斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~   作:迷えるウリボー

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2話 初めての演習④

『第二の呪いは教室に

 ――南を向く生徒を探せ』

『第三の呪いは庭園に

 ――落ちたる首を探せ』

 リィン、ヨシュア、そしてアガット。奇妙な経緯で行動を共にする三人は、白い影の正体を解き明かすためにジェニス州立学園の旧校舎の中へ入る。意味深なカードに記された『虚ろなる炎を目指せ』という指示を頼りに一階を散策する。

 炎の付いていない燭台。散らかっている教室の中で、ただ一つ正しく置かれる椅子と机。庭園にある壊れた花瓶。校舎内を探ってそれぞれの問いかけに対する答えを得ていく。

 最後はカードと共に一つの鍵を見つける。

『今こそ呪いは成就せり 最後の試練を乗り越え いざ 我が元に来たれ』

 そうして三人は鍵のかかった部屋を見つける。そこには石でできた精巧な竜の像があった。本来これはかつてリベールに住んでいた古代龍を模ったものといういわれがあるが、リベール外であるリィンとヨシュア、そして学に乏しいアガットはたいして興味を持たない。

 像の周囲で見つけたスイッチを押すと、像が独りでに滑り出した。見えてきたのは、大仰な地下への階段だ。

 緊張感を持って階段を下りると、地下は意外にも光があった。やわらかな燭台の炎のそれが、明るすぎず暗すぎずといった間隔で置かれているのだ。

 周囲を見渡す。校舎内というより迷宮に近い雰囲気の地面と壁。

 旧校舎地下に広がる迷宮――遺跡は、思いの外広大で複雑な造りをしていた。導力仕掛けの機械こそ少ないが、いくつもの分かれ道がある。三人での踏破には少しだけ時間がかかった。

