まちがいだらけの修学旅行。   作:さわらのーふ

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2話目です。
実は作者は岩屋城址行ったことないのです。
一度行ってみたいのですが,大宰府の駅から徒歩40分がネックになってまだ行けてません……
岩屋城は「九州制覇を目指す薩摩島津氏が1586年に岩屋城を攻撃、5万の大軍に囲まれてしまい、篭城したが、奮闘むなしく豊臣秀吉の援軍が来る前に陥落。当時城主であった高橋紹運は自害、全員討死した。しかし島津軍は岩屋城の攻略に時間が掛かりすぎたため後ほど撤退。岩屋城が島津軍の九州制覇を止めた形となった。」(大宰府観光協会サイトより)という歴史を持つ城ですが,櫓や天守などというのは残っていません。それでも一度は紹運が見た風景を見てみたいと思っています。
ちなみに今回はまだクロスしません。


まちがいだらけの修学旅行2~嗚呼壮烈岩屋城編

 幸いにして太宰府天満宮参道という人通りの多いところでの教育的指導(物理)は,世間体というか先生の教師生命にかかわるということでファーストブリットはもらわずに済んだ。

 ただ,宿に入った時,一気に抹殺のラストブリットへと発展する可能性も無きにしも非ずなのだが……

 

「君は岩屋城の戦いを知っているかね?」

「ええ,大友家家臣・高橋紹運ら七百余名が城に立てこもり,島津方二万の軍勢を相手に半月の間戦い抜き,全員玉砕したものの島津方にも大打撃を与え,その間に豊臣秀吉が来援し主家・大友家を護ったっていう」

 平塚先生の説教が一段落し九州国立博物館に向かう道すがら,先生が戦国の話を振ってきた。材木座ではないけれどもやはり男子たる者,一度は戦国武将に憧れる時があるのだ。その中でも,信長や信玄,秀吉や家康といった有名な大名ではなく,知る人ぞ知る忠義の名将・高橋紹運は中二心をくすぐられ……いや,中二じゃねーし。もう。

「おっ,詳しいな。どうだ?ちょっと行ってみたくないか?」

「えっ?でも団体行動ですよね?」

「なに,点呼の後一旦博物館に入場してしまえば,集合時間までに戻れば分からないさ」

 おいおい,それでも先生かよ。

「どうする?」

 どうするって,聞かれたら……

「はあ,行ってみたいです」

 平塚先生は意外そうな顔で俺に尋ねた。

「ほう,君ならめんどくさいとか言いそうなものだがね?」

「博物館にいてもめんどくさいのは同じですし。それに……」

 気が進まない今回の依頼から離れられる,という言葉が口から出かかったが慌てて止めた。戸部の依頼は直接奉仕部に持ち込まれたものだ。もし先生に黙って勝手に依頼を受けたことがばれたら死んじゃうだろ?主に俺が。ていうか俺が。なんとなれば俺が。

「それに,なんだね?」

 先生,そこは流すところですよぉーーーー

 考えろ,考えるんだ,比企谷八幡!自らの死を回避するために,いつも通り最低で最悪な言い訳を。へらず口を。

「それに……高橋紹運は憧れの戦国武将なので……」

 結構ストレートに思いを語ってしまいました……恥ずかしい。

 平塚先生がじっと俺の目を覗き込んでくる。

 先生まつ毛長いなーとか,やっぱり美人だなーとかなんで結婚できないんだろかなーとかもういっそのこと俺が貰っちゃったりしてもいんじゃないかとか思ってたりなんかしないんだからねっ。

 なぜか平塚先生が少し頬を赤く染めて目を逸らした。えっ,まさか…… いや,まさか……

「コホン,じゃあ,後で連絡するから。そしたら,な?」

「分かりました。では後で」

 そうして俺は先を歩いていた由比ヶ浜たちと合流した。

 

「ねえヒッキー,平塚先生と何を話してたの?」

 ここで本当のことを言えば騒ぎになって,せっかく誘ってくれた先生にも迷惑がかかる。平塚先生がいつも言ってることといえば『婚活』とか『結婚したい』だな。結婚の話をしていたということにしよう。結婚,結婚……

「ああ,平塚先生との結婚の話で……」

 一瞬の静寂の後……

「ええええええええーーーーーーーー!!!!!」

 由比ヶ浜がこの世の終わりが来たかのような絶望的な叫び声をあげた。

「由比ヶ浜,うるさい」

「だ,だってだって,ひひひひひヒッキーとひら,ひら,ひら,ひらっ」

「ひらっひらって蝶々かよ」

「けけけけけけけっこん」

 何を言ってるんだこいつは?平塚先生の結婚話がそんなに珍しいか?平塚先生,『との』,結婚……

 

