Venerdi Santo   作:まみゅう

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06.火曜日は目を覚ましていて②

 

 自分は父親に似ていない。

 まずもって髪の色、瞳の色といった容姿からして母親似だし、イルーゾォの性格は父親のように剛毅でも苛烈でもなかった。外に出て友達と鬼ごっこや格闘ごっこをするよりは、家でテレビを見たり、本を読んだりするほうが好きだったし、3つ上の姉のままごとに付き合うのも別段苦にならないたちだった。

 しかし、そんなイルーゾォの性質を、警察官(ポリツィア)だった父は認めなかった。彼は息子の軟弱な態度を嫌い、大人しい性向を疎み、男らしく振舞わせようと過度に厳しく接した。いや、それどころか彼は、息子を自分以上の男にしようと躍起になっていた。

 父親は本当は警察官(ポリツィア)ではなく、 軍人であり、国家警察から選ばれた精鋭――国家憲兵(カラビニエリ)になりたかったのだ。

 父親にとって、イルーゾォはイルーゾォという個ではなかったと思う。自分との境目がない存在で、だからこそ、思い通りに育たない息子に腹を立てた。彼は決して息子を愛していなかったわけでなかったが、その愛し方は自己愛の延長線上にあった。

 イルーゾォを使って、彼は人生をやり直そうとしていたのだ。

 

――オレは、あの男じゃあ、ない

 

 鏡に映る自分はいつだって母親似で、イルーゾォはそれを見るたびにほっとしていた。幼い頃こそ、期待に応えられない自分を責めもしたが、次第にそれは父親への憎しみと軽蔑に変わった。

 

国家憲兵(カラビニエリ)の入隊条件のひとつに、身長が190センチ以上、というものがある。そんな本人にはどうしようもないことでまで、あの父親はイルーゾォを殴打した。身長を伸ばす――そのためだけに、聞きかじりの生半可な知識で骨を折られるようなこともあった。

 

 あの男みたいに絶対になるものか。それはイルーゾォの密やかな決意として、事あるごとに胸の内で復唱される。

 あんな残酷な男に、イルーゾォはなりたくなかった。それなのに――

 

 

「この、卑怯者ッ! 男の風上にも置けない、とんだ玉無し野郎だわッ!」

 

 プロシュートとリゾットが仕事のやり方について口論していたその日の夜、イルーゾォはとある任務に出かけていた。

 内容はもちろん殺し。ターゲットは若い女だったが、わざわざギャングの暗殺チームに依頼が来るくらいだ。全く罪のない一般人ではないだろうし、そもそもイルーゾォは今更人を殺すことに抵抗はない。 警察官(ポリツィア)だった父と正反対の道を模索すれば、否が応でも(ここ)にたどり着いたのだ。もはやそれは、ある種の意趣返しでさえあったのかもしれない。

 だが、それでも、イルーゾォが目指していたのは悪魔ではなく死神だった。感情のままに誰かを痛めつけるのではなく、力のある自分が正しいのだと驕ることなく、単なる仕事としてひっそりと終えるつもりだった。

 

「こそこそ正体を隠して、自分は安全なところにすっこんで、みっともないったらありゃしないッ!」

 

 追い詰めたターゲットの女は、鏡の中に見え隠れするイルーゾォの姿に恐怖し、その感情を覆い隠さんばかりの勢いで憤っていた。挑発のために口汚く罵る一方で、攻撃の手がどこから来るのかと、視線はせわしなく周囲をさまよっている。

 

「どうしたの? さっさと殺しなさいよ! それともあんたは玉無しのくせに、人を甚振るのが好きな下種野郎ってわけ?」

 

 イルーゾォがわざと彼女の精神を追い詰めるように姿を見せたのは、なにも彼女を甚振るためではなかった。

 今回の仕事は彼女を殺すことだけではない。彼女をわざと泳がせて、それで彼女が逃げ込んだ先、連絡を取った先まで釣り上げること。

 だから何を言われても、イルーゾォは鏡面のように平然としていればよかった。石を投げ込まれた湖面のように、波立つ必要なんてなかったのだ。

 

「私があんたの父親だったなら、情けなくって人生全部やり直したくなるわ!」

「ッ! うるさい、黙れェッ! オレは――」

 

――オレは、あの男じゃあない。あの男じゃあない!

