いやぁ難産だった。詰め込むだけ詰め込んだら、久しぶりに一万字を越えました。自分の出来る限り、甘くしたつもりです。ブラックコーヒーの準備をお忘れなく。
それではぞうぞ。
「し、雫!?なんでここに!?」
「冬夜………」
太陽など既に沈み切り、就寝時間まで生徒たちはそれぞれ余暇時間を過ごすはずの時間。
定食屋での夕餉を済ませ、一人九校戦に向けて牙を研いでおこうとしていた矢先に訪れてきた訪問者に、冬夜は心底から驚いた。なぜなら、彼の部屋の前にいたのは、この場所に冬夜がいることなど知らないはずの一般生徒。
北山雫。
一月もほったらかしにしていた想い人が彼の目の前に立っていた。
「ひ、久しぶり」
「あ……おう。久しぶり」
「元気、だった?」
「ま、まぁぼちぼちかな。雫は?」
「私も、まぁまぁかな……」
「そっ、そうか。それは良かった」
「うん……」
「「………………」」
無言。ただひたすらに無言。お互いに距離をとっていたせいか、すごくギクシャクした会話になってしまった。目を反らして相手を直視しない(出来ない)この二人。もう既に二人ともこの場から逃げ出したくて仕方がないのだが、どういうわけか足が動かない。数秒無言を貫き通した二人だったが、空気に耐えきれず冬夜が再び口を開いた。
「そういえば、こうして話すのは、久しぶりだな」
「そう、だね」
「あー……で、その……何の、用だ?なんか、トラブルでも起きたのか?」
「ううん。なにも、起きてないよ」
「ん?じゃあどうしてここに?」
「と、特に何もないんだけど、冬夜がここにいるって聞いたから……」
「聞いたから?」
「会いたくなって………来ちゃっ、た……」
「………………ぉぉぅ」
モジモジと、恥ずかしながらそう言う彼女に冬夜は雷に打たれたようなショックを受ける。なんだ、この愛くるしい小動物は?思わず衝動的に抱きしめて頭を撫でまわしたい欲望に駆られてしまうロリコン名詠士。『いやいやダメだろう。そんなことしたらダメだろう』と理性という名の天使が止めにかかるが、彼の欲望を感知したのか脳裏に『部屋に連れ込んでしまえ!』と悪魔が囁いてくる。今の雫は部屋着のタンクトップを着ているだけなので、むき出しになった二の腕や少しずらせば見えそうな胸元に視線が向いてしまう。頭の中で
(落ち着け。落ち着くんだ黒崎冬夜。なんでこんなに雫に対する耐性が低くなってるんだ。雫が可愛いなんていうのは五年前から分かりきっていたことじゃあないか。今更部屋着を見たぐらいで興奮することないだろう。あんなにモジモジしている雫が琴線に触れたのは事実だがそこで劣情を催すんじゃあない。クール。クールになるんだ黒崎冬夜。
だがこんな時がどうすれば良い?こんな時は……そうだ、素数だ。素数を数えるんだ。素数は一と己でしか割れない孤独な数字。私に勇気を与えてくれる……!)
一瞬フリーズして十五歳男子に見られる青い春の暴走(もとい変態的思考)を抑え込んだ冬夜は、胸の内で2、3、5、7、11……とさらに素数を数え始める。どうやら水波やミアで大分発散されていたと思われていた彼の衝動は、本人の知らないところでかなり蓄積されていたらしい。
(ううう。なんか冬夜すごい戸惑ってる。やっぱり迷惑だったよね……)
一方、部屋を訪れた雫もそれなりにテンパっていた。お風呂場でまぁ色々なことをされた挙句(何があったのかは彼女の名誉のために秘密にする)勢いに乗せられてこんなところまで来てしまったが、いざノックして出てきた彼の顔を見ると『来てはいけなかったんじゃないか』と思ってしまう。現に今、彼の顔は『嬉しいような嬉しくないような微妙な顔』をしている(ように雫にはみえる)。
(冬夜と仲直りはしたいけど、でも具体的にどうすれば……)
チラッ、と彼女はこっそりと廊下の隅のほうに視線をやる。そこにいるのは気配を消して雫を見守る二人の女生徒の姿。彼女が肝心なところで逃げないよう、クラスメイトの任を受けて一緒にやってきた監視役の学年主席と幼馴染の親友だ。二人ともジッ、と雫を見つめて離さない。『他人事だと思って……!』と雫は恨みの念も込めた目で廊下の隅を見続けると、雫の視線を感知したのか向こうからハンドリングで返事がやってきた。
((『先生にはうまくごまかしておくから、一晩ゆっくりして行って!』))
(そういう問題じゃない!!)
