羨む気持ちはある。しかしそれが原因でカイルを刺すのはない。では、ランはなぜカイルを刺したのか。
「カイル、怒ってたよね。きっと私のこと追いかけてくれる」
追いかけてほしいのか?
いいや、それも違う。
「私のことを今も想ってくれるのは嬉しい。本当に嬉しいんだよカイル。ありがとう。……でも」
自分の気持ちを固めるために。ランは震える唇を懸命に動かす。痛む胸には気づかないふりをした。
「でも……カイルは前に進まなきゃ」
好きな人がいつまでも立ち止まっている姿は、もう見たくない。
自分を想ってそうなっているのなら、自分との最後の記憶を塗り替えてでも進ませる。
嫌われたくないけど、嫌われたっていい。
だから──
「私を倒しに来て」
残酷なことを願っている自覚はある。きっと、ちゃんと考えたら、もっといい方法はある。
だが、悠長なことを言っていられるわけでもない。時間は有限だ。その重みをランは誰よりも知っている。
もう踏み切った。だからあとは、やり切るだけだ。