魔法科高校の詠使い   作:オールフリー

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IMA・CIL 来校 Ⅲ

 不幸というものは、まるで数珠つなぎのように連鎖していくものだ。今朝方修羅場を経験した冬夜の災難は、まだ続いていた。

 

「……………もう死にたい」

「なんだ、どうしたボス。なんでそんなこの世の終わりを目の当たりにした表情をしているんだ?」

「もう放っといてくれ……」

 

 色々とショッキングな出来事が重なった朝を越え、キリシェと一緒に第一高校前駅まで来た冬夜はげっそりとした顔で駅の構内を出た。朝ご飯はきちんと食べたような気がするが、実感がない。他のことに意識が向きすぎて味も分からないまま胃に押し込んだ感覚だ。他のことに目を向ける余裕もない彼は、近くにいた同じ学校の生徒たちがなぜか自分を見てざわついていても気にしなかった。どうせ今回の依頼の件で騒いでいるだけだろう、と自己判断していく。

 

「まさか水波までオレをギュッとして撫でてくるとは……恥ずかしくて死にそうだ」

「意外に大胆だったなあの娘。まさか正面から抱きしめて撫でるとは私も予想外だった。愛されてるなボス?」

「止めろ。頼むから思い出させないでくれ」

 

 鞄を持っているため、片手で顔を覆って現実から目を背けようとする。つい数分前に味わった水波の匂いや感触が脳内でありありリピートされる。彼女のことは半分従者として、半分妹のように思っていて女の子としては意識していなかったので、改めて女の子として接するとすごく調子が狂う。しかも彼女に撫でられているとき、これまで半ば妹のように接していたためか、なんというか背徳感にも似たような不思議な高揚感をも味わってしまったことに、冬夜は自分自身にショックを受ける。

 彼は自分が子供好きのロリコンだという自覚はあったが、それはソフトな意味であって決して性的欲求として見ているわけではなかった。娘を見守る父性本能のような形で幼い子供を愛していたが、まさか頭を撫でられて性的に興奮するなどーー手遅れにも程がある。

 

(失せよ煩悩ッ!消えろ劣情ッ!心頭滅却、心を無にするんだ。思い出せ、全国の紳士たちが持つ『イエスロリータ、ノータッチ』の信念を!)

 

 己の中にいる悪魔が強すぎるため「世界中の紳士(みんな)、オラに力を分けてくれぇぇぇ!」と叫びたくなるバカ一名。そんなの自分で何とかしろと言いたくなるが、こう見えても彼はまだ十五歳の少年。温かく見守ってほしい。

 しかし、抑え込もう抑え込もうとすればするほど今朝のことを鮮明に思い出してしまうのは、なんともまぁ天の邪鬼で憎い脳細胞だろうか。少し固かったが、雫よりも大きい上にまだまだ成長途中なのだと強く感じさせる水波の胸、不慣れな手付きで一生懸命優しく撫でてくれたあの姿や赤面したあの顔と緊張で上擦った声。

 ……不覚にも、くらっと来るものがあった。

 

(イエスロリータノータッチイエスロリータノータッチイエスロリータノータッチイエスロリータノータッチイエスロリータノータッチ……)

 

 念仏のように信念を復唱して記憶を抑え込もうとする大企業の社長。なんかもう雫に告白する以前に純愛を貫けるかどうかですら怪しいこの男は本当に大丈夫なのだろうか。一度強く己を縛めた彼は、自己嫌悪に陥りながら吐き捨てるように言う。

 

「くそ、今後どうやって水波に接すれば良いんだ。雫が淹れた抹茶なら大して惜しくもないけど、水波の紅茶が飲めなくなるのは嫌だ」

「よほど気に入ってたんだなあの娘のこと。ふふん、からかった甲斐があったというものだ」

「………飼い主に手を噛むペットなんて最悪すぎる。チクショウ不法投棄してぇ……」

「動物愛護団体を通じて訴えるぞご主人様」

 