何をどう勘違いしたのか、親指をグッと立てる二人に雫はイラつく。当事者である自分からすればもしかしたらこれから一生ものの出来事が起こるかもしれないのだ。それを物見遊山でからかわれると流石にあの二人でも不快な気分になる。
(まぁ、冬夜も忙しいだろうし、立場的にもここで帰されるのは目に見えて分かっているから問題はーー)
「あー……雫、さん?」
「ッ!!な、なに!?」
「いやその……せっかく来てくれたんだし、立って話すのもなんだから、少し寄っていけよ。何もないけど、お茶ぐらいなら出せるからさ」
「え!?あ…………………うん」
最後は消えてしまいそうなか細い声で、雫は冬夜の誘いを受ける。雫の予想に反してまさかのOKだった。冬夜も素数を数えながら葛藤した結果、『手を出しさえしなければ大丈夫だよね!』という結論に達し部屋に招き入れることにする。改めて覚悟を決めなくてはならない状況になったのを感じ、雫は心臓の鼓動が強くなっていくのを自覚しながら、冬夜の部屋に入っていった。
長い、長い夜が始まろうとしていた。
◆◆◆◆◆
「………入っていったね」
「……入りましたね」
冬夜の部屋に扉が完全に閉まったのち、雫を見守っていた二人は息をついて顔を見合わせる。危なかった。ここで部屋に入れてもらえなかったらそもそもの作戦が失敗してしまう。いざとなったら無理矢理にでも放り込むつもりだったが、なにはともあれ、作戦の第一段階は完了だ。
「私たちが直接手伝えることはもうないわね」
「後は冬夜くんがどこまでヘタレ……じゃなかった。理性を保つかが鍵だね。冬夜くん奥手だからなぁ~」
「まぁ、そもそもの話仕事中に女生徒に手を出した時点で大問題だから、黒崎さんの性格上今雫に手を出すとは考えられないけど………関係ないわね」
クスッと、二人が黒い笑みを浮かべる。今この二人は何を言っていることはこの作戦のスペアプラン……冬夜がなにもしなかった時のための作戦だ。作戦といっても、その内容は雫のルームメイトである彼女たちが【昨日の夜、冬夜くんの部屋に雫が向かっていったきり何時間も帰ってこなかった】という噂を流すだけ。それだけなのだが、あの二人をくっつけさせるにはそれで十分だろうと彼女たちは考えていた。冬夜の性格上、そういう噂でも外堀を埋めてしまえば雫と一緒になるしかないはず。そうすれば後は自然とうまくいくだろう。結果さえ出せれば、過程や方法などどうでも良いのだ。
U.N.Owenとは別の意味で、冬夜は大ピンチだった。
「まったく、昔から世話の焼ける二人なんだから。そんなにお互いが大事ならちゃんと本音をぶつけ合った方が絶対上手くいくはずなのに」
「そんなに昔からあの二人は相片思い状態だったの?」
「うーん。小学生の時はお互いに恋愛感情なんてなくて、【仲の良い異性】としか見てなかったと思うよ。でも『夫婦』ってみんなからからかわれるぐらい仲は良かったね」
「そうなの」
「そうそう。昔は二人とも口数も少なくて、性格も似ていたから馬が合ってたんだ。よく私は二人の仲を見せつけられてたんだけど、似ているから一度ケンカすると引っ込みがつかなくて私が間に入ってたんだよね。その度に私は頭を悩ませて……」
またしてもほのかはため息をついてしまう。そう言えば何年自分はあの二人に悩まされてきたのだろうか。一年以上は確実にある。思い返せば色んな事があった。女友達が出来ないからと冬夜がわざと雫から離れていた時に嫌われたと思って泣いた雫を慰めたこともあれば、雫を怒らせて謝らない冬夜に説教したこともあった。ついには『私は伝書鳩じゃない!』と怒って二人に謝らせたこともある。まだまだたくさんの思い出があるが、煮え切らない関係でモヤモヤするのは今夜で終わりだ。
「昔からあの二人に苦労してたのね。ほのか」
「まぁ、私は雫と冬夜くんの『お姉さん』だったから。別に気にしてもないけどね」
「ふふっ。お姉さんだから、妹と弟のために頑張っちゃうのかしら?」
「そうそう。多少強引にでも背中を押してあげないと、ね?」
片目をつぶっていたずらっ子のように微笑むほのかに、深雪はニッコリ微笑み返す。二人は冬夜の部屋から背を向けて階段に向かって歩き出した。
「さて、部屋に戻ってみんなとトランプでもしましょうか」
「うん!あ、でも深雪トランプ強そうだなぁ。ババ抜きとか一番に上がってそう」
「よくわかったわね。私、トランプで負けたことなんて今まで片手で数えるほどしかないのよ?」
「さっすが深雪。嫌味を言われてもニッコリし続ける鉄面皮は伊達じゃないね!」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
奥手な恋愛少女の親友たちは、その恋路を願いつつゆっくりとその場を去っていった。
◆◆◆◆◆
ーーと、部屋に入るまでは深雪たちの言う通り、計画のままに進んだのだが……
(うううう……どうしよう)
お風呂場でクラスメイトに色々され、冬夜の部屋に招き入れられた雫は、引き続き混乱状態にあった。
(冬夜にいきなり抱きつかれるなんて……どうすれば良いの私!)