 やがて辿り着いた大広間。今までの通路よりやや明るく、それでいて面積も体積も大きい。趣のある小祭壇のようだ。

 そして、そこには人がいた。

 膝まで伸びる白の外套が長身を包む。手に持つは赤い宝玉が印象的な杖――ステッキ。色あせた青の髪。

 人で間違いないだろう。そして、恐らく幽霊でもない。その体は透けて見えることもなく、また光と対を成す影も、炎と体の直線上にある。

 アガットがその人物を見ながら言った。

「白いマントか。野郎が暗がりにいるなら、確かに《白い影》だろうが……」

 そして視線をヨシュアに流した。それが何を問うているのかは判る。

「ええ。僕たちが見た影にそっくりだ」

 そしてリィンが問いただした。

「アンタ……何者だ」

「フフフ……ようこそ、我が仮初の宿へ」

 やや高めの芝居がかった滑らかな口調で返してくる。声からして男であることは間違いない。振り返って見えた顔には、両端に白い翼を模った、目元を隠す大きな仮面。

 仮面越しに見える異様な瞳が、三人を順に捉えた。

 そして、仮面の男は口角を静かに吊り上げる。

「……これはこれは。軍属たる希望に満ちた少年と街の不良。面白い組み合わせじゃないか」

「……ああ? ナマ吐いてんじゃねえぞ」

「無用な挑発に乗る気はない。俺たちはリベール領邦軍とその協力者だ。ルーアン市で噂になっている白い影の調査に来た」

「それはご丁寧なことだ」

 依然として余裕の態度は崩さない。

 ヨシュアが、緊張を保ったまま繋ぐ。

「州立学園の旧校舎に誰も知られずにいる事実。単刀直入に聞きたいものですね、貴方が何者なのか」

「ほう? 私が何者か……それを聞きたい、というのかね?」

「ええ。貴方は《怪盗B》。そうではないですか?」

 異様な会話だ。

「怪盗Bか……その問いは私にとって非常に魅力的だが、肯定と共に今はこう名乗らせてもらおう」

 仮面の男は両腕を天にかざす。まるでそこが壇上の舞台とでもいうように。高らかに言い放った。

「――執行者No.Ⅹ。《怪盗紳士》ブルブラン。身喰らう蛇(ウロボロス)に連なるものなり……」

 瞬間、微かな殺気が場に満ちる。対峙する三人は、ある程度の戦闘経験がある。だから殺気も感じ取れ、構えるとまではいかないがそれぞれの得物に手をかけさせた。

 こいつ、只者じゃない。

「フフ……そう殺気立つことはない。私はここで、ささやかな実験に投じていただけなのだ。ここで君たちと、争うつもりはないのだよ」

「殺気を出したくせにムカつくことを言いやがって……」

 そういうアガットは、今までで一番緊張した面持ちでいる。

 リィンは聞いた。

「身喰らう蛇? それはなんだ」

 《身喰らう蛇》。リィンにとって初めて聞く単語だった。

 だが仮面の男ブルブランは、神妙な顔で返すのみ。

「おやおや、士官候補生というのは礼節が備わっていないものかな? こちらが名を明かした。であれば君の名も知りたいものだ」

 馬鹿にしたような会話。立場を弁えない物言いにリィンは睨み返すも、

「……リィン・シュバルツァー」

 と、名前だけを返した。

「フフ……結構。歓迎しよう、リィン・シュバルツァー」

 ブルブランはそして、目線を変える。一瞬の沈黙の後、ヨシュアを見て不敵に笑った。

「君は知っているかね? ヨシュア・アストレイ」

 リィンは驚く。何故、ヨシュアの名前だけは知っている?

「噂はまことしやかに流れるものだ。リベール士官学院の逸材、文武を兼ね備え将来を約束された神童。君のことは()()()によく知っているよ」

 白い影の正体であろうブルブラン。常に不気味な悪寒を与えてくる。

 リィンのことは知らなかった。今までの言葉から察するに、アガットのことも不良の一人程度の認識だろう。だがヨシュアのことは、よく知っていると。

 ヨシュアは緊張を保ったまま続けた。それは最初の『君は知っているか?』の問に対する彼自身の見識。

「軍の上層部から聞いたことがある。身喰らう蛇……大陸各地で暗躍している謎の多い国際犯罪組織だと」

「ああ、概ねそのようなものだと思ってもらって間違いはないだろう」

 優秀だが一年のリィンと違い、軍の重鎮とも面識もあるヨシュアなら知っていると、そう判断しての言葉か。確かにヨシュアは軍上層部と話すこともあるとリィンも聞いており、そしてヨシュアは実際に結社のことをそう答えたのだから。

 ブルブランとヨシュアの会話は続く。ブルブランの言葉の端々には、リィンとの対話ではなかった慎重さが見えた。

「執行者の存在は知っているかね?」

「そういった実行部隊がいることなら」

「この私……《怪盗紳士》の異名は?」

「……」

「そうか、知らないか……」

「何故そんなことを僕に聞く?」

「いや、こちらの話だ。困惑させたのなら謝罪しよう」

 腑に落ちない、といった表情を作るヨシュア。実際、初めて見る異様な相手に奇妙な質問をされ続ける。自分が同じことをされても気味悪く感じるだろうと、リィンは考えた。

「お詫びと言っては何だが……私が答えられることを、いくつか話そうか」

 ブルブランは言った。その言葉を頼りに、リィンは気になる単語や今回の事件の真相を紐解いていく。

「実験をしているといったな。ルーアン地方でアンタの影が目撃されたのが『実験』なのか?」

「ふむ、百聞は一見に如かずだ」

 ブルブランは、大広間の最奥の祭壇へ向く。そこには装置のような機械があり、そして装置の台座には漆黒に半球状の不気味な導力器があった。

 沈黙のその後……仮面男の指さす空間に、半透明の『白い影』が現れる。

 いや、影は目の前の男と瓜二つだった。まさしく、各地で目撃された白い影。

「現存の導力技術にこんな高度なものがあるなんて、聞いたことがないけれど」

 ヨシュアが呟く。

 通信や飛行船の動力などに使われるエネルギー源を生み出す機材は、多くが導力器(オーブメント)と呼ばれる機械を使用している。C・エプスタインという偉人が解明したとされる導力。それは五十年前、導力革命という名で大陸中に知られている。

