魔法科高校の詠使い   作:オールフリー

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さていよいよ交流会編もクライマックス。ここに来てようやく終わりまでの道筋が見えてきた……。長かったぞ本当に……。

それでは、本編をどうぞ!


風見鶏

【黒崎冬夜が北山雫とキスをした】

 

 この噂ーーもとい事実は、瞬く間に一高生の間に伝播していった。

 

「……マジか」

「あのバカは……」

 

 噂の登場人物が冬夜だったためなのか、それとも一科二科の生徒が合同で行う交流会中だったためか、その噂が男子生徒の間に広まるのにそう時間はかからなかった。昼休みを終えた時には既にほぼ全ての生徒たちに伝わっており、この噂は半日と経たず完全に【周知の事実】となっていた。

 

「アイツ……いくらなんでもタイミングが悪すぎだろ」

「アイツには堪え性がないのか……」

 

 もちろん、この事実は美月とほのかを通してレオと達也の耳にも入っていた。両者とも話の内容にある背景ーー冬夜と雫が両想いであるということーーを知っていたため、この話が『事実かもしれない』と考える。だが、冬夜と雫の両者にあまり関わりが少なく、背景を知らなかった生徒たちの間にはそれが『事実』として、噂の真偽も確かめず広がった。

 とはいえ、噂というものは元からいい加減なもので、それが事実であろうとなかろうと、時間が経てば経つほど、人に伝われば伝わるほど中身が改変されながら広まっていく性質を持つ。故に時間が経つほど事実とかけ離れたものになっていくのだが、恐らく冬夜にとって幸いなことだったのだろう、この噂は内容が改変される間もなく多くの人に伝わった。おかげで、二日目の日程が終わる頃に生徒たちが知っている噂の内容は、実際に起きた出来事とそう大差ない状態だった。

 ただ唯一、事実と間違って伝わったところがあるとするならば、それは【北山雫が黒崎冬夜にキスをした】というものではなく【黒崎冬夜が北山雫にキスをした】という、主従が逆転して伝わったところだろう。どちらにしろ結果は変わらないと思うだろうが、真実を知らない聞き手側にとって、この主従が反転して伝わったことは、大きな違いをもたらす。

 

 分かりやすくその違いを例えるなら、恋人関係にある女性が男性に対してDVをしているシーンと、同じく恋人関係にある男性が女性に対してDVをしているシーンを、第三者が見たときのイメージ、とでも言えば良いのだろうか。どちらにしろ『自分には関係ないからスルーする』という回答が聞こえてきそうだが、過去イギリスで行われた実験では【女性→男性:笑って見ている。男性→女性:割って入る】という結果が得られた。同じ結果でも(どちらにしろDVは良くないことなのだが)主体の性別が変わっただけで、聞き手の受け取り方も大きく変わるのだ。

 それと全く同じことが冬夜の身にも起こった。おかげで二日目の授業が終了し、交流会の全日程が終了した今現在、かの夜色名詠士黒崎冬夜はーー

 

「………いくら中身が生徒と同じ高校生だとしても、同級生の女の子を連れ込んで接吻ってーー黒崎先生、アンタ何やってるんですか」

「………ゴメンナサイ」

「いや、謝って許されるようなことじゃないですよコレ」

「モウシワケゴザイマセンデシタ」

 

 エルファンド校高等部生徒会室の床に、額を擦り付けていた。もう体面がどうのこうの、プライドがどうのこうのいっている場合ではなかった。借金取り(ヤクザ)に許しを乞う一般人のごとく、平伏して謝罪する。生徒会室の高級そうなソファーに座って頭を抱えている修の表情はあまり優れていなかった。この場にいる他の生徒会役員の三名と理事長(もとい経営責任者)のあざみも同じような表情を浮かべている。病院から脱走してやってきたカインツは苦笑いを浮かべ、『そういえば僕も何度か風評被害にあったことがあったなぁ』と冬夜に同情していた。

 

「えーそんなに考え込むようなことかなぁ。高校生だったらキスぐらい普通にするでしょ。私と修なんか毎日してるし」

「勝手に記憶を捏造するな」

 

 ただ一人、椎だけは首を傾げながら「何が問題なの?」と考えていた。

 

 

 

(ヤベェ。これは予想以上に被害が広がりそうな予感……!)