 この世は終わった……

 

 俺はその場に膝から崩れ落ちた。

 


 

 そこから九州国立博物館までの道すがら,これなら数学のテストで80点を取るためのテスト勉強の方が楽だと言わんばかりの努力をして,なんとか由比ヶ浜の誤解を解いた。

 戸部,すまん。お前のサポートみんな忘れてるよ。

 

 九州国立博物館に入ってしばらく展示物を見ていたら平塚先生からメールがあった。元より他人に存在を認識されにくい俺のこと,トイレに行くふりをして誰にも気づかれずに外へ出た。

 キョロキョロ辺りを見渡していると,

 

「比企谷,ここだ,ここだ」

と,平塚先生が手招きをしていた。

「お待たせしました」

「時間もないからタクシーで近くまで行こう」

 西鉄大宰府駅前のタクシー乗り場まで移動し,ドアを開けて待っていたタクシーに乗り込む。

「岩屋城址まで」

 先に乗り込んだ平塚先生が運転手にそう告げるとタクシーのドアが閉まる……前にもう一人乗ってきて,俺をシートの真中へと押しやった。

「ヒキタニくん,二人っきりで密会?やっぱり結婚の噂は本当?」

「な!?」

 俺の隣には,今回の依頼のターゲットである海老名さんが意味ありげな笑みを浮かべて座っていた。

 


 

 岩屋城址は,天守閣や櫓が残っているわけではない。

 目立つものでは『嗚呼壮烈岩屋城址』と書かれた石碑や高橋紹運と勇士の墓が建っているだけである。

 しかし,よく見てみれば多数の曲輪や竪堀、堀切、畝状空堀群などが残っているのがわかる。

「どうだね?比企谷」

「意外と狭い場所ですね。こんなところに籠って押し寄せる島津軍2万を相手に半月の間持ちこたえたかと思うとその心中いかばかりやと思います。敵から紹運の武将としての器量を惜しまれ降伏勧告が何度も送られても,『主家が盛んなる時は忠誠を誓い、主家が衰えたときは裏切る。そのような輩が多いが私は大恩を忘れ鞍替えすることは出来ぬ。恩を忘れることは鳥獣以下である』と言って断った話は胸に迫るものがあります」

「高橋紹運は敢えて島津勢が最初に攻撃するであろう岩屋城に入って迎え撃ったということだ。息子の立花宗茂や味方の黒田如水らが岩屋城が防衛に向かないために城を捨てて撤退せよと言ったらしいんだがね,この先に島津軍が進むであろう立花城には宗茂が,また宝満城には、紹運の妻や次男の高橋統増、岩屋城から避難した非戦闘員(女・子供)もいたから秀吉の援軍を待つ間の時間を稼ぐために死を覚悟してここに陣を敷いたのだろうね」

 平塚先生は煙草の箱を指でトンとたたいて一本取り出し,口にくわえようとしたが,この場で吸うことを躊躇われたのか,また箱に戻していた。

「君は紹運のことをどう思う?」

「主家に尽くす戦国武将の鑑というところですかね。俺にはそんな社畜みたいなことはできそうにありませんが」

「紹運にとっては自分がここで命を賭して戦うことが一番効率がいいとでも思ったのかな。誰かさんのように」

 平塚先生の視線が俺を射す。その眼を見ることができずに俺は返事をする。

「家族を守るためにそれが一番効率がよい方法だったとしたら,仕方なかったのかもしれません」

「だが実子の立花宗茂だって何度となくこの城が守るには適していないからと退去するように言ってきた。それを痛ましく思う者はいるんだ。戦国時代であっても,今でも」

 誰に向けて語ったのか分からない言葉を残し,もう少し下の方を見てくると言って先生は離れていった。

 代わりに赤い縁のメガネのフレームを反射させ,海老名さんが俺に近づいてきた。

 


 

