そこにいた何もかもを焼き尽くすように、村は炎に飲まれていく。
グリフォンが全て死に絶えてもその火を消す方法はない。その中を秋山は歩いていく。ぱちぱちと草木の焼ける音や家屋の燃えていく音に交じって村人達のうめきが聞こえてくる。
まだ生きていたのだろう、火の中に踊る人影を見てもどうしてやることもできない。
秋山の後ろについてくる赤いドレスの女性はそれを面白がりながら見ているようだった。秋山は彼女の抑えた笑いに想うところもあるが、何を言うわけでもなく無言で前を進む。
秋山は不意に足を止める。
足元に転がる一つの死体。黒焦げでもはや判別もつかないが、その手に握られている剣に見覚えがある気がした。鞘に納められたその剣は無骨な造りで飾り気がない。
秋山はその「死体」近寄り、手を当てて目を閉じる。「死体」はグリフォンの吐く炎をまともに浴びたのだろう。
(……ヘクター)
「なんだ、知り合いか? おお、おおよく焼けている……ん、これはあいつか」
茶化すようなファルブラウの言葉などに僅かに殺意を覚えたが秋山は耳を貸さない。彼はその死体の剣を握る。炎に熱されていたのだろう剣を掴むとじゅうと秋山の手を焦がす、彼はわずかに顔をゆがめたが剣を取り腰に収める。
「できれば埋めてやりたいが、その時間もない。だから短く伝える。ありがとう」
人の「死」に対して経験を積みすぎた。秋山は静かにそう思う。
秋山は立ち上がる。剣は彼の率いた傭兵団に渡してやるつもりだった。ファルブラウがその彼の前にきて、死体を蹴る。ばらっと灰が飛んだ。
秋山は瞬間的に魔王の胸ぐらを掴んだ。目元が吊り上がり怒りにこめかみに筋を立てる。
「なんだ。こんなついさっきあったやつが気になるのか?」
馬鹿にするようにこの女性は言う。透き通るような肌とその蠱惑的な瞳に秋山の顔が映っている。彼は己が右拳を握りしめていることに気が付いて、彼女から荒々しく手を離した。
「……私を挑発するのはやめていただきたい」
「お前、他人が死ぬことに慣れているな」
「……戦争をしている国から私は来た、それだけのことです」
「ふーん」
ファルブラウは興味なさげに頷くと秋山の背中に向けて言う。
「こいつもかわいそうになぁ。せっかく人を援けに来たというのに、結局は自分だけが死んでしまうとはな。なぁ、どう思う。……お前、名前は確か……秋山だったな」
秋山は一度空を見る。暗い。心がそう感じるのだろうか。
「生きてしまったのなら、自分のやれることをやるだけだ」
「優等生のような回答だなぁ」
ファウブラウは嘲笑する。秋山はそれにに反応を示さずに歩き始める。
☆
森に入るとまだ延焼は広がってはいなかった。いずれ村の火が燃え移ってくるかもしれない。秋山は途中で拾ったフード付きの外套をファルブラウに着せていた。彼女は嫌がったが、半ば無理やりにはおらせた。
一応女性である。火の粉が飛んで肌を焼いてはだめだというのが理由だった。秋山は「女性」に対しては無差別に保護すべき思考が働くようだった。彼が率直にファルブラウにそれを言うと彼女は呆れながらもしぶしぶ羽織った。
彼女は紐で結ばれたサンダルのような履物をはいている。山道は大丈夫かとすらも秋山は考えている。
「背負うべきか?」
「……おまえ……ばか……か?」
ファルブラウは真剣な顔で聞いてくる秋山に素直に言った。彼の妙な誠実さは魔王も困惑させてしまったようだった。この可愛らしい魔王は秋山に憎まれていてもおかしくはない、ただ個人の感情とは別に秋山は彼女を気遣っているらしい。
秋山は先に分かれたマイや傭兵団を探して歩く。できれば夜に歩き回るのは避けるべきということを考えながらも木の枝を折りながら進んでいく。本来であれば街道に出るべきだったと多少悔やんだ。
彼らは歩きながら話す。
「聞いていいですか」
「……なんだ」
ファルブラウの瞳がフードの下で光る。
「私は軍人ですから回りくどい言い方はでない。そのため」
「十分回りくどい。なんだ」
「……魔王とはいったい何ですか?」
「その質問何度も聞いてくるな。別になんでもいいだろうに」
