魔法科高校の詠使い   作:オールフリー

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続きです。



九校戦に向けて(下)

 『空を飛ぶ』

 これは、人類に長年追い求め続けてきた夢と言えよう。1903年にライト兄弟がフライヤー号を作り、初めて人が空を飛んでから約二世紀。今でこそ飛行機やヘリコプターといった【空を飛ぶ乗り物】が当たり前のように存在しているが、現在のように使われるようになるまでも、多くの人々の挑戦と苦悩があったに違いない。

 SF作品やファンタジーの中では、さらに『魔法によって空を飛ぶ』ことがよく描かれている。道具の有無や会得難易度など色々作品によって扱いは変わってくるが、『空を飛んでいる』ことに違いはない。大空を伝って人やモノが世界中を飛び回るようになっても、このような魔法が往々にして出てくるのは、やはりそれだけ人が『空を飛ぶ』という行為に、どれだけの憧れと夢を抱いていることが分かる証左であることに違いないだろう。

 

 では、その『魔法』が(極小数ではあるものの)使えるようになった現在において、『空を飛ぶ』という行為はどのように位置付けられているだろうか?

 

 答えは単純。『多分出来ると思うけど、まだ術式が出来てない』。現代魔法学が確立された当初からその『常駐型重力制御魔法(飛行魔法)』による実現性が提唱されていたにもかかわらず、その実現に今日まで至っていない。古式魔法師の中には飛行魔法を使いこなす者もいるが、それは属人的なスキルであって汎用の魔法ではない。素質があれば誰でも魔法が使えるようになった今においても、『空を飛ぶ』という行為は、人類の夢であり続けて()()

 

「〜〜♪」

(だから、なんでこんなに上機嫌なんだ?)

 

 しかしそれも、つい昨日までのこと。今はもう違うと司波深雪は知っていた。なぜなら、彼女は知っているからだ。自身の隣に立つ自慢の兄、司波達也がその夢を実現したことを。

 自分の顔を見て不思議そうな表情を浮かべる兄には分からないだろうと彼女は思う。魔法師の資質さえあれば誰だって自由に空を飛べる、汎用型の飛行魔法を開発したことへの偉業の大きさと、その偉業を成し遂げた人の妹であることの誇りが。普段友人からは『あぁ、また深雪のお兄様談義が始まったよ……』と呆れられているが、仕方がないではないか。だって、人類の長年の夢をわずか十六歳で成し遂げてしまうような人が兄なのだ。誇りに思わなくてどうする。世間一般で言うところの普通の兄妹であっても、兄が世界の常識をひっくり返すような偉業を成し遂げたら、きっと周囲に自慢するはずだ。自慢に思わないはずがない。

 そしてそれはきっと、今いる場所の面々も同じように思ってくれるだろう。

 

 今深雪と達也は、彼らの父親である司波龍郎が本部長を務めるCADメーカー、『フォア・リーブス・テクノロジー(FLT)の研究所に来ている。ただしここは、本部付属の研究室ではなく自宅から電動二輪(モーターバイク)で一時間ほどかかる辺鄙な場所に建てられたCAD開発センター。達也、もとい稀代の天才魔工師『トーラス・シルバー』が所属している『フォア・リーブス・テクノロジー(FLT)CAD第三課』がある場所であり、つまり、達也にとって仕事場となるところだ。

 FLTの中でもはみ出し者を集めたこの部署では、珍しいことに深雪よりも達也のほうに注目が集まり敬意を示されている。自分に対する視線を全く感じないわけではないが、それでもここでは達也のほうが優先順位が高い。そのことに深雪の機嫌は無条件で上昇する。やはり自分にとって、自慢の兄が評価されているところを見ると嬉しくなるものだ。ほかの場所では、自分と達也を比較して、相対的に劣っているように(少なくとも表面上は)見える達也を卑下するような言葉を言う人が多いが、ここはその心配がない。そうなった理由としてはやはり、今やFLTの代表的製品として、社会に認知されているシルバーモデルの作成に達也が深く関わっているからだろう。シルバーモデルの開発後、本部に対する発言権も高まったことも相まって、ここでは達也に対して高い忠誠心を抱く研究者や技術者が集まっていた。

 そしてそれは、今回の飛行魔法の開発によってもっと高まっていくのだろうと深雪は思う。

 