 

 有名人はかくもプライバシーの関連で社会的被害を受けやすいのだが、冬夜はまさしくその被害を受けていた。

 

「しかし困りましたね……。交流会中にトラブルが起きないように注意を払うのが我々の役目だというのに、教師役のあなたが率先して問題を起こすなんて。信じられませんよまったくもう」

「まったくです。そりゃあ、気になる女の子が部屋を訪ねてきたら招き入れたくなるのも分かりますが……」

「黒崎先生には仕事をしているという自覚があるんですか?」

「…………」

 

 非難轟々。口々に言われる苦情の嵐を冬夜は体勢を崩さないまま粛々と受け止める。もう『私は被害者だ!』とか『キスをしてきたのは向こうの方なんだ!』とか言える雰囲気ではない。この空気では『オレたち同年代ですし』とか『本当は同じ学生だ』とかそんな言葉を口にしたところで無駄だと悟らざるを得ない。……人生生きていれば、例えそれが理不尽なことでも黙って堪えなければならない時があるのだ。

 

(これは予想以上にヤバい……どうする……!?)

 

 既にワイシャツの背中部分が肌に張り付いて表現しようのない不快感を彼に与えているが、そんなことに構っていられないほど彼はこの事態を危険視していた。具体的にいうなら、額づいた格好のまま、この噂がもたらす経済的、精神的被害を冷静に計算していた。

 

(元が噂好きの女子のイタズラだ。すでにSNSを通じてネットに投稿されているだろう。一度ネットに落とされたら最後、どんな手を使ってもその痕跡を消しきることは出来ない……!ある程度の情報規制で抑制することは出来ても、拡散した情報は一瞬で世界中に広まってしまってしまう。もう手遅れになっていると考えて行動した方が良いだろう。

 ………別にオレ個人の悪評が広まるのは良い。元々『世界制服をする魔王』みたいな与太話は出ているからな。問題は、この噂がIMAやCIL、北山グループや四葉家に飛び火することだ……)

 

 インターネットというのはとても便利なものだが、反面時として精神的核兵器とも言うべき恐ろしさを孕んでいる。『悪い奴には何をやっても許される』『面白半分』『不特定多数からの注目を浴びるため』などなど、言い方や理由は様々だが、責任感が希薄になりやすい架空の世界での発言は、現実よりも暴力的で信憑性に欠き、無分別なものが多い。

 被害に遭った側なのだが、男として冬夜は絶体絶命だった。

 

(くそったれ。オレの正体がバレたことに続いて今度は恋愛関係か!九校戦のモノリス・コードで優勝したら告白するつもりが、とんだ大誤算だチクショウ!!)

 

 だが一月前に【黒崎冬夜が夜色名詠士である】ということが暴露されたことに関しては、冬夜自身なにも思うことはなかった。むしろこれまで秘密にしていたのだから暴露されて当然と思っていたため、精神的なショックは少なく(だからといって実家から離れないとマズイ事態になることまでは想定していなかった)、気にすることもなかったが、今回のことは完全に想定外であり焦っていた。

 一度広まった噂を消せない以上、最も被害が少ない方法で解決するしかない。

 

(潮さんと紅音さんには殴られることを覚悟しておこう。モニカたちには事情を説明してどうにかしてもらうしかない。母さんにはなんとか言って怒りを最小限に抑えてもらわないと……)

 

 冬夜が策を張り巡らせて解決策を構築している途中で、脳裏に笑顔の光度が最高にまで高まった母の顔が浮かび上がる。『四十越えたおばさんなんて怖くない……怖くないぞっ!』と必死に恐怖を押さえようとするが、土下座した体全体が震えているのは見間違えか。殴られるのは名詠生物相手に何度もやられているので慣れているが、 叱られるのはお断りしたい。

 

(でないと雫が、母さんに殺される……!)

