ヤバいよヤバいよ!チェン、ヤバいよ!!
次で桜は満開なのに、まだグリコさ歌ってないよ!
終わるの?ねえ、ほんとに終われるの?
「おつかれっ、ヒキタニくん!」
っぶねー! ステージ下への階段を下りていると、後ろから戸部が勢いをつけて肩を抱いてきた。危うく足を踏み外すとこだったじゃねーか!!
「おっ、おおぅ……」
いやだって、こんなリア充っぽいイベントなんか今まで縁がなかったから、こういう時どう返していいかなんて判らねえだろ!?
「なぁなぁ、ヒキタニくん……」
戸部が俺の耳元で俺だけに聞こえるような声で話しかけてきた。ちょっ、近ぇっての!
「さっき、歌ってるときに遠くの方で女の子が俺たちのこと応援してハンカチかなんか振ってたべ? あれが海老名さんだったら俺っちも全力出せたのになー」
海老名さんだよっ! お前の愛しい海老名さんだよっ!!
「でさぁ、最後にぶわーって風が吹いて、スカートが捲れちゃってさあ、俺、下着見ちゃったかもー♪ ただ遠すぎて何色かまでは分かんなかったけどー」
こいつ……見てはいけないものを見てしまったな……。
いばら姫でも雇って消すか?
「戸部……お前はスカートの下の下着なんか見てはいない。俺だって何も見てないぞ」
「えっ!? いや、見えたって!パンツ!!」
さっき姫菜が振っていたのは、ハンカチじゃなくてあれは自分のパンツ……つまり、スカートの下は……だから、お前が下着を見ることは不可能だ。
だが、とにかく姫菜のスカートの下を見たという事実そのものを失くしてしまわなければならない。
陽乃さんに頼んで、戸部そのものを失くしてしまう方が簡単なんだがな……。
「よく考えてみろよ? このエリアは野次馬が入り込まないよう厳重に立ち入りが制限されているんだぞ? そんなところに人がいるわけねえだろ」
「そっ、そりゃそうだけどー」
ゴクリッ、戸部の息を吞む音がはっきりと聞こえた。
「昔から桜の樹の下には死体が埋まっているというしな……戸部……お前が見たのはたぶん……」
「ちょっ、ヒキタニくーん、ないわー、それないわー。冗談は顔だけにしてくれよー」
チッ!
「隼人くーん! 隼人くんも見たべ? あの向こうの桜の樹の下に女の人がいたのをー」
「え、見てないよ、女の人なんて」
「……マジで?」
コクコクと頷く葉山。
戸部は、ひぃっと軽く悲鳴を上げたと思ったら急にガタガタ震えだした。
俺の言葉は信じないで、葉山の言うことなら聞くのかよ、チクショー!
って、信じるも何も俺が言ってるのは嘘なんだけどな。
とは言え葉山も「ヒキタニくんの横顔を見てたから他のことなんて目に入らなかった」と小声で付け加えていたが、怯えきった戸部の耳には入らなかったようだ。
「そうだな、お前、見ちゃいけないものを見てしまったな。早く忘れてしまわないと、取り憑かれたりするかもな」
「ヒっ、ヒキタニくん、これヤベーやつじゃん……どうすべ……」
「わっはっはっ! 悩める少年よ、わしらに任せ給え!」
出たな! マッドサイエンティストども!
高笑いとともに現れたのは大分は狭間医大の猪上博士、そして今津留高校の真船教諭、俺の目をくり抜いてついでにロケットランチャーを付けようとしたり葉山を女にしたりと人体実験大好きな変態どもだ。
「君は戸部くんだったね? その後、身体の具合はどうかね?」
「あっ、猪上博士っ! はいっ、サッカー部にも復帰してバリバリやってます!! それどころか、怪我する前よりも足も早くなったっていうかー」
「ふむ。加速装置は順調に動作しとるようじゃの」
おっ、おい、今さらっと加速装置とか言ってなかったか?戸部、 他にも何か改造されちゃったりするんじゃないの!?
「真船先生、その節はありがとうございました。先生のおかげで真実の愛に目覚めることができました!」
「葉山くんとか言ったかな? いや、今は葉山さんだね。そういうことを言ってもらえるのは科学者冥利に尽きるというものだ。私も面白半分で君を女の子にした甲斐があった」
「ちょっと待てーーーーい!
