その日は晴れた日だった。
あの時のことを秋山は何度でも思い出す。甲板にでて、青く輝く海原を見つめていた。故国を離れてどれくらいきただろか、彼は戦艦の上で大きく伸びをして息を吐く。
海上の城ともいえる戦艦。彼は艦橋を見上げる。
戦争が始まってすでに半年以上たっただろうか、圧倒的な国力の差のある相手に互角以上の戦いをしていることが秋山の中に誇りとしてあった。彼は甲板を歩きながら、兵たちを見回る。右手で敬礼をくりかえし、微笑を絶やさない。
兵たちの評判は上々の若い将校。それがこの日までの秋山周作だった。彼は軍帽を白い手袋をした指で挟み、空を見上げる。白い雲が美しい。そのそばを海鳥が飛んでいく。
「あれはミッドウェー島から来たのかな? いや、水無月島だったか」
白い雲、その間に何か光るものがある。秋山がそれに気が付いた時、雲に黒い点が浮かぶ。それはプロペラの音を響かせながら、降りてくる戦闘機達だった。
☆
――地獄はすでに見た。
秋山は空に浮かぶグリフォン達におびえるでもなく対峙する。あたりの炎はだんだんと勢いを増していく。身を焦がすような熱さの中で秋山は叫ぶ。
「ヘクター!」
事態に硬直していたヘクターはっと我に返った。
その瞬間、空に浮かぶグリフォンの一匹が炎を吐く。一直線に伸びる火炎は秋山たちの近くを通り、ゴオと燃え盛る。秋山とヘクターは奔りだした。炎の間を駆け抜けていく。
グリフォンの一匹が降りてくる。彼らは全部で4匹いた。地面に降りたつと雄たけびを上げて、その前足を振り回す。土をえぐり、炎もお構いなしに薙ぎ払う。
当たれば人間くらいはひき肉にされるだろう。鋭い爪が秋山目掛けて振るわれる。秋山は身を投げ出してよける。わずかな距離を死が通っていく。
秋山はすぐに体を起こし、奔りだす。
グリフォン達はやみくもに炎を吐き出した。すさまじい熱風とともにオレンジ色の炎が一面を焼く。秋山は地面のくぼみに伏せてやり過ごすが、次に顔をあげた時にはすでに周囲を踊り狂う火炎に取り囲まれている。
刀を地面に刺す。
「はあ、はあ」
ぐるりと周囲を見回す。すでに逃げ場はない。
ヘクターはどうなったのかもわからない。秋山は流れ落ちる汗をぬぐいつつ、この瞬間にも思考を止めない。顔をあげれば、秋山を覗き込む4つの顔がある。
それはグリフォンという化け物の顔。目を爛々と怒りに燃やし、彼らは今にも秋山を殺すためにとびかかってくるだろう。
秋山は考える。
地面に穴を掘るか。無理である。
火傷を覚悟して炎の中を突っ切るか。おそらく燃え盛る炎に飛び込めば命はない。
グリフォンがとびかかってきたときに、その巨体を利用して飛び乗るか。そんな芸当ができるわけがない。
「……はあ、はあ」
死。
死が見える。
グリフォンの一匹が口を開けて咆哮を放つ。空を震わせるような声。怒りに満ちた叫び。それらは秋山に仲間を殺されたことからの恨みだろうか。
秋山は荒い息のまま、この状況でも次を考え続ける。手はない、だが考えなければならない。常に「あの晴れた日」が脳裏にちらつく。何もできずに自らの仲間が死んでいく様を彼は見ていた。ゆえに異常なまでの生への義務心は、彼にとっては当たり前のことなのかもしれない。
秋山は立ち上がる。刀を手にし、今にも炎を吐きそうなグリフォンに向けて構える。
「……」
化け物と対峙する。
「こい」
秋山の目に周囲の炎が映りこむ。哀れなまでに男は戦うことをやめられないのだろう。
その瞬間に彼の手にある「刀」に刻まれた文様が強い輝きを放ち始めた。それは淡く、美しい赤色の光。秋山は何も分からずに困惑する。
――ああ、馬鹿だなオマエは。
頭の中に声が響く。秋山は一瞬あたりを見回すが、すぐに声の主を想う。
「刀か……?」
赤色の光に驚いたのかグリフォン達がわずかにあとじさるが、すぐに恐ろしい声で叫びはじめる。
――そうだ。お前の手にある「私」だ。私が今力を貸してやろう。望むならな。
すべてのグリフォンが口を開く。肺に満ちた焔を一斉に吐き出す。秋山は視界の端でそれをとらえながら刀の声に耳を、いや心を傾けた。刀から漏れだす赤い気が輝きを増す。
「……ああ、お前が何なのかはわからない。だが、俺は望む。生きるために力を貸してくれ!」
――そうか……そうか、あは、あははははは!