冬夜の腕の中で包み込まれるように抱き締められた雫は、顔を赤くして冬夜の背中に手を回す。テーブルがないため腰掛けるよう勧められたベッドの端で、紅茶で一息つくと『耐えきれず』といった風に冬夜が襲ってきた。突然のことで雫は小さく悲鳴をあげてしまったが、そのままベッドに押し倒すわけでもなく、冬夜は抱き締めたままでいる。いきなり抱きついてきて何がしたいのか、冬夜の目的が分からない雫は心臓が口から飛び出そうになる。まだなにもされていないが、精神的にも肉体的にもかなりヤバイ状態だ。
(ううう。こんな格好で来たなんて冬夜に知られたら、絶対嫌われちゃう……!)
ぐちゃぐちゃになっている思考回路の中で、唯一ハッキリしている事柄に雫はいっそう動揺する。抱きついた関係上、冬夜に押し付けている彼女の慎ましい胸。今それを隠しているのは、現在彼女が身に付けているたった一枚の薄布以外なにもない。この交流会用に持ってきた彼女の下着はここを訪れる前にクラスメイト達により没収され、身に着けることができなかった。
つまるところ、現在雫はノーブラで冬夜の部屋に訪れていた。恥ずかしい。意識すればするほど『バレてないだろうか』と不安になる。間違ってでも夜に男の部屋に訪れる格好ではないこの格好を強要した
『北山さん!黒崎くんの部屋に入ったら即抱きついて!そしてそのままベッドに押し倒して!!』
『抱きつく位置は冬夜くんの顔一つ下のところだよ!腰に手を回して、タックルする形で押し込むんだよ!』
『その後胸元が見えるように少し離れてから、猫なで声で冬夜くんの名前を呼び、甘える!男の子は甘える可愛い女子に弱い!』
『そのまま抱き続ければ後は冬夜くんが勝手に反応するから!我慢出来ないって言うはずだから!』
『そしたら後は天井のしみを数えている間に終わるって!頑張って!』
(ツッコミどころしかない!)
勢いに飲まれてなにも言えなかったが、思い返せば色々と間違っている気がする。どこが、というよりも全体的に間違っている気がする。今回の目的は冬夜との仲直りのはずだ。決して、強引な手で結ばれるのではない!と、雫は首を振ってクラスメイトからの作戦を頭から追い出すが、だからといって今の状況が変わるわけでもなし。結論から言ってどうしようもなかった。
(冬夜だったら
妄想が広がり、まだ男を知らぬ生娘らしい反応をしている雫。冬夜の腕の中で緊張している傍ら、二人きりになった途端
(やべぇ。なにも考えず無意識に雫に抱き付いちゃったぞ。この後どうしよう……)
心の中で盛大に焦っていた。ベッド際で雫の顔を見ていたら、いつの間にか誘蛾灯に誘われる蛾のごとく抱きしめてしまった冬夜は、腕の中にいる少女になんて弁解をすればいいのか考える。しかし、まともな思考に入ろうとする度、頭の中にいる
(やれやれしかし困ったな……いつの間にオレはここまで雫に依存してたんだ?)