「やりましたね御曹司。御曹司の開発した飛行魔法の完成で、また現代魔法の歴史が塗り替えられましたぜ」

「牛山さんの提供してくださったT-七型のおかげですよ。アレ、本当に使いやすかったです」

 

 その高い技術者たちの中でも、最も達也と縁深いアフロヘアーの男性が、満面の笑みを浮かべて達也に声をかける。達也も口元に微笑を浮かべ言葉を返す。

 彼の名は牛山。本人は『しがない技術屋』などといっているが、ハード面に関して実に豊富な知識を持つもう一人の『トーラス・シルバー』だ。稀代の天才魔工師【トーラス・シルバー】の正体とは達也と牛山、『ミスター・シルバー(司波達也)』と『ミスター・トーラス(牛山)』のコンビのことである。

 

「御曹司は謙遜が過ぎることがいけねぇや。ま、そこもアンタのいいところなんだろうけどな。それでどうでしたかい?テストの結果は」

「そうですね。欲を言えばキリがないんですが――」

 

 昨夜達也が開発した飛行魔法。その術式が本当に誰にでも使えるかどうかを試すのが今回の訪問の目的で、達也は満足とは言えない顔をしていた。術式は無事作用し、第三課所属のテスターたちが自由に『空を飛んで』いた。深雪も、昨夜達也に頼まれて飛行魔法を試して見たが、あの瞬間に感じた快感は、筆舌に尽くし難いものだった。宇宙服のような恰好をしたテスターたちは、達也が作った素晴らしい魔法(深雪にとっては達也の作った魔法はなんであれ素晴らしい魔法だ)の効力によって、世間より一足先に感じられた快感に歓喜の声をあげていた。

 

『やべぇ……気持ち悪い……うぷ』

『いい歳して、調子に、乗りすぎた……う』

『鬼ごっこ、なんか、するんじゃなかったよ……ぐ』

『体、重……。疲れ……うぅ』

 

 ……………いかに素晴らしい魔法と言えど、その発動にサイオンが使われていることに変わりはない。体が完全に自由になった恍惚感に当てられて、魔法を使ったまま遊び始めた彼らは、サイオン枯渇時の影響によって今にも死にそうな声を出していた。こころなしか、ホラー映画に出てくるゾンビのようにも見えなくない。

 

「オラお(めぇ)ら!いつまでもボサッとしてないで立ち上がれ!まだやることあんだろうが!!

『『『『オオオォォォォォォ………』』』』

「なんか、そのまま機材に使えそうな唸り声ですね。アレ」

「亡者じゃないだろって……たく。一発気合い入れに行ってくるか」

 

 牛山がこめかみをぴくぴく動かしながら肩を回す。数秒後、小気味よい音が数回研究所に鳴り響くのだろう。

 さて、結果は見届けた。ここにいても、自分に手伝えることはないだろう。技術の面でもそうだし、職員の方々が自分に意識を向けて職務に集中できない(その結果、達也の仕事に影響が出る)ことは避けたほうがいい。ここから先は、兄だけの領域だ。

 そう思った深雪は、達也に一声掛けて、一人研究所内のティーラウンジに向かっていった。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 世の中はそう上手いこと行かないことを、司波達也は知っている。そのことを最近痛感したばかりだが、思えば四月からずっとそうだったことを思い出す。だがまぁ、最近従兄弟だという事が判明した友人よりマシだと自分を慰めている。権力(ちから)はあるものの、あれだけ動き辛いのは大変だろうと思う時があるからだ。特に七草家に目を付けられていることとか。それに比べたら、自分は自由に研究が出来るし、家のことでコソコソとする必要もない。気が楽だ、とはっきり言える。

 しかしそれでも、もう少し上手いこと行かないものかと彼は思う。飛行魔法のテストも終わり、ティーラウンジに待たせていた深雪を迎えに行って研究所から出る前に、その人とバッタリ会ってしまった。

 

「……深雪」

 

 一人は、自分たちの実父である司波龍郎。普段はFLTの幹部として本部の方に出勤している彼が、今日この研究所に来ていることは先ほど牛山から聞いていた。可能ならば会いたくないと願っていたのだが、残念ながらその願いは叶わなかったらしい。彼ら兄妹はその出生の経緯から、あまり父親と仲が良いとは言えない。特に彼の現在の妻である女性――つまりは達也たちの継母――との仲は最悪だ。特に深雪は彼女を毛嫌いしている。