 互いの言い分に無言で睨み合う上司と部下。「「ああん?」」と言いそうな表情でしばし立ち止まり、舌打ち混じりにメンチを切り合う。周囲の生徒たちは「何事だ?」と思って遠巻きに見つめ始めたが、当事者の二人にはそんなこと目にも入らない。険悪な雰囲気の中、火花が散る光景まで幻視できるほどにらみ合った二人は、どちらが口火を切るわけでもなく互いの不満をぶつけ始めた。

 

「もういい加減言わせてもらうけど、お前らオレに対して尊敬の念とか抱いてないわけ?毎度毎度寝起きドッキリしかけやがって。目覚めが最悪になる方の身にもなれ、辛いんだぞ!?」

「ふん。なら言わせてもらうがあの小娘は一体何なのだ?自分で『冬夜様のメイド』などとほざいていたが、お前が変なことでも吹き込んだからああなったんじゃないのか?というかそもそも、保護者もいないのに嫁入り前の娘と一つ屋根の下で暮らすとはどういう了見だッ!?」

「水波は母さんの家にいたときに付いてくれたメイドさんなんだよ!オレが一人暮らしなんて出来ないことぐらいお前らも知ってるだろ?交流会ん時に一人暮らしが辛すぎて無理言って来てもらったんだ文句あるか!?」

「大ありだ!お前も度々私に対して『モラルを持て』などと言うが、対外的に見てお前のほうが問題だろう!あの小娘と家にいるときお前は何をしてた?まさか、あの小娘と()()()()()()()でもしてたんじゃないだろうな!?」

「してるわけねーだろなにを想像してんだお前!?精々頭をポンポンしたり撫でたりたまに買い物に付き合ったりするぐらいだよ!お前の全裸パフパフよりずっと健全だ!」

「どこが健全だ!一つ屋根の下料理家事洗濯全てやってもらって頭ポンポンだと!?新婚夫婦のつもりか貴様!」

「今の説明を聞いてなんでそうなる!?」

 

 自覚のない浮気ほど恐ろしいものはない。

 

「別にこれぐらいフツーだろ!USNAにいた時リーナとだってこんぐらいのことはオレしてたじゃん!なんで今更そんなことで咎められる必要がある!?つーかそんなことよりもお前のことのほうが重要だろ!能力悪用して不法侵入とか止めろよな!?バレたらどうするんだよ!」

「それこそお前日常的にやってたじゃないか!不法侵入云々に関してだけはお前に言われたくないッ!」 

「なにおう!?」

 

 お前がどうのこうの言う前に不法侵入は犯罪なのだが、そこには一切触れないIMA幹部と社長。『入れないなら無理矢理入っちゃえば良いじゃない』と何度もやって来たので感覚が麻痺している。互いを責め合う不毛な争いは、いつしかヒートアップして衆人観衆の注目を集め、他人に聞かれてもギリギリなところまで進んでいく。

 ※画面の前にいる良い子のみんなはマネしないでください。

 

「そもそもお前が下着を着けていれば良いだけの話だろっ!下着じゃなくてももしくはTシャツとか!何で毎回全裸なんだよぉ!」

「前に私がYシャツ着て忍び込んだら『止めてくれ』とお前が言ったからだ。それに、服を着ずに寝た方が、私はよく寝られるのだから仕方ないだろう!?」

「オレに見られてもなんとも思わんのか!?」

「思わないな。なぜなら、見られて恥ずかしい思いをするようなプロポーションはしていないからな!」

「開き直った!?」

 

 キリシェの堂々とした言い分に冬夜はなにも言い返せなくなる。反論しようにもぐぅの根も出てこないほどバランスの取れたスタイルなので何も言えないのだ。反論の言葉が出てこないことを機と見たのか、大勢の野次馬が見守るなかでキリシェはカウンターの一言を放つ。

 

「色々言っているが本心では嬉しいのではないのかボス?昨夜だって私が添い寝し始めたら寝顔が柔らかくなったし、今朝だって鼻の下が伸びていたのを私は見逃してないぞ!」

「バッ……そんなわけないだろ!誰がお前の裸を見て鼻の下を伸ばしてなんて――ハッ!?」

 