「おお! 君はいつぞやの天然激レアロッテンアイズの少年」
ええー、何それちょっとカッコイイ……じゃなくて!
「お前、今、面白半分と言っただろ!!」
「確かにそう言ったが何かな?」
こっ、こいつ、悪びれもせず……。
「面白半分で人の運命を変えるなんて許されるはずがないだろ!」
「何故だね?」
「は?」
「何故許されないのかと聞いているのだが」
「何故って……そんなの当たり前だろ」
「当たり前とは何のことかね。私は科学者だよ? ”当たり前”を疑うのが仕事なのだよ」
「それは屁理屈……」
「屁理屈などと意味のないレッテルを君が貼るのは勝手だが、これは立派な理屈だよ?それに、面白半分なのかどうかは置いておいても、私の手によって運命が変わったとは言えないのではないかね?」
「どうしてだ! 現に葉山は男として生きてきたのにお前の手によって運命が捻じ曲げられたんだろうが!!」
「それは見解の相違だねぇ。彼は瀕死の重傷を負い、私と猪上の手で女性として生まれ変わった。そのことが運命なのではないかね? 現に今そこにいる彼女はそのことを受け入れ、剰え喜んですらいるのだよ? 君が言う彼女が男のままで生き続けるという運命なるものの方があり得ない幻想だったのではないかね」
くっ、この俺が屁理屈で負ける、だと?
「それにね、面白半分と言ったが、半分は真剣と言うことだよ? いいかね? この私が半分も真剣に取り組んだのだよ? この私がだ! これはもうすごい事だよ? 賞賛されこそすれ、非難される謂れは全くないっ!」
えっへんと胸を張るこのおっさんを見ていたら何が正しくて何が間違っているか分からなくなってきた……。
だんだん頭が痛くなってきたところで、何かを忘れているような気がしているのだが……忘れる?
「ヒキタニくーん、俺っちのこと忘れてんべー?」
そうだ! 戸部から姫菜の記憶を忘れさせることを忘れてた!!
「だから、忘れたいことがあればワシらに任せるがよい」
「センセー、おなシャス!」
おいおい、こんな奴らに頼って大丈夫なのか?とは言え、現状、戸部そのものを消してしまう以外それしか方法はないのだが。
「ワシの内科的手法と真船の外科的手法があるがどちらがいいかな?」
「いやー、忘れられるならどっちでもいいって言うかー」
「ところで、内科的手法っていうのはどんな?」
「それは、ワシが作ったこの薬を飲むだけじゃ。古来より、忘れてしまいたいことやどうしようもない寂しさに包まれた時に男が飲む薬で、これを飲んで飲んで飲まれて飲んで、飲んで酔い潰れて眠るまで飲んでー」
「おいちょっと待て〜い! 今、酔い潰れてとか言わなかったか?」
「うむ。確かにそう言ったな」
「それは単なるお酒だろが! 未成年なんだから却下だ却下!!」
「単なる酒とは失礼な! 最新の医学・薬学・化学・醸造学の粋を極めて製造された酒じゃぞ?」
やっぱ酒じゃん! どんなに取り繕っても酒じゃん!!
「教育者としては、さすがにはいそうですか、と認めることはできないじゃん」
じゃん?……と振り返るとそこにいたのは昨日と同じ緑のジャージに全身を包んだ、えーと……。
「黄泉川じゃん、少年」
ニカっと笑いながら、俺の頭をポンと叩く。
そうそう、黄泉川先生……って、先生、いらしてたんですね。そして、俺の名前は比企谷なんですが……。
「では仕方ありませんね。私の外科的手法で解決するしかないでしょう」
眼鏡をクイっと上げた真船教諭が猪上博士に代わって前に出てきた。
「もう外科でも下戸でもいいんで、早くオナシャス!」
戸部は結構切羽詰まった顔しているんだが、元々俺の虚言から始まったことなので罪悪感が無いわけではない。
外科的手法って手術とかするんだろうか? いくら姫菜のあられもない姿を忘れさせるためとはいえ、戸部自身が姫菜であることを認識していない(ついでにノーパンであったことも)以上、そこまでしなくても……。
「あのー、そこまで大げさにすることは……」
「安心したまえ。そこまで大げさなことではない。戸部君だったか、まずはここに来て、そう、私に背を向けてくれたまえ」
戸部が後ろ向きに立ったのを確認すると、
「そこで、この医学・生物学・物理学・金属学の粋を凝らして製造されたこの記憶消滅装置で……」
いやいや、白衣のポケットから取り出されたのは、どう見てもただのトンカチなんだけど!?