 しかし、彼だけだったらまだなんとかなった。仮にも自分たちは血の繋がった親子。気まずい雰囲気になっても適当に別れることが出来る。だが、この場に居合わせたもう一人の男性にはそうはいかない。こちらの人物としても、やはり達也たちとしては顔を合わせたくない人であって、可能な限りこの場からいち早く立ち去りたいと考えていた。

 

「これは深雪お嬢様。ご無沙汰しております」

 

 彼ら兄妹にとって旧知の間柄といえる、四葉本家の魔法師。本家という時と同じく執事服姿に身を包んだ青木が、深雪に対して恭しく頭を下げた。

 有頂天だった機嫌が、急激に冷めてくるのを深雪は自覚する。なまじ気分が良かった分、余計に彼らの登場に顔を顰めたくなった。息子に対して無関心といえる態度を取る父親と、兄を不当に貶める本家の人間。淑女として実母に厳しく躾けられていなければ、顔を顰めてしまいそうだった。

 そして達也は、そんな妹の変化にこの場をどうやって穏便に切り抜けようか考えていた。

 

「ええ。お久しぶりです、青木さん。こちらこそご無沙汰しております。ただ、ここにいるのは私だけではありませんが。

 お父様もお元気そうですね。先日はお電話ありがとうございました。しかしたまには、実の息子にお声を掛けていただいても罰は当たらないかとおもいますが?」

 

 挨拶をされてしまったのなら、返さなければ失礼に当たるもの。深雪は茨の棘だらけの返事を青木と父親に返す。だが残念ながら、相手は胃薬を常用しながら毎日を生き抜く猛者。深雪の茨の棘など屁でもない。

 

「お言葉ですがお嬢様、この青木は四葉家の執事として、四葉家の財産管理の一端を任せられている者にござりますれば、一介のボディガードに例を示せとおっしゃられても。家内にも秩序というものがございますので」

「私の兄ですよ」

「ええ。ですので()()()。いくらそこのボディーガードが、深雪様と同じく深夜様のご子息といえど、態度を変えるわけにはいきません。『深夜様のご子息だから』と特別扱いすれば、分家の候補者の方々や彼らを守るガーディアンたちに不公平ですから」

 

 相手の言葉を逆手に取って、深雪を黙らせる青木。さすが今年に入ってから気苦労を重ねることが多かったためか、相手の反論の仕方も上達したように思える。上達するまでの過程を思い出すと死にそうになるので、黙って忘却の彼方へ押しやることにした。

 

「むしろ私の方が聞きたいですな。今年度に入ってから一高で二度も事件が起こっております。見たところキチンと深雪様のガーディアンは職務は果たしているようですが、身の安全を脅かされる危険には遭っておられませんか?」

「ええ。私がここにいることこそが、その証拠です」

「なるほど、愚問でした。申し訳ございません。となれば、深雪様はともかくそこのボディーガードは反唱をマスターしていると考えてよろしいのですかな?」

 

 チラリと、達也の方に視線を向ける青木。まさか自分に話が振られるとは思ってなかった達也は、青木の視線に面食らいながら、その問に答えた。

 

「はい。夜色以外の五色の反唱は、マスターしています」

「よろしい。これからも精進したまえ。お前は、そのためにそのために存在しているのだから」

 

 言われるまでもない、そう達也は思う。自分の内側に唯一残った激情が、深雪を失うことを許さない。そのために彼は交流会が終わった後、こっそり修に頼んで反唱のやり方を教えてもらっていた。

 

 『深雪を守る』のは、達也にとって存在理由(レゾンデートル)と言い換えていい言葉だ。彼は深雪を守るために必要と判断すれば、どんな技術でも学ぶつもりでいる。()()()()()()()彼は六歳の頃に実母――司波(旧姓:四葉)深夜のみが使える『精神構造干渉魔法』によって、精神を改造されていた。

 具体的には、彼の心にある『強い情動を司る部分』が白紙化され、代わりに魔法演算を行う『人工魔法演算領域』を植え付けられた。

 

 その結果彼は、性能が悪いとはいえ、生来から使える二つの魔法以外にも、普通の魔法師と同じように魔法が使えるようにはなった。

 代わりに彼の心からは妹を想う激情以外の全ての『強い感情』が消失した。

 

