旅人は、その美しい女に恋心を抱いた。


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竹林の家

 

 

 

 道に迷った旅人は、闇の中に明かりを見つけると、竹林の中に入った。

 

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る竹藪は、魔物の住処(すみか)のような気色が漂っていた。

 

 やっとたどり着くと、そこには柔らかい明かりが漏れる一軒の民家があった。

 

 戸を叩くと、

 

「どちらさまどすか?」

 

 女の声がした。

 

「夜分にすいません。道に迷ってしまいました。……一晩泊めてもらえないでしょうか」

 

 旅人は言いにくそうに口ごもった。

 

 すると、急いで戸が開けられた。そこに現れたのは、逆光に(かたど)られた美しい容貌の女だった。

 

「それはそれは、お困りどすやろ。さあ、中へ入っておくれやす」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 女は、夕飯の残りをご馳走すると、客間に布団を敷いた。

 

 旅の疲れもあってか、男はぐっすりと眠った。

 

 

 

 翌日、食事を用意してくれた女は朝日に素顔を向けていた。三十過ぎだろうか、淡い口紅が清楚(せいそ)に映っていた。

 

 

 女に恋心を抱いた男は、その家に居着くと、薪割りや畑仕事をして、一人住まいの女の手助けをした。

 

「ほんま、助かります。主人を亡くしてからは見よう見まねで野菜を育ててましたさかい」

 

「僕でできる事ならなんでもします。親切にしていただいた、ほんのお礼です」

 

「……けど、こんなに長いこと旅してはってもええんどすか?」

 

「大学中退したので、時間だけはたっぷりあります」

 

「……おおきに」

 

 女は、微笑を湛えた。

 

 

 裏庭には小さな畑があり、大根やじゃがいもを栽培していた。その片隅には、白い百合の(つぼみ)が風に揺れていた。

 

 それから間もなくして、白い百合が咲き乱れた頃、女は身ごもった事を知った。

 

 その事を告げると、男は慌てふためき、表情を歪めた。そして、男の口から発せられた言葉は、

 

「……ぼ、僕、家に帰らないと。お母さんが心配してるから」

 

 まるで、子供のようなしゃべり方だった。

 

 男の挙動に不審を抱いた女は思った。この男には、一欠片(ひとかけら)の愛情も無かったのだと。こんな男は親になる資格など無い、と。

 

 

 

 翌朝、女が目を覚ますと、男の姿は無かった。女は、深い悲しみに包まれながら朝食を済ますと、庭の隅に置いた斧を綺麗に洗い、薪を割った。

 

 

 

 それから、五年の月日が流れた。女の(かたわ)らには、あの旅人の面影を彷彿(ほうふつ)とさせる男の子が居た。

 

 そして、庭先の白い百合も美しく咲き乱れていた。

 

「おかあちゃん、おはなきれい」

 

「ほんまに。私たちを見守ってくれてるようやな」

 

 女は微笑みながら、百合に語りかけた。

 

 

 

 

「あなた、今年も美しく咲かせてもろておおきに」



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