「海老名さんが腐女子なだけじゃなくて歴女だったとは知らなかったよ」

「失礼だね,ヒキタニくんは。私だって歴史ロマンに想いをはせることだってあるんだよ?」

 考えてみれば,今回の依頼,戸部の話はたくさん聞いて対策を考えたが,肝心の攻略対象である海老名さんのことは腐女子であること以外何も知らなかった。

 海老名さんだって普通の女子で,当然腐女子以外の顔も持っているというのに。

「やっぱり,立花道雪と高橋紹運ってデキてるよね?道雪が紹運にお前のムスコをくれと迫ったって,キマシタワーーーー!!!」

 前言撤回。この女子は100%腐ったものでできてました。こら,尊い場所を鼻血で汚すんじゃない。

「ほれ,ティッシュ」

「はりがとー」

 海老名さんは鼻にティッシュを詰めたまま俺に話しかけてきた。

「ヒキタニくんもとべっちのこと絡んでるの?」

 驚いて彼女の目を見る。ただ,日の光を反射させたメガネのレンズは,その瞳を窺うことを妨げていた。

「え,海老名さん?」

「あ,ヒキタニくんととべっちの濃厚なくんずほぐれつの絡みの話でもいいけど?」

 そんないつも通りの彼女の言葉も今はそのままの意味ではとらえられなかった。

「知ってたのか?」

「分かるよ。女の子って敏感なんだよ?周りが浮足立ってるのとかさ,空気みたいなのを感じちゃうんだよ」

ほんの少し苦笑いを浮かべながら,

「結衣なんてわかりやすいから」

と付け加えた。

「分かってるならぶっちゃけて聞くけど,どうなんだ?」

 彼女は首を激しく横に振った。

「無理無理。ヒキタニくんだって分かってて聞いてるでしょ?」

「そんなことは」

「あるよ」

「戸部も悪い奴じゃないと思うがな」

「とべっちがもし“悪い奴”なら,私とっくにあのグループ辞めてるよ。でもね,違うの。そうじゃないの」

 大宰府の町の方へ顔を向けた彼女の眼差しは,その向こうにあるさらにどこか遠くを見ているようで。

「ヒキタニくんはさ,結衣と付き合わないの?」

 

「はああああ!?」

 

 なぜ由比ヶ浜?今,由比ヶ浜?

 

「えええ海老名氏はナニ,ナニ,ナニをおっしゃられているでおじゃるか?」

「ヒキタニくん,キャラがブレブレだよ……」

 

 彼女は人差し指で眼鏡の赤いフレームをずいとあげて続けた。

 

「だってあのおっぱいだよ?顔も可愛いし性格も素直だし,明るいしそしておっぱい」

 おっぱいが二度出てきた。それだけ大事なんですね分かります。

「なによりヒキタニくんのことをずっと一途に想ってる」

 は?この子はナニ言ってるの?

「そんなわけ」

「あるよ」

 俺が否定しようとする前にキッパリ断言されてしまった。

「ヒキタニくん,分かってて言ってるよね?」

 眼鏡の奥の瞳が俺を射抜くように見つめている。

「いくら他人の悪意に敏感で好意に鈍感な君とはいえ,さすがに結衣の態度はあからさますぎて否定なんかできないよね?それに今後あんな子と付き合える機会なんて終生ないかもしれないよ?」

 何だよ,俺,ここで一生分の恋愛運を使っちゃうのかよ!さすがにそれは……そうかも知れない。

「ヘイ,ユー!ユイはイイコだし付き合っチャイナ」

「そんなこと言ったってそう簡単なことじゃないだろ?」

「とべっちはいいやつだから付き合ったらって言うのに?」

「……」

 返す言葉がなかった。俺は,俺たちは自分なら決して肯定できないことを彼女に押し付けようとしていたことに今さらながら気が付いた。

「すまん,降参だ。俺が悪かった」

「いいよ。気にしてないから。とべっちは確かにいい人だと思う。ちょっと騒がしくて空気読んでるようで読み切れなかったり軽薄だったりするけどね」

 それはもうどこまでいい人なのか分からないんですが?

「私ね,今の関係が割と気に入ってるんだ。隼人くんのうすら寒い笑みにイラっとして,優美子の威張り散らしにイラっとして,結衣の空気を読んだあいまいな態度にイラっとして,とぺっちの軽さにイラっとして,大和くんの優柔不断さにイラっと来て,大岡くんにイラっと来たりするけれど」

 いやいや,もうイラっとしかしてないよね?大丈夫なの,君のグループ。てか,大岡,存在そのものにイラっとされてるぞ。

「それでも,私は今のグループが好き。こんなの初めてなんだ。私にとって初めての,奇跡みたいな場所なんだ。私とか隼人君とか優美子とか結衣とかとべっちとか大和君とか大岡君みたいなやつが,我慢せずありのままでいることが許される奇跡みたいな場所なんだ。だから……絶対壊したくないんだよ!」

