キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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『37 消えた講和-帝国の報復』にて、水上 風月さまより、フィーゼルセカンドの性能面でのご指摘や、詳細なデータを贈って頂いたのみならず、改訂版までご用意していただいた事で、フィーゼルセカンドの設定が、以前のガバガバなものから、非常に素晴らしく美しいものになりました!
 水上 風月さまには、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます!
 本当にありがとうございました!
(……というか、作者は何一つとして貢献していない上、読者の皆様からも無償で修正までして頂くような、甘えきった状態という……駄目人間になりそう)

※2020/3/24誤字修正。
 佐藤東沙さま、十蔵さま、すずひらさま、水上 風月さま、zzzzさま、ご報告ありがとうございます!


39 赤黄色作戦-ターニャの記録9

 敵司令部の首を刈り取る『赤黄色作戦』の第一段階、『衝撃と畏怖』作戦は完遂された。

 今日では『赤黄色作戦』よりも、フォン・デグレチャフ参謀少佐が例に出した、回転ドアという表現が適切である事から、『回転ドア作戦』という俗称の方が馴染み深いと思われる本作戦の第一段階は、フォン・デグレチャフ参謀少佐の予想に反し、連合軍(アライド・フォース)の前線将兵を混乱の坩堝に突き落としていた。

 

 今日の読者諸氏は遅きに失していると笑うか、或いは呆れてしまうかもしれないが、フランソワ共和国・アルビオン連合王国は自分達に後がないのだという事をレランデルの喪失後、痛烈に自覚したのだろう。

 これまでの連合軍(アライド・フォース)は各々の軍が独立して帝国を侵攻していたが、これ以降は統一司令部を設置し、一致団結して事に当たろうとしたのである。

 

 この遅すぎる連携に関しては、連合王国・共和国間の軍人が反目し合っていたという内情から来ていた。

 フランソワ革命による共和制樹立以降、ロンディニウム上流階級達の言う『紳士』の地位にないフランソワ将校が共和国軍の多数派を占めていたことに対して、連合王国は蔑視の視線を共和国軍に向け、彼らを一段下に見ていたのである。

 この思想はアルビオン王国の派遣将校が本土に宛てた文書に散見され、当時の数ある冷笑を綴った文書の中でも、有名な書簡にはこのように記されている。

 

『結局彼らは下層階級さ。フランソワの将軍と関わる際は、彼らがどんな階級の出かを、心得ておかねばならない』

 

 長い歴史の中で敵国同士だったせいもあるのだろうが、曲がりなりにも轡を並べる国に対して、ここまで礼を失し、信頼の念を欠いた態度は敵国人たる私をしても、眉を顰めざるを得なかったものである。

 また、共和国側としても連合王国軍が、中央大陸への派遣軍の犠牲を最小限に留めようと注力していた事に気付き、「背を任せるほどの絆を築けていない」と嘆いていただけに、これで足並みを揃えるのは、互いが窮地に立たされねば難しい問題だったのだろう。

 皮肉な話だが、私達帝国軍が彼らにとって強大すぎる敵だと思い知らされ、取り返しのつかなくなった状況に置かれて、ようやく二国は手を取り合えるようになったらしい。

 

 その新生した連合軍(アライド・フォース)の大攻勢こそが、ライン戦線の南部侵攻であり、連合軍(アライド・フォース)は自軍の連携こそが帝国軍の防衛ラインを突破させたのだと、信じて疑わなかった。それが、帝国軍の『回転ドア』作戦の一環だと気付かずに。

 

 そして、フォン・デグレチャフ参謀少佐の選抜中隊が、その統一司令部を丸焼きにしてしまった。連合軍(アライド・フォース)にしてみれば、それは青天の霹靂にして紛う事なき悪夢であったことだろう。

 連合軍(アライド・フォース)の司令部は、敢えて目立たぬ位置に配置し、歩哨や警備を最低限にすることで重要拠点とは悟らせず、更にはフィーゼル・セカンドを警戒して、専用の司令部壕を誘爆しやすい弾薬庫──これはフィーゼル・セカンドを敢えて誘爆させ、地下にまで被害が到達しないようにする為の策だった──の地下深くに配置するという徹底ぶりだった。

 ここならば安全だ。少なくとも、即座に司令部が崩壊する事は有り得ないし、仮に敵が迫っても脱出の猶予ぐらいはある。

 連合軍(アライド・フォース)の司令部は、常識的な観点から見れば非常に堅実かつ有効だった。彼らにとって最大の誤算だったのは、相手が悪すぎたという事に尽きるだろう。

 