 

 ありありと首根っこ掴んで雫を虐殺する母の姿が思い浮かぶ。なぜかそのバックに『├″├″├″├″├″……』という威圧感を感じさせる効果音が聞こえてくるが、決して彼女は六畳一間で同居する(二次設定)吐き気を催す邪悪たちの一員ではない。どちらかと言えばスキマに住む胡散臭い妖怪の方が(BBA的な意味でも)近い。

 

「………黒崎先生。なにか弁解はあるんですか?」

「……ありません。確かに私は、恋人を部屋に連れ込んで接吻を交わしました。まごう事なき事実です」

「恋人?」

「はい。私、黒崎冬夜と北山雫はお付き合いをしております。交流会中は会わないと決めていたのですが、彼女が部屋を訪ねてきたので招き入れました。紅茶を一杯飲んだら部屋に帰すつもりだったのですが……その、ここ最近交流会関連でマトモに話す機会が少なかったものですから、我慢できず」

「やってしまった、と」

「はい」

 

 淡々と、修の追求に己の非を認めて事実に上書きする形で嘘の流れを作る。方法は何であれ、既に雫には自分の気持ちは伝わってしまっているのだ。こうなってしまった以上、無理に否定してしまうより、形だけでも作ってしまった方が後が楽になる。

 

(か、形から入っていくのもまた一つの形……だよね?)

 

 冬夜は前向きにそう結論付けて、自分を納得させる。………納得、させた。

 

「まぁまぁ皆さん。黒崎先生を責めるのはこれぐらいにしてあげましょうよ。なんだか、見ていて可哀想になってきましたし」

「それもそうね。実際交流会の日程は滞りなく進んだんだし、お付き合いしている仲なら問題ないんじゃない?私も元彼と似たような事した経験あるし」

「考えてみれば、黒崎先生も私たちと同じ年頃の男の子ですしね。……仕事中でも、女の子に興味を持つのは仕方がないですよね」

「………まぁ私としてはこの学校に被害が出なければそれで良いんだけど……ワイドショーに少し取り上げられるぐらいは我慢しましょうか。

 ………いや、夜色名詠士の恋愛話なんだから上手く情報操作して恋愛関連の話題に変えれば知名度が上がるかも……」

 

 冬夜のカミングアウト(大嘘)にどうやら全員納得してくれたらしい。また週刊誌が騒ぎ始める毎日が始まるのだと思うと正直胃がもたれる気がしたが、見た目も中身も天使のように綺麗なユミエルのおかげで、冬夜は危機を脱することが出来たのだ。冬夜はこれ以上高望みはしないと決めた。

 

(でも、まだしばらく実家には帰れなさそうだなぁ……)

 

 またフラストレーションが溜まって暴走しそうで怖い。と、冬夜はムクれる真夜の顔を思い浮かべながら、こっそりため息もついた。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 一方その頃。冬夜とキスを交わした雫はーー

 

「………む」

「ん?どうしたの雫?」

「いや。なんか名前を呼ばれた気がした」

「?」

 

 ふと、冬夜に呼ばれたような気がして空を見上げたが、悠々と雲が飛んでいるだけで何もなかった。呼び止めたほのかは不思議そうに首を傾げるが雫も『どうせ気のせいだろう』と結論付けて、立ち止まって待っててくれたほのかたちの隣へと歩いていく。

  交流会の日程が終わった後、達也を始めとしたいつものメンバー+エイミィは、エルファンド校の敷地を探検していた。エルファンド校は競闘宮(コロシアム)競演会(コンクール)といった名詠学校の大会でも上位に食い込む強豪校、私立なのに公立高校と大差ない学費などでも有名だが、敷地内に設置された街路樹の風景でも有名なのだ。ドラマなどでも偶に使われたりすることがあるほど美しい小等部の桜並木や高等部の銀杏並木は、時期なると先が見えないほど鮮やかに染まり、一般公開されている休日には、その光景を目当てにやってくる観光客もいる。

 

「冬夜くんにでも呼ばれたのかな?」

「さぁ。よく分かんない。でも、何となくそんな気もする」

「おー。以心伝心ってやつですか。お熱いですねぇ二人共」

「離れていても、お互いを感じあう二人……」

「良いですよねぇ。互いを想い焦がれあう恋人って……はぁぁぁ。憧れちゃいます」

「エイミィ、まやか、美月?あまりそうやって冷やかすのは良くないわよ?」

 

 冬夜とのキスの感触を思い出して照れている雫を呆れ返った目で見る深雪。ほのかとエイミィもそんな反応をする雫にクスクスと笑ってしまう。彼女たちが広めたあの噂のせいで、たった今旦那の方が土下座してでも鎮火させようと火消し作業に精を出しているというのに、当事者たちは対岸の火事のように扱い、呑気にしている。やっぱり冬夜は報われない性質らしい。

 

