理系が恋に落ちたけど証明のための時間がありません。 作:ヒラメもち
研究棟の各階には共用休憩室があります。
机と椅子が用意されていて、ここで鍋パだってできそう。キッチンも備えられていて、自炊だってできちゃいます。
学内食堂、パン販売、コンビニ、カフェなど、みんなはそっちで食べているため、あまり使われていません。私もいつもはそうなんですけど。
「ご飯は炊けた?」
「ばっちりです!」
水玉模様のエプロンは、氷室先輩に似合っている。髪も綺麗だし、スタイル抜群。たった1年の差なのに、大人って感じだなぁ。
私もリケクマがプリントされたエプロンを身につける。中学生の頃に使ってたやつだけど、サイズは大丈夫そう。手をしっかり洗った後、炊きたてのご飯を一度軽くほぐしておく。
「家では簡単な料理をするくらいだけど、足手纏いにならないかしら」
1人暮らしだと、気分次第で自炊するかどうか決めることが多そう。大学の周りは飲食店も多いし、このキッチンが使われない理由なのかな。
「私も家ではお手伝いするくらいです。月村君ほどじゃありませんよ」
特に和食について、バイト先の食堂から学んでくる。それで、ここで実践することがよくあって、私たちにもよく食べさせてくれる。
「彼って、週に4回の頻度でアルバイトに行っているけれど、以前からなの?」
「みたいです。特にお金に困っているわけでもないと思いますけど」
帰ってきたら聞いてみようかな。
おっと。そろそろ始めないと。
丁寧に使われている共用の調理道具から、まずは2つボウルを選ぶ。無意識に溶き玉子を作れるようになったのは、何度もやってきたからだろう。
「今日は教えてもらう側になりそうね」
「いえいえ。私でよければ、いつでも」
片方のボウルの溶き卵にしょうゆをちょっと入れて、私たちは一度手を止める。
「確認するわね」
「はいっ!」
料理なんて化学実験と同じだーって雪村先輩が言い出したことが発端です。料理は愛情が大切だと意見した氷室先輩に対して、雪村先輩が非科学的だと言いました。
そんな先輩を私たちで見返してやろうということです。先輩本人は、多項式時間帰着の研究が滞っているため、そちらを頑張っています。
「私の定義では、愛情には2種類あるわ。まずは実在性愛情」
「相手のことを考えて、味つけを変えることですね!」
正解のようでにっこりと微笑んでくれる。
「そして、今回実証すべきは、精神性愛情ね」
味は変えないままで、精神的な影響によって美味しい料理を作ること。先日行った対照実験のように、AとBの料理を愛情の違いで作る。
頷き合って、卵焼き機を熱し始める。
「奏ちゃんは愛情で料理がおいしくなると思う?」
「私は……」
高校の時は、高橋先生のためにお弁当作ったっけ。
「なると思いますよ。頑張った気持ちは伝わるはずです」
月村君って、棘田先輩にいろいろ改善点を指摘されても、ちゃんとメモしてたなぁって。あと、彼が作るサンドイッチと比べると、最近なんだか市販のはちょっと物足りなかったり。
うまくやってるかな。
「先輩、少しずつ溶き卵を入れてくださいね」
「わかったわ」
丁寧に教えると、先輩はスポンジのように知識を吸収していく。真剣な目で、初めて作る卵焼きを形成していった。
「お見事です!」
ほっとしているようだ。この段階でも、すでにかなり愛情が入ってる気がするなぁ。
ウインナーも丁寧に焼き上げている。
「どんな風に愛情こめるんですか?」
「そうね……雪村君ね。研究に熱中するとすぐ食事忘れるし、いつも時間がもったいないからって大豆バーばっかり」
雪村先輩のことをちゃんと考えてる。私より少ない食事量だからなぁ。
「栄養がたくさんあるものを作ってあげて。それで元気でいてくれるといいわね」
「素敵です、先輩」
いいお嫁さんになりそう。
「あの、それは?」
「これは、ビタミンの液体サプリよ」
実験ノートと薬品ビンを鞄から取り出して、メスシリンダーで正確に測っている。
「水溶性食物繊維、植物性ケイ素濃縮液、この3つは奏ちゃんも覚えていて損はないわ」
これが先輩の、実在性愛情!?
てか、醤油とかなし!?
「私に任せておいて。奏ちゃんから教えてもらった通りにやるから」
なんだか溶き卵がちょっと水っぽいというか……
****
AとBのお皿が、雪村先輩の前に並べられた。ウィンナーと卵焼きというシンプルな組み合わせ。だが、Bの方は上手く作れたとは言いがたい。
焦げてはいないものの、形が崩れている。
作り直そうにも材料がなかった。
「見た目に違いがあるようだが、わざとか?」
そう呟きながら、先輩が箸でAの皿から卵焼きを口に入れる。ゆっくりと噛みながら、自分自身の味覚によってその味を確認している。
何も喋らず、Bの皿から卵焼きを口に入れた。
「……?」
一度、噛むことを中断した。
「どう?」
氷室先輩は、少し落ち込んだ様子だ。私はこの光景を見守るしかない。
「あの、先輩。どっちが美味しかったですか?」
「Bだ。実在性愛情など、余計なお世話だ」
氷室先輩は思わず、口を両手で抑える。私もびっくりしている。
「たしかに、大豆バーでは摂取できない栄養素もある」
普通の卵焼きより、不思議な味だったはず。何も知らない人なら、しょうゆでシンプルに作られたAを選ぶ。たぶん、雪村先輩だからこそ、氷室先輩の愛情を感じ取れたんだと思う。
一度席を立った雪村先輩が、自分のデスクにあるタッパーを持ってきた。
「レシピ通り、正確に作った料理だ。……俺はあまり料理が得意ではないのでな」
『シラスとほうれん草のスクランブルエッグ』をレシピ頼りに作ってくれたんだ。先輩いわく、脳にいいらしい。雪村先輩の不器用な愛情がこもった料理はとても美味しい。
好きな人が作ってくれた料理を幸せそうに食べる先輩たちを見て、私もなんだか嬉しくなりました。
今は昼休みだけど、月村君もちゃんと食べてるかな。
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彼の机の上には、俺にとって難しい数学の本がたくさんある。パズルみたいだと言われたならば、確かにそう思える。
「お昼にすみません。高橋先生、お聞きしたいことが。」
「君は、たしか理科の……」
手作り弁当を食べる手が止まった。
「奏言葉という女子生徒を覚えていますか?」