「おいおい,それは友達が少ないやつがいうセリフだ」

 芝居がかった叫びから一転,鼻に詰めたティッシュを外し,素に戻る海老名さん。

「ふふふ,やっぱりヒキタニくんは分かってるなあ。ヒキタニくんだけだよこういう話できるのは」

「そうか?戸部だって好きな相手の趣味なら分かろうと努力するんじゃないか?」

 材木座でもいけるんじゃないか?ということは稲積水中鍾乳洞の奥に隠して彼女に問いかけてみた。

「無理無理。私ね……聞いちゃったんだ。とべっちが大和くん大岡くんと話してるのを,偶然」

 海老名さんは,一つ一つを思い出すように,少し間をおいて話を続けた。

「とべっちが私のことが気に入ってるみたいなこと言ったら,二人のうちのどちらかが,でもあの趣味はどうなん?って聞いたんだよ。そしたらさ」

 海老名さんはさらに間をあけて,戸部の口調を少し真似ながら言った。

「大丈夫大丈夫。俺の愛の力で変えてやるっしょー,ってね」

 こっちを見た彼女の瞳は,何やら悲しげだった。

「別に私の趣味とかそういうのは分かってもらわなくたっていいんだ。でもね,どうして変わらなきゃいけないの?どうして変えられなきゃいけないの?どうして今の私をそのまま受け入れてくれないの?」

 彼女はそこまで言うと,ふぅと軽く息を吐いて,

「だから,とべっちとは無理。彼とは付き合えないよ。やっぱり……」

海老名さんは俺に仄暗い笑顔で言った。

 

「私,腐ってるから」

 

 けど,の後,彼女は言葉を続けた。

 

「私,ヒキタニくんとならうまく付き合えるかもね」

 

 そう言った彼女の顔を,目を見て俺はドキッとした。

 

「冗談でもやめてくれ。あんまり適当なこと言われるとうっかり惚れそうになる」

「惚れたっていいんだぜ?その代わりに聞いてもらいたいお願いがあるんだけど」

「やっぱり美少女のお願いには裏があるんだな。ラッセンの版画なら買わないぞ。親父にきつく止められてるんだ。俺みたいになるなってな」

「美少女!?」

 クソ親父の話にドン引きするかと思ったのだが,海老名さんはなぜか少し頬を赤らめているようだ。

「そうじゃないよ。ヒキタニくんに依頼」

 彼女はふぅと小さく息を吸って続けた。

 

「とべっちの告白を止めてほしいの」

 

 俺は,彼女になんと返したらいいのか,にわかには分からなかった。

「とべっちが告白したら今のグループ壊れちゃうよ。それは……嫌なの」

「壊れるかどうかなんて分からないだろ?」

「分かる!分かるよ……だって」

 

「……私が壊すから」

 


 

 俺は,彼女のあまりにも深い闇をたたえた真剣な目に,つかの間何も言葉を発することができなかった。

 

「それは依頼なのか?だとしたら俺だけじゃどうにもできないぞ。そもそも奉仕部は戸部の告白のサポートをするって依頼を受けちまってるし……」

 海老名さんが,俺に近付き,手を取って言った。

「違うよ。これは比企谷八幡くんへのお願い。奉仕部じゃない。君個人へのお願い」

 握られた手が熱い。俺自身の顔も熱さを増しているのが分かる。

「個人というならそのお願いを聞かなければならない理由はないよな?報酬があるわけじゃないし」

「そう。じゃあ報酬は先払いするね」

 そして彼女は眼を瞑りそのやわらかい唇を俺の唇へと重ねた。

 一瞬自分の身に起きていることが何なのか分からなかった。それから,俺にとっては永遠とも思われるような時間,彼女の唇は押し当てられたままだった。

 ようやく思考を取り戻した俺は,彼女の両肩を掴んで引き離した。

 

「おっ,おまっ!」

「へへへ,キス,しちゃったね」

「しちゃったねじゃねえよ!なんでこんなこと……」

 顔を真っ赤にしながら少し微笑む彼女の意図を,俺は全く読めないでいた。

「言ったじゃない。依頼の報酬の先払い」

「そんなのもらったって上手くいくとは限らないぞ」

「上手くいかなかったなら上手くいかなかったでいいんだ」

「それじゃ前払いされた報酬を返すことなんでできないぞ」

「大丈夫だよ。これはうまくいかなかった時の保険でもあるんだから」

 保険?何の?俺には意味が分からなかった。

「こんな美少女のファーストキスがもらえるなんてとんだ果報者だぞ……と言いたいんだけど,ごめんね。私,初めてじゃないんだ」

 うつむき加減になった彼女は,少し苦しそうに話し始めた。

 