炎が秋山を包む。その瞬間にも彼の心の中に高笑いが響いている。
地獄のような炎の渦。グリフォン達は怒りに任せてあたりを暴れまわる。すでに秋山は消し炭になったと彼らは思っているのだろう。
……あははははは!!
炎の中に女の笑い声が響く。赤色の渦の中に黒が混ざる。それはだんだんと大きくなり。一気に放射線状に広がっていく。黒い線が炎の中を奔る。それはまるで金属の塊のようなもの。
ぐぎゃぁ!
黒い線が一匹のグリフォンの体を貫く。さらにその体に何本、何十本、何百本の黒い線が突き刺さっていく。赤い血を吹き出しながら、悲痛な叫びをあげつつグリフォンは苦しみながらのたうつ。しかし、串刺しにされた体は動かない。
やがてその一匹はこと切れた。
炎の中で踊る一人の少女。赤いドレスを身にまとい。肩まで伸びた黒い髪の彼女のほほには三日月のような文様が刻まれている。
「あははは! 思い知ったかカス」
彼女の周りを黒い線が取り囲む、ぎりぎりと音をたててそれらは四方に広がる。グリフォンを貫く鉄のような材質であるのに凄まじく柔軟な矛盾した物質。そしてその塊がひとつ彼女の後ろにある。それが開かれると秋山がいた。炎の中で身を守ってくれたのだろう。
炎を背に彼女は嗤う。白い歯をみせ心底楽しそうに赤い瞳を煌かせる。
「我名は鉄の魔王ファルブラヴ。さあ、皆殺しにしてやるぞ有象無象共」
秋山は「魔王」という言葉に想う。「不死」の魔王とは違う、別の魔王がいたのかと。
☆
「黒い線」は赤いドレスの少女を中心に広がっていく。それは黒い槍ともいえる鋭利な金属の線。先端が尖り、ぎらぎらと炎に照らされている。
それは意思をもってグリフォン達に向かっていく。
鷲の頭をした巨獣達はけたたましい唸り声をあげて威嚇するが、その体にいくつもの「黒い槍」が突き刺さっていく。赤い血が滝のように流れ、哀れなほどに大きな悲鳴を彼らは上げる。
「あははは!」
両手を広げて口角を吊り上げながら少女は嗤う。彼女は心底楽しそうに殺戮を行った。
圧倒的力を持つ彼女が右手を上げると、「黒い槍」が一匹のグリフォンの首を切り落とす。その自ら作り出した凄惨な光景に少女は笑い声を止めた。
快楽にゆがむ口元。邪悪さを表すその笑顔。彼女はただただ悪であることをその表情に滲ませた。
「残りはぁ。挽肉にしてやるよぉ」
踊るように手を広げる魔王。かわいらしい少女の姿をした化物。
黒い線がグリフォン達を切り裂いていく。血が流れ、切り裂かれ、嬲る。始末はいつでもできるが、その時間を彼女はあえて引き延ばしている。
秋山は、立ち上がる。彼の視界から見えるのは炎の野で笑う魔王、そしてグリフォン達の惨劇だった。彼の手にはあの「刀」はすでにない。どういう原理かはわからないが、この少女が現れた原因はそこにあるのだろう。
ただ、その残虐で容赦のない、戦う力もすでにないものをいたぶる姿に秋山は嫌悪感を覚えた。まるであの日見た光景のようで。
「……やめろ……」
「……おぉ?」
魔王ファルブラウは今気が付いたというように振り返る。その瞬間に彼女の後ろでグリフォンの一匹が首を落とされる。赤い血を背景に彼女はニコニコと秋山に言った。
「ああ、お前か。やめろとはなんだ? 誰にものを言っている? 次の言葉が気に入らなければ腕を飛ばしてやるぞ。よく考えろ?」
少女は明るく、そして容赦なく言う。
秋山は彼女の前に立つ。
「……助けてくれたのは感謝する。だが、無意味に嬲るのはやめてくれ」
「……ほぉ。あんなけだものにもお優しいことだな」
両手組み少女は口角を吊り上げる。
「しかし、いやだ」
笑顔で拒絶する。
その瞬間に彼女の周りから無数の黒い槍が現れる。それは天へ一直線に伸びていく。地上の炎を表す赤い空へ。