 会話の途中でバッと後ろを振り向く冬夜。しかし視線の先には単なる野次馬の群れしかいない。その不可解な行動に訝しんだキリシェは冷ややかに冬夜へ声を投げかけた。

 

「……いきなりどうした。そんな真剣な顔をして」

「い、いや。今殺気が向けられたような気がして」

「殺気?そんなもの私は感じ……あー、そういうことか」

「え?つまりどういうこと?」

 

 突然向けられた殺意に冬夜が周囲を見渡して暗殺者でもいないのかと確認するが、なんとなく事情を察したキリシェは現実の非情さにほんのちょっぴり遠い空を見る。あぁ、今日も空が青い。この空が赤く染まる頃には、ウチのご主人様も赤く染まっているのだろう。そんな未来を予感した彼女はさっきから挙動不審な動きをしている冬夜の腕を掴む。

 

「さ、いくぞご主人様。早くしないとモニカに怒られてしまうからな」

「いや、だったら腕組むなよ歩きづらいだろ?」

「……何を言っているんだ?空間移動ならすぐに着くだろう?早くやってくれ」

「ダメだから!そんな私的目的に魔法使っちゃ捕まっちまうよ!」

 

 五話以降たびたびその【魔法の私的利用】をしている冬夜が、部下の手前、面子を保つために嘘をつく。なぜか恋人のように腕に抱き付いてきたキリシェを引き離そうともがきつつ、冬夜は一高に向かっていった。

 

 ◆◆◆◆◆

 

「結局なんだったんだあの悪寒は……」

「あ、冬夜くん来た。おはよー」

「おはようございます冬夜くん」

「今日は遅刻せずに来たんだな。チッ」

「空中で登校じゃなかったかぁ……負けたぁ」

「おおまさかの穴場!やったぜ!!」

「………これが原因か」

 

 人の登校状態でトトカルチョしないで欲しい。教室に入ると同時に見えた友人たちの反応に冬夜は脱力して席に着いた。聞いていると教室のあちこちで男子生徒の喜色と落胆の声が聞こえてくるため、男子クラスメイトの多くはこのネタで賭けをしていたらしい。解せぬ。

 

「人が頭抱えて悩んでるってーのにまったく……」

「まぁまぁ。お前が深刻そうな顔をしているからこそ、こうやって明るくしないとだろ?頭抱えてるだけじゃ、妙案は出てこないと思うぜ?」

「むう……」

「野性動物にしては珍しく頭が回ったわね。びっくりしたわ」

「んだと!?」

 

 いつも通りのエリカの物言いにレオが反応して睨み合いが始まる。以前だったならこの二人がケンカするたびにオロオロしていた美月も、ここ最近になると馴れてきたのか黙って見守っていた。

 普段通りならここでエリカがレオを言い負かすのだが、今日は一味違っていた。

 

「……そういうエリカだって『冬夜くんは今日サボる!』に賭けてたじゃん」

「あっちょっ!ミキ余計なこと言わない!」

「エ~リ~カ~?」

「ア、アハハハ~。……ゴメン」

 

 バツが悪そうにするエリカを見て、冬夜は「いいよ」の一言で済ます。賭けの対象にされたのはあまり良い気はしないが、彼らなりに励まそうとしてくれた結果なのだから怒るに怒れない。

 

(結論、早く出さないとな)

「あ、達也くん来た。達也くんおはよー……う?」

「うーっす。おはよう達……也?」

「おはようみんな」

 

 冬夜がそう心に呟くと、タイミングよく達也が登校来た。挨拶をしようと冬夜は振り返って達也の方を見るのだが、最後まで言葉は言いきることなく彼の顔をまじまじと見てしまう。冬夜だけでなく、いつもの面々全員がそうなっているらしく、何が起こったのか理由を知らない彼らは一度思考回路がフリーズを起こして、自動的に再起動処理に入ってしまう。深刻な悩みを抱えた冬夜でさえ、唖然として達也の顔を見たまま固まってしまった。

 

「どうしたみんな。オレの顔になにか付いているか?」

「付いてるっつーより……どうしたよそのほっぺ」

 