そんなことを考えながら、彼の体は自然と緊張で強張った雫の体をほぐそうとして、右手を雫の頭に移動して優しく撫で始める。そんな彼の行動を受けて雫は飼いならされた猫のように気持ちよさそうに目を細めて冬夜の胸を擦り寄る。お互い頭の中では考えことをしている筈なのだが、そんな理性の命令など無視して体が勝手に動く。
そうすることで心の中で生まれる『安心感』という感覚を、冬夜は心地よいと感じる反面、冷静に観察していた。
(やれやれ。リーナほどではないがオレにもヤンデレの気質があるのかも知れないな)
案外、リーナと上手くいっていたのも同じ穴のムジナだったのかもしれないと思い始める冬夜。とりあえず、自分の新しい一面を知った彼は、自分の胸板に摺り寄せるように抱き付く彼女の向かって内緒話をするように囁いた。
「…………雫」
「………なに?」
「部屋に入った途端、こんなことしておいてなんなんだけどさ」
「うん」
「もう少し
「……………ん。良いよ」
一か月ぶりに抱き合う、両想いのバカップル。彼ら以外ほかには誰もいない密室で、ベッドの上で抱擁しているという、薄い本だったら次ページでは濡れ場になっててもおかしくない状況下で、彼らが思っていたことは一つ。
『なんか、すごく落ち着く』
ムギュー、という効果音が付きそうほど、お互いの存在とその必要性を確かめ合うように年頃の少年少女は熱い抱擁を続けていた。
◆◆◆◆◆
「………はふぅ。落ち着いた」
「満足?」
「とりあえず。ごめんな、いきなり抱き着いたりして」
「まったくだよ。びっくりしたじゃん」
「申し訳ない」
「まぁ良いけどね。冬夜は昔から甘えん坊さんだったし」
「おっしゃる通りで」
とりあえず愛の抱擁によって体から欠乏していたシズクミンを補給し終えた冬夜は、憑き物が落ちたような表情を浮かべて雫から手を離した。どうしてだろうか、なにもしていないはずなのにさっきよりも体が軽い気がする。妙に清々しい気分だ。
「ただギュゥと抱き締めてただけなのに、ずいぶんとイイ顔してるね冬夜」
「そうか?………そうだな。体にまとわり着いていた倦怠感がいつの間にかない。雫のお陰だな。ありがとう」
「ん。どういたしまして」
まだ甘えたりないのか、冬夜に抱き付いたままでいる雫は上目遣いで話しかける。
(やっぱり雫が一番可愛い)
また少し鼻の下を伸ばしながらも、冬夜は雫の頭をポンポンと優しくたたいた。
「………………ねぇ。冬夜」
「……ん?なんだ雫?」
「………正直に教えてほしいんだけどさ」
「うん?」
「冬夜、中条先輩のこと好きなの?」
「はぁ?」
また少しの間、猫のようにじゃれ付いてきた雫は、急に表情を暗くしてそんなことを聞いてきた。訳のわからない質問に冬夜が眉をひそめる。『なにバカなこと聞いてんだ?』と一瞬口を開きかけたが、自分を見つめる雫の目が真剣そのものだったため、冬夜も真面目に答えることにした。
「うーん。中条先輩のことは確かに好きだけど、それはあくまでも先輩としてだし、恋愛感情なんて抱いたことないよ」
「本当?」
「本当だ」
「ふぅん…」
「……つーか、なんでオレが中条先輩のこと好きなんだって思ったんだ、雫?」
「前に司波くんが『冬夜の好きな人は可愛い系でおっぱいが小さくて、それでいて普段と好きなことをしている時のギャップ萌えを感じる人』って言ってたから……」
(あの野郎……!)