「まぁまぁ、良いじゃん深雪。そもそもこうやって照れてる雫が可愛いのがいけないんだし」

「…………………(/ω\*)ポッ」

「それに深雪だって、達也くんとなら以心伝心したいでしょ?」

「思わないわよ。だって、お兄様が私のことを理解できなくても、私がお兄様のことを理解できれば、私はそれで十分だから」

「…………都合のいい女(ボソッ)」

「何か言ったかしら?」

「ウウン!ナンデモナイヨー」

 

 うっかり永久に冬眠されかねない発言を零してしまったエリカは、両手を挙げて降参のポーズを取る。にっこりとCADを取り出していた深雪も、白旗を挙げている相手を氷漬けにする気はない。しぶしぶCADを懐へ戻し、エリカはホッと胸を撫で下ろした。

 

「深雪さんはああ言ってますが、私は兄様と以心伝心したいです!さぁさぁ兄様、私が今考えていることを当ててみてください!」

「………『今日の夕飯はカレーがいいなぁ』か?」

「そうです!ふふん、やっぱり兄様と私は思いが通じあってるんですね!以心伝心です!!」

「ドヤ顔で言ってる中悪いが、お前絶対嘘ついたろ」

 

 つ、ついてませんよ!?と、ムキになって否定するツインピンク髪。そんな彼女の言葉を呆れながら「はいはい」流して相手にしない零野兄。零野兄妹の掛け合いは、場所を変えても相変わらずだった。

 

「……しかし、それにしてもこの学校広れぇなぁ。歩いても歩いても目的地にたどり着けねぇぜ」

「あぁ。さすが日本有数の名家、香月家の所有している学校なだけあるな」

「この広さで教育指導もしっかりしてて、それでいて学費も安い、か。維持管理の手入れだけでも大変だろうに、香月家っていうのはスゲェな」

 

 女子たちが色恋沙汰で盛り上がっている中、達也とレオは学校の敷地の広さに驚いていた。魔法による不可思議な現象(蜃気楼が起きたり、景色が歪んで見えたり)による周辺被害を防ぐために、魔法科高校は無駄に広い敷地面積を誇っているのだが、このエルファンド校も負けてない。他の名詠学校は普通の公立高校と同じくらいのため、名詠学校の中では、いろんな意味で規格外なのだ。

 

「香月家は元を辿れば平安時代にまで遡れる家だからね。今はともかく、平安時代ぐらいは皇族とも関係があったらしい家だから、かなり古い家なんだよ」

 

 そんな彼らの会話に食いついてきたのは、今まで一言も話さずこっそりと付いてきた幹比古だった。

 

「幹比古、香月家について知っているのか?」

「もちろん。なにせ平安の時代から続いているだけあって、ウチの祖先が書いた文献に度々名前が出てくるんだ。といっても、ウチの先祖がお世話になっていたのは香月家の中でも本家ではなく分家のの末端の方だったらしいけど……。それでも名前が出てくるような超お金持ちだったみたい」

「マジか。っーことは昔から貴族みたいなもんか?」

「うん。吉田家伝えられている術は、元々は地方にいる祈祷師から始まったらしいから、京都以外の地方にまでその名が知れ渡ってたみたい。そこから営々と二千年……三度にわたる戦争も乗り越えた家だよ」

「すごい家なんだな香月家というのは……」

「あまり表に出てこない一族だからその名前が知られることは少ないけど、噂では香月家が崩壊すると日本経済が崩壊するとかなんとか」

「よく聞く都市伝説じゃねぇのそれ?」

「僕も確かめたことないんだけどね」

 

 男子三人は眉唾物の噂で盛り上がっていた。

 

「…………………はぁ」

「ん?どうしたの雫?冬夜くんとの結婚生活にさっそく不安でも感じてる?」

「……色々と言わなきゃいけないんだろうけど、私と冬夜が結婚することは決定事項なんだね。エリカ」

「そりゃそうでしょ。今のご時世、これだけ噂になっちゃったらそうでもしないと収拾がつかないだろうし」

「そうなるように仕組んだくせに……」

「ふっふっふ。なんのことだかさっぱりですな」

 

 黒い笑みを浮かべているエリカに女子たちは苦笑いしてしまう。そんな彼女たちの策謀を聞いてしまった男性陣は『女って怖ぇ……』と、二、三歩距離を取る。今度アイツに会ったら優しくしてやろうと、四人は決め、達也のように余計なことを言って事態が悪くなるのを避けるため、だんまりを決め込むことにした。

