ティアラの瞳が新緑から真っ赤に変わる。その瞳は光を失っていた。
一つまばたきをした後には目の色も元に戻り、普段の"ティアラ・ヴァレンタイン"の姿に戻る。
だが、その口から出る声は少女のものではなかった。低く響く青年の声。
『ああ………。時間がかかったことだ………』
"それ"はコキコキと首を鳴らし、ニヤリと口角を上げる。
『さて…どうやって…彼をあの部屋に釣ろうか…』
"それ"は至極愉しそうにそう呟いた。
あの子はホグワーツの生徒達の中でも一番ではないかと言えるほどに優秀だ。授業で失敗しているのも見たことがない。他の教員からも悪い噂は聴かない。下手をすれば教師陣さえも凌駕するほどの知識を持っているのではないかと思うことさえある。
そんな子が……何故…!!
スネイプは恐ろしい形相でローブを靡かせながら長い廊下を進んでいた。
マクゴナガルの守護霊から信じられないような話を聞いたのはつい数分前だ。あの子が、スリザリンの継承者に連れ去られたと言う。
「…クソッ…!」
不愉快だった。周りの何もかもが不愉快だ。ミネルバが嘘をつくはずがない。何かの根拠があるのだろう。だが………どうしても受け入れなれない…っ。
バンッ!と扉を開いたその先。
壁の真下に大勢の教員が集まっていた。
「セブルスッ……!」
「っ………」
スネイプは大きく眉間に皺を寄せ、壁を睨み付ける。
『彼女の白骨は、永遠に秘密の部屋に横たわるだろう』
それは紛れもなく、三階廊下に書かれたものと同じく……『継承者』からのメッセージだった。
「…何故…っ…!」
そこにいた教員らは途方にくれたように視線を下げている。自分の体を苛立ちだけが突き動かす。
「っ!おいロックハート。貴様は入り口を知っている、そう言ったな」
スネイプはロックハートの胸ぐらを掴み詰め寄った。
「貴様の出番だ」
「私の………私の出番………」
「セブルス。そこまでです」
マクゴナガルが一歩前に出てロックハートとスネイプを引き剥がす。
「ロックハート先生。怪物はあなたにお任せしましょうね。伝説的なあなたの力で」
「ミネルバ!!」
ふざけている場合ではない。とスネイプが声を荒らげる。
「分かっています。私たちも全力を尽くしましょう。」
ロックハートは「ハハッ!ハッ………で…では、部屋に戻って仕度をしなくては」と言ってすぐに廊下から姿を消した。
そして──石の壁の裏にはハリーとロンがいた。
ティアラが……と二人は顔を見合わせ呆気に取られる。そして同時に普段感情を表に出さないスネイプがこんなにも慌てているのに驚いた。スリザリンの生徒だからだろうか、と憶測を立てるもどうも違和感がある…。
「ねぇロン、ロックハートは役立たずだけど、プライドを保つために"秘密の部屋”を探すはずだ。僕らの知っていることを教えよう。少しなら役に立つかもしれない」
ハリーとロンはロックハートの部屋に向かった。
が…。
二人はこの瞬間ほどロックハートに失望したことはないだろう。
「どこかに行くんですか」
トランクに者を詰め込むロックハートに至極冷たくロンが声をかけた。
「あぁ……ポッター君と…ウィーズリー君まで……」
ロックハートはトランクに荷物を詰め込む手を休めることなく非常に迷惑そうに目線をやる。
「わ、私は今取り込み中でね。急いでくれ「先生!入り口を知っているんでしょう!どうか、どうかティアラを助けてください!」」
「…わ、悪いね。その…緊急で、イギリス魔法界最高スマイル会議に呼び出されてね。仕方なく……。それに彼女は優秀だ。きっと大丈夫だろう」
「何をっ……!あなたは闇の魔術に対する防衛術の先生でしょう!?」
「悪いが、職務内容にこんなことは書いてなかったよ。もちろん書いてあれば、私も手伝えたのですがね」
「逃げ出すのか?!あんなに手柄を立てた人が?」
「まったく…君もか。…本は誤解を招くね」
「自分の本でしょう」
「ちょっと考えれば判ることだろう、私の本が売れるのは、あれを全部私がやったと思うからだ」「まさか………。ハリー!こいつ他の魔法使いの手柄を自分のものにしてたんだ!自分じゃ何にも出来ないってことだ!」
「ハッ!バカにしないでもらいたいね。こう見えても、"忘却術”は得意中の得意でね。そうだ。君にも忘れてもらわないとね!」
ロックハートが杖を振り上げようとしたより早く、ハリーが杖を奪い、ロンが背中に杖を当てた。