 常識外の速度で新兵器を開発・運用し、数多のエースと歴戦の将帥を揃え、統一し、画一化された高水準の軍隊を備える、悪夢のような軍事国家が相手でなければ、彼らにもまだ逆転の目が僅かとはいえ残されていたのかもしれない。

 だが、彼らの敵は我々(ライヒ)だ。数多の戦場を闊歩し、その成り立ちたるプロシャ王国から今日の帝国に至るまでに、屍山血河を築き上げた究極の戦争機械こそが相手だったのだ。

 帝国陸軍は統帥機構を寸断された連合軍(アライド・フォース)を包囲、殲滅した。フォン・デグレチャフ参謀少佐がそうであったように、森林三州誓約同盟に裏取引で逃げ込もうとした連合軍部隊もいたようだが、そちらの対策を打たないほど帝国陸軍は甘くない。

 完全包囲下で、捕虜以外の全てを文字通り()()させ、国家の背骨を粉砕した正しく戦争芸術として歴史に名を刻む究極の殲滅戦。

 不意を突かれ、右往左往、渦を巻きながら逃げ惑う後尾の兵に歩兵は猛射を浴びせ、重砲の砲撃でガラガラと音を立てて車両が砕け、輓具をつけたまま後ろ足で立ち上がる馬が地面に倒れた兵士を四足で潰す地獄絵図にあって、帝国軍は機械の如く冷徹で、情け容赦など欠片もなかった。

 その徹底ぶりといえば、包囲下に置かれた敵軍中心部に無数の爆撃機がクラスター爆弾を投下したという事実からも、帝国が如何に完全勝利を希求していたかが判ろうというものである。

 

 包囲殲滅成功の報を受けたとき、小モルトーケ参謀総長は、その瞳から大粒の涙を零したという。

 

「シュリー伯……ようやく、貴方の夢が実現致しました」

 

 前参謀総長から練られてきた構想。敵軍の大規模包囲という、カンネー以来の偉業を帝国が実現させたのだという事実を前に、小モルトーケ参謀総長は偉大なる恩師の名を零され、ゆっくりと参謀連に顔を向けた。

 

「ありがとう、諸君。私がここまで来れたのは、諸君らの英知と導きあってのものだ」

「身に余る言葉であります、参謀総長」

「我々としても完全なる勝利と、シュリー伯の夢は達成すべきものでありました」

 

 フォン・ゼートゥーア、フォン・ルーデルドルフ両少将(一九二三年、九月進級)は、参謀連各員を代表して小モルトーケ参謀総長に言の葉を贈り、参謀総長もまた、彼らに再度謝辞を述べた。

 

 

     ◇

 

 

 最早、帝国軍を止めるものはない。膠着し続けた戦線は、『回転ドア』作戦による誘引殲滅を達成した時点で、崩壊の道を免れなくなった。

 ライン戦線は最早、帝国軍の防波堤ではない。敵軍が侵攻不可能な状況にまで出血し、対する帝国陸軍は全軍に大規模攻勢を命令。一直線に共和国首都、パリースィイへと進軍した。

 

「プロシャ・フランソワ戦争の栄光を再び!」「我らこそが首都への一番乗りを果たすのだ!」

 

 帝国陸軍将兵の士気は凄まじく、誰も彼もが歴史に名を刻むのだという気迫と、凱旋の意気高らかに進軍を続けていた。

 私は中央参謀本部がそうであったように、空軍司令部でフォン・エップ大将や指導部の高級将校達と肩を叩き合い、抱きしめ合いながら、祖国の勝利が確約された事に胸弾ませた。

 惜しむらくはオステンデ海戦で戦えなかった事だが、私は司令部の人間としてすべき事をした以上、そして祖国が勝利の栄光を掴む一助を担えた以上、これ以上を望むのは強欲かと肩を竦めた。

 

 既にして本国に帰還したフォン・デグレチャフ参謀少佐は、ライン戦線での数々の武勲と『衝撃と畏怖』作戦成功の功を讃えられ、中佐への進級後、帝国軍統帥より友軍への多大な貢献を表され、柏付銀翼突撃章と黄金柏剣付白金十字を授与された。

 そして、帝国空軍からもオステンデ海戦での多数の敵戦闘機撃墜と、これまでの船団撃沈、爆撃機撃墜の功により、ダールゲ少佐は全帝国軍において二人目の、黄金柏剣ダイヤモンド付白金十字を叙されたのである。

 

「次は、フュア・メリットを狙う」

 

 ダールゲ少佐は不敵な笑みで記者や宣伝局に語ったそうだが「素行の悪い者を皇帝(カイザー)の拝謁の栄に浴させる訳にはいかんぞ」と、帝国軍統帥に叱責されたという。

 本来ならダールゲ少佐も中佐への進級が認められたのだが、案の定彼は蹴った。中佐にもなれば航空団の司令官を勤めねばならず、そうなればデスクワーク漬けになる事が分かっていたからだ。