 

 気がつくと、イルーゾォは女を鏡の世界に引き込んで、力の限りに殴りつけていた。わざと泳がしていたこともすっかり頭から抜け落ちて、女にとって逃げ場も助けもない閉じ込められた世界で、ただがむしゃらに暴力を振るった。ぜいぜいと息が切れ、女の歯に当たって拳が裂けても、それでも構わず滅多打ちにした。もしもその苛烈さを彼の父が目の当たりにしていたら、初めて息子を褒めたたえたかもしれない。

 それくらい、その時のイルーゾォは度を失っていた。完全に目が据わってしまっていた。

 

「いいかッ、二度と、ニ度とだ! オレを否定することは許可しないィィッ!」

 

 父の許しがなければ、イルーゾォの好む類のことはできなかった。そしてもちろん、父が理想とする行い以外、許可されることなど決してなかった。

 動かなくなってから既に随分と時間が経っている女に向かって、イルーゾォは再度拳を振り上げる。その時、襤褸切れのような女の胸元で何かがきらりと光って、イルーゾォははたと手を止めた。

 それは、アンティーク調の――言ってしまえは古臭いロケットペンダントだった。

 興奮で震える手で女の首からもぎ取ると、既に蝶番のところがイカレれていたペンダントは、イルーゾォの手の中でぱっくりと開く。中に入っていたのは、女によく似た少女の写真だった。とはいえ、親子ほどの年齢差があるようには見えないから、きっと彼女の妹なのだろう。

 

 イルーゾォはそれを見たとき、無意識に自分の姉のことを思い出した。父は姉にはきつく当たることもなかったので、二人の間に深い精神的繋がりがあるわけではなかったが、それでも不思議と我に返った。

 そうして目が覚めた瞬間、ペンダントの破片のもう片側にあった鏡面に、あれほど嫌っていた父親の顔が映るのを見た。容姿こそは母親譲りだったが、そこに映っていた男はあの残酷な父親そのものだったのだ。

 

――お、お前は地獄の底の、魔物以下の……最低最悪のゲス野郎だッ!

 

 スタンドを解除して鏡の世界から戻ったとき、ちょうどおあつらえ向きに女の仲間が現場を訪れていた。きっと、女と連絡が取れなくなったことを不審に思い、様子を見に来たのだろう。

 馬鹿な仲間の男は、すぐ近くに打ち捨てられていたおぞましい死体を見て、イルーゾォのことをそう罵った。しかしそれは単なる挑発ではなく、心の底から恐れ、軽蔑し、憎んだゆえの言葉だった。

 

「……」

 

 イルーゾォは黙って男も殺した。誰かを力でねじ伏せるのは、思っていたより悪い気分ではなかった。

 

 

 

 

 ほとんど明け方に近い深夜、 乱暴にアジトのドアを開ける物音に、イルーゾォは目を覚ました。ベッドの中でもぞもぞと寝返りをうち、特に理由もないままベッドサイドの置き時計に目を走らせる。

 7月11日。昨日は非番で、なぜかペコリーノも含めてその場にいたチームメンバーの飯を奢らされたが、日付は変わってもう火曜日。夜遅くまでほっつき歩いていた誰かが、今頃帰宅したのだろう。

 

  チームのメンバーは全員が全員、アジトに住んでいるわけではなかった。一応それぞれの部屋はあったが、自分で他にアパルトメントを借りている者もいる。しかし結局のところ、チームにいるのは帰りを待つ誰かがいるわけでもないはみ出し者ばかりだ。プライベートな――つまりは女を連れ込むようなとき以外は、結構みんなアジトで寝泊まりすることが多く、イルーゾォもまたそのうちの一人だった。

 

「チクショウ、変な時間に起こされた……」

 

 イルーゾォは再び目を閉じようとしたが、そうするとまた1階のほうで、パリン、とグラスの割れる派手な音がした。殺気がまったく感じられないので敵ではないのは確かだが、イルーゾォは神経質なたちだ。がさごそと物音を立てられると、気になって眠気の波はどんどん遠ざかっていく。

 リゾットなんかそういう点で、驚くほど図太かった。ちゃんと殺気や敵意には反応するけれど、逆にそれさえなければどんなに煩くしたところで起きない。

 

 結局、イルーゾォはため息をついて、ベッドから身を起こす羽目になった。そうして自室を出て階段を下りる前に、まず鏡の世界に入ることにした。誰だか知らないがこの物音の主を、ちょっと脅かしてやりたくなったのだ。こっちは気持ちのいい眠りを妨げられたのだから、ビビらせるくらいの権利はあるだろう。

 

