斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~ 作:迷えるウリボー
リベール士官学院はツァイス地方にある。
ツァイス地方は元々導力技術の先進地として発展していたが、リベール州となって併合された後はレイストン要塞やヴォルフ要塞の存在も相まって、軍人が殊更に多い地域になった。
だが、そもそもリベール州は山岳地帯が多く、元から『田舎国』とも呼ばれていた場所だ。そんな地域だけあって、リベール士官学院の夕刻は、閑散とした空気に包まれている。
リィンは今、一人だった。校内の休憩所。ZCFから試運転として設置された自動販売機でミラを投入して、缶入りの珈琲を手に取る。
「ふぅ……一日一日が、あっという間だ」
交換留学二日目である。今日も、本当に流れるように一日が終わった。
授業は全て終わり、部活動をしている生徒は各々それに打ち込んでいるはずだ。閑散としているとは言ったが、遠くからは生徒たちの掛け声が聴こえる。
黄昏色の空に、リベール州発の飛行船が飛んでいくのが見える。
「……」
トールズ留学生、共に歩かなければならない四人はこの場にはいない。昨日は授業の後にすぐ教官棟を訪ねたのだが、それと必要な場所の案内も終えていた。だから今日のこの時間は自由行動だった。と言っても、夕食の時間はまた集まるようにしているが。
だが、少しだけ迷いもあった。
「リィン」
「あ」
缶珈琲をすすっていると、後ろから声をかけられる。振り返ると、ここ二日間のリィンにとっては落ち着く顔の人物だ。
「ヨシュア先輩」
「お疲れ様、リィン。他の人たちは?」
ヨシュア・アストレイは、変わらず穏やかな顔つきでいる。同じように留学生との橋渡しを請け負っているはずだが、去年度の経験もあり慣れているようだ。
「お、なんだなんだー? 可愛い子ちゃんか? ヨシュア」
ヨシュアの後ろから聞こえたのは、リィンが初めて聞く声だった。飄々とした、軽い青年の声。
男としては長い銀髪、トールズの緑の制服をだらしなく崩し、頭にはバンダナをつけている。青年は軽い調子でヨシュアと肩を組む。
その青年を軽く制し、ヨシュアは至極真面目に言ってのけた。
「残念、君が望むような女子生徒はいないよ。クロウ」
「かぁー、つまんねぇ」
そして、その二人の後ろからひょっこりと顔を出す幼げな女生徒。
「もう、クロウ君! せっかくの交換留学なんだよ!? 今くらいは規律を守りなさい!」
「っうし、言質とったり。トールズに戻ったら遊びまくるぞ」
「あ、ああ!? トールズに戻ってもダメです!」
彼女はしまった、というような顔をして、ていてい、と青年の頭を叩こうとしている。そして届かない。
さらに二人、今度は白制服の中性的な女子生徒と、恰幅のいい緑制服の男子生徒。
総勢六人。リィンが来るまで一人だった休憩所は、にわかに騒がしくなった。
それだけで、彼らがどういった関係性なのかが判る。
忙しい四人に対して、ヨシュアはリィンを見てほほ笑んだ。
「みんな、紹介するよ。といっても、名前はもう知っているだろうけどね」
最初の挨拶の時点で自身の名前を明かしているが、先輩への礼節もある。リィンは改めて四人を見回した。由緒正しいトールズ士官学院の二回生、その代表たる四人を。
一人、既に名を知っている少女が可愛らしい笑顔を浮かべていった。
「改めまして、トールズ二回生代表のトワ・ハーシェルです。よろしくね、リィン君」
トワ・ハーシェル。彼女自身は緑の制服で、そしてトールズ士官学院の生徒会会長なのだという。なるほど、その小さい身からは想像できないが、その優秀さなら交換留学生に選抜されるわけだ。
「よろしくお願いします、トワ先輩」
銀髪の青年が、気軽に躍り出た。
「うっし、次は俺だな」
飄々とした空気だが、意外と嫌な印象はしなかった。彼は何故かリィンに対して決めポーズをとると、そういった態度が好きなのか気軽に声をかけられる。