そして黒い槍は無数の雨となってグリフォン達に向かって降り注いでいく。死んでいるものも生きているものも平等に無慈悲に黒い雨が貫いていく。最後の悲鳴が止むまで、終わることなく殺し続けた。できるだけ苦しむように。
ファルブラウはそれらをすべて終えた後に満足げに微笑む。
「あは」
その笑顔がただの屈託のない少女の顔だった。
秋山は一度目を閉じて息を吐く。そして、彼は言った。燃え盛る炎の野で彼は魔王と一人対峙する。
「……魔王、魔王ファルブラウ……。貴方は私の刀になっていたのですか?」
「そうだな。お前の荒い使い方には辟易していた。お前が死にそうだから死ぬ前に力を貸してやっただけだ。こーんな死体しかない場所で」
少女は踊る。
「放り出されるのはたまらないからな」
「……なぜ私と貴方は普通に会話ができるのですか?」
「質問の多いやつだな。まあ、いいさ。答える義務はない、勝手に考えて間違えて苦しめ」
ファルブラウは手ごろな岩に腰を下ろし、ニコニコ言う。
「さて、これから街の連中を皆殺しにしよう」
「!!! なっ、なにを」
秋山は驚愕した。いや、そうする以外にどうすることもできなかった。
「それはそうだろう、私をあのような刀に封じ込めておきながら許されるわけがない。あとさぁ。例えばあの生意気な魔王使いの女や、傭兵団の連中や、耳長のガキの首を並べてやればオマエハクルシムダロウ?」
ひひひひ、ああはあははは。彼女はまた笑う。
秋山は目の前のいるのが「邪悪」であることを強く理解する。打開策を探す。1人ではどうしようもない、ただもしも彼のもともとの世界の軍隊でもあればと思ったが無意味な妄想だった
「か、刀を渡したものはほかの場所にいるものと聞いていますが」
「人間の違いなんてなぁ、どうでもいい。気にするな。みんな殺す。いずれ私を閉じ込めた連中も殺す」
話が通じない。秋山は思う。こんな魔王の前で自分は生きている。単に気まぐれと言えばそれまでもかもしれないが、そもそもこの少女は今まで「封じ込められた」と言っている。ならば、なぜ出てこられたのか。
「……では、私も殺すのですか?」
「……あぁー、当たり前だろう」
一瞬の間があった。秋山は考え続ける。
マイやエールの顔やあの最初に出会った猫の耳をした少女の笑顔が脳裏に浮かぶ。彼は今までこの世界で得た知識をできるだけ思い出そうとした。彼は天才ではない、だからできるだけ多くのことを考えることでその代わりとする。
マイと言葉が通じるのは特殊な道具を使って強制的に会話できるようにしている。
あれだけの容赦のなさを見せたこの少女が秋山を生かしている理由。
彼は「この次の言葉」を考える。想うことはすべて仮説にすぎない。この圧倒的な力を持った魔王に向かい合うには拙い論理に過ぎない。それでも彼は絶望的な状況でもただただ真剣に次を想う。
この少女と秋山の間にはマイと会話できるように何らかの「つながりがある」のではないか、彼はゆっくりと口を開いた。
「例えば私がここで自害すれば、どうでしょう」
「…………あ?」
笑顔が曇る。魔王の目に冷たさが宿る。意味が分からないという顔ではない。
秋山が解いたであろう「封印」は彼が死ねばなんらかの不都合がファルブラウにはあるのだろう。もしかしたら、黒い刀にもどるのかもしれない。
「死にたいのか? 殺してやろうか? おまえ」
「……死にたくはありませんが、かといっ皆がを殺されるようなことは見過ごすわけにはいきません」
「見過ごす? 私はお前が死んだくらいでいったい何が困る? お前の言っていることは支離滅裂だな」
「……なら、私の首もグリフォン同様に落としてみてはどうですか」