自分の知らないところで、達也がとんでもないことをしてくれたことにやっと気が付いた冬夜。何やってるんだアイツは。とシスコンへの怒りが込み上げてくる。誤魔化すにもなぜほぼ真実そのものを伝えるのだろうか。おかげで一層、誤魔化にくくなるじゃないか!と、一月もの間、二人を引き離した原因を作り出した男に、冬夜は後で復讐してやることを胸に誓う。とりあえず手始めに、美月と手を繋いでいるように見える合成写真でも妹に送っておいてやろう。
「冬夜」
「な、なんだ?」
「冬夜の好きな人は、中条先輩みたいな人じゃないの?」
「………あー、なんつーかなぁ。それ自体は間違いじゃないって言うか。むしろその通りというか……」
「…………司波くんの説明は合ってるんだ」
「はい、そうです……」
「じゃあ、冬夜」
「な、なんだ?」
「冬夜の好きな人って、誰?」
「…………ッ」
意を決して冬夜に答えを聞く雫。この質問をするべきか、冬夜の好きな人があずさでないことを知ったときに迷った彼女だったが、ここで聞かなかったら後で絶対に後悔すると思って彼に問う。答えを知ってしまうことへの恐怖に打ち勝つためだろう。自然と彼女は冬夜の体に強く抱き付いていた。
「……………………」
「冬夜?」
「……………………ごめん雫」
「ふぇ?」
一世一代の彼女の問いかけに対する答えは、再び抱き寄せられた彼の唇から、耳元で囁くように伝えられた。
「それは、言えない。お前
「………………」
「………ごめんな、雫」
「……………………ぅぇ……」
「!?」
まだ言うわけにはいかないと、彼女の覚悟を踏みにじって冬夜が出した答え。そう、彼の計画上ここで自分の想いを伝えるわけにはいかない。それをこの少女に伝えるのは、九校戦が終わった後だ。そう思って冬夜が謝ると、耳元で雫の泣き声が聞こえてくる。
驚いて体を離し、彼女の顔を見てみるとーー案の定、雫は泣いていた。
肩を震わし、ポロポロと涙をこぼしていた。
「雫……」
「ひっく……ぅぅ……なんで、言って、くれないの?」
「それは……」
「まだ、待たなきゃダメなの……っ?もう、待ちくたびれたよ、私……っ」
「え?」
「今日で……ひっく、終わらせる気で来たのに。冬夜に謝って、それで仲直りするつもりだったのに……冬夜が抱き締めてくるから……ぅぅ……欲が出ちゃったじゃん……っ」
「あ、えと、雫さーー」
「答えてよぉ……もう、イジワルしないでよぉ……恥ずかしい格好して、覚悟して男の子の部屋に来たのに、なにもされないなんて……舞い上がってた私が、バカみたいじゃん……っ!」
「いや、だからなしず」
「興味ないなら、『ない』って……ちゃんと言ってよぉ!…………もう、終わらせてよ、冬夜ぁ……」
「雫……」
自分の胸で泣く彼女を見て、冬夜は非常に困ってしまう。何て声をかけたならばいいのか、全く分からない。いつものように抱き締めてあげるのも、今はかえって逆効果な気がしてなにもすることが出来ない。オロオロするばかりで、この事態の収拾をどう着ければ良いのか困ってしまっていた。
一方で、冬夜の胸で泣いていた雫は感情の赴くまま自身の気持ちを吐き出していた。ずっと溜め込んだ彼への恋情が、悲しみに変わって出てくる。
(なんで、なんで答えてくれないの?)
泣き続ける彼女は心の中で、自問自答する。答えなど最初から分からないくせに、それでも彼女は考えられずにはいられなかった。
(こんなに好きなのに、なんで言ってくれないの?)
これまで、彼女は精一杯アピールしてきたつもりだ。少なくとも他の女子たちよりかは、ずっと積極的に頑張ってきたはずだ。そう彼女は思っている。
世界中にいる誰よりも、この人のことが好きだと、彼女は胸を張って言える。
(なんで、私には言ってくれないの?)
だからこそ、冬夜の答えは彼女にとって大きなショックだった。どんな意味にも捉えられるズルい言葉。しかし、今の彼女にとってソレは、冬夜から送られた残酷な通知でしかない。そう思えた。
(なんで、私に、はーー…………あれ?)
だがそこで、雫は気付いてしまった。どこかは分からない。わからないが、冬夜の言った答えにどこか違和感を覚えた。
具体的に言えばそう、冬夜の出した答えの後半部分。なぜあの時冬夜は、【お前には言えない】とわざわざ答えたのか。
(単に秘密にしたいなら、言い直さなくても良いはずだよね……?)
いつの間にか涙は止まり、雫の思考が高速に回りだす。わざわざ言い直した理由を答えから推測すれば、それは
冬夜はこうも言っていた。達也の言った説明に間違いはないと。となると、内容はともかく好きな人がいるのは間違いない。
そしてその好きな人は達也の言うような人。可愛くて、胸が慎ましい女性。そして、好きなことがあってそれに夢中になっている時のギャップが好き。『普段と好きな~』のくだりから、単に話しかけたこともない人という訳でもなさそうだ。普段からそれなりに付き合いがある人なのだろう。
そうなると冬夜が恋している相手とは。
そして、それを自分にだけ言えない理由とはなんなのか。
(…………………………………え。まさか?)