「さて。付いてきてくださいね」
ハリー、ロン、ロックハートという異色の3人は人影のない廊下を進み、マートルのトイレへと向かった。
──僕達の見立てが正しければ………ここが入り口だ。
「待ってて、ティア」
湿った床。顔をかたどった巨大な石像の前に見覚えのある女の子が横たわっていた。
「ティア!起きて!…お願い、眼を覚まして……」
ハリーは杖を傍らに置き捨て、力のないティアラの体を抱いた。その体は冷たく、唇は青い。いつも微笑みかけてくれる瞳は固く閉じられていた。
『──残念だけど』
突然、後ろで声がした。ハリーが振り向くとあの記憶の中で見た美しい少年がこちらを見下ろしているのが見える。
「その子はもう目覚めることはない。もう、二度とね」
「まさか……」
『ああ、勘違いはよくない。安心するといい。彼女はまだ生きているよ。……かろうじてね』
「君は…幽霊…?」リドルの身体は透けていて、ホグワーツに時々いる幽霊のように見えたのだ。
『いや、違う。記憶だ。50年間日記に閉じ込められていた記憶。それをこの子が解放してくれた──』
「うそだ!…っ、……ティア……お願い、死なないで……手を貸して、ここには怪物がいるんだ……君の力が必要なんだ…」
ハリーはティアラの冷たい体を揺する。が、ますます体は冷たくなっていっている気がした。
その時、ハリーの置いた杖をリドルが拾い上げた。ハリーがそれに気がついたときにはもう遅い。リドルは手の中でその杖をくるくると弄んでいる。
「杖を返して」
『大丈夫。怪物は呼ぶまで来ない。それに──君にはこれは必要ない』
「あるよ!魔法でどうにかして医務室に行くんだ!ティアを助けなきゃ…!」
『ほう……残念だがそれは出来ないよ…。その子が弱るほど僕は強くなれるんだからね』
眉をひそめ、不思議そうに首をかしげたハリーにリドルは秘密の部屋を開いたのがティアラ本人だと話した。壁にも字を書いたのも、50年前の記憶を見せたことも。すべて、ティアラ・ヴァレンタインがしたことなのだと。
「そんな……そんなはず……」
『思い返してみろ。思い当たる節があるはずだ。ティアラは僕の思うがままに操れる。分かりやすく言うなら、いわば催眠状態なのだ。』
「何て事を!」ハリーはリドルをキッ、と睨み付ける。
『すべては君に会うためだよ、ハリー・ポッター。"穢れた血"の連中を殺す事なんか、もうどうでもいいんだ。……さて、…特別な魔力も持たない赤ん坊が……どうして最恐の魔法使いを破ることが出来たのだ…?』
しゃがみこんだままのハリーとティアラの周りをリドルはゆっくりと歩いた。
攻撃をしたくてもハリーは杖を奪われている。ただただ、リドルを睨み付けることしか出来ない。あまりの悔しさにハリーはティアラの腕を掴む力を強めた。
「ヴォルデモートは君より後世の人だ。どうしてそんなに彼を気にするんだ」
そうハリーが言うと、リドルは立ち止まりハリーの杖を使って空間に文字を書き始めた。
燃えるように杖先から出てくる線は徐々に文字へと姿を変える。
『偉大なるヴォルデモート卿は私の過去であり、現在であり、未来なのだ』
口角をあげてリドルはその文字の上に手をかざした。トム・マールヴォロ・リドル。その文字はゆっくりと並び変わり、私はヴォルデモート卿だ、に変わった。
ハリーは眉を潜めその青年を見上げる。
「まさか……君が…」
『そう。私がヴォルデモート卿。サラザール・スリザリンの尊い血が流れているこの僕が、汚ならしいマグルの名をいつまでも使うと思うかな?そんなものはとっくに捨てたよ。自分で付けたんだ。私がもっとも偉大な魔法使いになったとき。皆が口にすることを恐れるであろう名前をね』
「恐れるものか!」
広い地下に静かに誇ったように話すリドルとは真逆のハリーの叫び声が響き渡った。
「最も偉大な魔法使いはダンブルドア先生だ!」
『ハッ、ふざけるな。最も偉大だと?奴はただの記憶によって易々と追放された。偉大なものか。』
「っ、…!それでも僕は信じてる!」
『そうかい。好きにしろ。どちらにせよ、もう貴様は二度とあの薄のろに会うことはない。君も、その女子生徒も、墓場はここだ。』
リドルがバジリスクを呼び出す。蛇語を理解できるハリーは、石像の口が開き出したとたん回れ右をし、全力で走り出した。
杖がない……どうすればっ、!