 私もまた式典に列席し、ダールゲ少佐を抱きしめながらも、「もう少し真面目になるように」と笑い、フォン・デグレチャフ参謀中佐にも、公の場で初めて声をかけた。

 

「貴官の勇気と、献身に感謝を」

「ありがとうございます」

 

 だが、フォン・デグレチャフ参謀中佐の瞳は、謝辞とは異なり呆れていたようにも見えた。きっと、私が常日頃手紙で表現するような親愛に満ちたものでなく、在り来たりな言葉しか贈らなかった事が詰まらなかったに違いない。

 気心の知れた仲であるなら、ダールゲ少佐のように肩を叩いたり抱きしめても良いし、破顔して讃えるのも良いだろう。

 けれど、フォン・デグレチャフ参謀中佐は陸軍参謀将校であり、それと同時に一人の淑女なのだ。私が軽はずみな発言をして周囲に誤解されでもしたら、彼女の人生を縛ってしまいかねない。

 私は一人の人間として、フォン・デグレチャフ参謀中佐に幸あれと願うが、それをこの場で口にすることが、どのような結果を招くかも承知している。

 私は貴族で、彼女も勲爵士(リッター)とはいえ貴族なのだ。互いに未婚の、それも男の方から淑女に私的な言葉をかける事が、どのような意味を持つかは語るまでもないだろう。

 

 だから私は、名残惜しいが小さな労いで終わらせるしかなかった。

 それをフォン・デグレチャフ参謀中佐が、どう思っているか察しつつも。

 

 

     ◇

 

 

 戦争は終わる。帝国は勝利する。誰もがそれを疑わず、誰もがそれを歓喜する。だが、何故だろう? 何故多くの高級将校らが勝利を確信し浮かれる中、私は指導部で未だ地図を広げている?

 連合王国が、頑なに勝利を望み続けたからか? 意地を貫く連合軍(アライド・フォース)に、何処か背筋に冷たいものを感じたからか?

 既にして帝国軍は、首都防衛線の突破さえ秒読みの段階。パリースィイを目と鼻の先に捉える勝利の目前で、何を憂慮するという事があるのか?

 

“いいや、何かある。確実に何かが”

 

 前線なら利く鼻が、長い指導部勤務のせいで鈍っている。それを自覚したのは、共和国軍国防次官兼陸軍次官、ピエール・ミシェル=ド・ルーゴ少将が本国から全軍への一般通達で共和国海軍の戦闘中止と、移動命令を出したという情報を受けてからだ。

 

“してやられた!”

 

 だん! と私は勢いよく机を叩いた。そして、直ちに中央参謀本部の小モルトーケ参謀総長に電話を繋ぐよう命令した。エルマーが総監部と中央参謀本部を繋いだのと同じく、空軍総司令部と中央参謀本部に外線を敷いてくれたのは天の助けにも等しかった。

 この連絡網故に、空軍総司令部は情報部をも退けて三軍一の情報網を持つ軍とされ、空軍総司令部にいれば不可能はないと称されるまでになったからだ。

 中央参謀本部は機密性の高さ故に通話時間も内容も限られるが、今は一刻の猶予もない。

 

「参謀総長閣下、キッテル参謀大佐であります!」

 

 幸いにして、小モルトーケ参謀総長は中央参謀本部に留まってくれていた。参謀総長は私の鬼気迫る声に対し、「何事か?」と私を落ち着かせるような、ゆったりとした声音で問うてくれる。

 こういう時、自分よりも遥かに偉大で優秀な御仁は頼りとなる。私は息を整え、地図を確認しながら、共和国軍の動きが怪しい事を告げると、小モルトーケ参謀総長は声を落とした。

 

「大佐、それ以上は口にするな。直ちに中央参謀本部に出頭するのだ」

 

 如何に暗号強度が折り紙つきとはいえ、流石に不味いと言いたいのだろう。それは、私とて重々承知の上である。

 

「残念ながら、その猶予はないのです。共和国本国は『終戦』を口にしておりません。加え、ド・ルーゴ少将名義での艦艇集結地点は、我々の手には遠いブレスト軍港です」

「……通信交換手には、切らせずおいてやる。忌憚なく述べたまえ」

 

 一佐官の下らない直感にも拘らず、小モルトーケ参謀総長は逐一耳を傾けて下さり、そのまま私がしているように、従卒に用意させたのであろう地図を、こちらの発言から読み取って目を通して下さった。