思い当たった答えが信じられなくて、雫は冬夜の顔を見上げる。自分が泣いたショックでどうすれば良いのかアタフタしているのが表情から分かった。冬夜にとっても、自分に泣かれたのは予想外の出来事だったのだろうと、彼女は冷静に考えた。
「…………ねぇ冬夜」
「な、なんだよ?」
「…………冬夜が、私にその相手のことを言えない理由ってさ」
「ッ!!!?お、おう」
「冬夜の好きな人が………………………私、だから?」
これまた、これからの人生を左右する重要な問いかけ。
だが今度ばかりは、冬夜はすぐさま答えることが出来なかった。絶句し、恥ずかしさのあまり頬に紅が差して呆けた顔のまま雫を見つめている。
(な、なぜにバレて)
しかし心の中で盛大に混乱していた。上手い誤魔化し方を。この場を切り抜ける最良の策を考えなければ!と世界を股にかける多国籍企業の創始者は持ち前の経験から答えを導きだそうと頭を回転させる。だが、そんなものは無意味としか言いようがない。なぜならもう、冬夜の反応を見た時点で、雫は自分の考えが合っていたことに確信を持てたからだ。
(そっか。冬夜は私のこと……そうなんだ)
嬉しい。恥ずかしい。でもやっぱり嬉しい。抑えてないと、顔がにやけてしまいそうだ。
(でも、だったらなおのこと、言ってほしい)
そして同時に不満も出てくる。監視カメラも他の人の目もないこの密室空間で、告白どころか抱きつかれて終わりというのは嫌だ。こちらは押し倒されて頂かれることも覚悟したのだ。もう少し男気を見せてほしい。
勢いでも良い。空気に乗せられたのでも構わない。
きちんと、『好き』と言ってほしかった。
(でもまぁ、仕方ないか。冬夜だし)
が、そこの部分も雫はあっさりと許してしまう。そんなことをされなくとも一番知りたかった
それに、冬夜は言っていた。『まだ言うことは出来ない』と。それならば、いつかは言ってくれるのだろう。
不恰好でも、きちんと、冬夜の言葉で言ってくれるはずだ。それまでの間、もう少しだけ待つのも悪くないと、雫は思った。
「冬夜」
「な、なんでしょうか雫さん!?」
「今の話、聞かなかったことにするね」
「はぁ?」
「冬夜の好きな人。いつかは私に教えてくれるんでしょ?」
「あ、あぁ。いつか、必ず」
「うん。じゃあ仕方ないから、待っててあげる」
「お、おう。ありがとう」
「…………でも、待たされるんだから、相応のものは貰っておくよ?」
「相応のもの?いったいなにをーー」
冬夜の言葉が、最後まで続くことはなかった。
最後まで言い切る前に、彼の唇は雫の唇によって塞がれていたからだ。
「!?!?!?」
「ん……」
とはいえ、雫だって人間だ。時にはどうしても我慢できないことだってある。彼の想いをきちんと聞くまでの間、言葉ではなにも言えない彼女は、抑えきれない
逃げないように抱き締めて、想いの丈を込めて、熱いキスを交わす二人。
これでも雫は(嫌々ながら)夜這いしに来たのだ。これぐらいしたって、文句は言われないだろう。
「んっ………ふっ……んん……」
「ん……ん……ん……」
「ぅん………………んっ………っはぁ」
呼吸が苦しいのだろう。一分以上たっぷりと熱いキスを交わしてから唇を離した彼女は、キスの余韻に浸りつつ荒い息を繰り返す。頬を紅色に染め、扇情的に目を細める彼女の姿に、不覚にも冬夜は心奪われる。何も言えないまま目をパチパチさせる冬夜の顔を真っ直ぐ見つめて、冬夜の唇を奪った女はこう言った。
「………
恥ずかしそうに、しかし小悪魔チックに微笑む彼女に、冬夜は見とれてなにも言えなかった。
ピコーン!
真夜「今、冬夜に悪い虫がくっついた気がするわ!!」
ちなみに二人とも、謝罪の件に関しては頭から吹っ飛んでます。もうそれどころじゃないんですけどね!