 例えば、彼は怒りに我を忘れることはない。

 恨みも憎しみも持たない。

 悲嘆に暮れることもなければ、嫉妬に胸を焦がすこともない。

 食欲はあっても暴食の欲はなく、性欲はあっても淫楽の欲はなく、睡眠欲はあっても惰眠の欲はない。

 そして、異性に心を奪われることもない。

 

 なので達也は、自分をこうした母親に対して恨むことすら出来ない。

 

「…………話ついでに聞きたいのだが、お前は今年の九校戦に参加するのか?」

「……?はい。技術スタッフとして参加する予定です」

「そうか……」

 

 なんの気の迷いだろうか。青木から達也に質問が飛んできた。この話の流れから分かるように、青木はこれまで達也をボディーガード以上の存在として見てない。故に、彼が話をする相手はいつも、自分ではなく深雪だった。そんな彼が、今自分から達也に声を掛けた。この変化に達也も深雪も怪訝そうな表情をする。達也の答えを聞いて、なんだか残念そうな表情を浮かべたことも『腹に何か抱えているのではないか』と一層疑わしく見える。

 

「自分が参加することで、なにか問題でも?」

「いや。それはない。真夜様もお前が九校戦に参加することについてなにも仰られてはいないし、私も問題があるとは思っていない。だが……」

「だが、なんでしょうか?」

「個人的にお前に同情するべきか、それともお嬢様と一緒に参加することを安堵するべきなのかが分からん………」

「「………………?」」

 

 要領を得ない青木の回答に、達也と深雪の頭が疑問符で埋め尽くされる。そして同時に、目の前にいる人間が本当に四葉家序列第四位の青木なのか疑わしくなってきた。仕事上の付き合いで聞くならまだギリギリ分からなくもないが、青木が個人的に達也に同情するなど、天変地異が起こったと言っていい出来事だ。

 

(エイドス上は青木さん本人で間違いはない。となると……。まさか青木さん、なにか悪いものにでも当たったんじゃ……)

(まさか青木さん、どこか頭に怪我を……?いや、もしかしたら四葉の仕事が忙しくておかしくなったのかしら……?)

 

 気持ちは分かるけど、ちょっとそれは失礼だと思う。

 

「……達也、お前九校戦に出るのか?」

「あぁ」

 

 兄妹たちが本気で青木のことを心配し始めると、龍郎が口を挟み始めた。意外そうな、しかしどこか納得しているような顔をする彼に、達也は能面の様な顔をそのまま向ける。

 龍郎は「そうか……」と短く返事をすると、チラリと深雪のほうを見て。

 

「まぁ、なんだ。がんばれよ」

「あぁ」

 

 達也と視線を合わせることなく、ぶっきらぼうに応援した。達也も短く返事を返して親子の会話は終了。激情を失った達也にとって、父親にエールをもらっても心に波風ひとつ立たない。その光景に深雪は『私の顔を見る必要なんてないのに……』という気持ちと『まぁ声をかけたので良しとしましょう』という気持ちがごちゃまぜになった複雑な感覚に陥る。

 

「深雪様」

 

自分の気持ちに結論を出したのか、それとも空気を読んで黙っていてくれたのか、親子の会話が途切れたところで再び青木が深雪に声をかける。深雪は内心で疑心暗鬼になりながら、表面上は凛々しい顔のまま返事を返す。

 

「はい」

「四葉家に仕える者として、あなたと、そこのボディーガードに一つ、老婆心ながら忠告したいことがございます」

「………なんでしょう?」 

「九校戦では、何があっても心を強く持つことをオススメします。心配ならば、胃薬を持っていった方がいいでしょう」

 

深雪は半分以上本気で青木が精神改造を受けてないか心配し始めた。兄に対して態度を軟化させてくれたのは素直に嬉しいが、今まで冷たく当たっていた人が急に優しくなると不安になる。

しかし、当の青木本人は親切心とこれまでの経験から忠告をする。九校戦という華やかな舞台で、万一深雪が負けるようなことにはなって欲しくない。特に、真夜のスケジュールを知っている身として、次の九校戦は波乱が巻き起こることを感じていた。

 