 受話器越し故に姿など見える筈もないが、地図を広げる音と言の葉の間隔で、大凡の状況は掴めるものだ。

 

「貴官は、共和国軍の撤収行動と見ている訳だな」

「はい、閣下」

 

 私は小モルトーケ参謀総長に空軍による空爆と、万一間に合わなかった場合に備え、帝国海軍の潜水艦群による撃沈を提案した。敵が逃げの一手を打つならば、間違いなくフィーゼル・セカンドの射程外にして、帝国に渡洋と消耗を強いる南方大陸を拠点とする筈。

 私が共和国軍の立場であっても、間違いなくそれをするだろう。

 

「エップ空軍総司令はどうした? 彼の名ならば、すぐにでも空軍を動かせよう」

「閣下は前線の将兵を労うべく総司令部を発ちましたが、現地には未だ到着しておりません。おそらくは輸送機の中かと。他の将校も、最低限の人員のみです。現状、総司令部に残る中で最高階級は小官になります」

「ビアホールにでも繰り出したか? ああ、全く。赤小屋の参謀連も似たような有様だよ。私の場合は、上が宴に顔を出しては息苦しかろうという理由だがね」

 

 何処もかしこも、勝利を疑っていない。それはそうだろう。ここまでくれば、誰だとて勝ったと思う。現に帝国外相らは、講和条約の内容を詰めている段階なのだ。

 

「しかし、曲がりなりにも停戦が発動している状態だ。空軍総司令官の命で軍を動かしても、官吏も統帥府も黙ってはいまい?」

 

 小モルトーケ参謀総長の忠告はご尤もだ。加え、参謀総長は私に泥を被るなと言いたいのだろう。結果がどうあれ、責任を取らされる事は避けられない。誰でも良いから、生贄を引っ張って来いと言いたいのだ。だが、それでは間に合わない。

 

「小モルトーケ参謀総長。小官は帝国軍人として、祖国の平和と安寧を望んでおります」

 

 例えそれが、私の身に破滅をもたらす物であったとしても。

 

「閣下もまた、同じ志を抱く軍人であると信頼した上で、お頼み申し上げます。どうか、小官の行動によって巻き込まれた者達に、一切の非がない事を閣下に証言して頂きたくあります」

「軍法会議は確実だ。銃殺も有り得る」

 

 取り乱すな。他に手はある筈だ。小モルトーケ参謀総長は、そう言外に訴えて下さっている事は重々承知している。それでも、それでも私は、傷ついた少女(ターニャ・デグレチャフ)に誓ったのだ。

 

「小官は、戦争を終わらせたいのです。閣下、今の帝国に、どれだけの少年兵が存在するかご存知でしょうか? 学校に通い、親と手を繋いで歩いている筈の子らの内、戦地で銃弾を受け、苦しむのは一日に何人居るとお思いでしょうか?」

「それが、貴官の本音か」

 

 高潔だと、小モルトーケ参謀総長は称えて下さった。正直で、誠実な男だともお褒め下さった。だが、こんなものはエゴだ。それは、私が一番自覚している事だ。

 

「閣下。これが最期の頼みとなる事を、小官は覚悟しております。何卒、小官の命で飛ぶ部下と、空軍に寛大なるご処置を」

「相分かった。私はもう、貴官を止めぬ。たとえ貴官が逮捕されるとしても、部下と空軍に類は及ばせん。だが、それは貴官の命が過ちであった場合だ。貴官の選択が正しければ、私は何としてでも貴官の命と名誉を守ろう」

 

 それが、祖国に尽くしてくれた軍人への、自分なりの恩の返し方だと小モルトーケ参謀総長は言の葉を括った。私は謝辞を述べて電話を切り、直ちにブレスト軍港から最も近い空軍基地に電話を繋いだ。稠密なる空軍総司令部の通信網の偉大さを、この日ほど実感したことはない。

 

「キッテル参謀大佐だ。エップ空軍総司令官の副官として、代理で総司令官閣下の命令を通達する。ブレスト軍港にて共和国軍が南方大陸に向け、撤収行動を計画している事を察知した。貴基地には全兵力でもって、亡命政府の芽を摘んで貰わねばならん。

 貴官らの任務達成が、帝国の興廃を分かつものと心得よ」

 

 私の下令は、一切の確認も取られないまま受け入れられた。日頃の行いというものが、何処までも大事なのだなという事を確信しつつも、自嘲気味に深々と椅子に腰掛けた。

 フォン・エップ大将は、激怒するだろう。軍の指揮系統を一佐官が乱したばかりか、ずたずたに引き裂いたのだ。そればかりか、空軍総司令官の名を騙って空軍を独断で動かした以上、反逆罪に問われる事は間違いない。

 

“構うものか”

 

 私は戦争を終わらせると誓った。平和を、フォン・デグレチャフ参謀中佐に手向ける時が来た。我が身可愛さで、立てた誓いには背けない。彼女が、延々と続く戦場という地獄に引き攫われてしまうことなど、私には我慢ならなかった。

 

“デグレチャフ中佐。貴女は、私を笑うだろうか? 軍人にあるまじき男だと、罵るだろうか?”