「昔ね,一つ上の先輩に告白されたことがあったの。私はその先輩のことをなんとも思っていなかったから当然断るつもりでいたんだけど,周りにいた人たちがその人の後押ししてて,なんかその人自身も勝手に盛り上がっちゃって告白の返事を聞く前に無理矢理私にキスしたの。周りの連中は告白が成功したと思ってはやし立てるし,私は突然のことにびっくりして泣き出したのに,その人はうれし泣きだと思ってさらに続けようとするしで」

 何かを思い出すかのように彼女はいったんそこで言葉を区切り,そして,

「泣き叫びながらそこらにあった石つぶてを手に取って思いっきり殴りつけたんだ。二度,三度と」

 ごくり,と,俺が息を呑む音が辺りに響いた,気がした。

「初めはまわりも笑ってたんだけど,頭からの出血が酷くて大騒ぎになっちゃった」

 彼女は上を向き,その表情をうかがい知ることはできない。

「私を止めた人たちが言うの。『たかがキスくらいで何てことを!』って。笑っちゃうよね。たかがキス?そいつらもぶん殴ってやろうと思ったよ。羽交い絞めにされてたからできなかったけど。その後,私は咎められなかったんだ。だってそいつのやったことって今でいう強制わいせつじゃない?事を穏便に済まそうとそいつは転校して私はその学校に居続けた。だけど,私の周りには誰もいなくなった。友達も,誰も彼も。褒められも,罵られも,いじめられすらされずずっと避けられてた。そんなことなら私が転校していきたかった。だから私は勉強して,その中学校からはほとんど進学する人のいない総武高校に入学したの」

「そのへんは俺と似てるんだな。俺も同級生が進学しないって理由で総武受けたから」

「そうなの?やっぱり私たち上手くやっていけそうじゃない?」

 そうやって笑う彼女の真意を未だに掴みかねていた。

「もう一人は嫌なの。たとえそれが仮初めでも,それが本物でなくても,今のグループを壊したくない。それでも壊れるんだったら」

 少しだけ,間をあけた後海老名さんは続ける。

「君が私の居場所になって。君が私のそばにいて。だからこれは保険」

 そして彼女は自嘲気味に吐き捨てた。

 

「ね?だから言ったでしょ。私,腐ってるって」

 

 そんな海老名さんの言葉を,否定も肯定もできなかった。

 

「俺もよく腐ってるって言われる。腐った魚のような眼をしてるってな」

「やっぱり私たちってお似合いじゃない?もう依頼とか関係なく付き合っちゃおか?」

「よしてくれ。冗談が過ぎる上に,俺が戸部に殺されて千葉の地を二度と踏めなくなっちまう」

「冗談……か。確かにファーストキスじゃないけど,女の子のほうからキスするのってすごく勇気がいるんだよ?それを冗談だと言うの?」

 少し怒り気味の海老名さんに,俺はしまったと思った。

「すまん。冗談と言ったのは失言だった。俺も恋愛経験がないから,どう言っていいのか分からなくて……。ちなみに俺もファーストキスじゃないぞ」

「え?うそ……」

 何,その信じられないものを見るような目つき。俺にキス経験があったらダメなんだろうか。

「結衣?雪ノ下さん?それとも本命の隼人くん?」

 葉山は勘弁してくれ。戸塚ならウェルカムだが。

「あと,小さいころに妹ちゃんとしたってのはノーカンだからね」

「チッ」

「そんなことだろうと思ったよ」

「だったら」

 勝ち誇ったように笑みを浮かべる海老名さんに俺は言った。

「海老名さんのもノーカンだろ?犬に噛まれたようなもんじゃないか。もっとも血だらけになったのは相手だがな」

 そう言うと,海老名さんは大きく目を見開いて俺の顔をじっと見た。

「それじゃ,さっきのが,ファーストキス,だね」

 心なしか彼女の目が潤んで見えた。

「……そう……だな」

 彼女の顔は真っ赤になっていた。たぶん俺もそうなのだろう。

「比企谷くん,さ」

 俺に呼びかけるや否や彼女は両手で俺の右手を掴み自分へと引き寄せ,自らの胸に俺の手を押し付けた。

「ん……」

 目をつぶったまま少し声を上げる海老名さん。ヤバいヤバい!何がヤバいかってとにかくヤバい!

