理系が恋に落ちたけど証明のための時間がありません。 作:ヒラメもち
先輩方の恋の研究は今日も続きます。
その目的は『好き』の一般条件を見つけ、自分たちの好きが『好き』に含まれるかを調べるということ。実験方法として、心拍数の変化を測定してきました。
でもこの理系たちは、すぐに実験値に左右されてしまうんです。心拍数は恋愛による要因だけで上昇するものではありません。したがって、棘田先輩や私でさえ、緊張してしまった雪村先輩は『女性慣れ』(ただし、氷室先輩を除く)を行うことを宣言しました。
「あのー雪村先輩、辛いんだったらやめます?」
「心拍数の値は少しずつ平常時の値に近づいている。瞬く間に、指数関数的減少をするだろう」
私には、緩やかな一次関数にしか見えませんけど。
「雪村君、いつになったらそうなるのかしら?」
頬をぷくーっと膨らませて、腕組みをしている氷室先輩は、とにかくかわいい。私と雪村先輩はいわゆる恋人繋ぎをしたまま、5分間ほど経過している。私的にも結構恥ずかしいのだが、それよりも氷室先輩に申し訳ない気分でいっぱいだ。
「……一度、実験を中止しよう」
手を放されると、しっとりとした手が空気に触れてひんやりする。協力するとは言ったけど、両想いカップルの彼氏の浮気現場に、私が立ち会ってるみたいなんだよなぁ……
だからといって、他の女子に頼むわけにもいかないし。
「うぃーす!」
先輩でも月村君でもない男性の声がした。
「おはよー、虎輔君」
ゴールデンウイーク前から久しぶりに研究室に来たんだけど、まるで変わっていない。ラフな格好で金髪、いわゆる不良っぽい見た目なんだけど、なんだかんだいいやつな同級生。
タバコじゃなくて、チュッパチャップスを口に咥えているし。
「暫く振りね。サッカーのサークルに行っていたのかしら?」
「いやいや、もう引退してますよ。まっ、ちょっとイベントのための準備にね」
研究室にコアタイムがあるわけではないから、氷室先輩も咎めることはない。先週のMTくらいは参加してほしかったのは本音だけどね。
「トラスケのことだから、バイトとゲームで忙しかったんでしょ」
「棘田ァ!どこに隠れてたァ!!」
目をこすりながら毛布を羽織っている棘田先輩は今日もいつも通りです。虎輔君のクールさはたちまち立ち消え、この研究室が一気に騒がしくなります。でも、見た目は不良でも、暴力は絶対しないから、安心して放っておける。
なんでも、2人は幼馴染だとか。
「ちょうどいい、犬飼」
「なんっすか、雪村先輩?」
ホワイトボードを見つめ続けて、何かを思案していた雪村先輩が声をかけた。
「お前に好きなやつはいるか。過去の恋愛遍歴を全て教えてもらいたい」
デリカシーの欠片もないっ!?
実は、男子同士だと気軽に聞いてるのかな?
「愚門っすね。オレぁ愛に生きる男っすよ」
確かにクールなんだけど、ドラマ以外でそんな台詞を言ってる人見るのは初めてだなぁ。
「ほう。では、まずは1人教えてもらおう」
「名前は、藍香……遠い世界にいる恋人っすよ」
なんだか感傷的になってるんだけど、なにか訳アリ?
「遠距離恋愛、というものかしら」
「なるほど。確かにそういう場合、あまり続かないってよく言いますよね。」
大学生同士で恋愛をするとなると、躊躇いがちになる理由の1つだと思う。卒業したら、別々の県に就職することだってある。まあ、氷室先輩や雪村先輩は進学するだろうけど。
「なるほど。犬飼ラヴアイカ、ということか」
また定義式出たぁ!? てか、私のやつもちゃっかり入っているし!
「次はこの構成要素だ。お前がそのアイカとやらを『好き』だと判定した根拠はなんだ」
「根拠っすか?」
少し思案しているけど、自信に満ちあふれた顔だ。雪村先輩よりずっと余裕を持って恋愛をしているらしい。氷室先輩も真剣に彼の話を聞こうとしている。
ところで、棘田先輩は虎輔君のパソコンで何のゲームをしているんだろう。……あー『藍香』って、いつもやってるギャルゲーのキャラクターだったんだ。
「ただ隣にいるだけで楽しくて。鼓動が高くなって。こういうのが、幸せってやつなんすかね」
しみじみと語る虎輔君の後ろで、棘田先輩が『藍香』と恋愛シミュレーションをしている。虎輔君の『好き』って特殊な場合なのでは。
「具体的な数値で表せるか?」
「ふっ、22万7千円って言えばどうっすか?」
高っ!?