 冬夜がみんなを代表して手の形に赤くなった達也の頬を指差す。その左頬に紅葉が出来上がってなければ、冬夜たちもちゃんと挨拶出来ていただろう。なまじ達也の運動神経を知っているがために、達也の身に何があったのか分からなかった。

 しかし、本人だけは何事もなかったように席に付き、いつも通りに話し始めた。

 

「この頬か?なんでもないよ。少し登校中に深雪の機嫌を損ねただけだ。大したことじゃない」

「えっ!?それ深雪にやられたの?」

「本当ですか達也さん?」

「あぁ」

 

 達也は「ちょっとした兄妹ゲンカだ」と言ってくるが、冬夜たちにはそれが信じられなかった。当たり前だろう、この学校で司波兄妹といえば【血の繋がった夫婦】と揶揄されるほど仲の良い兄妹だ。その二人がケンカをすることなど考えられない。ましてや、()()司波深雪が敬愛するお兄様に平手打ちをするという事態は、彼らにとっては一種の天変地異と起ったと言い換えてもいい。本当に何があったのだろうか。

 

「ヤバイぞ。今朝の事と良い今日は不穏なことだらけだ。預けたCAD取り戻しておいた方が良いか……?」

「冬夜がそんなこと言うと本当に起こりそうで怖いんだけど……」

「名詠生物の襲撃があるかもなー」

「………そこまで大袈裟に考えることか?」

『当然!』

「……………」

 

 友人たちの反応に達也は軽い頭痛を覚えながらも、椅子の背もたれに身を預けて天井を見上げる。彼の頭の中は今、華宮ではなく深雪のことで占められていた。

 

 達也は一人、静かに少し前に起こったことを思い返していた--。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 ホテルで幹部たちが服のことで揉めていても、幹部の一人が社長の自宅で寝起き全裸ドッキリを仕掛けていたとしても、実際のところ()()IMAとCILという組織が学校にやって来るというイベントは、多くの生徒を湧かせることになった。やはり、生徒たちの関心を一番集めているのは先日永久機関を開発したCIL副所長の華宮だろう。その証拠に今日の放課後に組まれたモニカたちの特別講演は、魔法師志望の生徒たちより魔工師志望の生徒たちの方が期待を胸にふくらませているのが分かる。衝動は失ったが知的好奇心には満ち溢れている某シルバーでトーラスな少年も、その例外ではなかった。彼はIMAとCILが来校することを知って以降、自分が今抱えている永久機関の問題点を炙り出そうと、普段よりも長い間自宅地下の研究室に篭ることが多くなった。彼にとっても今日の彼らの来訪は願ってもない機会だったということだろう。

 長く篭るといっても三十分から一時間程度の差なのだが、彼を敬愛している妹からすれば面白くない変化。いや、彼女としても兄の思うままにさせてあげたいのは山々なのだが、嫉妬に燃える彼女の心がそれを許さない。

 その結果、どうなったかと言うと。

 

「……深雪、機嫌を直しておくれ。もしもオレになにか不満があるというなら素直に言ってくれ。なんとかして治すから」

「お兄様に非はありません。ですから、深雪に気を使う必要もありません!」

(困ったな………)

 

 達也が困り顔で深雪の顔を眺めるようになってしまった。深雪がへそを曲げている、ということは達也にも分かるのだが、そんな妹の可愛らしい嫉妬の感情を理解できても原因が分からないのでは困り事に他ならない。ここ最近の一時間程度の変化、今回のことに限らず度々起こることなので達也ならすれば心当たりがなく、対処のしようがない。なので『ここ数日妹を怒らせるようなことは自分はしてないはずだ……』と記憶を手繰って確かめても心当たりがないのだから分かるはずもない。達也は途方に暮れていた。

 

(女心は複雑だ……)

 

 途方に暮れたら、そういう結論に出るしかない。今朝家を出てから学校に来るまでの間、気まずくて仕方がなかった。この状況を打開するための策を今必死に練っているのだが、『今度どこかに出掛けよう』とか『深雪の好きなものを買ってあげる』といった常套句は今回通じない。ついさっきコミューターの中で試して『深雪がいつもその手で懐柔されると思わないでください!』の一言でバッサリ切られたからだ。ならば別の手法で、と彼は頭を悩ませるのだが、いかんせん女心に鈍いため妙案が浮かばない。

 

(まったく。お兄様は酷いです!深雪は物で釣られて簡単に機嫌を直すような、そんな安い女ではありませんのに!)