「衝撃を与える」
しっかりと脳天に振り下ろした……って、えええーーーーー!!
その場にバッタリと倒れた戸部。ちょっとーーー、何してくれちゃってんの!?
「これで術式終了」
「おっ、おい! 戸部、死んでるんじゃないか!?」
「安心したまえ。装置の重量から完璧に計算されたベクトル量を有効な作用点に与えている」
「……」
戸部、倒れたままピクリとも動かないんですが……。
「真船、加速度の計算に間違いがあったのではないか?」
「いや、そんなはずは……大分と千葉の重力場の違いが効果に現れたのだろうか? 最悪、彼の脳を摘出し人工知能に差し替えれば……で解剖する準備は万端だ」
「うむ。科学の発展のためじゃ。彼も本望じゃろう」
こっ、こんのマッド・サイエンティストども〜〜〜〜!
はじめからそれ狙ってただろ!!
だが、そこで戸部がガバッと上半身を起こした。
「戸部っ!」
「うっ、ヒキタニくん? 俺は……」
「おい、大丈夫か? 何があったか覚えてるか?」
「俺は……そうそう、俺は海老名さんに告白しようとして……ヒキタニくん、わりぃけど、俺負けねぇから」
どうやら、戸部の記憶は修学旅行くらいまで無くなっている?
て言うか、この世界線ではそのセリフ言ってないからな?
「ふむ。記憶の消失量の調整がまだ必要なようだ。やはり脳を摘出して解剖を……」
やめれ!
黄泉川先生によって救護テントに戸部が運ばれるのを見送っていると、ステージ上から文化祭で聞いた曲が流れてきた。
「見つめるたび ドキドキしてる!キミにもっと近づきたいよ〜♪」
あの時、体育館の闇の中で、一人で、一番後ろで眺めていたあのステージを思い出していた。
今、ステージの上に平塚先生はいないけれど。
今、ステージの上にめぐり先輩はいないけれど。
あの光を、あの熱狂を俺は忘れない。
きっとこの先、ずっとずっと忘れない。
それでも、あの日、あの時から時を経て、忘れられない思い出が、忘れられない想いが増えた。
その一つ一つが大切で、捨てられなくて、それを捨てることで誰も傷つけたくなくて。
一体誰が言ったんだろうか。誰も傷つかない世界が簡単に完成するなんてこと。
あの時、相模を追いかけた屋上で、俺は変わらないと誓った。
なのに俺は変わってしまった。
周囲が、環境が、評価軸が歪み、変わったんじゃない。
いや、正確じゃないな。周囲も、環境も、評価軸も変わったんだろう。
ただ、それは俺の中での話だ。
実際は俺の周囲に対する見方が変わったんだ。
今まで見えてなかった……見ようとしなかったものが見えてきたということ。
変わったのは俺自身の心なんだ。
そしてどうやら俺は間違えることにひどく臆病になってしまったらしい。
友達を作ると人間強度が下がるといったやつがいたが本当なのかもしれないな。
俺だけが傷ついてすむのならいくらでも間違えてやる。
でも俺が間違えることで誰かが傷つくとしたら……。
「いいんじゃないか、間違ったって」
いつの間にか横に立っていた原瀧がぽつりと漏らした。
「間違ってるかどうかなんて、どうせすぐには分かりゃしない。最後まで結論が出ないことだってあるんだしそんなことにこだわってどうする? 間違ったならやり直せよ」
「そんな……簡単じゃねえだろ」
「簡単じゃないよ。簡単じゃないから間違える。でもそれでいいじゃないか」
「そうしたら俺が傷つけたやつはどうなる? 俺はそいつらにどう償えばいい?」
「そんなの知るか」
「知るかって……」
「お前が意としてそいつを傷つけたんじゃなければ、それはそいつの自己責任だ。お前が責任を取らなきゃいけないような話じゃない」
「そんな無責任な」
「お前自身がすべての責任を負うことなんでできないんだ。諦めろ」
「それでも俺は……」
「だったらさ」
今まで俺と同じくステージを見ながら話していた原瀧の視線が俺の方を向く。
「だったら、お前はあたしを選んでくれるのか? お前を慕って九州から東京へ出てきたあたしを」
「それは……」