「クロウ・アームブラストだ。趣味はナンパ、アイドル雑誌集め。よろしく頼むぜ、リィン後輩」
「え、ええ……? ナンパ?」
「こらこら、クロウ。後輩を困らせないの」
交換留学の選考は文武の成績や何かしらの功績を評価されるのだが、この青年が学業優秀な様子が想像できない。そうなると、武術が優秀なのだろうか。
いろいろと反芻したい思いをこらえて、リィンは先輩を立てる。
青年、クロウの肩を叩いたもう一人の男子生徒は素朴な口調だった。
「僕はジョルジュ・ノーム。特技は……そうだね、機械いじりかな?」
よろしくね、と軽く自身の腹を叩く。
「それじゃ、最後は私だね」
艶のある紫の短髪。今まで声も発しなかったが、彼女の存在感は強かった。麗人、という言葉があっているかもしれない。
彼女はリィンに手を差しだす。リィンはそれに応える。
「アンゼリカ・ログナーだ。よろしく頼むよ、リィン君」
その自己紹介を聞いて、リィンは握手をしたまま固まった。ログナー侯爵家。言うまでもない、四大名門の一角である。
「ああ、身分なんてものは気にしなくていい。ユーシス君も、似たようなものだっただろう?」
だがユーシス以上にフランクな態度だった。
トワ、クロウ、ジョルジュ、そしてアンゼリカ。ちぐはぐだが妙に気やすい関係の四人は、ヨシュアを入れてさらに仲睦まじい様子だ。
「その、先輩たちは、とても仲がいいですね。交換留学二日目とは思えない」
自分など、貴族やら平民やらの違いや、その他いろいろなことに戸惑っている最中なのに。
ヨシュアに代わり、クロウが軽い調子で補足してきた。
「俺とゼリカは、去年も留学生に選ばれたからな。ヨシュアとは、そん時からの知り合いだ」
『ゼリカ』、とはアンゼリカのことらしい。ちなみにジョルジュとトワは『アン』と言っていた。
交換留学制度は、去年度から始まったと聞く。当時一年生だったヨシュアは、以前言ったように代表として迎え入れるのもまたトールズへ行くのも経験している。波長も合うのか、特にヨシュアとクロウは正反対の性格ながらも息が合うようだった。そして必然、クロウと親交の深いアンゼリカとも縁を繋ぎ……。
「アンとトワ、そして僕とクロウは、まあよく四人でいてね」
ヨシュアが他のリベール代表生とともにトールズへ留学した時は、トワが招待側の学生代表だった。そんなわけで、自然この五人は絆を深めたのだという。
これが、前にヨシュアが行っていた『絆』だろう。時間や場所を超越した、彼が言う所の暴力的で理不尽なまでの確信。
「それよりもリィン後輩、一人でどうしたんだよ?」
クロウが不思議そうにリィンを見た。それは先ほどのヨシュアと同様、黄昏ているリィンを見ての発言。不思議とヨシュアと被る。
「そうだよ、リィン君。ラウラ君とエマ君というトールズの至宝がいながらそれを守らないなど……!」
ぐぬぬ……と握り拳と歯ぎしりを立てるアンゼリカに、リィンは彼女の印象を改めるかどうか悩む。
「あはは、ごめんねリィン君。二人のことは気にしなくていいよ。でも気になっちゃうかな、一人でいるのは」
「トワ先輩?」
「そう、私たちは先輩だよっ。今一年生は誰もいない。他校だけど……でも頼っていいんだからね?」
普段は先輩としての器量を見せるヨシュアだが、今はただ静かに微笑むのみ。
違う学校の生徒との交流。しかも自分はこの人たちと、学年すら違う。
ならば、これも縁か。
休憩場のベンチに五人を促す。座れて三人。後輩ということでリィンが、あとは女性二人が勧められて座る。端からリィン、トワ、アンゼリカの並びである。
「実は……ラウラに、言われたんです」
リィンはその言葉を思い出した。
『そなた……どうして本気を出さない?』
それは武術教練のでのことだ。トールズ四人との模擬戦の終わり、エマから《ARCUS》のことについて聞いていた時に言われたこと。
それを聞いた時、反射的に心臓が疼くのを感じた。