チラリを後ろを振り向くと、石像の口からなにか光沢のあるものが出てきたのが分かる。その前にはティアラがいる。
どうしよう。どうにかしなければ…二人ともっ
とその時──前から深紅の孔雀のような大きい鳥が飛んできた。前に一度見た、フォークスだ。足にはボロボロの布包みを持っている。
「フォークス?!」
走りながらハリーがその名前を呼ぶと、フォークスがそれに答えるように美しく鳴いた。同時にハリーの腕にその帽子を落とす。
『なんだ!ダンブルドアが味方に送るのは古びた帽子と歌い鳥か!』
後ろからなにかを引きずるような音とリドルの声が聞こえる。
「………っ、」
反対側に走っていたハリーは濡れていた床に足を取られ転んでしまった。
その引きずるような音が近付いてくる。ハリーは目を開けられないまま"死"をすぐそばに感じた。
だが、それはなかなかやってこなかった。代わりに聞こえたのはフォークスの高貴な鳴き声と、化け物の叫び声。
ハリーはぱちりと目を開き目の前の光景に目を疑った。
「………!」
フォークスがバジリスクの頭に留まり、そのおぞましい目を嘴でつついていたのだ。
『何をしている!音だ!音で探してさっさと殺せ!』
石像の下にいたリドルが高々と叫び、ハッ!と我に帰ったハリーは古びた帽子を片手に再び走り始めた。
ティア……
お願い
目を覚まして
手を貸して、
ここには怪物がいるんだ……君の力が必要なんだ…。
すべてが遠く聴こえる─────
妙に心地よい揺れる水の中のような空間にティアラはいた。
《 ハリー…? 》
「死なないで───」
光る水面のずっと先。
《 ハリーが呼んでいる─── 》
部屋に着いたのね──
「恐れるものか!!最も偉大な魔法使いはダンブルドア先生だ!」
《 そう…。そうよハリー 》
何枚も重ねた膜の向こう、
ずっと先でハリーが闘っている──。
ティアラは輝く光に重い腕を伸ばした。
だけれども、思っている以上にハリーとの距離は遠い。
もがいても、もがいても一向に近くならない。
《 ハリーどうか──どうか、 》
───ヒュオーーーッ───
その時、口笛のようなフォークスの鳴き声がティアラの周りに響き渡った。
全てのものを通り抜ける気高いその鳴き声はティアラの耳に鮮明に突き刺さった。
「っ───!!!!」
ぱちりと急に視界が開ける。
「……え…?」
『………!』
視界に飛び込んできたのは驚いたように目を見開く懐かしい"記憶"だった。
『何故ッ!』
リドルは目覚めたティアラに気が付くと、ハリーの杖を素早く振り上げた。
ティアラはよく状況を理解しないままローブから杖を抜き取りプロテゴの呪文を掛ける。
「こっちが聞きたいわ……」呪文が弱々しい盾を作り出すのをどこか他人事に見ながらそう呟く。
──何故…!
目覚めたのはいい。が、まったく状況が理解できない。ハリーとバジリスクが居ないということはパイプのなかで闘っているのだろう。
だが目が覚めたというだけで腕と足は鉛のように重たく、杖を持ち上げるのさえ億劫だ。
これじゃあ…なにも出来ない
ギリギリのところでリドルの呪文を避けた盾は時間を開けることなく消え去った。
『もういい。………邪魔だ小娘。もう待っている時間はない。力は十分だ。あとはポッターから吸い取ることにしよう』
「…え──」
ティアラが考えるよりも先にリドルが体の上に覆い被さりハリーの杖でティアラの首を押さえつけだした。
「………っ、、」
『死ね………死ね………死ね…』
リドルの青筋の入った顔が視界いっぱいに広がり、だんだんと視界の端が白く染まっていく。
「やめろーーー!!!!!」
《ドンッ!》
『っ…!』「ハッ……ハッッ、ゲホッゲホッ」
バランスを崩したリドルとハリー。真っ青な顔で仰向けに倒れたまま大きく咳き込むティアラ。
「ティア!!!」
「ハ、………リー……、」
首を絞められたことにより苦しげな息を繰り返すティアラに、メガネの端が割れているハリーが四つん這いで近付いてきた。
「よかった…無事で」
「ハ、リー……、ぼう…し…っ、………あいつが…っ、くる…っ、」
再会を喜んでいる場合ではない。バジリスクがすぐにやってくる。