 鏡の中はやはり、生き物のいない死の世界だった。とても穏やかで、静かで、少しだけ寂しい。足元に気を付けながら階段を降りていくと、真っ暗なダイニングの奥でキッチンだけがぼんやりと灯っているのが見えた。残念ながら、あそこに鏡は置かれていない。リビングの鏡の中からちらりと見えた騒音の主は、シンクにもたれかかる格好で煙草をふかしているようだった。床にはさっきの割れたばかりらしいグラスの破片が、片づけられることなく放置されている。

 

 イルーゾォはそっと鏡からマン・イン・ザ・ミラーを出すと、それからスタンドの渾身のパワーを込めて、パンッ、と手を思い切り打ち鳴らした。本物を知る人間からすれば、ままごとにも等しい銃声だ。それでも、不意を打たれれば誰だって少しは驚く。

 

「イルーゾォ……てめぇ、くだらねェことすんじゃあねーよ」

 

 煙草を口から離したプロシュートは、こちらの姿を視認する前にそう言った。

 

「夜中にうるさくしてた野郎に言われたかねーんだよな。ていうか、なんでオレだってわかったんだよ」

「まず第一に、多少の物音じゃリゾットは起きねェ。ホルマジオとメローネは起きても面倒くさがって下にまで降りてこないし、ギアッチョやペコリーノだったらもっとキレ散らかして降りてくるはずだ。あとはペッシとお前だが、ペッシは様子を見に来たとしても人を脅かしてやろうなんて意地の悪いことは考えねェからな」

「ケッ、意地が悪くて悪かったな」

 

 それだけの会話を済ませてしまうと、後はもう特に話すことはなかった。プロシュートが気だるそうなのはどうも酒を飲んで帰ってきたせいのようだし、そうなるとグラスを落としたのも、単に水を飲もうとして手を滑らせただけだろう。

 失敗でやる気を削がれて、とりあえずの一服。喫煙者にはよくあることだ。以前、コーヒーで台無しになった報告書の束を前にして、プロシュートが煙をくゆらせていたのを見たことがある。

 イルーゾォは我ながら馬鹿げたことに時間を使ったな、と思い、踵を返そうとした。

 

「……それにしても、暗殺にゃおあつらえ向きの能力だな」 

「は?」

「オメーのスタンドの話だよ」

 

 いきなり何を言いだすのだ。

 イルーゾォは呆気に取られてまじまじとプロシュートの顔を見つめたが、そこに酔いはあってもからかいの色はなかった。相変わらずシンクにもたれかかったまま、煙草を口の端に咥えている。プロシュートが喋るたびに、それがひょこひょこと上下した。

 

「ペッシが、オメーの能力を羨ましがってる」

「……なんだ、そういうことか。どうせならリゾットかお前、もしくはギアッチョを羨ましがればいいだろうに」

 

 スタンドは精神力だ。だから強力で影響力の大きいスタンドを持つ彼らは、きっと精神も強靭で逞しいのだろう。一方、イルーゾォの能力は脅威ではあるものの、どちらかといえば内向きの、認めたくはないが()湿()()代物だ。便利なのは自分でも認めるが、まさか羨ましがられるものだとは考えたこともなかった。

 

「ペッシはな、周りはなるべく巻き込みたくねェんだとよ」

「……言っとくが、オレはそんなにお優しいわけじゃあないぜ。プロシュート、お前マジで甘やかしすぎなんじゃねーのか?」

「ごちゃごちゃうるせェな――」

  

 青く透き通っているくせに、焼けつくような熱を感じさせる瞳と目が合う。

 

「――誇れよ、イルーゾォ」

「……」

「それか、オメーで誇れるくらいに成長しやがれってんだ」

 

 ――酔っぱらって説教なんて、いよいよジジイになっちまったな。

 

 いつもならするりと出たであろうからかいの台詞が、どうしてか今回に限って出てこない。イルーゾォは吸った空気の吐き方を、一瞬だが確実に忘れてしまっていた。

 

「オメーはオメーの世界に籠って、見たくねェもん見ねェように目を塞いでるんだろ。そいつは確かに安全で()()やり方だが……目を閉じたまんまで掴めるほど、栄光は簡単なもんじゃあねェ」

 

 プロシュートはキッチンの天板に、押し付けるようにして煙草の火をもみ消した。それから水切りカゴに置かれっぱなしだった別のグラスを取り出し、蛇口から水を汲む。

 

「姿を映せるのは、何も鏡だけじゃあねェだろ」

 

 グラスの中の水面は、ゆらゆらと波打っていた。鏡面のように硬質で揺らぎのないものではなく、どこまでも流動的な存在だった。

 ようやく当初の試み通りに喉を潤したプロシュートは、手の甲で口元をぞんざいに拭う。

 