ラウラは八葉一刀流を知っていた。槍の聖女という偉人に仕えたアルゼイド家が興した、大剣による圧倒的攻撃を主とするアルゼイド流と、そして《剣仙》ユン・カーファイが起こした、東方剣術の集大成ともいうべき八葉一刀流。大別はされても、共に理に辿り着きうる伝統の道筋。
ラウラは父から聞かされていたのだという。剣の道を志すなら、いずれ八葉の者と出会うだろう、と。
リィンにとっては驚くとともに、納得のいくことでもあった。カシウスは《剣聖》としてその名を大陸中に轟かせている。会ったことはないが、兄弟弟子として《風の剣聖》と呼ばれる剣士がいることも知っている。ラウラ自身が経験を重ね、いずれそう言った剣豪たちと剣を交えるために出会うことは、容易に想像できた。
実際──理事長と他校の留学生という立場ではあるが──交換留学の予定の中で、招待側の学校の理事長であるカシウス主催の晩餐会もある。幸か不幸か、ラウラはその前にリィンと出会ってしまった。
そんな自分に対して言われた、「何故本気を出さないのか」という言葉。
それは、初伝止まりである自分の、腑抜けた戦いに起因するのだろう。
技術力はそれなりにあると自負している。腐っても八葉の一人だ。そしてその腐った理由は判る。かつてヨシュアに話した、リベール士官学院に来た理由を思い出す。
『確かに俺は一時期老師に師事していた。だが剣の道に限界を感じて修業を打ち切られた身だ』
正対するラウラは、エマやユーシス、マキアスの緊張も気にせず、リィンの言葉をただじっと聞くのみだった。
だが、リィンはその時、上手く言葉を伝えられなかったのだ。
『これが、俺の──』
限界だ。そう続けようとした言葉は、しかし金縛りにあったように続かなかった。
だからあからさまに誤魔化すような、そして傍から見れば明らかにおかしい言葉しか紡げなかった。
『すまない、少しだけ待ってくれ』そして『君に、だけじゃない。俺自身が納得できる言葉を伝えたい』と。
ラウラは逡巡の後、言ったのだ。『判った』と。
一通りのことを聞いた後、最初に口を開いたのはクロウだった。さも俗っぽい恨み顔で。
「なに青春してんだよって言いたくなるけどな」
「もう! クロウ君!」
真面目な悩みなのに、とトワは再度クロウの頭を叩こうとした。そして届かない。
「おい、親身にしてる先輩からのお言葉はないのか?」
クロウは隣にいるリベール首席に問いかけたが、
「それは、彼ら一回生のことをよく知る君たちがベストなんじゃないかな?」
悪魔とも天使とも取れる笑顔を浮かべるのみだ。
実際のところ、リィンの悩みの一端を知っているのはヨシュアだが、そのヨシュアすらリィンの根本は聞いていない。
「ぶつかってみればいいのさ」
女性だが足を組み、勇ましくトワの肩に手を回すアンゼリカが言う。
リィンは声を傾ける。アンゼリカはとても真摯な目をしていた。
「ラウラ君はとても実直だろう? そしてエマ君はとても私の好みだ。抱きたい」
「アン、本音が出てるよ」
「ユーシス君はあの通り、まだまだ捻くれ屋さんだ。それに……」
その目はまるで経験者のように、今のリィンとトールズの四人のことを見透かされているようで。
「マキアス君の違和感も……リィン君は気づいているんじゃないのかい?」
「……はい」
リィンはただただ頷くしかなかった。ラウラの言葉にたじろぐだけでなく焦りや不安も感じるのは、感じる違和感に、さらに一波乱がやってきたからに他ならない。
クロウが苦笑した。
「ま、今年の後輩どもも、俺たち以上に灰汁が強くはあるよな」
ジョルジュが笑えば、トワが両腕をぐっと握りしめて前向きなことを言う。
「それだけみんな、たくさん可能性を秘めてるってことだよっ!」
アンゼリカが軌道を修正してきた。
「私たちもだが、君たちはまだ若い。ぶつかり、そしていくらでも判り合える」
そして。
「それができるのが君たちなんだから」