「私はもう一人の魔王と会ったことがあります。アスモデウス・ヴェルスとその女性は名乗っていましたが」
「知らん」
にべもなくそう言い放ったファルブラウだが、少し考えてから言う。
秋山の口調は彼女への感情を比例して崩れてきている。
「しかし、まあ質問自体には、何も知らぬようだから教えてやろう、『魔王』とは人間側の呼称のことだ。私のような力を持ったものを人間どもが恐れて付けたものだ。だから歴代の『魔王』というものは一人や二人ではない。お前の会ったというそいつも今、魔王と言われているものだろう」
「……言ってしまえば渾名(あだな)のようなものか……」
「私は数百年前に人間どもと争って『鉄の魔王』としてそれなりに殺してやった、まあこれからも同じようにしてやるつもりだがな」
秋山はファルブラウを見る。
「数百年……」
「そうだ」
その短い言葉の間にファルブラウは少しだけ寂しそうな顔をした。だが、すぐに秋山を睨みつけるように言う。
「断っておくが、今の魔王などに興味はない。私を利用しようとしても無駄だ」
「……そんなつもりは毛頭ないが」
秋山は得た情報を頭の中で整理する。魔王と言われるものは一人ではないということだが、マイの話を考えると現在はあの「不死の魔王」だけのようだった。
「ただ、私は、その魔王を斃すために呼ばれたそうだ」
秋山はファルブラウの顔を伺いながら話す。その反応を試しているのだ。彼女の目がフードの下で光る。その表情は少し呆れたような、馬鹿にしたようなものだった。
「そうかぁ。まあ、頑張れ」
本当に興味自体はないのかもしれない。彼女はそれだけを言った。どうせ無理であろうという気持ちもあるのかもしれない。秋山は枝を折りながら彼女を観察している。
わからないことがあればできるだけ多くの情報を得ること、それを秋山は今までの人生で学んでしまっている。馬鹿にされていること自体は、それも単なる「情報のひとつ」でしかないのだろう。彼の心には何のさざ波も起こらない。
水の流れる音がする。
茂みを抜けると目の前に川が見えた。川幅は狭いが、木々の間に切れ間ができ空に浮かぶ月が見える。水流は意外と速く、白い飛沫をあげながら流れていく。
気が付けば喉が渇いている。秋山は近くにある岩に腰を下ろした。今朝から何度も死線を抜けている気がする。わずかに緩めた気に引きずられるように疲労を感じてしまった。かといって水を飲むわけではない。生水を飲んで倒れるほうが問題と思っている。
ファルブラウも適当な岩に腰かける。片膝を抱えるような座り方で、あくびをしている。
秋山はこれからのことを考えていた。
流れるように様々なことが起こってゆっくりと考えることができなかった。彼の思考は意外と単純である「国に帰り、戦う」ただそれだけであった。魔王討伐のようなことをするのは当たり前だが彼の本心ではない。
かといって帰り方も分からない。秋山はだんだんと広がっていく眠気に抗うように頭を掻く。
不意に影ができる。秋山が顔をあげるそこには一人の女性がニコニコとして立っていた。
「や! 秋山君」
艶やかな桃色の髪が夜風に揺れている。優し気な表情とそのほほには赤い文様。秋山は彼女のことをよく覚えている。「アスモデウス・ヴェルス」不死の力を持つ魔王だった。
秋山はファルブラウを見る。彼女はそっぽを向いている。気が付いた様子はない。依然の馬車の中でもそうだが秋山にしか見えないのかもしれない。
だから彼は探るように言う。
「神出鬼没ですね」
「そういう魔法だからね」
明るい口調でアスモデウスは言う。かわいらしさすら感じるこの女性が「魔王」であることに秋山は違和感しかない。彼女はファルブラウを見て言う。
「あれは……人間じゃないわね。『鉄の魔王』だったかしら?」
知らなかったのか? 秋山は思うが口に出さない。
「ええ、危ないところを助けられました」
「そっかー。よかったねー。でも、よく生きて帰れたね。感心感心」
「……あの村のことは……あなたが仕組んだんですか?」
「仕組んだ? まあ、そういうところもあるかな」
微妙な言い回しを彼女はする。ただ、その表情には優しげな笑顔を張り付けている。声音は軽く明るい。