「オレはオメーを買ってるんだぜ、イルーゾォ。 ま、結局本人にその気がなきゃ無理な話だがな」

「……この年になって、今更変われるかよ」

「だろうな。オレたちはスポンジみてぇに何でも吸収するガキとは違う。あがいてあがいて変わりきる前に、おっちぬ可能性のほうが高ェだろうな」

「しかも、最期はろくな死に方をしないときた」

 

 イルーゾォの混ぜっ返しに、プロシュートは小さく肩をすくめた。意外だった。もっと馬鹿にされるか、そんな考え方だからダメなのだと押し付けがましく説教されるかと思っていたのに。

 今日のプロシュートは、見た目以上に酷く酔っているのかもしれない。

 イルーゾォがそう思ったとき、洗面所のほうで、かたん、と小さな物音がした。

 

「……誰だ、ペッシか?」

「かもな」

 

 意地が悪いと言われたのは癪だが、最初のプロシュートの推理については異論がない。 

 プロシュートは足音を忍ばせてリビングの鏡の前に立つと、振り返って「行くぞ」と唇を動かした。どうやら鏡の中を通らせろ、ということらしい。

 

「一体何杯飲んできたんだよ、プロシュート」

「あぁ? そんなのいちいち数えながら飲まねェだろフツー」

「明日には全部忘れることをオススメするぜ。柄にもねぇことばっか、言いやがって……」

 

 あのクソみたいな父親とプロシュートが同種の人間でないことは、本当はよくわかっていた。本当にクソ野郎で下種野郎なのは自分のほうだ。他人を蹂躙する楽しみを見出してしまったあの日から、自分の中にあの男の血が流れているのを強く感じる。そしてそんな己を自覚する度、イルーゾォは開き直りにも似た感情を味わっていた。諦観の沼を揺蕩っている間は、罪悪感にも、自己嫌悪にも苛まれることはない。

 

 二人はどこか冷え冷えとする鏡の中のリビングをぬけて、洗面所にたどり着いた。そして薄暗がりの中、ひっそりと鏡の前に佇んでいた人物に息を呑む。

  イルーゾォも、プロシュートも、初めそれが誰なのか理解できなかった。彼女がいつもの、修道女(ソレッラ)の格好をしていないことも十分な理由だろう。しかしそれを抜きにしても二人がペコリーノをうまく認識できなかったのは、目を閉じ、何かを祈っている彼女の姿が、とても神聖な雰囲気を放っていたからだった。宗教画のような厳かさと美しさが、確かに彼女から感じられたからだった。

 

「……こんな時間に、誰の為に祈ってんだよ」 

 

 脅かしてやろう、という悪戯心はすっかり消え失せて、二人はただ鏡一枚隔てた世界でペコリーノが祈るのを眺めていた。時折小さく動く唇が、どんな言葉を紡いでいるのかはわからない。見慣れぬコットン地のパジャマから覗く肌は、昨日の怪我のために包帯やガーゼで覆われていた。

 そうだ。こんなにも穏やかに見えるのに、彼女は人を殺してきたのだ。

 

「どうせこいつの言う、()()()()奴らの為だろう」

「……そうか、ろくな死に方をしなかっただろうからな」

 

 イルーゾォには、クズのために祈ってやる彼女の考えがこれっぽちも理解できなかった。その一方で、もしも自分の為に祈る者がいるとすれば、それは彼女をおいて他にはいないだろうと思えた。

 

「ったく、大きなお世話って感じだよな」

 

 押し付けがましいのは嫌いだ。しかし言葉にしたほど、不思議と不快な気分は湧いてこない。

 結局、彼女が祈りを終えて自室に戻っていくまで、二人は聞こえぬ声に耳を傾けていた。時間の感覚なんてとうにない。初めて、ペコリーノが本当に修道女(ソレッラ)だったのだな、と思った。

 

 

 

「……なんかよ、あがいてそれでダメだったとしても、それはそれで悪くねー気がしてきた」

「だろ」

 

 小窓から柔らかな陽の光が差し込み、夜の終わりが訪れた。

 ぽつり、とイルーゾォがそうこぼすと、プロシュートは得意げに鼻を鳴らす。それから意地悪そうに青いの瞳を輝かせたかと思うと、気持ちいいくらいにきゅっと口角を上げた。

 

「オレが酔っててよかったな、イルーゾォ。明日には忘れといてやる」

 

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