 機械操作しているのを見るに、これで亡霊の類でなく人工的な産物、つまり導力であることは疑いの余地がない。そして壁などはともかく何もない空間に映像を可視化させるなど、一般人どころか技術の発展源たる軍の領域でも知られていない高度な技術だ。少なくとも、導力技術の先進たるツァイス中央工房ではそんな気配はない。

「これは、我々の技術が作り出した空間投影装置だ。もっとも装置単体の能力では目の前にしか投影できないが……」

 ブルブランは警戒する三人をよそに、指の背で漆黒の導力器をコツコツと叩く。

「これは福音(ゴスペル)といってね。このゴスペルの力を加えると、こんなことが可能になる」

 漆黒の導力器が、見たこともない黒い波動を拡散させたと思うと、瞬時に浮かんでいた影が大広間の至る所に出現しては消え、出現しては消えを繰り返す。

「──とまあ、こんな感じだ」

 こちらを持て余すような態度のブルブランに僅かないら立ちを感じながらも、その真意を問う。

「その質の悪い遊びが『実験』だっていうのか?」

 悪戯、ともいえるかもしれない。特に誰かの生命や尊厳を脅かしたわけではないが、それでも不安で人々を煽るのは悪趣味というほかない。

 それをブルブランは狂気の笑みで肯定した。

「そうだ。ルーアンの市民諸君にはさぞかし楽しんでもらえただろう」

 人を困らせることに悦びを見出す凶悪犯。ヨシュアが予想していた怪盗Bでもあるようだし、とことん顔を見たくない性格をしている。

であれば新たに浮かぶ疑問がある。こうしてルーアン地方を騒がせた動機は何だ。

「装置を用いて影を投影する。それが実験の趣旨なら……身喰らう蛇が実験を行う目的は何だ?」

 リィンが問い、間髪入れずにブルブランが返す。

「身喰らう蛇の目的か……私がそれを明かす権利はないな。しかし、私個人が今この場に参じている理由ならば、一言だけ伝えることができる」

「それは?」

「興味……ただ、それだけさ」

 リィンが、ヨシュアが、そしてアガットが、愕然とする。

 組織としての目的でないとはいえ、興味。ただそれだけで、ここまでのことをしでかしたのか。

 これ以上は真相を語る気はないらしい。ブルブランは少年たちにとって興味もわかない奇妙な話を繰り広げている。

「おい、どうすんだあの変態野郎」

 アガットが疲れた様子で聞いてきた。戦闘時は色々苛烈な発言が目立った彼だが、彼以上に異質な人間がいると、自然同情してしまう。

 ヨシュアは言う。

「やることに変わりはありません。事件が人の仕業であって、やはり悪意があった。だとすればこれを正さない理由はない」

 リィンは頷いた。そして、決意を新たにブルブランを見据える。

 リベール士官学院に入学し、そして最初の実地演習としてやってきたルーアンでの事件。己の道を見つけるために、リベール州併合の意味を知るために、そして協力してくれたアガットに報いるために、ここで引くわけにはいかない。

「いずれにせよ、学園敷地への不法侵入、領邦軍への公務執行妨害容疑……アンタがやっていることは違法行為に他ならない。軍の詰め所まで同行してもらうぞ」

「断るといったら?」

「力づくで連行する」

 リィンが太刀を引き抜いた。ヨシュアもアガットもそれに倣って双剣と重剣を構える。

 切っ先を向けられたブルブランは、しかし余裕の表情だった。悪く行って暴力をいとわない軍属の少年たち。彼らを目にしたブルブランは、顎に手を当てて耽る。

「ふむ。今回は黒子に徹することを考えていたが、気が変わった」

 そして、ブルブランは圧倒的な殺気を解放した。

 三人の体が戦く。恐怖で動かなくなるほどのものではない。だが、武術を嗜んでるようには見えない目の前の男が放つ圧倒的な気。それは三人の警戒を最大限に増幅させるには十分だった。