「……ほう?」
「先月はちょっと藍香のために金を使いすぎましたかね。まっ、愛のためっすよ」
氷室先輩や雪村先輩が衝撃を受けている。お二人の頭の中では、今まで使ってあげた額と比較して、その倍率を計算しているのだろう。
「あとは、もう2年以上になるんすけど。藍香を抱き枕にして寝てますよ。最近はおはようのキスも、欠かさずにね」
いや、それはないわー
先輩たちは自分たちで当てはめて想像して、顔真っ赤。
「トラスケ、途中のデータはクリアしておいたよ?」
「い、棘田ァ!? よよよ、よくも俺の第二観賞用ゲームを!!」
恥ずかしそうに、虎輔君がキョロキョロしている。いや、まあ、抱き枕はさすがに引いたけどさ。
「俺の秘密がバレちまったァ!?」
「隠してるつもりあったの!?」
虎輔君が来る昼の時間なんて、基本的にメンバー全員が揃っている。
「だが、オタク趣味など珍しくはないだろう?」
先輩も定義オタクですからね。棘田先輩も理解してくれるだろうし。
「でも、気持ち悪いって言われることいっぱいあったんすよ。サッカー部のやつらとか特にそうでした」
彼は両膝をついた。『藍香』を否定されることが、たぶん彼にとって一番辛いことなんだと思う。心のどこかで理解していることを、認めてしまうから。
「……気持ち悪い、だと?」
先輩が膝をついている虎輔君の腕を引っ張り上げて、立たせた。慌てて止めようとしたら、棘田先輩の腕が私の前に伸びる。
「恋愛対象は人間でなければならない、といった定義は存在しない。そもそも、人の性的志向など多岐に渡る。異性愛、同性愛、多性愛、動物性愛、対物性愛」
先輩は自分のデスクに歩きながら、語った。
「俺はこの実験のために。恋とはなにか、愛とはなにか、そういった論文をかき集めた。2010年の動物性愛の事例、1979年の対物性愛の事例」
ちょっとそれ、英語なんで、なに書いてるかわかるのに時間がかかります。
「さて。ゲームやアニメのキャラクターに、なぜ人は惹かれるのか。それは魅力的な要素を組み合わせた『理想的な偶像』だからだ。世界に実在する『理想的な人間』である場合が、アイドルなのだ」
したがって、と言葉を紡いだ。
「貴様が『理想的な偶像』に対して、惹かれ、興奮し、そして近づきたいと思うことは、現実的に起こりうる。」
論理的に、肯定した。
なんかすごい。
「まっ、トラスケにわかるように、簡単に言うとさ」
棘田先輩が虎輔君の頭をよしよしと撫でながら、口を開いた。
「藍香に恋している気持ちは、本物だと思うでしょ?」
「へっ、お前に言われるまでもねぇよ!」
完全に立ち上がった彼は、引き出しからゲームソフトのパッケージを取り出した。
「あざっす。胸のつかえがとれたみてぇだ。オレは今まで通り、愛に生きる!」
思わず、少し拍手してしまった。
自分の意志を貫き通せるってすごいと思う。
「虎輔君、あなたの愛は見事だわ。そんなあなたにお願いがあるの」
「愛に生きる男に何か用っすか、氷室先輩?」
恋愛経験?なら、虎輔君が一番みたいです。
「雪村君の女性慣れを手伝ってほしいの」
「ふっ、お安い御用っす!」
****
2週間の教育実習は思ったよりあっという間だった。彩玉駅に着いた頃にはもうお昼過ぎだ。お土産もあるから、研究室に一度寄って行こうと考えた。
今日も先輩たちは恋の研究を続けているのだろうか、そう思いながら扉を開けた。
「雪村君、もう少し運動のパラメータを上げるべきだと思わない?」
「いや。彩玉大学に確実に合格するには、理系のパラメータが低すぎる」
PSPVitaを覗き込んでいるカップルがいた。
邪魔しちゃ悪いな。
「おっす、伊月。」
「トラスケ、久しぶり。」
「1ヶ月ぶりの出勤ってとこか。スーツ決まってんな!」
「教育実習に行くって、最初のMTで言っただろうに。」
ソファで熟睡中の棘田先輩、個人に貸し与えられたPCでギャルゲーをするトラスケ、そしてお菓子を幸せそうにもぐもぐしている奏さん。
いつも通りだ。
「奏さんも、2週間ぶり」
食べる手が止まっているが、どうしたんだ。
「そうそう。ときメモ借りたぜ」
「ああ。最近、switchしか使ってないから別にいいけどな」
「棘田のやつが、雪村先輩にはリケコイはまだ早いって言うもんでさ」
まあ、恋愛ゲーム初心者には早いな。
「その、どうだった?」
「意外と無難に終わったな」
偶然にも、奏さんの母校だった。
「高橋先生も元気そうだった」
「……そっか」
ほんと。どこで彼女の青春ラブコメは、ルート分岐したんだろうね。