その言葉を、リィンはぐっと噛み締めた。
信頼できる、そして安心できる級友とは違う。まったく別世界の場所からきた彼らだからこそ、また違う重みをもってリィンの心に染みわたるのだ。
「僕も、去年は色々聞かされたよ。クロウとアンゼリカが大喧嘩したとか」とヨシュア。
「クロウ君が赤点たくさんだったから交換留学中なのにヨシュア君と皆で対策したとか」と、トワ。
「ヨシュアがトールズ女子の人気者になったから、怒ったアンがヨシュアを呼び出したりもしたよね」とジョルジュ。
それは青春の一幕そのものだ。
年はそれぞれ違うが、彼らは友情を築いている。自分たち一回生は、全員が十七歳。仔細までは判らないが、それぞれが目的と迷いをもってそれぞれの学院に進んだ若者たち。
(なら、俺も……)
最初にここに来たきっかけを思い出せ。それはルーアンでの実習でも思い出した、己の根本。
その覚悟を決めて、リィンは疲れが少し和らぐのを感じた。あれはきっと、精神的な要素が大きかったのだ。
「ありがとうございます、先輩方」
万感の想いを込めて言った。
「彼らと……仲間たちと、もう一度話してみます」
────
「ラウラ」
「どうした?」
「武術教練の時の質問に、返事をしたい」
交換留学三日目。夜の帳もおり、三度目の夕食後の時間。リィンは一も二もなくラウラを見た。
エマもマキアスもユーシスもいる。二人の剣士がこの問いにかける思いを知ってこそ、三人は無言を貫いた。
ラウラは最早言葉はいらぬとばかりに、短い返答。
「判った。では」
そして、この言葉を、改めて紡ぐ。
「リィン。どうして本気をださない?」
剣の道を志し、そしてたった三日の交流だけでわかるほど、真っ直ぐにその道を突き進む彼女だからこそ判る、リィンの剣筋のブレ。物理的なブレではなく、心のブレだ。
リィンは迷うことなく返した。
「あの時、俺は『あれが俺の限界だ』って言おうとしたんだ」
「……!」
ラウラの目が見開かれるが、リィンは畳みかけた。
「でもそれは間違いだ。だから言葉にできなかった」
『あれが俺の限界だ』、思うことはできても、実際に言葉に紡ぐことはできない。それは限界だと思う心と、それを否定したい体がせめぎ合った結果の出来事。
正と負、どちらをも抱えている。それが偽らざる、己そのものの現在の魂。
「……俺には、八葉一刀流を学んだ理由がある。この学院に来た目的がある」
きっと、リベール士官学院に来なければ、己の剣の道に対して前向きになれなかったかもしれない。
本気を出せるようになりたい。己の心のうちと向き合いたい。でもそれができないのは。
「まだ俺が、未熟な身だからだと思う。恐怖が、あるから」
「恐怖……」
さすがにその全てを明かすことまでは、できなかったが。
「だから君が俺を見て『本気でない』でないと思った、それは俺の心そのものが出ているんだと思う」
「……」
「そんな中途半端な姿勢を君に見せたことを、謝らせてほしい」
今明かせる全てを、リィンは恐怖と共にさらけ出した。
沈黙する場。突飛なことを言った自覚はあった。
ラウラは、今までよりもさらに真っ直ぐとした瞳だった。
「……本気を出さない、とは思った。だが真摯でない、とは思えなかった」
「思って、思えない?」
間違いなく矛盾している感想。だがそれこそリィンは正しいと感じる。自分は恐怖しており、そして前に進みたいと思っているのだから。
それが、自分が養子であることに起因していること。果たして四人は気づいているのだろうか。
「そなたの事情は知らぬ。ただ、身分や立場に関係なく、どんな人間も誇り高くあれると私は信じている」
「……ラウラ」
「ならばそなたは、そなた自身を軽んじたことを恥ずべきだろう」
リィンは思い出した。『剣の道に限界を感じて修業を打ち切られた身だ』と、それは確かに老師にも、自分にも失礼だった。
「……だが、私も少し、早計だったかもしれぬな」
ラウラは腕を組んで、顔を横に向けた。