「私の興味のために、少しだけ確かめさせてもらうとしようか」

 瞬間、ブルブランが動いた。人間が発揮できるとは思えないほどの、圧倒的な速さだった。

 リィンが驚いた。

「なっ」

「後ろだ!」

 ヨシュアの叫び声が聞こえたと思うと、リィンの背後で金属の衝突音。

 ブルブランがその手に持つステッキを振るい、ヨシュアの双剣を弾いたのだ。

 瞬点、ブルブランはリィンに向き二撃目。リィンはもはや反射で太刀を振り切った。その切っ先はブルブランのマントの先端をかすめ、しかし当たらない。

「甘いな、少年よ」

「くっ」

 ブルブランがリィンの脇を狙う。リィンは決して弱くない、八葉一刀流の初伝だ。だがそれ以上に、目の前の男は圧倒的過ぎた。ただの一度の打ち合いでそれが判る。

「ふざけるんじゃねえぞ!」

 同時に動いたアガットの重剣が、遅れた結果タイミングよくブルブランを捉える。それは必中の間合いだった。

 しかし。

「素晴らしい破壊力だ。だが、当たらなければ意味がない」

 重剣はブルブランをすり抜けた。それは、今の標的が残像であることを意味する。

 そうしてアガットは振りぬいた隙を直接狙われた。重剣が床を破壊したと同時に起こったのは背をステッキで叩かれただけの単調な一撃、しかし痛みになれている不良でさえ顔をゆがめるほどの一撃だった。

 最初の一合で姿勢を崩されたヨシュアがアガットをフォローする形で回る。リィンもまた防御姿勢を取る。

「ふむ……」

 ブルブランが考え込むような態度を取り、その隙にリィンたちは体勢を整えた。

「おい……あの変態野郎、只者じゃねえな」

「そうですね……アガットさんも判りますか」

「舐めるな、シュバルツァー。武術かじってる奴だけが強いわけじゃねえ。それは目の前の変態を見りゃ判るだろ」

 変態という呼称には戸惑うも、意外とブルブランを例えるなら合っている。少しの会話だけだが、こちらの意に介さず動いたりヨシュアに詰問を続けたり……怪盗Bは貴族婦人を盗んだという前科がある。仮にここに美少女でもいようものなら、まさに変態の行動をとり続けただろう。

 ともかく、リィン、アガット、ヨシュア。三人はブルブランの奇抜な戦い方と実力に気づけた。無駄に打ち合いをしなくても判る。

 リィンの考えに呼応するかのように、ヨシュアが言う。

「リィン、アガットさん。あの男は普通じゃない」

「はい……ヨシュア先輩?」

 だが、高い身体能力と実力を持ちながらも柔和な雰囲気を崩さなかったヨシュアが、初めて冷たい目線を顕わにしたことに戸惑う。

 アガットに対して決意を灯した強い瞳ではない。その逆……冷徹な瞳。

「カシウス将軍や帝国本土の武人のように、大陸には僕らの理解を超えた強者がたくさんいる。彼もその一人だ。結社……噂で聞いただけたけど、危険すぎる。士官候補生として、常識を書き換えなきゃ到底立ち向かえない」