 

 彼女がどんな感情を私に抱こうと、私は一向に構わない。感謝されたい訳でもない。

 これは唯の、エゴイズムなのだから。

 

 

     ◇

 

 

 私は電話での報告を受け取った。ド・ルーゴ少将の脱出計画は、間一髪の所で阻止出来たそうである。目標が分かりやすい分、フィーゼル・ファーストでも狙い撃つことが可能だったのが功を奏した。

 フィーゼル・セカンドが使用できれば、もっと楽だったのになと考えてしまうのは、やはり帝国軍人としての効率思考がそうさせてしまうのだろう。

 何処までも空虚な、伽藍堂めいた実用本位の空軍総司令部。中央参謀本部の食堂のように絢爛でも、海軍のように趣のある作りでもない。

 まるで企業のオフィスめいた、『実務の館』なる参謀本部の肩書き以上に相応しい実用一辺倒のデスクで、私は静かにその時を待っていた。

 

「キッテル大佐殿ですな?」

 

 そして、その時は来た。糊のきいた軍服を一分の隙もなく着こなし、どのような些事も見逃さぬと言わんばかりの憲兵将校が、私の前で慇懃に踵を鳴らした。

 

「大佐殿に逮捕状が出ております。ご同行を」

「ご苦労」

 

 私は両手を差し出す。かけられた手錠の冷たさとは裏腹に、意外にも軽いものなのだな、と他人事のように感じた。

 

 

     ◇

 

 

 軍法会議が開かれるまでの間、私は憲兵司令部への拘留を言い渡された。拘留といっても刑務所のように息苦しくはないし、将校用の個室であったから不自由など何一つとしてない。

 不満があるとすれば、精々が軍服でなく私服を着るよう命じられたのと、本が一冊も置かれていないことぐらいか。勲章や徽章の類も軍服と一緒に没収されたが、どうせ剥奪されるのだからと割り切れる。

 できることならば、キッテル家に迷惑がかからぬよう、気を利かせて拳銃でも引き出しに入れてくれれば楽だったのだが、流石に斯様な選択をしておきながら、自裁して逃げようなどというのは虫の良すぎる話かと一人笑った。

 私の逮捕には、上も下も大騒ぎしていることだろう。フォン・エップ大将にはご迷惑をおかけしたが、それでも私は自分の選択を恥じても、悔いてもいなかった。

 

 もしもド・ルーゴ少将を取り逃がせば、帝国は間違いなく疲弊と継戦の地獄を見た。後の百年に禍根を残すぐらいなら、私個人の命など惜しくはない。

 小モルトーケ参謀総長は私の名誉と命を守ると約束して下さったが、私如きの命の為に参謀総長の輝かしい未来までふいにはできないし、中央参謀本部の面々とて、参謀総長の身を案じればこそ、全力で止めようとするだろう。

 私は、それで良いと思う。全ての責は私一人にあるのだから。

 

 だが、それを許してくれない者が居た。ああ、少し考えれば分かることだったのになぁと、私の元を訪ねてくれたエルマーに目を細める。

 如何な憲兵司令部とて、帝国軍の誰だとて、エルマーを阻む事は出来ないだろう。今の帝国軍は、弟なくして成り立たないところまで来てしまっているのだから。

 

「兄上……!」

 

 エルマーは、私を初めて殴った。私の贈った杖を放り、踏ん張りなど効かない足で、初めて人を殴ったのだと分かる動きで、私の頬を殴ったのだ。

 

「どうして、どうしてこんな真似を……」

 

 エルマーは、私の胸に縋って泣いた。嗚咽を溢し、涙で顔を歪めながら泣き続けた弟を、私は抱きしめて背中を優しく叩いた。

 

「賢いお前なら、分かるだろう?」

「分かります! 兄上の考えなど、私が一番分かりますとも! ですが、それは兄上がしなくてはならない事だったのですか!? 祖国の窮地を、誰かに伝えるのでは駄目だったのですか!?」

「その誰かが、今の私になる。そんな真似を、私が許すと思うか? そんな兄を、お前は誇れるのか?」

 

 狡いと、エルマーは泣いた。その涙を拭ってやりたいと思った。けれど、今の私には姉上のハンカチなどないから、普段使いのもので拭ってやるしかなかった。当然、それに気付けないエルマーではない。