「すみません青木さん。それはどういう……?」

「失礼、これ以上は申し上げられません。それでは、私めは本家に戻らねばなりませんので、ここで失礼させていただきます」

 

今年に入って胃薬が恋人になった青木の忠告。そして兄妹たちは青木の急な態度の変わりようにしばらく立ち尽くすことになった。

 

◆◆◆◆◆

 四葉冬夜、旧姓黒崎冬夜の九校戦参加が確定した。

 このニュースを聞いた無頭龍の幹部たちは、苦い顔を突き合わせて円卓を囲っていた。

 

「どうする……?ものの見事に回避されたぞ」

「十師族の策が運良く噛み合って不参加確定かと思っていたが……やはり、そう上手くはいかんか」

「いや、むしろ状況は悪化している。奴の手下が九校戦に関わることになってしまったぞ。古式魔法にも長けている奴らのことだ。迂闊に介入することが出来なくなった」

「しかも残ったメンツにキリシェ(竜姫)やモニカもいる。索敵能力に優れた奴らのことだ。あまり『ジェネレーター』を送ることも出来ん」

「大会まで日数も少ない……。どうするか」

 

 早朝だというのに深刻な空気が彼らを中心に包み込む。ここまで大会が近づいたとなれば、もう開催後にどうにか手を打つしかない。既に違法トトカルチョで主催者(彼ら)が賭けた三高が優勝するための策を幾つか投入しているとはいえ、不安は尽きない。

 しかしどうすれば良いのか。一晩中話し合っても、彼らの頭にはこの状況をひっくりかえせるような妙案が浮かばなかった。

 

「こうなったら洗脳技術で我々の協力者を増やすしか」

「そうだな。もっとも確実な手といえばそれだろう。有象無象も輩でも、いないよりマシだ」

「IMAの連中も任されたのは警備部門。既に決められた人員を疑うことはせんだろう」

「決まりだな。では九校戦が始まるまではその方針でい――」

 

 幹部たちの意見を取りまとめ、支部長のダグラスが方針を決めようとする前に電話が鳴った。それは、組織の中でしか使われない秘匿回線からの呼び出し(コール)。この状況で誰だ?と全員が訝しげに見るが、躊躇っていても仕方がない。幹部の一人が受話器を取った。

 

「私だ」

 

電話を取ると同時に表示される画面。その向こうに移っていたのは、彼らが本部に指示されて作っていた、ここにいる人員以外はその存在を知らないとある部署の部屋だった。画面の中央に、陰気な顔をした一人の男が映っている。なんのようか、と幹部の一人が口早に尋ねると、その男はぼそぼそした声で一言告げた。

 

「指示された例の、『魔物』が出来た」

 

 それを聞いた瞬間の、幹部たちの表情をどのように表現すれば良いか。

 互いに顔を見合わせた彼らは最初、ハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、その後思わず快哉を叫びそうな気持ちになる。天にも昇る気持ち、暗黒な前途を照らす光明のように、()()はやってきてくれた。

 部下の手前神妙な顔を保ったままだったが、幹部の一人が完成した『魔物』をここに持ってくるよう指示した後、彼らの顔は喜色にまみれた。あるものは安堵の呼吸をし、あるものは小躍りしたくなる。この土壇場で、行き詰ったこの状況をひっくりかえせるような妙案がやってきた。

 

「天は我らに味方したようだな」

「あぁ。まさかこのタイミングで出来上がるとは。我々も運がいい」

「そうだな。まさしくそうだ」

 

 徹夜して五人の初老の男が顔を突き合わせた甲斐があったものだ、とダグラスは思う。少なくともこれで、今年の九校戦で大敗しても粛清されずに済む保証ができた。同時に、背筋にゾクゾク走る快感を覚える。これで一つ、彼らは消失した古式魔法の一つを復活させることができた。

 

「【金蚕蟲(きんさんこ)】……あの最強の蠱毒が完成するとはな」

「『その毒で殺した人間の財産を、すべて金蚕蟲の所持者にもたらす』、蠱毒使いが夢見る最高の蟲。はるか古代に失われて久しいと思っていたが」

「なに。我らの研究者が特別優秀なだけさ。この研究成果の前ではあの永久機関さえ霞んでしまうだろう」

「確かに。所持者に巨万の富をもたらすこの蟲は、我らに更なる繁栄をもたらしてくれるだろう。年に一度生贄を出さなければならないらしいが、そんなものあってないようなデメリットだ」