「グリフォンを呼んだのは私ではないよ。秋山君。本心から君が死ななかったことを喜んでいるんだからさ。ねっ?」
「それは、どうも」
アスモデウスはにっこり笑って、くるっと後ろを向く。月を仰ぎ見て、両手を後ろで組んでいる。彼女はゆったりとした口調で話す。ファルブラウにはやはり見えていないようだだった。
「ね、秋山君。魔王と言うのは昔から大勢存在したものなんだよ。この世界では」
「……」
「もともと魔王というのは人間の呼称で、力を持ちすぎて魔物や『人間』に与えられた蔑称でもあるの」
「……」
「例えば『傲慢の魔王』と言われた男は多くの国を火の海にして討伐された」
「……」
「例えば『黒死の魔王」と言われた少女は何万人と殺して人間の英雄に打倒されたわ」
「……」
「例えば『蒼翼の魔王』と言われた龍は、危険だからというだけで人間と龍との戦争で殺されたわ」
「……」
「例えば魔王を討伐した人間の英雄は濡れ衣を着せられて、追い詰められた末に本当に虐殺をして本人のも魔王と呼ばれたりもしたの。これはここ数百年の話ね。もっと前には『原始』の魔王というのもいたの」
「そうですか。随分といるものですね」
「ねー!」
アスモデウスは先ほどの秋山の疑問を聞いていたのかもしれない。少し楽し気に説明してくれる。
「でさー、私そいつらを蘇らせて世の中を変えようと思っているのよねー」
振り向いたアスモデウスは楽しそうに、麗しい笑顔で秋山に言った。まるで遊びに誘っているかのような口調で。秋山は絶句する。なんといっていいのかわからない。
「手始めに秋山君。君が来た街を10日後に皆殺しにしようと思うの、あ。もともとその予定だったから、君のせいじゃないよ。ごめんね?」
「なっ!」
秋山は立ち上がる。ファルブラウは「ふぁっ?」と妙な声をあげている。くすくすとアスモデウスは彼の顔を見る。
「なぜそのようなことを!?」
「……さてさて、なぜでしょー?」
両手を小さく万歳しておどけてみせるアスモデウス。彼女は自分の唇を舐める。
「秋山君。そこにいる『鉄の魔王』と言う子だけど、その雑魚にあんまり期待しないほうがいいわよ。これ、私からの忠告。あと、逃げるも戦うも自由だけどこれも私から君へのプレゼントな言葉」
「雑魚……? ファルブラウが……?」
ファルブラウは立ち上がる。その言葉にかちんときているらしい。フードを脱いで両手を組む。
「周作。そこに何かが見えるのか? さっきから一人でぶつぶつぶつぶつと言っているのは」
「ああ……おそらく私にしか見えないのかもしれないが……魔王が目の前にいる」
「ほう、そうか、さっき話していたやつだな。私を雑魚呼ばわりとはいい度胸だ。聞け、そこにいるこそこそ隠れるしか能のない臆病者にな」
両手を組んだままファルブラウは魔力を開放する。
黒い瘴気のようなものが空間を歪め、空気が重さを持ったかのように秋山は威圧を感じる。
「我名は鉄の魔王ファルブラウ。私を雑魚呼ばわりするなら、ここにきて私と戦うがいい。切り刻んで川に捨ててやる」
「ファルちゃんかー」
アスモデウスは全く意に介さない。彼女はファルブラウを一瞥しただけで秋山に言う。
「ファルちゃんにはそんなに期待しないでね。10日後に目を覚ます魔王はたぶん、今のあなたじゃ、どうしようもないわ」
アスモデウスはそれだけ言うと、「ばいばい」と手を振った。彼女の唐は光の粒子になって消えていく。少なくとも秋山にはそう見えた。秋山は呆然と立っている。
「おい。周作」
「……」
ファルブラウは聞く。
「奴はどうした。なんと言っている」
「消えた。10日後にあの街を皆殺しにすると言って」
「そんなことはどうでもいい。私に何かいっていただろう?」
その物言いに僅かにイラついた秋山は、はあとため息をついて言う。
「ファルちゃん。と言っていた」
「ふぁ! きさま、なんだそれは!!」
秋山は彼女の声を無視して考え込む。アスモデウスの言葉の真偽がどうであれ、グリフォンを圧倒した『鉄の魔王』以上のものがいるなら、自らだけではどうしようもない。
大勢の力、換言すれば、
「軍隊が必要だな」
秋山は短く言う。