「同級生たちにそなたのことを聞いた。授業に、実習に、教練に、ひたむきに打ち込む友人。誇らしい代表だ、とな」
「……そうか」
そんなこと、聞いたことがなかった。少しこそばゆくなる。
「そなた……剣の道は好きか?」
「好きだ。けどきっと嫌いになっても、俺は剣を手放すことはできないと思う」
こればかりは、迷うことなんてなかった。
「好きとか嫌いとかじゃなくて、もう俺自身を形成しているものだから」
剣の道を歩かなかったら、俺は今この場所にも、トールズ士官学院にもいなかったのだから。
これは偽らざる、矛盾すらない想い。
「ならばよい」
「ラウラ、これからもよろしく頼む」
「うむ。次も負けない」
ラウラのにこやかな笑顔に、エマが手を合わせてほほ笑んでいた。
「雨降って地固まる、ですね」
学院一位の才女だ。ラウラとリィンのことを心配していたようで、そういった機微も読めるのだろう。
リィンは一息ついた。心配事の一つは、無事収束を迎えた。
これは、ラウラが始めたこと。彼女は言っていた。『せっかくの機会だ。正面からぶつからせてもらおう』と。
そして怖さもあったが、正面からぶつかった。そして今こうしてラウラと和解できている。
「マキアス」
「へ、僕か?」
またエマの胃を締め上げてしまうかもしれないが、彼女には後で謝るしかなさそうだ。
「ああ。君にも話したいことがある」
「なんだ……」
「俺に、何か遠慮をしていないか?」
「っ……」
リィンが抱いた違和感。最初は言葉数が少ないこと。次に自己紹介で疲れたような表情。そして『遠慮をしている』と確信……いや、気づいたのは自分が貴族であることを明かしてからだ。
「な、なんでもない」
「……」
「な、なんだその目は……」
リィンはラウラと和解できて、少し勢いづいている。その真っ直ぐな瞳がマキアスを射抜いた。
リィンとて土足で他人の懐に上がり込むつもりはないが、それがせめてもの抵抗だった。
「君には関係ないだろう……ほっといてくれないか」
それは半ば最初のリィンの質問を肯定していた。言ってからそのことに気づいたマキアスはハッと顔をゆがめる。
いたたまれなくなったマキアスは、不器用に音を立てて立ち上がる。
「マキアスさん……」
「今日の授業の、復習をしてくる」
エマの声を振り切って、マキアスはそのまま食堂を去っていく。後には四人が残された。
紅茶を、珈琲を口に入れる四人の男女。
最初にリィンが机に突っ伏して、ゆるゆる溜息を吐いた。
「……すまない」
リベール士官学院に入学してから同級生たちとは良好な関係を気づけていると自負している。だから正直、疲れて仕方がなかった。
「私は何も言えないな……」
ラウラは苦笑していた。彼女はそもそものこの問答の発端である。少し居心地が悪いらしい。
「その、仕方ありませんよ」
エマがそうまとめる。彼女自身もたじろいでいるようで、その声色はぎこちない。
リィンはヨシュアと行ったルーアン実習前の壮行会を思い出した。あの時、お互いに自身の人生の一端を明かした。実習におけるパートナーとなった人物と、信頼関係を結ぶためのそれではあるが、実際に彼と絆は作られていると思う。
だから、それが彼らともできるのではないかとは、思った。いや、実際にラウラとはできたが、それでもまだまだのようで。
今まで黙っていた少年が口を開いた。
「シュバルツァー。レーグニッツのことは放っておけ」
「ユーシス……?」
「奴の家名を考えれば判るだろう」
リィンは気づいた。
ユーシスとラウラの素性に気を取られえていたから気が付かなかったが、実は彼の家族も著名な人物だった。
彼の父親であるカール・レーグニッツは、帝国の中心たる帝都ヘイムダルの知事を務めている。それは帝国政府有数の人物、彼の権力は多い。
そして帝国では、二つの勢力が覇権を争っている。四大名門が核となる貴族派と、そして帝国政府宰相ギリアス・オズボーンを中心とする革新派。