「これをボスに献上すれば、今期の失敗など帳消しにできる。これこそ天恵というやつだな」

 

 口々に金蚕蟲の完成を喜ぶ犯罪者たち。先ほどのどんよりと曇った空気から一転、清々しい晴れ間を見たような気分に彼らはなる。一通り、彼らは自分の身が守られたことについて笑顔で語り合い、金蚕蟲を完成させた研究者たちに手厚い奨励金を出すことを決めると、次の話し合いを始めた。

 

「さて、皆の命が保証されたところで皆に一つ提案したいことがある」

「それはなにか?」

「先ほど部署から完成の報告があった金蚕蟲だが……実は二匹いるらしい」

「二匹だと?それは本当か」

「あぁ。もちろん二匹ともボスに献上するのは当然なのだが、ここで一ついいだろうか?」

「言ってみろ」

 

 ダグラスに促されて、先ほど電話を取った幹部が同僚たちに提案をしてみる。

 

「この金蚕蟲がどれほどの力を持つのか、九校戦で確かめてみたくはないか?」

 

 彼の提案に、無頭龍の面々は発言者の顔をマジマジと見る。彼は、ダグラスを含めた全員の顔をゆっくり一人ずつ見ていくと、理由を説明し始めた。

 

「今、我々は金蚕蟲という魔法史史上最高の魔物を手に入れた。しかし、その効力が伝承通りのものかどうかは未だにわからない」

「なるほど、ボスに献上するにしてもそれが本物かどうかを確かめる必要があるわけだな?」

「そうだ。金蚕蟲のうちの一匹を使い、一高選手に使って確かめる。上手くいけば賭けに勝つこともできる」

「待て。とはいえそう安易に使っては大量の死者が出るだけで九校戦が中止になるだけだ。それに金蚕蟲を手放すには、金蚕蟲で得た富に数倍の利子をつけて手放すというルールが存在する。そんなことでは、賭けの売り上げをなかったことにするだけだ」

「そうだ。だから金蚕蟲の毒は十文字克人、七草真由美、四葉冬夜の三人には使()()()()。金蚕蟲の能力を証明するには、われらの今この状況から覆すだけで十分。今期のノルマを『金蚕蟲の力で勝った』といえば十分箔がつくだろう?」

「なるほど。確かにこの条件で十師族の富を得ても手放す時に面倒なだけだな」

「ということは、狙うのは十師族以外?」

「そうだ。特に『一般』の魔法師。百家でも子供に多額の資金のを持たせているところは少ないだろう。子供のお小遣いの数倍など、痛くも痒くもないわ」

「最悪自腹を少し切ればいいだけ……。折板しろよ?」

「当然。我らは同じ釜の飯を食う仲。一人に背負わせるわけがなかろう?」

 

 手に入れた金蚕蟲の試験運転。それを兼ねて九校戦での投入を決定した彼らは、具体的にどう使用するかを話し合っていく。

 金蚕蟲の毒は強力だ。飲んだものを必ず死に至らしめる毒性と呪力が込められている。安易に使えば、選手が死んで試合どころではなくなる。という危険も、残った期間で毒を弱めるようにすれば良いという案で決着がついた。

 

「しかし良いのか?ほかの組織に疑われる可能性が消えないぞ」

「いや、ありがたいことに四葉冬夜はこちらの世界でも有名人だ。奴を殺したい連中なんていくらでもいる。前夜祭に大量の外国人が入れば、ほかの組織の巻き添えをくらって殺害したという噂を流してやれる。客のほうを互いに疑心暗鬼すれば、疑われるだけで我々は追及されないさ」

「木を隠すなら森の中ということか。まさにリスクとスリルをかけた悪い賭けだ。くくっ、元からだな」

「それにどうせ他所の国の子供だ。一人二人死のうが我々の知ったことではない」

「運が良ければ死なずに済むさ。そうでなければ、運が悪かったということだ」

 

狂気を含んだ笑いが、彼らを包んだ。

 




さぁ次回から(ようやく)九校戦本番です。やっとここまで来た……。なんでこんなに長くなったんだろう?(すっとぼけ)

ここからはなるべく余計なエピソードは挟まずテンポよく勧めていきたいなぁ……。

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