 姉上のハンカチを私が捨てるなどとは、エルマーは微塵にも考えていないだろう。そうなれば、誰に渡したかだが……。

 

「デグレチャフ中佐ですな?」

「ああ。お守りにでもなれば良いと思ってな。彼女には、死んで欲しくなかったのだ」

 

 それさえも、エルマーは知っていたという風に語る。私がフォン・デグレチャフ参謀中佐を死なせたくないが為に、こんな真似をしたのだろうとも責めた。

 

「兄上が亡くなれば、私がどれだけ悲しむか、考えては下さらなかったのですか? 姉上や父上、母上がどれほど癒えぬ傷を負うか、お考えにならなかったのですか?」

「分かっていた。知っていたし、考えた。それでも、私は戦争を終わらせたかったのだ。全ては、お前達の生きる祖国の……」

「嘘です。兄上の心には、デグレチャフ中佐がいます。私や家族と同じほど、彼女が兄上の心に住んでいるのです。どうかもう、嘘はお止め下さい。ご自身の気持ちを、お騙しにならないで下さい」

「……お前は、本当にそう思うのか?」

 

 はい、とエルマーはそれが真実だと瞳で語った。

 

「兄上。私は、兄上がしてしまった事を、なかった事には出来ません。ですが、かつて語った通り、私は兄上を決して死なせはしません。兄上がそのお気持ちを自覚し、デグレチャフ中佐に人を愛する道を教える日まで、私が兄上を守り抜きます」

 

 たとえその相手が、祖国そのものだったとしても。私がフォン・デグレチャフ参謀中佐に、死なせはしないと誓いを立てたように。エルマーもまた、私を守るという誓いを守り続けるという。

 

「どうかご安堵ください。この国で私に逆らえる者など、家族を除けば我らが皇帝陛下(マインカイザー)以外に居られないのですから」

 

 その発言は、少々不敬に過ぎないかと心配になった。幸い、憲兵は気を利かせて離れてくれていたが。

 

 

     ◇ターニャの記録9

 

 

 ド・ルーゴ少将の撤収行動という名の夜逃げが、帝国空軍の手によって潰えたと知らされた時、私は感極まって、我が身を興奮で震わせていた。

 私が何度となくV‐1でのブレスト軍港攻撃を上申し、祖国の危機を救うには今しかないのだと語っても、敵の行動が計画的かつ秩序だったものだと説諭しても、誰もそれを認めたがらなかった。

 基地司令も将校も、皆一様に「終戦交渉をこじらせるだけだ」「反攻勢力を逃す為でなく、逆襲用部隊か防衛線再編の為の措置だろう」と取り合わなかったのである。

 誰も彼もが、ド・ルーゴがネズミのように祖国を捨て、亡命政権を南方大陸に築くなどと夢にも思わなかったのだろう。それどころか、ここで連中に手を出せば、勝利の間際にあってもたらされた、停戦を壊しかねないとさえ信じていたのだ。

 だが、空軍は違った。帝国が世界の全てを手にするか、それとも後の代まで果てしなく続く困窮の道を歩むかの分水嶺を、見事決断し義務を果たしてくれたのだと私は愚かにも、無邪気に歓喜していた。

 

“祖国は、救われた。我々はようやく、戦争を終わらせられる”

 

 私は涙を抑えきれなかった。勝ちに浮かれ、驕った先に地獄への片道切符を手にするような未来は、もう決して来ないと安堵して。

 だが、嗚呼、何故。何故かくも偉大な功績を、誰も理解できないのだ?

 

「キッテル大佐殿が、逮捕された?」

 

 その報を伝えられた私は、何かの間違いだろうと思った。だが、何処で、何度耳にしても答えは変わらない。罪状は何かと問えば、空軍総司令官の不在を良い事に、独断で軍を動かしたのだという。通常であれば、略式裁判の後に銃殺が妥当であろうとも、私と大隊が屯する基地司令官が仰られた。

 

“馬鹿な……ブレストへの攻撃は、間違いなく祖国を救ったのだぞ?”

 

 嘘だと思うならば、現地に足を運んでみるが良い。あの、用意周到に山積されていた軍需物資の残骸を。死んだ将校らの顔ぶれを。逃亡が失敗するまで、一度として『終戦』を口にしなかった共和国政府の惨憺たる現状を、その目に焼き付けてみるがいい!

 独断が罪? 銃殺が妥当? ああ、そうだとも軍規に照らし合わせるならば、何もかも間違っているのはフォン・キッテル参謀大佐だとも!

 

“ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!”