「ごめんね。結衣ほどおっきくなくて。でもこの体に触れたのは君が初めてだから……」

 紅潮した顔でそんなことを告げる海老名さん。

「ね。こんなにドキドキしてる……」

 激しい鼓動が彼女のものなのか自分のものなのかは分からなかった。だが,潤んだ瞳で見上げる彼女に惹きつけられるように再び唇を重ねあった。

 


 

「おーい,そろそろ帰るぞー」

 遠くから聞こえてきた平塚先生の声に,海老名さんは自分に押し付けていた俺の手をパッと離し赤い顔のまま下を向いた。

 先生の呼びかけが良かったのかそうじゃなかったのか,たぶんその両方の気持ちが頭の中でゴチャゴチャになったまま,海老名さんの手をつかんで,

「ほら,行こう」

と彼女を引っ張った。彼女は,突然のことに驚いていたが,何も言わず連れられるままタクシーが待つ道路へと下りていった。

 

 帰りのタクシーは平塚先生が助手席で,後部座席は海老名さんと俺の二人。海老名さんは終始無言で下を向いたままだった。

 


 

「あー,ヒッキーこんなとこにいた!探したのにずっといなかったじゃん!」

 葉山グループの面々と一緒に戻ってきた由比ヶ浜が俺の横に座る海老名さんの姿を見て訝しげな顔で尋ねてきた。

「姫菜……どうしてヒッキーと二人で?」

 俺は,事前に考えておいた言い訳を言葉にした。

「あー,海老名さんが具合悪そうにしてたから先に戻って休んでもらってたんだ。それに二人じゃないぞ。平塚先生も一緒だ」

 後ろのほうのシートの座席を最大限倒して寝ていた平塚先生がむくりと起き上って歩いてきた。

「ああ,本当だ。私も彼らと一緒にいたよ」

 その設定で具合の悪い生徒をほったらかして後ろで寝ているというのはどうなんだ?という疑問はさておき,平塚先生がそう言ったことで由比ヶ浜もしぶしぶ納得したようだった。

「海老名さん大丈夫?ちょっと顔が赤いっしょ。熱ある系な感じ?」

 言い方は軽いが戸部は本気で心配しているようだ。ドンマイ,戸部。

「ううん,大丈夫だよ。朝早かったし,ちょっと疲れただけだと思う。ここで休んでたらだいぶ良くなったかな」

 

「ちょっとヒッキー」

 由比ヶ浜に袖を引かれ二人でバスの外に出る。

「なんでヒッキーが姫菜の看病なんかしてるわけ?」

「何でって、俺が海老名さんが辛そうにしてるのを見つけたから」

「そん時にとべっちに知らせてあげたら二人きりにできて,いい感じになったかもしれないのに」

 俺は由比ヶ浜のその言葉に少し腹が立ち,少し強めに反論した。

「は?海老名さんが俺の目の前で具合悪そうにしてるのに,依頼の方を大事にしろと?それとも俺が海老名さんの心配をしちゃいけないの?」

「そういうこと言ってるんじゃないじゃん!とべっちの気持ちを考えたらさあ」

「お前さ,戸部のことばっかり言ってるけど,海老名さんの気持ち考えたことあんの?」

「え?」

 海老名さんの本心を伝えるわけにもいかず,その言葉を口にした俺は,内心焦っていた。

「い…いや,気分が悪くなった海老名さんの気持ちをだな。一刻も早く休みたいだろうにと思ってな」

「でも……」

「でもじゃねえよ。もっと人の気持ち考えろ」

 

 恋愛優先で友達の体調を気遣えない由比ヶ浜の言葉に苛立ちもあった。だが,一番嫌悪していたのは,嘘に塗れた言葉で由比ヶ浜を責めたてる俺自身だ。人の気持ちを一番考えるべきなのは俺なのだ。

「ヒッキー……」

「この話は終わりだ。バスに戻るぞ」

 自分の気持ちを悟られぬよう強引に話を打ち切ってバスに戻る。

 

 その後,福岡市博物館で有名な志賀島の金印を見たり,福岡タワーと博多ポートタワーのタワーのハシゴという謎の行程を経て,1日目のホテルにたどり着いた。

 

 疲れた。とにかく疲れた。

 

 早く風呂に入りたい。戸塚と。

 


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