 いろいろ判らないことはある。それでも、この場を切り抜ければならないのは変わらない。

 一番の理想は、謎多き犯罪者ブルブランを捉えること。

 そのためにも。

「だから死ぬ気でかかるよ。援護してくれ」

「……はいっ」

「ちっ、乗り掛かった舟だ。野郎をぶちのめすのを手伝ってやる」

 瞬間、ヨシュアが消えた。いや、アガットとの戦いの時のように圧倒的な速度でブルブランを捉えたのだ。

 アガットが、そしてリィンすら驚愕する。今日は異常に驚くことが多い。

 今、初めてブルブランの動きが止まった。神速の牙のごとき双剣が怪盗紳士の動きを制していく。決して有利に立っているわけではない、けれど今、彼一人の動きが敵の猛攻を封じていた。

「ハハハ! それでこそだ! ならばこんなのはどうかな!?」

 ブルブランが指を鳴らすと、大広間の灯が炎を膨らませる。次いで猛攻を続けるヨシュアから距離を取り、懐から針を取り出した。

「影縫いだ! 避けろ!」

 ヨシュアが叫ぶ。狙いは彼だけでない、三人全員だった。

 細長い、自身の影に迫りくる影を、アガットは紙一重、リィンは太刀で弾いた。そしてヨシュアは避けるも、ブルブランに狙われる。

「おらぁ!」

 アガットが追随した。ヨシュアの攻撃の裏で迫りくる圧倒的な蹂躙、それはさすがにブルブランも喰らいたくはないらしい。必死ではないが、確実に避ける挙動は戦闘に影響を与えている。

 その激戦を眼に捉え、じりじりと構えながらリィンは思考を巡らせる。

 二人の猛攻があっても、まだブルブランは有利なままでいる。きっと、自分が戦況に加わってもそれは変わらない。

 リィンは考える。自分にはヨシュアのような速度も、アガットのような破壊力もない。

 技術はそれなりにあると自負しているが、今自分が向かっても大した影響は与えられない。

 自分は、何をした? リベール士官学院に入学してからの三週間、一か月にも満たないとはいえ、その密度の中で何をしてきた?