 

 私はこの時、自分が何故これほど怒り狂っているのかが分からなかった。祖国は窮地を脱した。そして、本来自分が負いかねなかった筈の罪を、全て背負ってくれたお人好しが出てくれた。これまでの私ならば、何一つとして損のない結果だと、諸手を挙げて喜んでいた筈なのに。

 

“どうして、どうして私は”

 

 こうして、本国にまで飛んできた? どうして、赤小屋にまで乗り込んだ? フォン・ゼートゥーア少将どころではない、正真正銘の怪物である、参謀総長の前に私は立っている?

 そして、どうしてこんな状況でも、私は心に保身も恐れも抱いていないのだろう?

 小モルトーケ参謀総長は何も言わず、参謀徽章を着けた一佐官に過ぎない私を目にするや否や、執務室へと通してくれた。

 

「エルマー技術中将が、貴官と同じ顔をして踏み込んできた。身内であるが故、当然と思った。次に、エップ空軍総司令が足を運んだ。目をかけていた部下故、当然だと思った。貴官は三人目だが、ああ、ノルデンで救われたのだったな」

 

 忘れていたよと口にしたが、参謀総長が物忘れなど冗談にしても質が悪い。全てご承知の上で、惚けられているのだろう。

 

「では、小官の用向きもお分かりの筈」

「強気だな。柏付きの銀翼なだけの事はある。前線指揮官の声が大きいのも、プロシャ以来の伝統だ。だからこそ言うぞ。もっと声を大きくしたまえ。この私を、情で動かせるぐらいにな」

 

 弱者に用はない。我を貫けぬ小物は去れと言外に告げられる。以前までの私なら、尻尾を丸めて言い繕っていた事だろう。それ以前に、中央参謀本部に踏み込む事さえ躊躇った筈だ。

 だが、今の私は取り繕う真似はしたくなかった。包み隠さず、本音で語りたかった。

 

「我々の祖国は、英雄によって救われたのです」

 

 確かに罪なのだろう。軍という組織にあって、それは決してしてはならない事だったのだろう。けれど。

 

「キッテル大佐殿が為した結果を、参謀将校が理解出来ぬのなら、その者らは飾緒なり徽章なりを国家に返納すべきでしょう。大佐殿の選択は、この戦争を終わらせる唯一の道でした。

 士官学校では候補生の誰もが叩き込まれる一節ですが、参謀総長閣下の時代にはなかったのでしょうか? 『独断専行は将校の義務』でありましょう?」

 

 命令を遵守したが、敗北したと言い逃れるような、無能極まる働き者は銃殺すべきだろう。帝国将校は勝利の為にこそ頭脳を用い、勝利の為にこそ奮起するもの。

 その一点を鑑みるならば、形式に拘泥せず、命をも捨てる覚悟で祖国を救ったフォン・キッテル参謀大佐の果断は、将校として何一つ曇りない筈ではないか。

 

「結果が良かったから、軍規を乱した者を大目に見よと? 『独断専行は将校の義務』とな? 如何にもその通り。前線指揮官の声を耳が痛いほど強めてくれおったが、臨機応変を旨とすべき戦場では、必要不可欠なものであろうとも。

 だが、それもまた与えられた命令があったればこそだ。キッテル大佐は軍の指揮権を蔑ろにし、統帥を麻の如く乱した。大佐を許せば悪しき前例が生み出される。斯様な専横がまかり通る事となれば、軍は規律を失おう。

 英雄とて、否、英雄だからこそ規律は重んじねばならん。軍とは統制あってこそだ。ましてや、士官の逸脱など断じて許されるものではない」

「参謀総長閣下は、帝国の未来を如何にお考えか? 功に報いるに、罰を以て祖国の繁栄があると?」

「だとしたら?」

 

 小モルトーケ参謀総長は笑われていた。それもまた、私を試そうという存念なのだと理解していた。だが、私はもう限界だった。

 

「そのような祖国、忠を尽くす価値などございません!」

 

 私は立ち上がりざまに、首元の黄金柏剣付白金十字を剥いで机に叩きつけた。柏付銀翼突撃章さえ、床に投げ捨てた。

 

「統帥府も中央参謀本部も、空軍指導部も皆無能の集まりです! 前線の将兵は責務を果たした以上、勝利の美酒に酔いしれても良いでしょう!

 ですが、貴方方は終戦の日まで戦争を指導する立場にある! 慢心の上に怠惰と無策を重ね、呷る美酒はさぞ甘美であったことでしょうな!」

 

 お前達が無能だからこそ、有能な者が責を負わねばならなかった! もしもお前達が、常日頃そうであるように優秀で居続けてくれたなら、こんな結果にはならなかったのに!