 

 一方の深雪は、膨れっ面になって達也の隣を歩く。自分のことを放っておいて、いざ機嫌が損ねたら甘言でどうにかしようなどと、自分のことを甘く見ているとしか思えない。

 

(こうなったら、お兄様にはとことん悩んでもらいましょう!)

 

 それは、いつもの彼女なら考えもしない意地悪。兄が()()()()()を思って困った顔をしているのを見てみたいという、他愛もない彼女なりの悪戯。なんでも良いからこの状況を打破しなければ、と達也が思えば思うほど華宮のことは頭から離れ、自分のことに集中している--そう考えるだけで、深雪の心は満たされていった。なんともチープなプライドである。

 

 そんな深雪の醜い嫉妬を神が見咎めたのか、それとも達也の真剣な思いが神に通じたのか。はたまた、トラブルメーカーの象徴こと冬夜の血縁であることが関係したのか。

 

 彼らの気まずい雰囲気は校門を潜った時点で跡形もなく粉砕されることになる。

 

(…………ん?)

 

 最初に異変に気付いたのは達也だった。日々、隠遁を得意とする忍術使いの師を相手に組手をしているせいだろう。直感的に昇降口に向かう途中の並木の中の一つから、誰かが隠れているような気配を感じたのだ。

 校舎に向かって歩く他の生徒たちは一切気が付いていない。かくゆう達也も、普段なら気付かないままスルーしてしまいそうなほど上手い陰形だった。おそらく、気配を殺すレベルなら師匠と同等クラスの熟達者。それも校門近くとはいえ、警備が厳重に敷かれているこの一高に忍び込むほどの実力者となると相当なものだ。いったい何が目的でこんなところに隠れているのか。

 

(…………もしかして暗殺か!?)

 

 守護者(ガーディアン)としての責務のおかげだろう、咄嗟にその可能性に思い当たった達也は、警戒心を一気に最高値にまで引き上げ先手を打とうとCADに手を伸ばす。今後のことを考えれば、最悪この場で【分解】を使ってでも侵入者を排除する必要があると思った故の行動なのだが……。

 後に冬夜に聞いたところ、その行動がいけなかったらしい。

 

 木の上に隠れていた人物は、自分の陰行に気が付いたのは冬夜だと勘違いして--冬夜と達也は、一卵性の双子である母をそれぞれ持つためか、どことなく似ているところがある--木の上から達也目掛けて飛び込んできた。

 

「ボォォォスゥゥゥ!!」

 

 達也が懐のCADに触れたとほぼ同時、彼の右斜め真上から楽しげな女性の歓声が落下。

 そして。

 

「!?」

「お、お兄様ッ!?」

 

 ムニュゥ、という効果音が付きそうな形で達也の顔が落下してきた女性の胸に埋まる。あまりの事態に深雪さえも目を奪われたまま唖然としてその場で凍り付いてしまう。達也も達也で体勢を立て直そうとなんとかその女性から逃れようと試みるのだが、頭を抱きかかえるようにして達也の頭をがっちりロックしているものだから離れなれない。その上ムニムニと形のいいおっぱいが顔に当たって非常に気持ちいい。……って、今そんなこと思っている場合じゃないだろう!と達也は自分自身に叱咤するが、いかんせん彼でも生物としての本能は消えていないので、雄の本能には逆らえない。

 

「お久しぶりですボス!もう、少し見ない間に背も伸びて体格も男らしくなりましたねぇ!イシュタルお姉ちゃんは少し寂しいですよぉー?」

 