その強い目の光を湛え秋山は彼女を見る。睨むでも、ひるむでもなく。見る。
ファルブラウは立ち上がる。怒りのこもった眼の光。
「勘のいい男だな。ああ、いや。知っていたがな。街での騒動もなにもかも見ていた。……まあ、そこまで頭の回るものだとは思い至らなかったが……自らの痛みを意に介さないのは知っている」
ファルブラウは天を見る。悔し気に顔をゆがめている。
「そうだ、私はお前のような脆弱な人間に繋がっている。お前が死ねば、私も、元の黒い塊に……刀にもどる。くそ、くそ、くそぉ!」
黒い槍が彼女の嘆きとともにあたりを切り裂く。草原に斬り、地面に突き刺さる。だがその一本たりとも秋山にはかすりもしない。彼は黒い槍の暴風の中で静かに佇んでいる。
「やっと自由になれたと思えば!! このような狂人に当たるとは!」
「……」
狂人、そういわれて秋山周作は苦笑した。彼自身が自分について思う時が多々あるからだ。今この瞬間にも彼は「やっと話ができるかもしれない」とすら思っている。この恐ろしい化け物に対してもその程度にしか考えることができない。
「そうだな私は狂人なのかもしれない」
自嘲が漏れた。あの日にからどこか感情が薄い。
ファルブラウは憎々しげに秋山を睨みつけ、無言で岩に座り込む。その状態の彼女を見るとただの人間の少女のようにしか見えない。幼さがわずかに残る顔立ちに黒い髪。秋山は聞く。
「魔王とは何なのですか?」
「……質問ばかりだな。知るか。死ね」
「……口が悪いな」
「ああ? 人間風情が私と同格に話しかけるな」
「質問を変えましょうか。馬車であった不死の魔王とは何かつながりがあるのですか?」
「…………馬車?」
その時だけはこの少女はキョトンとした顔を見せた。
「ああ、お前が気持ち悪く独り言を言っていた時か。お前には何かが見えていたのか?」
そういう言い回しであれば、多少傷つく。その時風がふいた。炎の延焼がまた広がり始めている。秋山は立ち上がる。少なくとも馬車での「不死の魔王」との会話はこの超常の存在にも見えなかったのだろう。もっと情報を得たいところだが、ここに立ち止まっていることはできない。
「ファルブラウ。避難しましょう」
「気安く……呼ぶな。行きたければ行け。死ななければお前など何の価値もない」
奇妙な言い方だが、その時秋山にはこの魔王の姿がなんとなく寂しそうに見えた。
それにこれだけ巨大な力を持ったものを野放しにしておけばどうするかわからない。先に「寂しそうに見えた」と思い、次に声をかける理由を探した自分に秋山はため息をついた。
「いや、私はこれからまた、戦いに巻き込まれるかもしれない。どうやらいろんな思惑が絡んでいるようだからな……死んだら困るのだろう。ついてこないか、いや、付いてきてほしいのですが」
秋山はファルブラウの前にしゃがんで手を差し出す。彼女はその手を睨みつけた後、彼の顔を憎々しげに見る。確かにこの男についていった方が自らの自由のためになる。どこぞで死なれても困るのである。
「いいだろう。だが、お前の指図など受けんぞ」
「いや、人を殺すのはダメです。その場合は私が責任を取る」
責任を取るということは、つまりは自害するということだ。
「……貴様っ……手足を切り落とすぞ」
「出血多量で死ぬがいいですか?」
何を言われてもひるみもしない。ファルブラウは頭を抱えたが、秋山の手を取って立ち上がった。彼女は恨めし気に言う。
「貴様は、嫌な奴だ」
「そうですね」
即座に肯定した秋山の顔を魔王は何とも言えない表情で見ている。
秋山はすでに「この強力な魔王」を刀に封印してわざわざ秋山に渡した意味を考え始めている。