 

「では、貴官は予測し得たのかね?」

「無論! 大佐殿がしていなければ、小官がブレストを襲うつもりでした! 基地司令にでも問い合わせてみれば宜しい! 小娘が我を失ったように、軍港攻撃を叫んでいたと呆れ返った声で語って下さることでしょう!

 一二の小娘にさえ理解出来た事を、知性と論理の牙城たる中央参謀本部に集う者達が分からぬとは片腹痛い! このような国、たとえ今日勝利出来ても、百年と持たず滅びに瀕する事でしょうな!」

 

 私は肩で息した。心に従うまま、言いたい事の全てを言ってやった。上官への侮辱で営倉送りにされようが銃殺だろうが、後の事など知ったことか。

 

「……よく分かったとも」

 

 そう言って、小モルトーケ参謀総長は席を立った。そして、床に転がる柏付銀翼突撃章を拾い上げ、机に叩きつけた黄金柏剣付白金十字を手で弄ぶ。

 

「貴官は、自分が影で何と呼ばれているか存じておるか?」

 

 ああ、知っているとも。敵の返り血で汚れた『錆銀』。軍人の形をした人形。合理主義が生んだ戦争の申し子……誉れ高き愛国者と、白銀と讃えられる一方で、私への皮肉と、打算と合理性を揶揄したものを口にしながら肩を竦めてみせた。

 

「私も、今日まではそう思っていた。優秀だが、貴官には人の心が欠けておると」

 

 だが、それは間違いだった。人を見る目のない男の失点だったと、小モルトーケ参謀総長は穏やかな瞳で私を見つめた。

 

「貴官もまた、この勲章に相応しい英雄だ。赤小屋に踏み込んだ、他の者らと同じように」

 

 小モルトーケ参謀総長は、手ずから私の首に黄金柏剣付白金十字をかけ直し、左肋に柏付銀翼突撃章を留め直された。

 

「ゆめ、その感情を忘れるな。理性と打算だけでは、将校としては不完全だ」

 

 そう言って、小モルトーケ参謀総長は私の肩に優しく手を置いて下さった。

 

「案ずるな。あの馬鹿者は死なせんし、貴官の発言を咎める気もない。……全く、奴は恵まれた男だよ。これ程まで、己の為に身を擲ってくれる者がいるのだからな」

 

 その言葉が、私は何故か、嬉しくてたまらなくなった。

 




 やっと、デグ様のデレを出せた……。

 そして、デグ様のお怒りシーンの元ネタが、ドイツ空軍のガーランド閣下と、銀英伝のベルゲングリューン閣下だって分かった読者様は私と握手!
 でも、このシーンは後年のデグ様が銀英伝ごっこしたくて、ちょっぴり盛ったのは内緒だ! ガーランド閣下ごっこは当時も本当にやってたけど!

補足説明

【連合王国と共和国の不和について】
 アルビオン将校の書簡のくだりで、「流石に同盟国の将校にこれはないだろw」と読者様は思われたかもしれませんが……これ、史実のエピソードまんまです(ドン引き)
 バーバラ・W・タックマン著『八月の砲声 上』で詳しく書かれておりますが、今回の書簡そのままの書き送りを、イギリス軍のジョン・フレンチ派遣軍司令官が、キッチナー元帥に送っております。
 呉越同舟にも程があんだろ連合軍……w

【デグ様激おこ中の、参謀総長の内心について】
 小モルトーケ参謀総長が、デグ様にめっちゃ寛容だったのは「まぁ、そういう関係なんだろうなぁ」とスゲエ微笑ましい目で見ていたからです。
 主人公が少年兵云々言ってたのも「要はデグ様が大事だったからなんやろ?」みたいに察してました(そして後々、この仮説を基にデグ様を利用しようとします)。

 でも、デグ様の「ブレストの強襲は自分がやるつもりだった」発言には内心ガチでビビってました。「マジかお前。いや、マジっぽいな」みたいな目で見ました。そして優秀だし、将来副官に置きたいとも思いました。要するにご機嫌取りな面が強かったって事です。
 考え直すなら今だぞ参謀総長閣下!

 ちなみにエルマーくんが赤小屋に行った時の参謀総長は、ガチで頭抱えました。こいつが軍を辞めるとか、帝国にとって痛手とか損失ってレベルじゃ無くなるのです。そして本人もそれを自覚してるから「ちょっとでも兄上を傷付けたら、わかるよね?」みたいな恫喝をかましてきました。その後もあちこちで恫喝祭りです。ノンストップです。
 父上はこの話に出てきてませんが「マジで何でもするから銃殺だけは止めて」と統帥府に懇願してたりします。
 愛されてる主人公のせいで、周囲への負担が半端ないことになってる模様。

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