 アガットを諭すことができたのも、結局はヨシュアの説得が功を奏した結果だ。ルーアンで燻っていた不良をこうして行動させるまで突き動かしたのは、ヨシュアだ。

 自分はまだ、何も成し遂げていない。

 このままじゃ、終われない。八葉を指南してくれた師に報えない。自分を送り出してくれた家族に顔向けできない。そして、辿り着きたい剣聖に届かない。

 なら、眼を開けろ。前を見据えろ。死ぬ気でかかれ。

 自分を、解放しろ。

「──掴め」

 ジワリと、少年の太刀から熱気が膨れ上がる。

 それだけじゃない。恐れを払え、目の前の怪盗紳士に向けて。

 力を(ほふ)れ。

 瞬間。

 戦場を切り裂く獰猛な殺意が、ブルブランと、そしてアガットとヨシュアを捉えた。

「なにっ」

「ほう?」

「……」

 驚くアガット、冷静に反応するブルブラン、そして無言のヨシュア。

 三人が見据えたのは、後方にいた少年。

 中段に太刀を構える少年、太刀は紅く光る。眼は閉じられている。

 戦闘において、およそ命取りとなるとも言える閉眼という行為。それはブルブランにとって格好の的だったはずだ。

 だが、できなかった。動こうとした瞬間に開かれた少年の瞳が、()()光ったから。

 ──全テヲ、殺セ。

 驚く間もなく、ヨシュアのようにリィンが消えた。

 アガットもヨシュアも、動くことすらできなかった。唯一怪盗紳士だけが反応していたが、彼もまたリィンに置き去りにされた。

 ブルブランは声なき呻きをあげる。アガットは見た、ブルブランの白い外套の下、太ももから赤い線──斬撃の傷が生じているのを。

 ヨシュアは目撃した、三人の遥か先、背を向けたリィンが太刀を振り切り、残心を解かぬままの姿勢で止まっているのを。

「リィン! 大丈夫かい!?」

 ヨシュアとアガットが駆けよる。振り向いたリィンの顔は、疲労と冷や汗で滲んでいた。

「はぁ……はぁ……問題、ありません」

「おいシュバルツァー! お前……」

「それよりも、早く……彼を、止めないと」

「いや、余興は終わりだ」

 三人は振り向いた。少し足をかばいながら動くブルブランは、先ほどまでと違い落ち着いていて、それでも予期せぬ宝物を見つけたような笑みを浮かべていた。

「フフフ、今宵はなかなか面白い巡り合わせとなった。ますます女神に感謝しなくてはならないな」

 まず、ブルブランはアガットを指さした。

「怨嗟に捕らわれし重き鉄塊」

 そして、ヨシュアを意味深に見据える。

「……漆黒の牙を携えし神童」

 最後、リィンの瞳を観察した。

「そして……鬼神の如き覇気を待とう剣士か。本当に、興味深い。この帝国という国は」

 顔から浮き出る汗を拭い、少年は何とかブルブランを見据える。

 相手が相手だから、迂闊に動くことはできない。例え、怪盗紳士から放たれていた殺気が、穏やかなものに変わっていたとしても。

 アガットが問う。

「てめえ、どういうつもりだ」

「どうもしない。そもそも私が成し遂げるべき『実験』は、既に終えていたのだから」

 ブルブランは装置の前まで移動する。そしてそこにある福音(ゴスペル)を手に取った。

「今日はこれでお開きだ。私はこれでお暇するとしよう」

「貴方は犯罪者だ。僕たちがこのまま見逃すとでも?」

「ヨシュア・アストレイ。可愛い後輩のその疲弊ぶりを見ても、同じことが言えるのかね?」

「……」

 一瞬だけ、まるで『解き放たれた』かのようなリィンの超上の戦闘力。その原因は判らなくとも、その代償として今リィンが動けないことは理解できる。

 鬼神の如き疾風の一閃。それは先ほどのヨシュアの猛攻と共に確実な戦力であるが、それでもブルブランに油断はできない。

 確かなのは、まだ今回の事件で犠牲者は出ていない。国際犯罪組織の先兵。その情報を持ち帰るだけでも一つの成果ではある。

 引き際を見極めるのは一つの能力だ。

 リィンの現状を見て、ヨシュアは苦悶の表情を浮かべる。

 そして、決めた。

「判った。これで手打ちにしよう」

「賢明な判断だ、ヨシュア・アストレイ」

 アガットは少し悔しげな表情をするが何も言わない。不良ではあるが、彼は努めて冷静だった。

 ブルブランは手に持つステッキを掲げる。彼の周囲を桃色の花弁が舞い散る。

「この因縁の地……旧リベール王国と、それを擁するエレボニア帝国。私の知的好奇心をたっぷりと満たすことができそうだ」

 やがて怪盗紳士の色彩が薄くなる。映像ではない彼の実体そのものが薄くなる現象に、疲弊しながらもリィンは驚愕する。

「では……またの邂逅を楽しみにしているよ」

 そして、その姿が完全に消えた。