 司波兄妹が呆然としているのを他所に、木の上から達也と冬夜を勘違いして飛び込んできた彼女は、そのままデレデレとしただらしない顔のまま挨拶をした。背丈よりも長い金属槍を背に結わえたレディススーツの女性。大人びた顔立ちに反して、その表情は幼げなほど明るい。眩しく輝く黄金色の長髪が印象に残る美女だが、深雪の記憶が正しいならば、この学校の教師ではない事は確かだ。

 

「だだだだ誰ですかアナタは!!い、いきなりお兄様に抱きついてきていったいなんなんですかッ!?」

「あ、どうも。いつもウチのボスがお世話になってまーす」

 

 と、ようやくここに来て硬直から解放された深雪は、動揺を露にして兄を抱き抱える美女を指差す。一方の美女の方は、のほほんと深雪に挨拶して達也の頭をなで始めた。

 

(この人、オレと冬夜を勘違いしているのか?この体制のことも含めていろいろとマズい。早く誤解を解かなければ)

「よーしよーし。毎日学校にちゃんと通っているようで安心しました。お姉ちゃん一安心」

「ム、ムグッ、ムググッ!」

「それにしても、こんなに綺麗な彼女さんと毎朝登校だなんて妬けますね~。リーナちゃんが見たら泣いちゃいますよ?」

「か、彼女!?」

「ムグゥ!」

「もうッ、『違う!』だなんて言っちゃって。ボスったら照れちゃって可愛い~。もっとナデナデしちゃいましょう」

(ダメだ全然離れない!!)

 

 言っていることは脳内お花畑状態のダメ姉そのものなのだが、それでも達也の全力の逃亡を阻止するだけの技量を平然と使っているのはさすがIMA幹部といったところか。まぁ、冬夜も最悪空間移動しなければ逃げられないのが彼女の抱き付き攻撃の恐ろしさでもあるので、仕方がないといえよう。

 

(どうする?どうやってコイツから離れる?)

 

  力を使っても離れられない。かといって空間移動のような便利な能力は有していない。だが、分解を人前で使うことは避けたい。……これらのことを考えると深雪に助けを求めるのが一番ベストなのだが、まだ妹は正気に戻っていないらしい。というか、この状況で正気に戻られても命の危険がありそうで困る気がするのは考えすぎか。

 

(考えろ、考えろ……) 

 

 いろんな意味で大ピンチな達也は必死で脱出する方法を考える。チートな記憶力を持つ彼は自身の経験から別の答えを出そうと模索する。きっと今日は達也にとって吉日なのだろう。考え始めたその時、達也の頭に天啓が舞い降りた。

 

 --なに達也?侵入者が顔を抱きしめて離さない?

 --達也、それは無理矢理引き剥がそうするからからだよ。

 --逆に考えるんだ。

 --『逃げなくってもいいや』と考えるんだ。(※意訳)

 

 ピンチからなにをとち狂ったのか逃げないという選択肢を頭に浮かべてしまう戦略級魔法師。そして残念なことに『押してダメなら引いてみろ、ということか』と天啓を理解してしてしまった彼は、とりあえずそれを実行に移してみる。

 

 ただ無言で、美女の胸にすべてを委ねてみた。抵抗をやめて無心となり、枕に頭を乗せるように顔をおっぱいに埋めてみた。ムニュン、という感触と女性のフェロモンというのだろうか甘い香りが彼の鼻腔に伝わってくる。

 ……存外女性の胸というものは柔らかいものだな、という彼らしい感想を達也は抱く。この状況から脱出出来るよう、一縷の望みをかけて金髪美女のおっぱいに身を委ねる。決して魔が差したわけではない。

 そしてそれが、達也の望み通り活路を切り開いた。

 

「ボス?ボス~?あれ、おかしいな。いつもだったらもっともがくはずなんですけど」

 

 いつもより抵抗が少ないことに疑問を感じた彼女は、自分から達也を引きはがして自分の読みが当たっているか確認しに入った。力も弱まり、脱出の好機と見た達也が離れようと、足に力を入れて後ろに跳びかけた瞬間。

 

 ガンッ!!という何かを殴りつけたような鈍い音が、達也の近くから聞こえてきた。

 