俺は俺を見つめる原瀧の真剣なまなざしから視線を逸らし、至極簡単な答えを言いよどむ。
「あたしはさ、そのまま九州にいたら防衛軍のやつとラブコメやってる未来があったかもしれない、なんて思うこともあるんだよ」
再びステージの方を向いた原瀧は、少し懐かしむように語った。
「こんなでもちょっといい感じになってたやつだっていたんだぜ」
そうだよな……ここに来なければこいつはもっと幸せになってたかもしれないんだ。やっぱりその間違いを悔いて……。
「それでも、それでもあたしはさ、もし時が戻ってもう一度選びなおすことができたとしてもここにくる。お前の隣に立とうとするだろうな」
「どうしてだ……」
「は?」
原瀧は俺の問いに意外そうな顔をしているが、俺にはどうしても理解できなかった。
「なんで答えが間違っていると分かっているのにまた同じことを繰り返す! どうしてそんなことができるんだ!!」
「お前、そんなことも分からないのか? だから数学のテストで7点しか取れないんだよ」
「数学のテストの点は関係ないだろうが。そして7点じゃなくて9点だ」
「7点も9点も同じようなもんだ。2点くらい配点上の誤差だろうが」
「ばっかお前、2点を馬鹿にするものは2点に泣くんだぞ。29点と31点なら赤点になるかならないかの瀬戸際だ」
「7点と9点じゃいずれにしても赤点だ」
くう~~~、完膚なきまでに言い負かされてしまったぜ。
「お前はさ、結果でしか間違ったかどうかを判断できないんだな」
「そりゃそうだろ? 答えが違ってたらそれは間違いだ。どうせ間違うなら解くだけ無駄だろ」
「そんなことはない、そんなことはないよ」
横に立った原瀧が俺の袖を掴んだのを、引かれた腕の感覚で知る。下を向くその表情を読み取ることはできなかったけれど。
「数学にだって部分点ってのがあるだろ? 答えは間違っても答えを解く過程が大事なんだよ。お前に選ばれなかったからってあたしがお前と過ごした時間が……全部無駄で無意味なものだったなんて……そんな……そんな悲しいことを言うなよ……」
いくら俺が鈍感でも今の原瀧がどんな顔してるかくらいは分かるさ。
震えながら消え入るように小さくなっていった声、ポタポタと地面に染みを作る雫。
だが、俺がこいつのためにできることは何もない。
こいつの思いを受け止められない俺は、何もできない。
なのに、何故か俺の部屋でこいつと過ごした夜のことを思い出す。
二人で行ったディスティニーシーの花火の明かりに照らされた、こいつの顔が浮かんでくる。
気がつけば、俺はステージに背を向けて正面からこいつを抱きしめていた。
涙でぐちゃぐちゃになった原瀧の顔が露になる。
結論から言えばこんなのやり方は間違っている。
俺はこいつを選ばない。
それでも、いますべきことは、できることはこれだけなんだ。
これまで、間違ったやり方で正しい答えを出そうとしてきた俺が、たぶん正しいやり方で間違った答えを出そうとしているのだ。
何度やり直すとしても、俺にはこの方法しかない。
原瀧が落ち着いて俺の体からその身を離す頃、気づけばあいつらの歌は終わっていた。
「バラダギちゃん、大丈夫?」
心配した陽乃さんが俺達の横に立っていた。
「ハルノ様……ご心配かけて申し訳ありません。もう大丈夫ですから……」
少し鼻をすすりながら原瀧が答える。
「バラッチ、ヒッキーに何かされたの? その……い、いやらしいこととか」
由比ヶ浜! ステージを降りて早々俺の冤罪をバラまくんじゃない!! そりゃ正面から抱きしめたから、ちょっと雪ノ下にはない胸の大きさとか感じちゃったけど……。
「原瀧さん、安心して。今通報したから」
おい! なぜ雪ノ下は俺をキッと睨む? そして通報やめろ!!
「みんな、騒いでる場合じゃない。次はいよいよ"あの男"の出番だよ」
俄かに陽乃さんの顔の目が鋭くなる。
そしてこの場にいる全員に緊張感が走る。
そう、あの三浦を病院送りにした、グリコーゲンXの歌の番が回ってきたのだ。