『───貴様ぁ!!!!』
だが、バジリスクのより先にすくりと立ち上がり怒りで顔を歪ませたリドルが大きく杖を振り上げた。
『エクスペリ──アームズ──』
ハリーの杖から光が出る寸前。ティアラがリドルに向かって武装解除を唱えた。
「ハリー…っ…ダンブルドアを──信じて…」
飛んできた杖を泥だらけのハリーに託す。
「大丈夫…っ、貴方なら…きっと、」
「ティア」
『何をごちゃごちゃ言っている!!バジリスク!こっちだ!』
杖が無いとなにも出来ないリドルはさらに顔を赤く染め、大きく叫び声をあげた。
ハリーが先ほど逃げ回っていた部屋の先から、なにかを引きずる音が近付いてくる。
ハリーはその音を聞くと、杖と帽子をぎゅぅと握り締め、目をつむった。──お願い!先生…助けて─と祈る。次の瞬間、古い帽子は急に重さを増した。古びた帽子の中から長い銀の剣が現れたのだ。
ハリーは少しの動揺と共にその美しい剣の柄を握り締めると、苦しげな息を繰り返す顔色の悪い少女を見た。
「ティア、僕…必ず守るから。」
覚悟を決めるように呟かれた声。ハリーは勢いよくその石像に登り始めた。
盲目のバジリスクはめくらめっぽうにハリー襲い掛かる。
音が鳴ったところにひたすら頭をぶつけていく。砕けた石像の破片がパラパラと落ちていった。
『もっと上だ!』
ハリーが石像の頭の上に剣を構えて立つ。バジリスクがリドルの声を聞いて、ハリーに狙いを定め大きな口を開けて鎌首を振り下ろした。
真下にいたティアラは最後の力を振り絞りハリーの腕だけにプロテゴの呪文を掛けた。
それに気がつくことなく、ハリーは剣をバジリスクの口の奥へ突き刺す。ガキンッ!という音と共に、ハリーの腕に当たったバジリスクの牙が折れる。バジリスクはゆっくりと床に崩れ落ちた。
「っ、………」
ティアラは呪文を使ったとたん背中に悪寒が走り、全身の筋肉がみるみる冷え固って行くのを感じた。思わず意識を手放しそうになる。
でも、まだ、まだだ。
「ティアラ!」
石像を降りたハリーがティアラの元へ駆け寄った。端から見るとティアラの顔色は土気色をしていた。唇も青白くまるで──まるで生気を感じられない。
『その状態で私の呪縛から自ら脱するとは、大したものだね。ティアラ』
「ティアラを戻せ!」
『それは無理だと言った筈だ。本当なら君から残りをもらう筈だったんだよ。君が無理ならこの子からもらうしかないだろう?』
「何を訳の分からないことを言っている!」
『煩い。黙れ。私はもうすぐ本当の力を取り戻す。偉大な魔法使いが復活するのだ。少女一人が犠牲になればね?…どうだ。安いものだろう』
ティアラの口から出るのは、最早か細い呼吸だけだ。リドルの身体はほとんど透けておらず、1人の人間のようになっていた。ハリーはティアラのどんどん冷たくなって行く手を握り締める。
「そうはさせない!」
ハリーは開かれた日記を見つけて、そこにグリフィンドールの剣を振り上げズブリと刺した。
『っっ……なにをする!!!やめろ!……よせ!』
リドルが叫んだがもう遅い。ハリーは何度も繰り返し日記に剣を突き刺した。日記からインクが溢れだし、リドルの胸には光の穴が開く。その穴はみるみるうちに大きくなり、やがてその身全てを覆い尽くした。
「っ、…、!」
とたんにティアラは息を吹き返し、はっ、はっ、……と大きな呼吸を始めた。
「ティア!!」
「ハ…リー……」
グリフィンドールの剣をカタリと地面を落とすと、ハリーはぎゅぅ、とティアラを抱き締めた。
「よかった………ほんとうに……本当によかった…」
「……ハリー…ありがとう…」
泥だらけのふたりのそばに、フォークスが静かに降り立つ。
「フォークス」ハリーがフォークスの額を指でそっと撫でた。フォークスも気持ち良さそうにハリーの手にすり寄る。
「ハリー、フォークス。救ってくれて…ありがとう。貴方達に怪我がなくてよかった…。ごめんなさい……私……少し………」
握っていた杖が手から滑り落ちる。大きな部屋にカランッと乾いた音が響き渡った。
「───え…」
「フォークスっ!急いで上に運ぶの手伝って!」
ハリーの慌てた声が遠くに聴こえる。
───夢のように現実味のない声だと思った。