 

「………本当にこれで、良かったのかな。なんか無理矢理付き合うことになっちゃったけど」

「そうは言ってもさ雫。あのままじゃあいつまで経ってもなにも変わらなかったと思うよ?」

「それは、そうなんだけど……」

「それに相思相愛の関係だったんだから別に問題ないんじゃない?結果論だけどさ」

「うん……」

 

 なんとなく、自分が考えていた以上に事が進んでしまい、冬夜に対して罪悪感にかられる雫。ほのかとエイミィの言葉に一応は納得してみるものの、どこかで心が「これでいいのか」叫んでいる。とはいえ、だからと言って過去に戻れるわけでもなく、冬夜と一緒になりたい気持ちはあるので、心の中にしこりを抱えていたとしても黙って今の幸せを受け入れることだけを考えることにした。

 

「ねぇねぇ深雪」

「なにエリカ?」

「あのさ、もう一通り高等部の中は見たでしょ。だったらさ、他の学部の敷地も見てみない?」

 

 と、雫が一人思い悩んでいると、エリカが近くの門ーー高等部と中等部を繋ぐ電子ロック付きの門だーーを指して提案してきた。何かの縁でこの学校に来たのだ。夕飯の時間までに寮に戻れば良いため、どうせなら見てこようということらしい。

 しかし、深雪は首を振って「それは出来ないわ」と返す。

 

「城崎さんから借り受けたこの【ゲスト用パス】では小等部や中等部へ行くことは出来ないの。だから、他の学部に行くのはまたの機会ね」

「ちぇ。つまんないのー」

 

 唇を尖らせ不満をブゥブゥ口にするエリカ。しかし深雪は笑顔を崩さず、エリカが指したほうとは違うーー少し離れた位置にある建物を指差した。

  美由紀たちが先ほどまでいた校舎に比べると、ずいぶんと古めかしく、壁には赤レンガの壁にはツタが絡まり、屋根には一羽の大きな風見鶏が止まっていた。

 

「時間もないことだし、今回はあの建物を見て終わりにしましょう?」

 

 ◆◆◆◆◆

 

 エルファンド校の白く眩しく見える近代的な校舎と比べて、明治時代の西洋館を強く意識して立てられたレトロな雰囲気を持つ建物ーー風見鶏。その中はこれまで目にしてきた建物とはまったく趣が異なった、まさしく『異世界』とも呼ぶべき場所だった。

 

「わーお、けっこう本格的じゃん」

「本当ですね。私、こういうのマンガでしか見たことないですよ」

 

 エリカとまやかがそれぞれ感嘆の声を上げる。風見鶏のドアを開けて最初に入ったのだ一クラス分の生徒が整列してもまだ余裕のありそうな広いホールだった。昨日冬夜が講演会を開いていたときは一時騒然となったこの建物も、今は誰も人がいないせいか心地よい静けさが漂っている。どうやらここは無機質な校舎の方と違い、かなり創設者個人の趣味を反映しているらしい。ホールの中にはいたるところに、達也達が普段目にしないような小物が置いてあった。

 

「ん?これなんだろ」

「あ、それは黒電話ですよ。かなり昔の固定電話、って言えばいいんでしょうか。この透明な円盤についている0~9までの数字が入った穴に指を入れて、一回ずつ右に回しながら電話番号を入力しながら使うんです」

「へぇ。美月って物知り~。これ使えるのかな」

「うーん……これは使えない見たいですね。電話線がないみたいですし」

 

 エイミィはホールの隅に飾られていた骨董品の黒電話に興味深々だった。実際に指を入れてダイアルを回してみると、『ガガガガ……』と音が鳴りながら元の場所に戻っていく。どうにも欧米出身の彼女にはこの日本の小物がツボにはまったらしく、何度もダイアルを弄って遊んでいた。

 

「黒電話か……この建物の外見と言い、ここは『風見鶏の館』を強く意識しているみたいだな」

「風見鶏の館?なんだそれ?」

「兵庫県にあるドイツ人貿易商の住宅だよ。実際に見にいったことはないが、外見は前にネットで見かけたのとそっくりだ」

「へぇ。ここの理事長の趣味かね」

「さぁな。オレに聞かれても困る。でもま、これだけ壁に有名な絵画がそろっているんだから、もしかしたら教養の一環としてここは建てられたのかもしれないな」

「あー、確かに言われてみれば見たことあるような絵がチラホラ……。……あの絵はなんつー絵だっけ?」

 