レーグニッツ帝都知事はギリアス・オズボーンの盟友とも呼ばれている。四大名門の一角たるアルバレア公爵家とも敵対しているのだ。
「だが……俺たちは士官学院の生徒だぞ? そこまで気にしなくても」
「それはお前の考えだ。トールズではそうはいかない。初日の奴はそれはそれは犬のように吠えていたからな」
リィンは驚いてエマとラウラを見た。子供同士の過剰反応かと勘ぐったが、少女二人は重い顔をして肯定した。
革新派と貴族派それぞれの子息がいる。そんな背景を持つ特科クラスⅦ組、初日はずいぶんと揉めたそうだ。武を尊ぶラウラや奨学金制度で協力意識が高いエマが率先してⅦ組参加を表明しなければ、そもそもⅦ組の設立そのものが危ぶまれていたそうで。
ラウラはリィンと話すよりもずっと悩める少女、というように頬杖をついた。
「最初は私ともまともに話そうとしなかったな。最近はそうでもないが……」
「そう、か」
「マキアスさん、副委員長としてとても頑張ってくれるんですけど……」
如何せん、ユーシスと話す時はその態度が露骨になるのだという。基本的に貴族そのものを警戒しているのだと。
となると、貴族であるリィンが声をかけても聞いてくれるかが判らない。いや、聞かなかったからマキアスはこの場を離れたのだが。
だが、とリィンは思う。
「ユーシスはそれでいいのか?」
「なんだと?」
「同じクラスなんだろう? それなら」
「人数の関係で授業は他クラスと合同だ。問題ない」
「それでも、同じ《ARCUS》を使っているんだろう?」
初めてユーシスの顔がこわばった。
《ARCUS》のテスターとしての役割を持つⅦ組。ならその機能をいかんなく発揮する必要があるだろう。多くの人との連携が必要なもののはずだ。
エマの苦笑の正体が判った。あれはマキアスとユーシスを見てのことだ。
「今日の武術教練、ユーシスとマキアスは一度もその連携を使わなかった」
リィンに対してああいった態度をとるマキアス。それ以上に犬猿の仲であるユーシスとマキアス。《ARCUS》の使用感がどのようなものかは判らないが、そんな状況で連携など取りたくないのではないか。
そして、それは少なからず成績に影響されるだろう。そもそもそんな状況でさえ交換留学に選抜されるのだから、個々の能力の高さが伺える。
そのあたり、どうにか……
「調子に乗るな、シュバルツァー」
鋭い声だった。
「他校の生徒が『中心』を気取るつもりか? 滑稽だな」
そして、ユーシスもまた乱雑に食堂から去っていく。
再三の沈黙だった。今度はリィンとともにラウラが机に突っ伏す。
「……すまない……」
「……こちらの台詞だ……二人とも、困ったものだな」
ああいった態度は、珍しくないのだという。ある意味帝国の縮図ともいえるトールズならではともいえるが。
いずれにせよ、思った以上に問題は根深い。己と向き合ってきたこの一か月間とは違う。リィンにとっては頭を悩ませる問題。
せっかくの交換留学も、もうすぐ折り返し地点だ。このままで終わっていいのか……。
「あの、リィンさん」
「え?」
唯一、突っ伏していないエマがリィンを見ていた。
「どうしたんだ」
リィンは返す。聡明な彼女の瞳が、丸眼鏡越しに少年を見据えている。
まだ、世界はリィンを解放してはくれない。
「リィンさんに、頼みたいことがあります」
交換留学二回生選考基準
リベール側
ヨシュア・アストレイ代表(リベール首席、武術教練最強、実地演習の功績)
トールズ側
トワ・ハーシェル代表(トールズ生徒会会長として選考)
アンゼリカ・ログナー(武術最強格として選考)
クロウ・アームブラスト(武術教練優秀成績兼ARCUSテスターとして選考)
ジョルジュ・ノーム(ARCUSテスターレポートを評価され選考)
マキアスがリィンに失望した(貴族であり、それを隠していた)のとは違った順番で明かされていくので、彼の態度もまた原作とは少し違っています。