「………すまん。うちの者が迷惑をかけた」

「気にしないでくれ。こいつはそういう奴なんだ」

 

 一足飛びに侵入者と距離を取り、戦闘態勢に入る彼の前に現れたのは侵入者の仲間らしき男女二人組。急に襲われたこともあって疑心暗鬼になる達也だが、達也を襲ったであろう女性を肩に担ぐ金髪の男性に、その隣に立つ桃色の髪をした女性がバツの悪そうな顔で達也に頭を下げるのを見て、彼も一応警戒を解いた。

 

「今は時間がない。後でキチンと謝罪をしたいから、君の名前を伺ってもいいだろうか?」

「…………司波、達也です」

「司波くんか。では、また後で」

 

 そういってスーツを着た二人組はそのまま校舎のほうへ向かっていった。いったいなんだったんだ今のは……。と彼が危機を脱したことにホッとすると、深雪がそばまで駆け寄ってくる。いつの間にか近くに出来ていた人混みも、まばらに解消されていく。

 

「大丈夫ですかお兄様!?」

「あぁ、特に問題ない。大丈夫だ」

「いったいなんだったのでしょう先ほどの御方は……」

「さぁ……なんだかオレと誰かを勘違いしていたみたいだが、『ボス』という呼び方から察するに、IMAかCILの誰かなんだろうな。となると、間違えたのは冬夜か」

「なるほど、そうだったのですか……。しかし、お兄様がご無事で何よりです」

「心配してくれてありがとう深雪。さて、時間もないのはオレたちも一緒だし、教室へ急ごうか」

「はい」

 

 ニッコリとした笑顔で自分に微笑んでくれる妹。どうやら、今の騒動で今朝からの不機嫌もどこかへ吹き飛んでしまったらしい。災い転じて福と為す。このことわざが思い当った彼は、先ほどの天啓に続いて今日一日は良いことがありそうだと考える。

 襲撃者の正体もわかり、深雪の身に何かしようとする気はないと感じられたので、さっきの件については達也も『よくあるトラブルだ』と割り切ってしまう。腹黒いがそういうさっぱりとした性格なのは、きっと達也が周りに好かれる要因の一つなのだろう。

 そしてそのまま、いつもと同じように達也は深雪と一緒に校舎に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「ところでどうでしたかお兄様。先程の方の胸の感触は」

「柔らかかったな……。あ」

 

 

 

 

 

 

 …………きっと、こういう愛嬌のあるところも好かれる要因なのだろう。ピンチを切り抜け、一安心して呆けた頭のまま深雪の質問に正直に答えてしまう達也(バカ)は、その瞬間にまた固まってしまう。答えた後で気が付いても時既に遅し。恐る恐る横に振り向いたその先には、見たものを石化、ではなく凍化させるゴーゴンの瞳(深雪の笑顔)が。もう夏に近くなってきているというのに達也は急に震えが止まらなくなる。

 

(やっぱり今日は厄日だ)

 

 彼が手のひらを返すのは早かった。そして、深雪がスノークイーンの威圧を出して兄に迫るのも早かった。

 

「そうですかそうですか。そうですよね。お兄様も殿方。女性の胸に埋もれて嫌な思いはしませんよね。個人の好みの違いはあれど、殿方は皆女性の胸が好きですものね。えぇ、深雪はちゃんと理解してますよ?」

「ま、待ってくれ深雪。今の発言はなんというかそのだな」

「オニイサマ?」

「はい」

 

 その一言で達也はすべてを察した。察して、全て諦めた。

 まるで、悟りを開いた釈迦のような心境に至った達也は空を仰ぐ。今度もまた空から天啓が降ってくるか期待してみたが、今度は何も聞こえてこない。

 天にまで見放された(ような気分)になった達也は、最後のあがきとして、太陽のように眩しく微笑む妹に、自分でできうる限り最高の笑顔を浮かべてみた。

 ……まぁ、結果なんて聞く必要もなく。

 

「反省してください♪」

「………………はい」

 

 この日、達也の頬には季節外れの真っ赤な紅葉が煌めいていた。

 


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