 レオが壁にかけてあった一枚の絵を指差して達也に聞いてみる。自慢ではないが、彼は絵のことなどまるで分からないのだ。しかし、達也が答えを返す前に隣にいた深雪がタイトルを教えてくれた。

 

「これはゴッホの【夜のカフェテラス】ですね。中学の美術の教科書に載ってますよ」

「お~そういやぁ、そんな名前だったなぁ。うんうん。そういやぁそうだった」

「レオ、アンタしきりに頷きながらそんなこと言ってるけど、本当は分かってないでしょ?」

「あぁ。さっぱりわからん!」

「そこで胸張ってどうすんのよ……」

 

 深雪のフォローで作品名を思い出すも、エリカの追撃で完全に空まわりしてしまう。せっかく弄ってやろうと考えていたエリカも、開き直られては肩の力が抜けてしまう。レオと同じく壁に掛けてあった作品を見ていた達也も、深雪に聞いてみた。

 

「深雪、この絵は何だ?」

「この絵はモネの【睡蓮】ですね。そしてあちらにあるのは、ルノワールの【ピアノ弾く少女たち】。ここにある絵は印象派つながりなのでしょうか?」

「さぁ。オレにはちんぷんかんぷんだ」

 

 その隣で首をかしげる達也もまた、絵のことなどまるで分からないようだった。そのすぐ傍でほのかもジィー、と絵を眺めていたが、ホールの右奥にある壁の前で雫が無言で立っているのを見かけて近寄っていく。

 

「何をしてるの雫?」

「エレベーターを待ってる」

「え?あ、ホントだ。なんかここに扉がある」

 

 よくよく見ると、雫が立っている部分だけ壁の色が違う。人間一人分のサイズよりも少し大きめな扉があった。壁の色が変わっている所の中央に一筋の線があるところをみると両開きらしい。階数を示すものはなかったが、しばらくほのかと一緒に待ってると、『ポーン』という音と共に上向きの矢印が描かれたスイッチが点った。そして、無言で壁の扉が開く。

 

「……………」

「………ほのか、乗ってみる?」

「う、ううん。止めとく……」

 

 開いた先に見えたのは、真っ黒な棺桶だった。

 ……いや、正確に言うと棺桶っぽく見えるだけのれっきとしたエレベーターなのだか、なぜだろう、素晴らしく気持ちが悪い。ついでに言えばエレベータの床に埃が積もっているので、あまり使われていないのだろう。載ったらそのまま地下に埋められてしまいそうな気がして、ちょっとこのエレベーターに乗るのは遠慮したい。

 

「この建物、まだ上の階があるようだな」

「向こう側の壁には階段があったから、上の階があるのは間違いないよ。何階まであるのかはわからないけどね」

「時間が許すなら、出来る限り見ておきたいな………ん?」

 

 棺桶エレベーターのやりとりを傍目に見ていた零野と幹比古は窓際に腰掛けながら外の景色を見ていた。秋になれば外の風景と相まってこの建物は良い被写体になるだろうな。と想像しながらまだ緑色の並木道を眺める。すると、どこからか音が聞こえてきた。思わず、周囲を見渡してみるが、この付近で発生した音ではなさそうだ。

 

「どうしたの零野くん?」

「いや、なんかピアノの音が聞こえたような気がしてな」

「え?ピアノの音なんて聞こえないけど」

「いや、確か聞こえるぞ。外から聞こえてくるが……この上か」

 

 同じく窓の外の風景を見ていた幹比古は、零野の言葉に従って窓の外の音に耳を済ませてみる。すると、確かに零野の言うとおりピアノの音が聞こえてきた。

 

「ホントだ!でも、どこから聞こえてくるんだろう」

「たぶん、こうして俺たちに聞こえるってことは、窓を開けて演奏してるんだろうから、この上の階だと思う」

「上か……。少し、行ってみようか?」

 

 好奇心に突き動かされ幹比古たちに先導される形で、達也たちは左奥の階段を上っていった。

 

 

 

 




誤字報告、感想お待ちしてます。

………インターン先、早く決まらないかなぁ。

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