 大広間に沈黙が訪れる。ヨシュアとアガットはまだ帯刀できなかった。彼が本当に消えたことを確信できなかったが、それでも彼の言葉を信じるほかなかった。

 落ち着いてから、ヨシュアもアガットも、盛大に息を吐ききる。ヨシュアはリィンに向き直った。

「リィン、立てるかい?」

「ええ……」

 ヨシュアが手を差し出してくる。脂汗まで出ている掌に少し申し訳なさを感じるが、それでもリィンは彼を頼れずには立てなかった。

 立ち上がり、リィンは覚束ない腕て太刀を鞘に納める。

「すみません、先輩、アガットさん。上手くいけば彼を捕らえれたのに……」

「仕方ないよ。命あっての成果だ」

「俺は覚悟を見せろと言ったんだ。無駄死にをしろとは言ってねえよ」

 言葉は乱暴だが、意外にも優しい気づかいのアガット。

 一同は大広間と、ブルブランの残した装置を見渡す。

「ヨシュア先輩……どうしましょう」

 疲労のせいか、リィンは生来の指揮力を発揮できなかった。弱々しくヨシュアに聞く。

「うん、そうだね。危険は去った。僕らにできることはもうない」

 いろいろと釈然としないものはある。それでもここが潮時だった。

 ヨシュアはアガットに向き、そして言う。

「アガットさん。僕たちの覚悟は、認めてもらえますか?」

「……あ?」

 それは、リィンとヨシュアをアガットと繋ぐもの。アガットの帝国に対する諍い方を否定したヨシュアとリィンの覚悟が認められるのかという問い。

「認められねえな」

 アガットはそう言った。そして、不敵な笑みを浮かべる。

「気に入らねえ奴らをすべて殴り倒してからだ。そうしてから、また同じことを聞きやがれ」

 

 

────

 

 

 そして、三人は旧校舎を後にした。

 学園関係者の計らいで男子学生寮で仮眠をさせてもらい、ルーアン市へ戻る。アガットと一度分かれ、リィンとヨシュアは事の顛末をリベール領邦軍に報告することとなった。

 これに最も驚いたのはリベール領邦軍で今回の件を軽視していた兵士たちだが、それも無理はなかった。普通に考えれば市民が目撃した白い影など、どうしても噂話の域を出ないのだから。そういった分野の調査に精通した遊撃士であるわけでもない、むしろ秘密裏に行われた実験を看破できたのは、リィンとヨシュアが実地演習の最中であるという特異な状況であったからと言えよう。

 本来はまだ二日ほどの哨戒任務が残っていたのだが、国際犯罪組織まで出てきた手前、それは一度中止され上層部への報告書作りや事情聴取に奔走することとなった。

 仮にも士官候補生、道中関係した事柄はすべからく報告する必要がある。だが正直なところ、二人はアガットのことを報告しようかどうか大いに悩んだ。報告した結果、ルーアン市の兵士たちはアガットが協力者になったことを聞いた時目を剥いて驚いていた。どうやってあの問題児をお縄につかせたのかと、報告以外でしきりに兵士たちに聞かれたものである。

 実際そこはヨシュアとリィンも気にしていたところだった。あれだけ苛烈な姿勢を見せたアガットがこうして協力してくれたこと。事件の大勢に影響を与えなかったとはいえ、彼があそこまで協力してくれたのは、二人も三度考えてもまぐれじゃないのかと疑ってしまうほどだった。

 とはいえ結局、その本心はアガットが知るのみだ。

 少なくとも、ヨシュアとリィンは、彼にとって信頼に値する人間になれたということ。それが二人にとっては嬉しかった。

 ブルブランの特徴について、リィンとヨシュアはそのできる限りを伝えた。アガットと協力し、()()()()()()()連携を図ることで、なんとか彼に一太刀を浴びせることができた。しかしそれまでに異常な疲労を重ねてしまい、彼が逃げるのを追いかけることができなかった。しかし疲労がなくても捉えることはできないほどの実力者であったと。

 リベール領邦軍、ひいては大陸最大規模を誇る帝国正規軍にとって、国際犯罪組織をの一員を名乗る人間が学園に潜入し、いかなる目的か『実験』をしていたこと。これは震撼に値する内容だった。事が起こったのは属州リベールではあったが、その情報は瞬く間に帝国中の正規軍へ伝達された。

 そしてブルブランが残した装置はZCFに引き渡され、解析が進んでいくことになる。

 出会い、不安。様々な予兆を生み出した最初の実地演習は、波乱の幕開けとなったのだった。

 

 

 





今回の変化
・クローゼとオリビエが居合わせなかったので、ブルブランが原作ほど変態ムーブしてない。


次回も引き続きリィン編
3話「邂逅~有角の獅子~」となります。

※各話のタイトルを変更しました。

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